第十八章 恋慕の追憶(中編)
第十八章 恋慕の追憶(中編)
それから、冰龍と鬼結との交流は、密やかに続いた。
ある日、私室で書物を読みながら、ふと、冰龍は顔を上げ、縁側の方へと視線を寄せた。
「……そこにいるんだろ」
冰龍の声に、ひょいっと鬼結が姿を現した。
当時は、美しさが魔力の強さを量るものとは知らなかったため、魔力が弱いと思っていたが、それは、勘違いのようだった。
並の魔物では、この村に張られた、大巫女の強い結界の中に入ってくることは出来ない。
しかし、鬼結は、何事もなく、村の中に入ることが出来るのだ。
おそらく、まだ表に出ていないだけで、彼女自身は、相当の能力者なのだろう。
『何で、分かるのよ』
「俺は祝部だと言っているだろ。魔物の、お前の気配くらい、分かる」
『なんだ、つまらないの』
クスクスと笑いながら、鬼結は冰龍の室の中へと入ってくる。
冰龍も、鬼結が来れば、それまで読んでいた書物を棚に直し、双六や書画、囲碁、将棋、貝合わせなどの遊びごとをしたり、時には、二人で武芸に勤しむこともあった。
最初こそ、度々二人は反発していたが、お互いの言い分を好きなだけ言い合ったことで、理解し合うことが出来たのだ。
冰龍は、己が負わされた宿命と呪い、魔物の牙に怯える人間達の心を。
鬼結は、魔物というだけで、人間から忌み嫌われ、追いやられたことで、暗い闇の中や外れた土地でしか、生きていけなくなった先祖と、その恨みを受け継いだ魔物達の思いと無念を。
相互の思いを汲みとった二人は、それ以来、親友のように、肩を並べるようになった。
他者の存在が近くにあることは、相変わらず怖く、最初こそ、ひどく拒んだこともあったが、彼女はそれでも、梔昏のように、冰龍の傍に訪れてくれた。
そんなことが続くうちに、冰龍は次第に、彼女を遠ざけることが、どうしても出来なくなってしまった。
それどころか、一月程が経った時には、いつしか、彼女の訪れを待ち望み、恋しがっている自分がいることを、冰龍は感じとっていた。
魔物の少女と交流を持っていることを、梔昏にばれたときは、少々、一悶着あったが、鬼結と梔昏の双方で、事を片づけたようだ。
それ以降は、三人で時を過ごすことも多くあった。
やがて、冰龍は、鬼結が自分に寄せてくる眼差しが、友人や親友に寄せるものから、女のものに変わってきていることに気づいた。
そしてずっと前から、自分も、鬼結を愛し始めていることを、感じていた。
しかし、冰龍は、感づきながらも、鬼結の気持ちに応えることは、自分から踏み出すことは、出来なかった。
あの森で、闇が自分に残した、呪いの言葉が彼を苛んでいたのだ。
自分への呪いは、周囲にいる者達を不幸にしていくのだ。だから、治療師は死んだ。村の結界は、さらに弱まりはじめた。
呪いに過敏になっていたので、不幸を振りまいているのでは、としか考えられなかったのだ。そして、それは、今でも拭えない。
そんな男に、他の存在を愛する資格があるとは、思えなかったのだ。
だが、一年の月日がたった春の宵。
梔昏が早めに引き上げ、鬼結と、花見酒を口にしていたときだ。彼らの関係が、その一線を越えたのは。
『私では、あなたを救えない?』
鬼結はそう言った。
その哀しくも美しい笑みと、切ないまなざしに、冰龍は、目を奪われた。
今まで抑えていた感情が、強烈に惹きつけられるのを感じた。これ以上、感情を抑えられる自信は、もうなかった。
しかし、一抹の理性を最大限に保ちながら、冰龍は静かに、盃の湖面を凝視しながら、唇を開いた。
「俺には、呪いがある。
そんな俺がおまえを愛すれば、どんな形であれ、それは成就する。
違うか?」
『…全部分かっている。あなたが、教えてくれたのよ』
「だったら、やめろ!
たとえ意思でなくとも、最終的に俺は、お前を不幸にしちまう!」
冰龍は、鬼結を直視することが出来ず、彼女から顔を背けた。
『それでも良い』
「……」
『怖がらないで』
「鬼結」
『大丈夫。
あなたのその不安は、私の気持ちが包むから。
私は、死なない』
そう言って、彼女は冰龍を抱きしめてきた。後ろから抱きしめられ、背中に温かさを感じる。
「鬼結」
「私は治療師達のように死なないわ。魔物の呪いは、魔物には効かないんだもの」
鬼結の言葉に胸が熱くなる。冰龍は、抱いていた思いを吐露した。
「俺が、お前を好きになって良いのか?」
『勿論よ』
「お前には、本当に呪いが成就しないのか?」
『ええ』
「っ!鬼結っ!」
冰龍は振り返って、鬼結を抱きしめ返す。
「………っ、鬼結、俺は、お前が好きだ…」
『私も。
私も、冰龍が好きよ。大好き』
そして、二人は、恋人となったのだ。




