序章 呪われし運命(さだめ)
序章 呪われし運命
あの頃、私は、大人達に言われる『危険』の意味が、よく、分からなかった。
自分の生きている、この世界が、闇黒に包まれ始めているということなど、ただの、大人達の杞憂だと思っていた。
まさか、あの、浅はかな行動で、あんなことが起きてしまうなんて。
そのことがきっかけで、数々の存在の運命を、変えてしまうことになるなんて……。
幼かった、あの頃の私には、考えもつかなかった。
もう、幾年前になるか……あれは……
~・~・~・~・~・~・~・~・~
その日、大人達に忠実な兄には内緒で、梓紗は従兄達と、閉ざされた村の外に広がる、広大な森へと散策に出かけた。
梓紗には、二人の従兄がいる。
彼らも兄弟で、年が離れており、優しく面倒見が良い、兄の冰龍。
冒険好きでやんちゃな弟の、琭葩だ。
この二人と梓紗、そして彼女の兄である梔昏を含めた四人は、いつも一緒だった。
その日を例外として……
「あまり、遠くに行くのは危険だ。そのあたりにして、もう帰ろう」
村から、だいぶ離れ始めた頃、流石に年長者の冰龍が、まだ幼い二人を制した。
しかし、元より好奇心旺盛な梓紗と琭葩は、彼の忠告を聞き入れない。
「そんな固いこと、言うなよ。兄上」
「そうだよ、冰龍。
村は狭いもの。私はもっと、向こうを見てみたい。そうでしょ?」
「ああ。
俺も、いつかは、村を出てみたい!兄上だって同じだろ?」
「それは…まぁ、分からなくはないが」
「やっぱり!冰龍も、そうなんじゃない」
「梓紗…」
「それに、なんだかんだって言って、冰龍は、一緒に付いて来てくれるじゃない。お兄様とは違って」
梓紗の言葉に、冰龍が苦笑しながら返す。
「いや、梔昏は、態度で示そうとしてくれてるんであって」
「でも、あんなに、危険、危険って言われているのに、さっきから、何も起きないもの」
「梓紗の言う通りだよ、兄上」
楽観的に構える二人に対し、冰龍はやれやれといった表情を浮かべた。
「あのなぁ、そんな悠長なことを言っていられない状況が、今にきっと――…」
冰龍が、そう言い終わりかけたときだった。
急に辺りが暗くなる。
「え?」
「これは…」
「言っているそばからっ!…二人とも戻るぞ!」
「う、うんっ」
「兄上っ!梓紗!待ってよ!」
「琭葩っ!早く来い!」
冰龍は、右手に、一番幼い梓紗を抱き上げ、左手に琭葩を連れて、駆けだす。
しかし、気づけば背後から、気味の悪い生き物達が、大勢、彼らに迫ってきていた。
「ひ、冰龍!魔物だよ!」
「うわっ!」
「ちっ!
なんて量だ。初めて見るぜ。琭葩、梓紗、先に行け!」
冰龍は、魔物の集団を視界に捉え、軽く舌打ちをすると、梓紗と琭葩の二人を前に押し退け、そのまま魔物達の方へと、体勢を変える。
そして、考える間もなく、腰に挿していた刀と脇差を引き抜き、素晴らしい脚力を以てして、魔物達へ戦いを挑んでいったのだ。
『ギャァアアオウ!』
『グワッ!』
冰龍は、鮮やかな二刀流で魔物達を、的確に退治していく。
十四歳ながら、彼の太刀筋は屈強な大人の戦士と比べても、なんら劣るところは無かった。
「ひ、冰龍…」
「兄上…すげぇ」
その様に気をとられ、梓紗と琭葩は、成す術なく立ち止まる。
すると、それに気づいた冰龍が、鋭い声で二人に命じる。
「なに突っ立ってる!早く行け!」
「っ!!」
「あ」
そんな彼の声に、我に返った二人だったが、梓紗と琭葩は、初めて魔物と対峙した恐怖と冰龍を置いていくことが気がかりで、逃げられない。
「琭葩っっ!」
「っ!」
再び冰龍に、『行け』と言外に促され、琭葩は自分の隣で、震えている梓紗の腕を強引に引っ張る。
「梓紗っ!」
「で、でも…冰龍が」
食い下がる梓紗を、とりあえず動かすために、琭葩は焦る頭を必死に、冷静な方向へと回転させながら言った。
「兄上は後から来る!だから、大丈夫だ」
「琭葩……わ、分かった」
頷いた従妹を確認し、琭葩は彼女の腕を引いて、駆けだした。
二人は、懸命に村への道を逃げ続ける。
しかし、もうすぐ、村だといったところで、二人の行く手は、それまでとは比べ物にならない程、激しく強い妖気によって、阻まれた。
『この気配。
この童等……まさしく、我等を滅する者…』
禍々しい声と共に、巨大でうねる様な動きをする闇が、二人に迫ってくる。
「くっ!」
