12魔王の機嫌が悪い
魔王の住まう魔王城へ向かうルートはいくつか存在する。
だが、そのいずれを選んだとしても――
必ず通らねばならない地点が、いくつかあった。
そのひとつが、
沈黙の渓谷だ。
両側は切り立った断崖。
谷底は一本道で、回避は不可能。
嘆きの洞窟と同様、
逃げ場のない地形であり、
魔王側にとっては、絶好の待ち伏せ場所でもある。
ここもまた、
歴代の勇者パーティの傾向――
その「弱点」を突く魔物を差し向けてくる、
因縁深い難所だ。
俺たちは、自然と足取りを慎重にしながら、
渓谷の奥へと進んでいた。
曇天の空の下、
頭上では、なにか大型の鳥が、
不気味な鳴き声を上げながら旋回している。
その存在が、
この場所の不穏さを、いや増していた。
しばらく進んだ、その時だった。
物陰から、
ひとつの人影が姿を現す。
深紅のドレスのような衣装をまとった、妖艶な女性。
「お久しぶりですわね。勇者のみなさま」
澄んだ声が、渓谷に響き渡る。
嘆きの洞窟で遭遇した、
サキュバスのヴェルネだった。
「前回は、私の力不足で、
勇者さまに後れを取ってしまいましたけれど……
今回は、きちんと準備してきましたの」
そう言って、
ヴェルネが指を鳴らす。
すると、物陰から、
さらにふたつの人影が姿を現した。
いずれも、
ヴェルネと同じく、
深紅のドレスのような衣装をまとった女性たちだ。
「ルシェルですわ」
「ミリエよ」
それぞれが、優雅に名乗る。
「ふふ……三人がかりですもの」
「威力は、単純計算で三倍ですわ」
「さすがの勇者さまも、
ひとたまりもありませんでしょう?」
その言葉が終わるより早く――
俺たちは、すでに彼女たちの術中にはまっていた。
「すきだー!」
気づけば、
俺とサミュエル、エリオは、
叫び声を上げながら、
ヴェルネへ向かって駆け出していた。
本能では、わかっている。
このまま間合いに入れば、
待っているのは、確実な死だ。
それでも――
身体が、言うことを聞かない。
前回よりも、
数段、強化された魅力が、
俺たちの意識を、完全に支配していた。
「さあ……これで、どうかしら?」
だが。
そんな俺たちを、
疾風のように追い越していく影があった。
マルクだ。
マルクは、
俺たちよりも早くサキュバスたちとの間合いを詰め、
そのまま、猛然と斬りかかる。
「え……?」
「き、きかない?」
サキュバストリオは、
あわてて身をかわすが―
次々と放たれる鋭い斬撃に、
もはや対処しきれない。
「な、なぜですの――!」
悲鳴を残し、
サキュバストリオは宙へと舞い上がり、
まばゆい光とともに、姿を消した。
その瞬間。
俺の頭を覆っていた靄が、
すっと晴れていく。
――術が、解けたのだ。
サミュエルとエリオも、
同時に我に返った。
「……またしても、やられたな」
「しかし、今回のは、
正直、相当きつかったぞ……」
マルクは、
何事もなかったかのように剣を鞘に納め、
淡々と言った。
「人数を増やせば、
対処できると思っているあたり――
あいつら、根本的に勘違いしているな」
そのとおりだ。
どうやら、
あのサキュバスたちは、
決して気づくことはないらしい。
――勇者パーティに、
女ひとり混じっている
という事実に。
俺は、内心でそう結論づけ、
再び、沈黙の渓谷の奥へと視線を向けた。
◇
魔王城。
玉座の間では、魔王ヴァルガディオスが不機嫌そうに頬杖をついていた。
玉座の前。
ヴェルネ、ルシェル、ミリエ――
サキュバストリオは、片膝をつき、深く頭を垂れている。
重苦しい沈黙が、広間を支配していた。
「二度までも、勇者の始末に失敗するとはな」
魔王は、吐き捨てるように言い、
冷え切った視線を三人へ向ける。
「は……も、申し訳ございません……」
ヴェルネの声は、はっきりと震えていた。
「もうよい」
魔王は、興味を失ったように手を振る。
「お前たちは、任を解く。
どこへなりと消えるがよい」
「そ、そんな……!
