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守護の愛 ~悠久録~  作者: 沙羅魚
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第三十四章 守り人の眸

挿絵(By みてみん)




第三十四章 守り人の眸






 その反対側の木の上には、梔昏がいた。



「先をどう見据えて良いか…か………

 冰龍…」



 彼はそう呟くと、ふうっと嘆息して空を見上げた。



「…鬼結…」



 梔昏のなかに、親友の妻であった女の事が、思い出された。


 冰龍が彼女に駆け落ちを提案した日の、明け方のことだ。

 彼女と、あることを約束したのだ



「何!?

 冰龍と一緒に行かない?」

「ええ…それに、もう、ここには来ないわ」

「!?」



 彼女のその言葉に、梔昏は一瞬、頭の中が白くなった


「は?」

「お願い、梔昏!」



 必死な様の鬼結に、梔昏はまさかと思い、ある疑念を持ち出した。



「…鬼結、お前、まさか、冰龍を騙していたわけではないだろうな?」



 低い声音での問いかけに、鬼結はハッと顔を上げて、静かな眼差しを浮かべた。

 そんな彼女を見ながら、梔昏は、鬼結が否定するのを願ったものだ。



「……確かに、私達の出会いは、仕組まれていたことだったわ」

「っ!?」



 少なからずの衝撃が走った。

 だが、次の瞬間、彼女は、間違わないで、と念を押してきたのだ。



「でも、私は!

 私は、冰龍に恋をした。愛している…本当よ!

