08団長の視線がつめたい
バナ高原は、広い。
赤くひび割れた大地がどこまでも続き、
ところどころに、切り立った崖が影のように突き出している。
緑は申し訳程度に点在するのみで、風に吹かれるたび、
乾いた砂塵が舞い上がった。
生き物を拒むかのような、荒涼とした土地だ。
そのバナ高原の一角に、国王軍第一師団は陣を敷いていた。
野営用のテントが規則正しく並び、兵士たちが慌ただしく行き来している。
だが、
その顔には疲労の色が濃く、包帯を巻いた者、腕を吊った者も少なくない。
これまでの戦闘が、いかに苛烈なものであったかを雄弁に物語っていた。
遠く――高原の向こう側。
おそらく魔族だろう。
大なり小なりの影が、地平線近くでうごめいているのが見える。
その方角から、ときおり、地鳴りのような咆哮が響いてきた。
私たちが姿を現すと、陣地にざわめきが走った。
「勇者パーティが来たぞ!」
「応援だ……これで、勝てる……!」
兵士たちの声には、期待と安堵が混じっている。
その一方で、どこか必死にすがるような響きもあった。
すぐさま一人の兵士が駆け出し、師団長へ到着を告げに行く。
ほどなくして、私たちは師団長の天幕へと案内された。
天幕の中には、数名の幹部と思しき男たちが集まっていた。
その中心に立っていたのは――一人の若い女性。
国王軍第一師団長、エルザ・フォン・クライフェル。
背はすらりと高く、私よりもわずかに高い。
後ろで一つに束ねた髪、無駄のない端正な顔立ち。
鋭く研ぎ澄まされた眼光は、場にいる全員を等しく射抜いている。
「勇者諸君。よく来てくれた」
張りのある声だった。
「私が、国王軍第一師団長、エルザ・フォン・クライフェルだ。
よろしく頼む」
言葉遣いは丁寧だが、彼女は一歩も近づいてこない。
握手を求める素振りもない。
私は、アレイシア王女の言葉を思い出した。
――なるほど。
男嫌い、か。
「魔王軍とは、先日大きな衝突があった」
エルザは淡々と続ける。
「双方、相当の損害を受けている。
現在は互いに一度引き、次の戦いに向けて体制を整えているところだ。
だが――」
彼女の視線が、地図の一点に落ちる。
「奴らは、援軍を待って、まもなく攻めてくるだろう」
天幕の空気が、ぴんと張り詰めた。
「早速だが、勇者諸君には、それぞれ各部隊の傘下についてもらいたい。
各部隊の指揮官を紹介しよう。まず、戦士部隊の――」
「ちょっと、待ってください」
私の声が、天幕に響いた。
「……どうかしたか?」
言葉を遮られ、エルザ師団長はわずかに眉をひそめる。
……この人、笑えば可愛いと思うんだけどな。
そんなことを考えながら、私は言った。
「俺たちパーティは、あなたの部隊の配下には入らない。
単独で行動したいと思っている」
アレイシア王女の助言通り、はっきりと告げる。
みるみるうちに、エルザ師団長の表情が厳しくなった。
周囲の男たちが、途端にざわつき始める。
「ゆ、勇者殿……? な、何を言い出すのです?」
「それはいけません、いけません!」
「さ、謝ってください……!」
青ざめた顔で取りなす幹部たちを押しのけ、
エルザ師団長が一歩前に出た。
「それは、どういう了見かな?」
凄みのある声だった。
「相手はドラゴンなどの魔獣だ。
俺たちが単独で動いた方が、強い」
言い切った瞬間、空気が凍りつく。
エルザ師団長の眼光が、さらに鋭くなる。
「私の隊に入る以上、私の命令に従ってもらわねば困る。
たとえ、勇者であっても、だ」
天幕の中は、水を打ったように静まり返った。
幹部たちは、真っ青な顔で成り行きを見守っている。
私は、おもむろに口を開いた。
「俺は――俺より弱い者の命令に、従うつもりはない」
一瞬、空気が張り裂ける。
「エルザ殿。試合を申し込む。
あなたが勝てば、言う通りにしよう」
男たちが、一斉に声を上げた。
「なんてことを……!」
「無茶だ!」
「やめておいた方がいい!」
――刹那。
ドンッ!
