発熱
――――――早朝。
目が覚めた。
頭がぼーっとしている。
寝すぎたのかな・・・。
周りはまだ寝静まっているようだった。
洗面所で顔を洗おうとその場を立とうとする。
やたら身体が重く、手に力を入れないと立てないほどだった。
辛い。
ようやく立つと、ふいに酷い目眩が襲う。
「(うっ・・・)」
酷いな。どうなったんだろう私の身体・・・
全体的に暑い。
確かにこの季節、加えて20人程の人質がいるこの倉庫の一室はかなりの湿度があるけど、それを差し引いても相当な暑さだった。
もしかして、熱でもあるのかな・・・
全身の力を振り絞って洗面台まで行き、用を済ませた。
「(駄目だ・・・横にならないと、辛い)」
座っているだけでも辛かった。
もし、風邪でも引いたとなると、大変だ。
しかも、この密室だと――周りの人に風邪を移してしまう可能性が高い。
最悪―――。
とりあえず、横になろう。
それが今考えられる最善だった。
――――――
―――――
―――。
「――――おはよう。起きてるか?」
しばらく横になっていると、青馬さんが声をかけてきた。
体調が悪い事、気付かれたくないな。
心配されるのも辛いし・・・
私は、なるべく平静を装った。
「あ・・・おはよう青馬さん」
横になったまま返事をした。
もしかしたら、これだけでも気付かれたかもしれない。
「―――――どうした?大丈夫か?」
やっぱり駄目か・・・どうやら明らかに普段の私とは様子が違っていたらしい。
自分では分からないものだな・・・。
「ちょっと・・・体調が悪いみたいで・・・」
ありのままを伝えた。
このままの姿勢だと少し悪い気がしたので私は起き上がろうとする。
「(ん・・・・・)」
辛い。全身に力を入れどうにか起き上がれた。
どうしてこんな事になったんだろう。
すると、青馬さんは珍しく少し声を荒げた。
「無理に起き上がろうとするなよ!」
そう言って、私の肩を軽く押さえ再び横にさせた。
頭痛も酷い。これは完全に風邪だな・・・
青馬さんにも気付かれてしまったし、どうしよう。
「―――大丈夫ですよ・・・」
元気などあるはずがなく、小さな声でそう返事をすると、青馬さんは私の額を押さえた。
―――熱があるか確かめているのかな。
「・・・酷い熱じゃないか。大変だ」
青馬さんは難しい顔でそう言った。
どうやら本当に熱があったみたいだ。
どうして、こんな状況で―――本当についていない。
でも、冷静に考えたら、体調を壊すのは当たり前か。
この短期間で、この状況の中で沢山の絶望的な光景を見せ付けられたんだ。
精神的に参って当然。
ここまで弱い自分が嫌になった。
「ごめんなさい・・・青馬さん」
私は少し泣きそうになったのを堪え、素直に謝った。
どうしても、引っかかっていたから。
「え?」
青馬さんは、何を私が謝っているのか分からなかったんだろう。
だから私は、付け加えた。
「昨日の事―――ごめんなさい」
ようやく、言えた。
青馬さんは何も悪くないのに、私一人で絶望を感じてそれを押し付けていた。
許してくれるか分からないけど、言えて良かった。
「そんな事気にしてないよ。俺も悪かったんだし―――」
すると、青馬さんは簡単に私を許してくれた。
こんな弱くて誰かがいないと生きていけない私を―――
本当に良かった。
体調はこんなだけど、引っかかっていた事がすっきりして、私は満足した。
「夏香は絶対俺が日本に帰すから」
「―――青馬・・・さん・・・」
その一言で、私は全てを信じてしまった気がする。
もうこの人を頼りにするしかない―――
心も身体も弱りきっていた私は、その一言がとても嬉しかった。
――――――
――――
――――夕食。
少し寝ていたが、熱が下がった様子はなかった。
まだ、身体がだるい。
ほんと最悪・・・こんな状況で身体を壊すなんて。
青馬さんが、パンを持ってきてくれた。
でも・・・
「―――――食べれるか?」
流石に、食欲はなかった。
昨日の事も重なって、とても食欲など沸くはずはなかった。
「―――いえ、ちょっと・・・」
食べるものより、喉が渇いたかも・・・
そうか。熱が出たら水分を多く取らないといけないんだっけ。
でも、ペットボトルなどあるはずもなく、水を飲む時はわざわざ洗面所の辺りまで足を運ばないといけない。
少し辛いけど、この状態で我侭を言っていられない。
そう思い、立ち上がろうとすると、一人の男性がこちらに来た。
あの人は確か―――
「Drink this (これを飲んで)」
男性はそう言って、水の入ったペットボトルを私に渡してくれた。
でも、これは恐らくこの人がここで生活するための必需品だろう。
この体調ではなりふり構っていられないかもしれないが、流石に罪悪感を感じた。
「I do not get it (それは…もらえません)」
首を横に振りつたない英語で言ってみたが、伝わっただろうか・・・
心配してもらうのが、こうも気まずい事だったなんて思わなかった。
「・・・Do not mind it (気にしないでいいから)」
「え?」
男性は、そう言って水の入ったペットボトルを私の所へ置いていった。
何て言ったんだろう。
――――――――。
――――セレベスさん。
そうだ。あの人はセレベスさんだ。
先日、青馬さんがそう言っていた。
申し訳ない気持ちだったが、それがあの人の好意なんだろう。
私は、言うべき事を言う事にした。
「Thank you Celebes (セレベスさん、ありがとうございます)」
大きな声は出なかったが、同じ一室にいるし、届いただろう。
セレベスさんは振り返り私の方を見て、笑い返してくれた。
こんな心も身体も弱っている時にあんな優しさを見せられると、本当に挫けそうになる。
健康な時の何倍も人の優しさが心に染みる気がする。
つくづく、そう思った。
セレベスさんの優しさに感動して涙を流しそうになると、青馬さんは言った。
「セレベスさん、本当にいい人だよな。無事にここを出たら、日本に誘ってみようかな」
青馬さんは前向きに、嬉しそうに言った。
言葉が全部通じるわけじゃないけど、セレベスさんの人柄の良さは弱りきった身体に染みた。
「そう・・・ですね。皆で、帰りたいです」
心から、そう思っていた。
―――――――
――――――
―――――
――――――――深夜。
目が覚めた。
そりゃそうか。昼間あれほど寝たんだ。
熱は、少し下がったようだった。
気分が違う。
でも――――
眠れない夜って、辛いな。
昼間に寝たから眠れない、っていう意味とは違う。
この状況で、考える事が多すぎるというのが一番の理由かもしれない。
青馬さん、そしてセレベスさん―――
私なんかにとても優しくしてくれるけど、人質という立場からすれば、どうしても拭いきれないものがあるはず。
いつ殺されるのか―――
それなのに、前向きに頑張っている。
この状況の中で。
最初は、私は絶望しかなかったけど、そういう前向きな人達を見ていると、価値観が少しだけ変わった気がする。
生きようとする意志―――。
結果がどうなるのか分からないから怖い。
絶対に帰れると思い込みたいけど、もし最悪の結果に陥った場合はやはり精神的なダメージが大きくなってしまう。
そのダメージを少しでも軽くするための防衛反応みたいなものだったのかもしれない。
前までの私は―――。
あまり、深い事は考えないようにしよう。
段々と、意識が遠くなっていった。
―――――――――
―――――――
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