 だからこそ、これ以上、一緒にいられないの!」

「…どういうことだ?」



 意味が分からず、梔昏は首を横に振った。



「…私、恐かったのよ」

「恐い?」

「ずっと、あの人が、先に死んでいく現実と……あの人に、恨まれるかもしれないことが、恐かったの」

「冰龍が先に死ぬ恐怖は分かるが、あいつに、恨まれる?」



 わけが分からず、首を傾げる梔昏に、鬼結は、滔々(とうとう)と説明した。



「あの人は、四天王の祝部ほうり……

 冰龍は、自分が考えている以上に、責任感が強いわ…この村を、村の人達を、何より、家族を大事に、強く愛している」

「ああ」

「もし、私と逃げたら、いつか冰龍は、私を怨むかもしれないわ。あの人は魔物に傷を負わされた、魔物に何もかも奪われた……

 私は、私は………その張本人の支配下に、おかれた者なのよ」

「っ!?」



 鬼結が吐露した、その真実に、梔昏は驚いたものだった。



「これだけは、絶対に言えなかった。あの人から恨まれるのが、何より、怖かったから」



 それから、梔昏は黙って、鬼結の話を聞いた。

 鬼結は、鬼族のなかで、後継者の立場にありながらも、なかなか、力が出せない未熟者とされ、冷遇されていた。

 しかし、実は稀代の逸材で、能力が開花するまでには、ある程度まで、成熟した器が必要であった。

 力が出せないのは、その、安全装置のようなものだったのだ。

 そんな境遇である彼女に、目を付けた蟒之王おろちのおうが、鬼結にある使命を課した。

 冰龍の籠絡ろうらく、だ。

 蟒之王を恐れる同族達も、彼女をけしかけて、人間界へ行かせたのだ。

 当の鬼結は乗り気では無く、当初も、冰龍を堕とせるわけがないと、思っていた。

 だが、運命は残酷だ。

 呪いによって、疎外された冰龍。

 無能だと、冷遇された鬼結。

 孤独を抱えた二人は、次第に、強く惹かれあってしまったのだ。


 鬼結が冰龍と恋仲になった経緯は、彼女の任務でもあったのだが、心のままの行動でもあった。

 本来は、籠絡し、こちらに手の内を知らせる手段にするはずだったが、鬼結はそのように仕向けることをしなかった。

 あくまでも、恋人として、冰龍の心を支えることにしたのだ。

 だからこそ、彼女は、それ以上を望む気はなかった。いつでも、彼のために、切れる関係でなくては、と、思っていたのだ。

 ゆえに、彼女は、結婚など望まなかった。

 しかし、冰龍から申し込まれた。

 熱い冰龍の思いに、そして、自らの望みに抗えず、鬼結は冰龍の妻となった。

 長く続けることが出来るのかも、不安だったが、それでも、鬼結は、冰龍の妻になりたかったのだ。



 だが、昨夜、とうとう、冰龍が自分の為に、自分達の為に逃げることを選んだ時、終わらせなければと思った。

 自分と逃げれば、冰龍は、永遠に魔物達に狙い続けられることになる。

 自分の所為せいで、彼を、人間側から離してしまうわけにはいかない、と。

 そう、彼女は言った。



「鬼結…お前、ずっと……それを黙っていたのか?」

「ごめんなさい、ごめんなさい……でも、どうしても、言えなかった。愛しているなら、離れなければいけなかったのに。

 どうしても離れたくなかった……でも、ようやく分かったわ。ここまで来て、やっと分かった。

 私は、あの人から離れないといけない」

「鬼結」



 声を抑えて泣く鬼結、しばらくして、彼女は、再び言葉を発した。



「…梔昏、私、離れることは苦しいけれど、これを決めて、安心している部分も、少しあるの」

「安心?」

「彼をもう、巻き込まなくて済む……

 やっと、あの人を自由にしてあげられる。騙す形で、あの人の傍に居なくて済むんだもの。

 苦しくても、それが、私の愛だと気付いたの」

「鬼結……」

「冰龍をこれ以上、不幸にしたくないの。私達の未来を真剣に考えて、逃げようとまで言ってくれた。

 優しい人ね。敵である魔物の私のために、私と生きると言ってくれた。

 充分よ。もう、それだけで充分だわ」

「お前、本当に……冰龍を、愛してるんだな…」

「勿論よ。それに、梔昏、これは私だけの為じゃない。

 あの人に、人間としての道を捨てさせられない……私の為だけに、あなた達を捨てさせられないの」



 鬼結の言葉に、梔昏は、何も言えなくなってしまう。



「もし、私に何かあったら?あの人は、何のために……」

「…だが、お前はそれで良いのか?冰龍には、俺達がいるが、お前は、一族でも孤立しているんだろ?指示を無視したのだから」

「…大丈夫」

「鬼結」

「大丈夫、私も味方はいるわ。同じ種族ではないけれど、いつも一緒にいてくれる友達が、二人だけど…いるのよ、それに」

「それに?」

「この子がいるから」

 