エルザが、剣の柄を地面に叩きつけた。
重い音が、天幕に響き渡る。
すべての声が、ぴたりと止んだ。
「……いいだろう」
エルザは、静かに言った。
「その挑発。
受けて立とう」
その口元に、わずかに――
獣のような笑みが浮かんでいた。
◇
野営地の一角。
大勢の兵士たちが作る人だかりの輪、その中心で――
私とエルザは向かい合っていた。
互いに手にするのは木刀。
間合いを取り、構え、視線を交わす。
エルザの剣の構えを見た瞬間、私は理解した。
――強い。
元剣士の目で見ても、それは明白だった。
無駄がなく、力みがない。
踏み込み一つで、こちらを切り裂ける構えだ。
空気が、ぴんと張り詰める。
輪を囲む兵士たちは、誰一人として声を発さず、固唾を呑んで見守っていた。
兵士に交じり、ブラムたちも心配そうに見守ってくれている。
(大丈夫だ)
視線でそう仲間に告げる。
「――試合、はじめ!」
号令が落ちた瞬間。
エルザの姿が、その場から消えた。
次の瞬間、視界いっぱいに斬撃が降り注ぐ。
――速い。
反射的に木刀を振り上げ、なんとか受け止める。
「おおっ……!」
周囲から、どよめきと歓声が上がった。
だが、エルザの攻撃は止まらない。
右から、左から、容赦なく打ち込まれる斬撃。
私は完全に防戦一方だった。
――油断すれば、即、終わる。
(口ほどにもない)
エルザの表情が、そう語っているように見えた。
だが――
私は、お行儀のいい剣術試合をするつもりは毛頭なかった。
エルザは、
私がただの見栄か、身の程知らずの我儘でこんな試合を要求した
と思っているのかもしれない。
だが、違う。
これは――
私の運命を賭けた、真剣勝負だ。
私は、エルザの斬撃を受けながら、詠唱を始める。
《防御力向上》
《攻撃力向上》
まだ、足りない。
《素早さ向上》
《集中力向上》
《幸運の祈り》
呪文が完成するたび、世界が変わっていく。
体は軽くなり、
力が満ち、
思考は研ぎ澄まされていく。
エルザの剣筋が、わずかに見えるようになった。
次第に、押し返す。
そして――
カウンターの一撃を叩き込む。
エルザはそれをかわし、素早く距離を取った。
――だが、私の詠唱は止まらない。
《火球魔法》
火の玉が次々と生まれ、私を追い越し、エルザへと飛ぶ。
しかし、エルザはすべてを剣で叩き落とした。
閃光が弾け、乾いた音が響く。
――だが。
ほんの、一瞬。
その剣が止まる。
私は、その隙を逃さなかった。
一気に踏み込み、
間合いを詰め、
エルザの首筋に――
ぴたりと、木刀を添えた。
時間が、止まる。
二人の動きが止まり、
野営地全体が、息を呑む。
「――それまで!」
審判の声が響いた。
私は、ゆっくりと剣を下ろす。
エルザも、しばし無言のまま立ち尽くしていたが――
やがて、静かに息を吐いた。
勝った。
私は、エルザ・フォン・クライフェルに――
勝ったのだ。
◇
まわりの兵士たちから、割れんばかりの歓声が上がった。
「勝ったぞ!」
「勇者だ……!」
「すげえ……本当に勝ちやがった!」
輪の外では、ブラムたちも声を上げているのが見えた。
興奮と安堵が入り混じった、素直な歓声だ。
そんな喧騒の中で――
エルザは、静かだった。
木刀を下ろし、私の方を見て、
ほんの少しだけ口元を緩める。
「……なるほど。これが、勇者の戦い方か」
その声は、悔しさよりも、納得に近い。
「私の負けだ」
周囲の騒ぎをよそに、
彼女はそっと、私にだけ聞こえる声で続けた。
「君たちの単独行動を、許可しよう」
その一言で、胸の奥に張りつめていたものが、わずかにほどけた。
――勝った。
確かに、結果は出た。
だが、ここまでの流れは、正直に言えば強引だった。
力で押し切った、と言われても否定できない。
このままでは、遺恨が残る。
そう感じた。
少し、落ち着いて話をする必要がある。
そう思った次の瞬間、
私は自分でも驚く言葉を口にしていた。
「……少し、二人だけで、話はできないだろうか?」
一瞬、エルザの表情が止まる。
周囲の兵士たちの歓声が、遠くに引いていくような感覚。
彼女は、わずかに戸惑った様子を見せたが――
すぐに、小さく息を吐いた。
「いいだろう」
そう言って、視線を巡らせる。
「では、私の天幕へ来てくれ」
その場に、微妙な間が落ちた。
私とエルザが並んで歩き出すと、
それを見た兵士たちが、一斉にざわめき始める。
「団長が……勇者と、二人っきり?」
「え、どういうことだ?」
「ま、まさか……」
声が重なり、尾ひれがつく。
「もしかして、もしかするのか……!?」
妙な方向に期待と憶測が膨らんでいくのが、手に取るようにわかった。
ブラムたちも、少し離れたところから、
唖然とした様子でこちらを見ている。
その視線を背中に感じながら、
私とエルザは、何も言わずに歩き続ける。
そして――
天幕の入口で、幕が持ち上げられ。
私たちは、静かにその中へと姿を消した。
外の喧騒を遮断するように、
厚手の布が、すとんと閉じる。
◇
「な、なにか……の、飲むか?」
天幕に入り、二人きりになった瞬間だった。
エルザの様子が、明らかにおかしくなった。