琭葩が刀を抜き、梓紗を守るように背に庇った。その後ろで、梓紗も、護身用の短刀を抜き、闇に向かって翳す。
「さ、去れ!」
『今のうちに、滅せねばならぬ…』
「去れ!行けよっ!さもないと……っ!やあああっ!」
琭葩は、九歳という幼い身ではあるが、兄程では無いが、多少は、腕に覚えがある。
彼は、素早く間合いを確認し、覚悟を決めて、闇に斬りかかっていった。
しかし、碌葩の持つ刀の刃が、闇に触れたと同時に、稲妻のような激しい痺れが、彼の四肢を襲う。
「くっ!っうあああぁぁっ!」
叫び声と共に、琭葩が地面に倒れる。
そのまま、彼は、まるで、金縛りに合っているように、小刻みに痙攣する。
「琭葩っ!」
それを前にした、梓紗の悲鳴が、森中にこだまする。
『次は容赦しない…止め、だ』
「やめてっ!」
今度こそ、琭葩の息の根を止めようとしている言葉に、梓紗は堪らず、飛び出していく。
琭葩よりも非力な自分では、無駄だとは、分かっていたが、それでも梓紗は、従兄と同じように、闇に斬りかかった。
しかし、やはり…
「きゃあああぁあっ!」
バシッという音と共に、彼女も地面に倒れ伏した。
「っ!くぁ…ぁっ、ぁっ」
体中に、雷撃が走ったと思う程に、ひどく痺れ、手足の感覚が、麻痺したようで、微動だに出来ない。
耳はキーンと、高い耳鳴りの音が響いているし、喉からも、掠れるような声しか出なかった。
「っ!っ!」
徐々に、視界が暗くなってくる。
「っ……――――」
そして、完全に、梓紗の意識は底に落ちてしまった。
「あ、梓紗…」
なんとか、体の痺れが解けてきたのか、琭葩は、身を引きずるようにして、梓紗の傍へと、向かった。
近くに来てみると、彼女は既に気を失っており、ぐったりとしている。
「あっ…ずさ…!」
琭葩は、とりあえず梓紗が息をしていることに安堵し、すぐさま、自分の体で庇うように、梓紗の身体の上へ横から四つん這いに折り重なる姿勢をとった。
今の彼に出来る、精一杯の、守りである。
そんな彼に、残酷な死の宣告めいた、低い闇の声が降ってくる。
『滅びよ…』
「くっ!」
琭葩が、もう駄目だ、とばかりに覚悟を決め、ぐっと目を瞑ったときだった。
バチバチッという、激しい火花の音と共に、背後から、眩い光を感じた。
「っ!?」
ハッと、琭葩は瞼を開く。
「あ、兄上っ!?」
いつのまにか、冰龍が現れ、その闇と刃を交えていたのだ。安堵のあまり、琭葩の身体の力が、抜けていく。
「琭葩!無事か!?梓紗は?」
「ぶ、無事だよ。梓紗も気を失ってるだけ……って、兄上、どうしたの!?」
琭葩は、目を極限まで見開いて、兄の姿を映した。
「は?何が、だ?よく、分からないが…」
その時の冰龍の身体からは、青白い光が放たれており、いつもの彼とは違っていた。
青みがかった紺にも似た、黒眸も、完全な青色に変わっている。
「っ!くっ!」
刃を闇に突き立てる冰龍の額には、古代文献などによく見かける、青い光を放つ刺青のような紋様が、浮かんでいる。
冰龍と火花を散らす闇の中から、苦々しげな声が響いてくる。
『っ…これは……!神族の…四天王の…………おのれっ!』
「去れっ!魔物!こいつ等に触れることは赦さんぞ!」
鋭い声を飛ばす冰龍、大切な弟や従妹を守らんとする彼の強い意志が、そこには宿っていた。
その凄まじい眼光の眸を前に、闇は。
『………そうか
そういうことか…四天王め……目覚めておったのか…』
「俺が、相手になる!」
『ふん、小癪な!生意気な小僧らめ!我に逆らったこと、後悔するが良い!』
悔しそうな声が響くと同時に、闇の中から、巨大な火の玉のようなものが飛び出す。
そしてそれは、冰龍ではなく、そのまま琭葩達へと向かっていった。
「っ!?琭葩!梓紗っ!」
闇と刃を交えていた冰龍だったが、弟達に向かっていく濃い紫色の巨大な玉を目にし、即座に刀を投げ捨て、二人の前に躍り出た。
バシィィィッ!
「うっっ、っくっあぁああぁぁぁ―――――――っ!」
「兄上――っ!」
眩い光を放つ、玉を受けた瞬間。
冰龍は、顔面を両手で押さえて、絶叫をあげ、苦痛から逃れるように、体を反らせる。
光景を目にした琭葩が、玉が弾けて飛びちる眩い光の奥で、見えにくくなった兄の背中に向かって、叫んだ。
『 』
ある、呪詛の言葉を、冰龍の耳に残し、その闇は、どこかへ去って行ったのだった。
白昼に起きた惨劇は、幕を下ろし、森は不気味なほどの静寂を、取り戻したのだった――――…