 そう言って、彼女は、自分の腹部を撫でた。それには、流石に梔昏は驚いた。



「っ!?お前、子がいるのか!?だったら、やはり、冰龍と」



 冰龍と逃げろ、と言おうとしたが、鬼結は首を横にふった



「一族に知られてしまったの……この子のことを」

「何?」

「それに、魔界の王と一族は、私が、稀代の力の持ち主だと気付いてしまった。それで、ある提案を持ちかけたわ」

「え?」

「私が鬼族の長になるなら、この子を産むことを許された。命を狙わず、私の手元で育てることを……

 でも、私が逃げれば、冰龍も私も、この子も、どこまでも追い回して、敵として殺すと…

 王と、長老に言われたのよ」

「っ!?」



 鬼結の言葉に、梔昏は息を呑む。

 そういうことか……子どもの命まで、質にされてしまったのか。



「だから、この子の為にも、冰龍のためにも……私の為にも。

 私は、もう、冰龍には会いに来ないわ」

「……」

「だから、梔昏……これからも、冰龍をお願い」

「え?」



 彼女が懸命に頼み込んでくる。頭を、何度も下げながら。



「私がいなくなることで、あの人も、きっと苦しむわ。だから、冰龍を支えてあげて。

 これまでのように、何があっても、あの人の傍に居て、あの人の心の支えに……私の分まで。

 お願いよ!」

「鬼結」



 涙ながらに訴える彼女、どれだけ、彼女が親友を愛しているのか、感じ入ったものだ。



「もっと早く、気づければ、いえ、決心すれば良かったのに……」



 愛するゆえに、相手が死ぬのを見たくない。

 愛するゆえに、相手に恨まれたくない。

 愛するゆえに、相手が望む生き方をさせたい。

 そして、愛するゆえに、その子の命を守りたい。


 鬼結の情の深さに、梔昏は感心してしまった。これ以上、冰龍に似合いの女がいるだろうかと…



「私を、怨むように仕向けても構わないわ。それで、あの人の心が救われるなら。だから、梔昏……

 何があっても、あの人を、最後まで生かしてあげて…

 人として、生かしてあげて!」



 その叫び、願いに応えるべく、梔昏は彼女の肩を握り、確かに頷いてみせたのだった。

 そして、彼女はそれ以来、村を訪れることはしなかった。


 全てを知る者となった梔昏は、冰龍の為と、鬼結の決意を酌むために、何も言わず、冰龍の傍に付いていた。




『 恨まれるように仕向けても良いから、冰龍を人として最後まで生かしてあげて! 』



 あの、鬼結の言葉が、今でも、梔昏の心に強く残っている。








~・~・~・~・~・~・~・~・~






「……」



 五年前の回想から、梔昏は、徐々に、思考を覚ます。

 彼の長い髪を、森に吹いてきた風が、ふわりとなびかせていく。



「鬼結……」



 彼女が死んだ日…


 鬼結は、追い詰められ、一度は、蟒之王の思惑通りに、動いたように見えていたが。

 梔昏は、ここ数日考え、何となく分かっていた。

 鬼結は最初から、冰龍と息子を、守るつもりだったのではないか、と。冰龍を攻めるように見せかけ、梓紗が言うまでもなく、自分が犠牲になるつもりだったのでは、ないかと。

 そういう女だ。

 彼女は、自身が情を寄せる者への気持ちが、それは、それは強い。愛情、友情、親子愛…憎しみに対してさえも…とても、峻烈だ。

 だからこそ、あんな死に様を遂げたのか…

 その愛情が、彼女の美しさだったのだ。あの女の愛の形は、どれだけ熱く、儚く、潔く、そしてこうも、強いのか。

 矛盾するようだが、儚さの中に、揺るぎない強さが在るのだ



 今にして思えば、自分は、あの夜から彼女に、心惹かれていたような気がする。それだけ、鮮やかな記憶を、梔昏に刻みつけていった女…

 そして、梔昏のそんな思いは、鬼結だけではなく、冰龍にも寄せられている。

 だからこそ、梔昏は、二人を守りたかったのだ。


 あの二人が、好きだった。

 二人が在るこそ、梔昏にとって完璧だった。

 好き、だったのだ…

 決して成就などせず、報われる事はない、二つの想い…

 だが、それで、構わない。別段、自分は、報われたいわけではないから…

 この心は、一生、胸の内に秘めておく。


 自分が愛した、あの美しい男と女を……彼等の愛を大事に。ずっと、守って生きたかった…


 叶わなかった願い。

 ならば、約束だけは守る。

 片割れだけは、何としても守るのだ。彼女のために。



「…………」



 今更、届くのかは分からない。

 だが、風に乗って、天へと去った彼女に届くことを祈り、梔昏は呟いた。



「逝くのが早すぎるぞ、鬼結……

 お前は俺達の光だった。あいつにとって、俺にとって、生き甲斐だったんだ」



 無論、返ってくる声はない



「でも、お前は、お前自身の信念を、貫いたんだよな……

 きっと俺も、お前との約束と、俺の信念のために生きる。

 だから、どうか…安らかに――――…」



 それだけ、口にすると、彼も、静かに、森の奥から姿を消したのだった…





挿絵(By みてみん)

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