さきほどまでの凛とした態度は影も形もない。
背筋はわずかに丸まり、視線は定まらず、落ち着きなく彷徨っている。
「わ、ワイン、とかも……あ、あるぞ」
言いながら、どこか挙動がぎこちない。
「では、ワインを頂こう」
そう答えつつ、私はエルザの様子を観察した。
――顔が、少し赤い。
高揚というより、緊張だ。
エルザはテーブルに二人分のワインを置くと、
自分の杯を手に取り、一気に飲み干した。
「ぷはっ……!」
そして、少し間を置いてから、
「そ、それで……話とは、なんだ?」
彼女は、こちらと目を合わせようとしない。
長身をわずかに縮こまらせ、手元をもじもじと落ち着かせている。
――さっきまでの師団長とは、まるで別人だ。
その様子を見て、私はぴんと来た。
女の感、というやつだ。
エルザは、男が嫌いなのではない。
男が――《《苦手》》なのだ。
そう理解した途端、胸の中で何かが腑に落ちた。
これでは、まともな話はできない。
いや、それ以前に――
誠意を見せなければ、始まらない。
「エルザ師団長。私の顔を、見てくれ」
エルザは、驚いたように顔を上げた。
そして、恐る恐るといった様子で、私を見つめる。
その視線を受け止めながら、私は言った。
「これは――あなただけに打ち明ける秘密なのだが」
一拍置いてから、
私は、顔に貼り付けていた男テープに手をかけた。
ゆっくりと、それを引きはがす。
輪郭が変わり、
声を作っていた力を抜く。
私の顔が――
女の顔に、戻る。
「……っ!!」
エルザの目が、大きく見開かれた。
「……女?」
呆然としたまま、
彼女は私の顔に視線を釘付けにして、そう呟いた。
◇
私は、事の次第を説明した。
なぜ男のふりをしているのか。
勇者であるがゆえの事情。
そして、この戦場で、軍の集団行動に加われない理由。
「……なるほど」
エルザは、深く頷いた。
「そういう事情があったのか。
それなら……もっと早く話してくれれば、良いものを」
その口調は、もう先ほどまでのぎこちなさを感じさせない。
いつもの、凛とした師団長のものに戻っていた。
彼女はワインをぐいっと飲み干す。
「もちろん、マリアの秘密は守ろう」
そして、口元に小さな笑みを浮かべる。
「しかし……勇者が、実は女だったとはな。
これほど愉快なことは、そうそう無い」
途端に、饒舌になる。
「いかんせん、ここは男ばかりだ。
こんな場所で、同性と会話を楽しめるとは思ってもいなかった」
そう言って、軽く肩をすくめた。
「この陣は、女には不便だろう。
身を清めるときなど、遠慮なく私の天幕を使ってくれ」
……ずいぶんと、親切だ。
そして、杯を掲げながら、力強く言う。
「私とマリアで――
あの魔族どもを、蹴散らそうではないか!」
その声に、嘘はなかった。
こうして、
私とエルザは――
すっかり、打ち解けてしまったのだった。
◇
私とエルザの対談は、それほど時間を要しなかった。
二、三十分といったところだろう。
だが――
天幕の幕をくぐり、外へ出た瞬間。
そこには、遠巻きに集まった男たちの視線があった。
数人、いや数十人。
兵士たちが、不自然なほど距離を保ちながら、こちらを見つめている。
その目は、羨望とも、驚愕とも、呆然ともつかない。
「……おい、出てきたぞ」
「な、中で……いったい何を……?」
「おい、野暮なこと言うんじゃない」
「よもや、勇者が……あの師団長を……」
ひそひそと、しかし確実に広がる囁き。
――やってしまった。
どうやら、いらぬ誤解を与えてしまったらしい。
申し訳ない気持ちで、そっとエルザの方を見る。
だが、当の本人はまったく気にした様子もなく――
「さあ、夜になる!」
よく通る声で、陣地全体に号令をかけた。
「警戒を怠るな!
これより、勇者一行を交え、作戦会議を開催する。
各部隊長は、本営天幕に集結せよ!」
一瞬で、場の空気が切り替わる。
ざわめいていた兵士たちが、背筋を伸ばし、持ち場へと散っていった。
――さすがは師団長だ。
その様子に、私は内心で感心していた。
そこへ、ブラムたちが駆け寄ってくる。
「やるではないか、マルク」
サミュエルが、にやりと笑う。
「王女様に続き、今度は師団長か」
エリオは、半ば興奮気味だ。
「お前ってやつは……本当に、お前ってやつは!」
「ち、違うからな!」
私は慌てて否定する。
「そういうのじゃない!」
二人は聞いているのかいないのか、浮き足立ったままだ。
そんな中、ブラムだけが、落ち着いた声で尋ねてきた。
「……大丈夫だったか?」
「ああ」
私は頷く。
「エルザ師団長とは、ちゃんと話を付けることができたよ」
ブラムは、それ以上は聞かず、静かに頷き返した。
その夜。
作戦会議において、私たちの役割が正式に決まった。
勇者一行は、正規部隊には属さず、遊撃部隊として行動する。
主な任務は――
ドラゴンをはじめとする、大型の魔獣の迎撃と撃破。
夜の闇が、高原を包み込む。
遠くから、低く、恐ろしげな咆哮が響いてきた。
それは、獣の声であると同時に、
戦いの始まりを告げる合図のようにも聞こえた。
――決戦の時は、近い。
私は、静かにそう確信していた。