どうか、今一度だけ、機会を――」
「くどい!」
ヴェルネの言葉を遮り、
魔王の一喝が玉座の間に響き渡る。
空気が、びり、と震えた。
サキュバストリオは、
思わず肩を跳ねさせ、身を強張らせる。
「これだから、女は使い物にならん」
魔王は、吐き捨てるように続けた。
「下がれ」
「……はっ」
それ以上、言葉を発することは許されなかった。
サキュバストリオは、
悔しさと恐怖を押し殺しながら、
静かに、その場を後にするしかなかった。
玉座の間には、
再び、重く冷たい沈黙だけが残った。
◇
私たちは、
無事、沈黙の渓谷を抜けることができた。
渓谷では、サキュバストリオの襲撃こそあったものの、
嘆きの洞窟のように、
頭上から虫が降ってくる、といった悪夢は起こらなかった。
正直なところ、
私は、内心で大きく胸を撫でおろしている。
沈黙の渓谷を越えた先は、
魔族領に、より近い地域となる。
私たちは、
この一帯の中核を担う、
要塞都市グラントフォルスへと到着した。
要塞都市グラントフォルス。
幾重にも重なる城壁に守られた、人間側最前線の街だ。
ここを越えれば、その先は、完全な魔王領となる。
街には、多くの兵士とその家族が暮らし、
彼らの生活を支える市場もまた、活気に満ちていた。
怒号も悲鳴もない。
行き交う人々の声と、商人の呼び込みが混じり合い、
戦場とは思えぬほどの賑わいを見せている。
私たちは、その喧噪に少し気圧されながら、
市場の大通りを進んでいた。
そのとき――
前方から、ざわめきが広がった。
自然と視線を向ける。
深紅の衣装に身を包んだ、三人の女性が、
こちらへ向かって歩いてきていた。
周囲の人々は次々と振り返り、
思わず、その姿に目を奪われている。
「すごい、きれい……」
「なに者だ? 王族か? いや、女優か?」
口々に、そんな声が漏れ聞こえた。
彼女たちが近づくにつれ、
その顔立ちが、はっきりと見えてくる。
――間違いない。
彼女たちは、
サキュバストリオだった。
三人は、私たちの目前で、ぴたりと足を止める。
対峙する、
勇者パーティとサキュバストリオ。
「性懲りもなく、また出てきたか!」
私たちは、即座に柄に手をかける。
その様子に気づいた人々が、
野次馬のように、周囲を取り囲み始めた。
「なにごと?」
「お芝居が始まるのか?」
ざわめきが、さらに大きくなる。
だが――
ヴェルネは、静かに一歩前へ出ると、
そっと手のひらを前に掲げた。
「戦いに来たわけではございません」
「少しだけ……お話をさせていただけませんか?」
あまりにも予想外の言葉に、
一瞬、誰も返事ができなかった。
「……話をしたい、だと?」
「はい」
「決して、あなたたちに危害は加えません」
その表情には、
嘲りも、挑発もない。
ただ、切実な色だけが浮かんでいた。
私は、隣に立つブラムの顔を見る。
ブラムは、無言のまま、
小さく、うなずいた。
「……いいだろう」
私は、そう答え、
剣から手を離さぬまま、続ける。
「ただし――
少しでも、おかしな動きを見せたら、斬る」
ヴェルネは、わずかに目を伏せ、
静かに、うなずいた。
◇
市場の一角にあるカフェ。
店内奥のテーブル席で、
私たちは、サキュバストリオと向かい合って座っていた。
無骨な旅装束に身を包んだ勇者パーティ一同。
その正面に並ぶのは、
絶世の美女が三人。
興味をそそられないはずがない取り合わせだ。
店内のあちらこちらから視線を感じる。
美女三人を前にして、
ブラム、サミュエル、エリオの三人は、
完全に顔が緩み切っている。
……おい、男ども。
少しは、緊張感を持て。
この光景は、どうやら――
「勇者パーティが、美女三人と、楽しく合コンしている」
そんな風に、周囲の目には映っているらしい。
本当は、
「魔族と話をしているだけだ」
と訂正したいところだが、
そんなことを口にすれば、
余計な混乱を招くだけだろう。
大変遺憾ではあるが、
