最終章1
俺たちは、要塞都市グラントフォルスを出発し、
いよいよ魔族領へと向かった。
人間領と魔族領の境界には、
眠りの森と呼ばれる広大な密林が広がっている。
そしてその先に――最終目的地である魔王城がある。
森に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
木々の隙間から差し込む陽光が、まだらに地面を照らしている。
一見すれば穏やかだが、ここに棲む魔獣は、
人里近くのそれとは比べものにならないほど強力で、獰猛だ。
気を抜くことはできない。
しばらく進んだ、その時だった。
――前方に、気配。
魔物かと身構え、剣に手をかける。
だが、木立の向こうから現れたのは、
鎧に身を包んだ、人間の兵士たちの集団だった。
思わず、ほっと息をつき、剣を下ろす。
どうやら向こうも同じだったらしく、
彼らも警戒を解き、隊列を整えた。
「俺たちは勇者一行だ。魔王城へ向かっている」
マルクが一歩前に出て、名乗りを上げる。
兵士たちの先頭に立つ男――
この集団の長であることは、一目でわかった。
精悍な顔つきの中年兵が、短くうなずく。
「国王軍第二師団所属。
俺はこの部隊を率いる、ヘルマン・ロイゼンだ。
魔族領の偵察を終え、グラントフォルスへ戻るところだ」
少しの立ち話。
「こんな場所で勇者一行に会えるとは、光栄だな」
「森の様子はどうだ?」
「今のところ、魔王軍に大きな動きはない。森も落ち着いている」
当たり障りのない会話。
だが、その最中――
ふと、マルクが兵士たちの後方に目を向けた。
「あれは……?」
訝しげに指差す、その先。
――女?
若い女たちが、縄でつながれ、兵士に囲まれて歩かされている。
いや、よく見れば。
額には角。腰には、細いしっぽ。
魔族だ。
ヘルマンは、何でもないことのように言った。
「魔族の女どもだ。
この先、魔族の要塞ヴァル=ノクス近くの森で捕らえた。
食料を集めに、のこのこ出てきていたらしい」
魔族の女たちは、怯えた表情でこちらをうかがっている。
マルクの表情が、わずかに強張った。
俺は、ヘルマンに問いかける。
「……彼女たちを、どうするつもりだ?」
「グラントフォルスで奴隷として売る。
女の魔族は、高く売れるからな」
あまりにも、当然の口調だった。
マルクは何も言わず、
ただ魔族の女たちを見つめている。
唇を、強く結んで。
――言わなくても、わかる。
この状況に、強い違和感を覚えている。
だが、マルクは口に出さなかった。
戦争状態において、
弱い魔族が捕らえられ、奴隷として売られる。
それは、この世界では「よくあること」だったからだ。
ほどなくして、
ヘルマンたちと俺たちは別れた。
そして、数刻も経たないうちに――
マルクが立ち止まり、振り返る。
「……彼女たちを、逃がしたい」
短く、それだけ言った。
やはり、そう来たか。
サミュエルも、エリオも、
その言葉は想定内だったようだ。
「気持ちはわかるが……話し合いでどうにかなる相手じゃないぞ」
サミュエルが言う。
「だとして、どうやって逃がす?
