第三十七章 魂送り
第三十七章 魂送り
冰龍は彷徨った。
あてもない暗闇の中を梔昏の影を求めて彷徨った。仄かな光のように、胸に浮かんでくるのは、懐かしい友との思い出。
今は、もう儚い幻で、どれほど手を伸ばしても、それに触れることは叶わない。
「梔昏!」
冰龍は万感の思いを抱きながら、暗闇の中で叫んだ。
「……」
返される声はない。
冰龍は、力なく項垂れるしかなかった。
自分達を庇って、死んだ親友。どんなときも、傍らにいてくれた。決して、失いたくない存在だった。
「とんだ嘘つきだ、お前は……
何が、付いて行く、だ……これでは、付いて行くのは……俺だ……
梔昏…」
冰龍は縋るように握りしめた右の拳の手首を、左の手で握りしめる。
取り戻したい!
この手で、梔昏の手を掴みたい!あいつの温度を傍に感じたい!そんな思いばかりが、浮かんでくる。
「っ!」
そのとき、背中にふっとあたたかい、覚えのある気配を感じた。
「……」
おそるおそる冰龍が振り返ると、すこし離れた位置、その暗闇の中から浮かび上がるようにして、誰かが背中を向けて立っているのが見えた。
あの背格好、髪の長さ……
「……梔昏」
その声が聞こえたのか、彼は振り返って、冰龍の姿を確認すると、にこやかに笑った。
やさしい、いつもの彼の笑みだ。
「あ!……ぁ」
ゆっくりと、二人はお互いの距離を埋める。
「梔昏!」
「……」
彼は何も言うことなく、ただ、冰龍の前に佇むだけだ。声の代わりなのか、そっと差し出された梔昏の手を、冰龍は縋るように力強く握った。
そんな冰龍の反応に、梔昏は笑みを濃くし、反対の腕を差し出す。
彼が示さんとしているのは、昔からの二人の間で交わされた、親友である証である仕草だ。
冰龍は、その腕に自分の腕を絡ませ、力いっぱいそれに応えた。
胸に迫る思いがある。言葉には言い表せないほどの、感情の数々。
しかし、それらは、冰龍の表情が雄弁に物語っている。
沢山の、すまないとありがとう。
迷惑をかけて、傍にいてくれて…ぬくもりをくれて……認めてくれて、守ってくれて……友になってくれて――…
冰龍の思いが伝わったのか、梔昏は、笑って小さく頷いた。
やがて、梔昏は、微かに身体をずらす。
その動きが、自分から遠ざかっていくようで、恐怖に駆られた冰龍は、彼の手を再び握りしめた。
梔昏も、それに握り返してくれるが、すぐにまた、身体をずらす。
まるで、自分から離れなければならないのだと、冰龍に伝えるように。
「っ!」
冰龍は、懸命に親友の魂を引きとめようとした。
その思いを酌みとったのか、今度は、梔昏の方が手を握り返してくる。それを離すまいと、冰龍は力を込め、強く抱擁した。
梔昏もそれに応え、冰龍をしっかりと抱きしめ返してくれる。
「梔昏…」
腕の力を少し弱めたと同時に、梔昏と冰龍の距離は、離れていく。
「梔昏っ!」
呼ばれる梔昏は、いつものように、にこやかな微笑みを湛え、冰龍を見ながら、手をあげている。
さよなら、とでも言うように―――…
「梔昏っ!」
『 生きろ 』
声は聞こえなかったが、梔昏の唇が、そう刻んだ。
「っ!!」
同時に、彼の姿はどんどん薄くなっていく。完全に消える直前、梔昏は、最後だと言うように、顔いっぱいに笑みを広げた。
「っ!っ!」
冰龍は首を横に振り、しかし、喉は、詰まったかのように声を出すことができず。
それでも、気持ちのままに、行くな!と何度も、心で叫ぶ。
必死に手を伸ばしたが、冰龍の手が、梔昏の手に届くことは叶わなかった。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
ごめんな……ごめん、冰龍
冰龍には見えていなかったが。
彼の背後、ほんの、十歩ほど離れた位置に、梔昏は僅かな悲しみを含んだ微笑みを浮かべ、親友を見つめていた。
先に逝ってすまない……冰龍
でも、俺の心は、ずっと、お前達の傍にいるから…
たとえ、もう俺の姿が見えなくても、俺の声が聞こえなくても…
ずっと…ずっと――――……
やがて、梔昏は再び、冰龍の背中に手を軽く掲げる。
永久なる我が君、我が親友…
さらばだ、冰龍。
やがて、梔昏は、背を向けると、闇の中に完全に消えていった……
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
ピチョッ…ーーー
冷たく、濡れた感触に、ハッとして、冰龍は目を覚ました。目の前には、朝露が光る草がある。
「っ?……」
わけが分からず、上体を起こす。そして、我に返った。
梔昏の亡骸を葬ってから、あてもなく森を駆け回り、彷徨った。
そして、梔昏に会って……いや、違う……そのまま気絶し、今までここに、倒れてしまっていたようだ。
ならば、昨夜のは夢?
いや、夢じゃない。感触も、あたたかさも残っている…覚えている。もし、夢だとしても、梔昏が、会いに来てくれたのだ。伝えに来てくれたのだろう。
「……」
冰龍が周囲を見渡すと、東の空が明るく、旭が昇り始めていた。
空気が透き通り、清らかで、少し、冷たい…
空を、旭を見つめる。
「梔昏……分かった。”生きろ”、だな……」
姿のない親友に向けて、冰龍は誓った。彼の遺言を、守るために。
冰龍の魂からの友にして、永遠の相棒の梔昏。
彼の御魂は、この先もずっと、仲間の旅を見守っていくことだろう。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
「兄上っ!」
急に耳に届いた声に、ハッと振り返ると、そこには額に汗を滲ませた琭葩が立っていた。
「琭葩…」
「やっと見つけました……」
梔昏の葬儀を終えた後、いっこうに戻らない兄を探しに来たのか、息をあげながら琭葩が、駆け寄ってくる。
「お戻りにならないので、心配しましたよ!本当にっ!」
「ああ、すまん」
弟に謝り、冰龍は立ち上がる。
「さぁ、戻りましょう」
「ああ」
簡単に言葉を交わすと、二人は、そのまま連れたって、梓紗が待つ、梔昏の塚のある場所へと戻っていった。




