第十三章 秘されしもの
第十三章 秘されしもの
薄暮の森の中、木々の枝と枯葉を集め、四人は、焚火を起こしていた。
食事は狩りで得た山鳥の肉と茸や山菜、手持ちの調味料のいくつかを用い、汁を作る。
汁を口にしている間、冰龍は考えこむように汁の入った椀を見つめているばかりだ。
あれから数時間経っているが、一向に、冰龍は、話してくれる様子は無かった。
難しい顔の冰龍を、汁を吸いながら心配そうに梔昏が見ている。梓紗と琭葩は、そんな兄達を見ながら何も言えないでいる。
しかし、梓紗の中は、疑問でいっぱいだった。
なぜ、襲ってきた魔物の仲間と思しき女の名を、冰龍も兄も、知っていたのだろう。
加えて、彼らの様子から見て、冰龍と、あの婀夜女鬼結之媛とかいう女鬼とは、ただの知り合い以上の関係ということが、見て取れる。
今まで、自分から説明してくれるだろうから、と、黙っているが、これ以上、待っていても、一向に冰龍も梔昏も喋りそうにない。
「ああ!もう、焦れったい!」
急に大声をあげた梓紗に、男三人の注意が注がれる。
「梓紗?」
「…梓紗」
「……」
梓紗は、言いたいことは分かるだろう、とばかりに、自分の真向かいに座る、兄達を軽く睨んだ。
「冰龍も兄様も、あれは何なの?」
「何、とは?」
梓紗のなかで、何かが切れそうになる。
冰龍のとぼけたような返しは、元来、彼女の短い気を、更に短くさせようとしているのかと思える。
「しらばっくれないで」
「……」
「……」
梔昏は少々困ったように、冰龍を横目にし、冰龍は黙ったまま、こちらを静かに見てくるだけだ。
「二人とも、あの女の人と知り合いなの?彼らは魔物でしょう。それなのに、何で―――…一体、どんな関係なの?」
一気にまくしたてる梓紗の肩に、ポンと、あたたかい温もりが置かれた。
「琭葩…」
「落ちつけよ。梓紗…」
「……」
「…山ほど訪ねたいのは分かるけど、冷静にならないと」
梓紗は、語気がいつのまにか、荒くなっていたことに気づいて、我に返ると、そのまま座っていた切り株の上に座り直す。
そんな恋人を安心させるように、その肩を一撫でし、琭葩は、真面目な顔つきで二人に向き直る。
「兄上、梔昏。どうか、教えてください。俺も梓紗も、事情を知る権利はあるでしょう?」
梔昏は、思案したような表情を浮かべ、再び親友に顔を向ける。
それは、事の次第を話す決定権は、彼ではなく、全て、冰龍にあるということのようだ。
冰龍はというと、弟の顔を真正面から見つめ、そのまま再び、椀へと、視線を戻す。
仮面を取り去っているため、今は、冰龍の表情がありありと、分かる。
真耶族に受け継がれる、青みがかった黒眸は、微かに迷うように、揺れている。
「……」
一度、冰龍は瞼をきつく閉じた。それは、まるで、何かに苦しんでいるようにも見える。
「すまない。少し、頭を冷やしてくる」
それだけ言うと、冰龍は器の汁を全て飲み下すと、焚火の前から、立ち上がる。
「兄上!」
「逃げるわけじゃない」
「っ…」
珍しく、いつもとは、少し様子の違う感情に支配された冰龍に、琭葩は反論を挫かれた。
冰龍はこちらを向かないまま、そっと告げた。
「すぐ戻る」
それだけ言うと、一瞬で彼の姿は、森の中へと消えていった。
残された三人の間には、微妙な空気が残された。そんななか、握りしめた両手を震わせながら、琭葩が呟く。
「兄上…何故、俺達には、何も話して下さらないんだ」
「冰龍」
「どうして!俺にも……弟なのに…」
「琭葩、梓紗」
悩む二人を前に、膝に頬杖をついていた梔昏が、こちらを窺っている。
琭葩が、縋るように梔昏に頼んだ。
「梔昏、梔昏は、何か知っているんだろう?教えてくれないか」
「そうよ、兄様なら…」
そんな二人の科白に、梔昏は、軽く目を瞬かせた後、嘆息して、首を横に振った。
「俺は傍観者でしかない。あいつが、自分の口で言わないことを、第三者の俺が簡単に喋れると、思うのか?」
梔昏の返しに、ついに耐えられなくなったのか、ついに、琭葩が激昂した。
「どうしてだよっ!?何故、いつも、あんたばかり―――」
しかし、怒りを見せた琭葩に対し、いつもは、軽く宥めるような口調になることの多い梔昏が、珍しく厳しい態度を示した。
「他人に触れられたくないもの、核心に閉じ込めておきたいことぐらい、お前達にも、あるだろう?」
「っ」
梔昏の指摘に、ぐっと、琭葩が詰まる。
「無理に聞き出そうとすることは、冰龍の、抱えている繊細なそれを、土足で踏みにじる所業と同じだ」
「……」
「心中を酌め。それに、あいつはいずれ話すさ。最後まで、お前達に隠し事は、しない筈だ」
しかし、冷静な梔昏の言葉は、余計に琭葩の怒りの火に、油を差したようだ。
「どうして、俺よりも、兄上のことが分かるんだよ!」
「……お前より、俺があいつを知っているとは思わん。だが、もし、そうなら、お前よりも、長い時間を、冰龍と過ごしたからだ」
「っ、兄上は、俺を近くには置いて下さらない……」
琭葩は悔しそうに歯噛みし、拳を固く握りしめる。その、白くなった関節に、彼の、兄を慕う気持ちの強さが表れている。
「琭葩、昼に言ったのを覚えてないのか?冰龍は、お前が憎くて、遠ざけたわけではない、と」
「それでも……」
「お前の、その感情自体は、あいつは、嬉しく思っていると思うぞ」
「梔昏」
ふっと、それまで俯いていた琭亜が顔を上げ、呆然と梔昏を見つめる。先ほどまでは無表情だった梔昏は、彼にやさしく微笑みかけていた。
「今の二人の立ち位置は、お前が兄を思うがゆえ、あいつが弟を思うが故なんだろうけどな」
「……よく分からない」
「今は、分からなくていい。いずれ、きっと近いうちに……お前達は、きっといやでも知ることになる」
「梔昏」
「強いて言うなら、知る覚悟をしておけ。
どんな、真実でも……今は、その猶予期間だ。きちんと、受け止める準備をしておけ」
梔昏は意味深な言葉を残した後、フッと溜息をついて、黙って、なりゆきを見つめている梓紗に、視線を送ってきた。
「梓紗、一応訊いておく。お前も知りたいか?冰龍のことを」
「兄様」
梓紗は、黙って、自分の胸に訊ねた。
自分は、冰龍が、何を考えているのか知りたい。彼と、今まで分かり合えなかった部分は、自分の頑なな態度は勿論だが、冰龍もあまり語りたがらないということも大きい。
彼女は、コクンと、兄に頷いた。
「…そうか。それなら、俺からも、あいつを説得しておこう。ありのままを語れ、とな」
妹の返しに、梔昏が優しく微笑んで頷いた。