噂が勝手に流れるのを、黙って見過ごすしかなかった。
やがて、
ヴェルネが静かに口を開いた。
「わたくしたちは……魔王様から、勇者討伐の任を解かれました」
その言葉に、空気が変わる。
「わたしたちは、魔王城を追放となるでしょう」
ルシェルが、淡々と続ける。
「これからは、どこかで……ひっそりと暮らすことになります」
ミリエの声は、小さかった。
三人は、揃って俯き、
肩を落としている。
「……それは」
私は、言葉を選びながら口を開く。
「敵ながら、気の毒な話だな」
「それは、わたくしたちの実力不足です」
ヴェルネは、静かに首を振った。
「仕方のないことだとも、思っています」
だが、と。
彼女は、少しだけ表情を曇らせる。
「ただ……なぜ、私たちの術が、そなたに効かなかったのか」
「それだけが、どうしても気になって……胸につかえているのです」
「武士の情け、というのでしょうか」
「その理由を、教えてはもらえませんでしょうか?」
「ほう」
サミュエルが、興味深そうにつぶやく。
「そなたたちでも、その理由は分からないのか」
「勇者の、対魔族耐性……というだけではないのか?」
ブラムが、控えめに言った。
「勇者の精神力の強さを、理解していないだけじゃないかな」
エリオも、口を挟む。
三人三様に意見を述べる中、
私は、首を横に振った。
「……それは、さすがに、今ここで話すわけにはいかない」
その言葉を聞いた瞬間、
ヴェルネの顔に、はっきりと失望の色が浮かんだ。
だが――
「ただし」
私は、言葉を継ぐ。
「俺たちが、魔王を倒した暁には」
「そのときなら、話してもいい」
ヴェルネの顔が、ぱっと明るくなった。
「それは……本当ですの?」
「ヴェルネ」
ルシェルが、慌ててたしなめる。
「魔王様が倒されることを期待するなど……」
「……そうですね」
ヴェルネは、はっとしたように口を押さえる。
「失言でした。今のは、忘れてください」
「しかし」
ブラムが、腕を組んだまま言う。
「任務に失敗したからといって、即追放とは……さすがに厳しいな」
ヴェルネは、静かに語り始めた。
「魔王様は、そもそも、魔王軍に女を登用なさいません」
「今回は、たまたま」
「私たちの能力が、今回の勇者パーティの特性に合っていたため」
「特例として、使っていただいただけなのです」
「ですから」
ルシェルが続ける。
「少しの失敗も、許されない立場でした」
「魔王軍だけではありません」
ミリエが、ぽつりと言った。
「魔族社会そのものが、男中心なのです」
「女の出る幕は……ありません」
その言葉を聞いたとき、
私の胸の奥に、
小さな炎が灯った。
「なるほど」
「男社会という点では、魔族も人間も、変わらないわけだ」
「いや」
ブラムが、低く付け加える。
「魔族のほうが、より徹底しているのかもしれないな」
俯いたままのサキュバストリオの姿が、
どこか、人間の女性たちの姿と重なって見えた。
気づけば、
私は、こんな言葉を口にしていた。
「……お前たち、人間界に住めばいいんじゃないか?」
三人が、顔を上げる。
「少なくとも、魔族領よりは、住みやすいだろう」
「もちろん」
「人間に、悪さをしないことが条件だがな」
「そんなこと……叶うでしょうか?」
ヴェルネは、不安そうに問い返す。
私は、即座に答えた。
「俺が魔王を討伐した後」
「そのとき、俺を訪ねてくればいい」
「相談に乗ってくれそうな友人が、何人かいる」
その瞬間、
サキュバストリオの表情が、
一斉に、ぱっと明るくなった。
◇
ヴェルネたちは、何度も頭を下げ、
人混みの中へと去っていった。
私は、軽く手を振り、別れを告げる。
「……しかし」
ブラムが、呆れたように言った。
「魔族を、人間側に勧誘する勇者なんて、聞いたことがないぞ」
「そうだろうな」
私は、苦笑しながら答える。
「だが……どうしても、放っておけなかった」
「そうか」
ブラムは、短く、そう呟き、優しく微笑んだ。