ヘルマンから力づくで奪うのか?」
エリオが続けた。
「人間同士で波風は立てたくない。
できれば、気づかれないようにやりたい」
マルクはそう言った。
「ヘルマンたちは、もうすぐ森を抜ける。
時間は、ほとんどないな」
俺が言う。
誰も、すぐには答えられなかった。
「……しかたない。力づくでも――」
マルクがそう言いかけた、その時。
――がさっ。
前方の茂みが揺れる。
俺たちが一斉に身構えると、
ひょっこりと姿を現したのは――
ヴェルネ、ルシェル、ミリエ。
サキュバストリオだった。
「なぜ、こんなところに?」
マルクが問いかける。
「……つけてきたのか?」
「私たちも魔族領へ戻るところです」
ヴェルネは穏やかに答えた。
「行き先が同じだった、それだけですよ」
そして、にこりと微笑む。
「さきほどのやりとり、聞かせていただきました」
ルシェルが言い、
「同胞を助けてくださるなんて……
なんとお礼を言えばいいのでしょう」
ミリエが続ける。
「違う」
マルクは首を振った。
「お前たちのためじゃない。
……俺が、ただ、許せないだけだ」
その一言に、すべてが詰まっていた。
「でしたら」
ヴェルネが一歩前に出る。
「私たちも、手伝わせてください」
「彼らは男ばかり。
私たちにかかれば、救出は、そう難しくありませんよ」
ルシェルが意味ありげに微笑む。
「大丈夫、殺したりはしません」
ミリエが、楽しそうに締めくくった。
◇
俺たちは、急ぎ足で引き返し、ヘルマンたちの後を追った。
ほどなくして、その背中を捉える。
兵士たちの、愉快そうな笑い声。
それに混じって、
女たちが足を引きずりながら歩く、かすかな音。
――打ち合わせの通りに動く。
俺たちは物陰に身を潜め、息を殺す。
その瞬間、
ルシェルとミリエが、茂みから飛び出した。
ほぼ同時に、術が放たれる。
兵士たちは、構える暇すらなかった。
一瞬で、男たちの表情が変わる。
「……うつくしい……」
瞳は虚ろに揺れ、
口元は、だらしなく緩みきっている。
……正直、見ていられない。
先日、俺たちも、
あんな顔を晒していたのかと思うと、
なんとも情けない気持ちになった。
「さあ……いい子ね」
「こっちへ、いらっしゃい」
甘い声に導かれるように、
兵士たちは、ふらふらと歩き出す。
やがて、
ルシェルとミリエに連れられ、
その場を、すっかり離れていった。
「……よし、今だ」
マルクが、飛び出す。
一直線に、魔族の女たちの列へと駆け寄った。
「ひっ……!」
女たちは怯え、逃げようとする。
だが、手は縛られ、足枷もついている。
思うように動けず、その場に転ぶ者もいた。
「違う!」
マルクは、必死に声を張り上げる。
「俺は……お前たちを、逃がしに来た!」
その横に、ヴェルネが静かに並んだ。
「大丈夫よ」
その姿を見て、
女たちは、はっとしたように目を見開く。
「あ……魔族……?」
同胞の存在に、
張り詰めていた空気が、わずかに緩んだ。
「この人たちは味方です」
「あなたたちを、逃がします」
ヴェルネの言葉に、
女たちの表情が、ゆっくりと和らいでいく。
「……ああ……ありがとうございます……」
俺たちは急いで、縄を切り、足枷を外した。
そして、ヴェルネを先頭に、
森の奥へと進む。
やがて――
前方に、黒くそびえる要塞、ヴァル=ノクスが姿を現した。
ここで、別れだ。
その頃には、
兵士たちを十分に引き離したのだろう。
ルシェルとミリエも、何事もなかったかのように戻ってきていた。
ヴェルネ、ルシェル、ミリエは、
魔族の女たちを連れ、ヴァル=ノクスへと向かう。
途中、彼女たちは何度も振り返り、
俺たちに、深く礼をした。
マルクは、満足そうに手を振って応える。
そして――
彼女たちが要塞の門をくぐり、
完全に姿を消すまで、見届けてから。
俺たちも、その場を後にした。
「……俺の、わがままに付き合ってくれて、ありがとう」
マルクが、俺たちに言う。
「こんなこと、一時しのぎでしかないのは、わかってる」
「それでも……どうしても、我慢できなかった」
その声には、
悔しさと、自分の非力さを噛みしめる色が滲んでいた。
「ああ……わかってる」
そう答えながら、
この言葉が、慰めにならないことも、俺はわかっていた。
マルクは、しばらくの間、
もう誰もいなくなったヴァル=ノクスの門を、
じっと、見つめ続けていた。




