11皆の視線が痛い
神殿の小さな寝室。
窓から差し込む満月の光が、静かに部屋を満たしていた。
私は、ひとりベッドに横たわっている。
背中の傷が、まだ少しだけ、ずきずきと痛む。
「背中の傷、一生残るかもしれない。申し訳ないことをした」
ミノタウロスとの戦いの後、
なぜか、ブラムにそう謝られた。
彼に落ち度など、欠片もない。
なのに、常に私を気遣ってくれる。
その優しさには、いつも頭が下がる。
だが――
勇者として剣を振るったのだ。
体に傷が残るくらい、覚悟の上だった。
そして、
ヴァレリア司祭にも、悪いことをした。
気が付いた私に、
彼女は縋りつくようにして、声を上げて泣いた。
元を辿れば、
私の不甲斐なさと、
そして、勝手な暴走が招いた結果だ。
反省すべき一日だった。
ただ――
ミノタウロスの封印には成功した。
それだけが、救いだった。
それにしても、
ヴァレリアの治癒の祈りの力は、凄まじい。
背中に鈍い痛みは残っているものの、
私はすぐに立ち上がり、
いつも通り歩いて、この部屋まで戻ってくることができた。
……さすが、司祭だ。
そんなことに思いを巡らせていると――
とんとん。
控えめなノックの音が、扉の向こうから響いた。
「ヴァレリアです」
静かな声。
こんな時間に、どうしたのだろう。
「どうぞ」
そう声をかけると、
ヴァレリアが、そっと部屋に入ってきた。
白い夜着に身を包んだ姿だった。
「背中の傷の具合は、どうですか?」
……心配して、来てくれたのか。
「ああ。おかげさまで、ぜんぜん大丈夫だ」
そう答えた、――はずだった。
「あの……少し、背中の傷の様子を見させてもらえますか?」
その瞬間、
ヴァレリアの目が、わずかに鋭く光った。
そう言うと、
彼女はベッドの傍まで歩み寄ってくる。
――まずい。
男テープは、すでに外している。
夜とはいえ、これ以上近づかれれば、確実に女だとばれる。
「いや、本当に、大丈夫だから」
そう言っている間にも、
ヴァレリアは、するりと私の隣に腰を下ろし、
シャツに手をかけようとする。
まくられたら、終わりだ。
「ちょっと、待った」
「いけません。見せてください」
引かない。
まったく、引かない。
気づけば、
小さなもみ合いのような形になっていた。
そして――
その拍子に、私の手が滑る。
次の瞬間、
ヴァレリアが、私の胸元へと倒れ込む形になった。
彼女は、反射的に、私にぎゅっと抱きつく。
――その瞬間だった。
ヴァレリアの動きが、ぴたりと止まった。
だきついたまま、
ゆっくりと、私の顔を見上げる。
月明かりが、
隠していたはずの輪郭を、容赦なく照らし出す。
彼女の瞳が、揺れた。
「……マルク」
一拍。
「女……?」
……ばれた。
◇
私とヴァレリアは、
ベッドの中で、並ぶように腰を下ろしていた。
私は、ひとつ息をつき、
覚悟を決めて口を開く。
男装している理由。
これまでの経緯。
勇者として名乗り、剣を振るうに至った事情。
包み隠さず、すべてを話した。
……最近、こうして正体を明かし、
身の上を説明する機会が、妙に増えている気がする。
そんなことを思い、
自分でもおかしくなって、
思わず、くすりと笑ってしまった。
ヴァレリアは、
その間、何ひとつ遮らず、
真剣な眼差しで話を聞いてくれた。
ときに、私の境遇に同情し、
ときに、私の代わりに憤り、
そして、ただ静かに、頷いてくれる。
――ありがたい。
私の話が終わると、
今度は、ヴァレリアが、少し照れたように視線を落としながら口を開いた。
「自分で言うのも、なんだけど……」
そう前置きしてから、彼女は続ける。
「わたし、小さいころから『天才』って呼ばれていてね」
「大人顔負けの祈りの力を、発揮することができたの」
だが、と。
彼女は、ほんのわずかに、唇を噛んだ。
「それでも、神殿は男社会。……いえ、この国全体が、そうじゃない?」
「どれだけ力があっても、女だというだけで、認められないことが多い」
静かな声だったが、
その言葉には、確かな重みがあった。
「そんな中で、埋もれてしまうのが、どうしても嫌だった」
「女だって、やれるんだって、示したかったの」
だから、と彼女は言う。
「わたし、頑張ったの。修業だけじゃない」
「人との接し方も、振る舞いも……全部含めて」
その話を聞きながら、
私は、ヴァレリアが積み重ねてきたであろう努力と苦労を、
ありありと思い浮かべていた。
そして、ふと――
アレイシア王女や、エルザ師団長の顔が、脳裏に浮かぶ。
女であるがゆえに、
幾つもの壁にぶつかりながらも、
それでも、まばゆく輝いている人たち。
ヴァレリアも、
間違いなく、その一人だ。
彼女たちが道を切り拓いてくれたからこそ、
これから先、私たちは、もっと自由に、
もっと堂々と輝けるのではないだろうか。
そんな希望が、
胸の奥を、静かに照らした。
――私も、そうなりたい。
誰かの後ろに隠れるのではなく、
自分の足で立ち、
胸を張って、剣を振るえる存在に。
そう、強く思った。
そして――
魔王との戦いが終わったら、
ヴァレリアを、アレイシア王女やエルザ師団長に会わせたい、
そんなことを思った。
みんなで、
私たちの未来を語り合う。
いつか、そんな日が来たら、
どんなに素敵だろう。
私とヴァレリアは、
夜が更けるのも忘れて、語り合った。
◇
ちゅんちゅん。
小鳥のさえずりで、目が覚めた。
あたりは、すっかり明るくなっている。
ベッドに横たわったまま、
そっと隣を見ると――
ヴァレリアが、安らかな寝息を立てていた。
そうだ。
昨夜は、そのまま二人とも、眠り込んでしまったのだ。
なんだかおかしくなって、
思わず、ふふっと小さく笑ってしまう。
そのとき――
とんとん。
控えめなノックの音。
扉がわずかに開き、
若い女神官が、ちょこんと顔を覗かせた。
「おはようございます、勇者様。朝食の準備が整いましたが――」
「お加減は、いかがでしょー……」
その途中で、
彼女の視線が、
私と、隣で眠るヴァレリアに向いたのが、はっきりと分かった。
「……し、失礼しましたーーーっ!」
次の瞬間。
バターン!
扉は勢いよく閉まり、
足音は、廊下の奥へと遠ざかっていく。
「ちょ、ち、ちが――!」
制止の声は、
当然のように、間に合わなかった。
――勇者が、
さっそく司祭を部屋に連れ込んだ。
そんな噂が、
神殿中に広まるのに、
さほど時間はかからなかった。
朝食の席で、
私は、言葉にできない居心地の悪さを味わっていた。
「まったく! お前ってやつは! お前ってやつはぁ!」
サミュエルが、声を張り上げる。
「師団長の次は、司祭様? どうすんの? もう、どうすんの?」
エリオも、面白がって大騒ぎだ。
「ちがう。夜中まで話をしていただけだ」
必死に弁解するが――
どうやら、まったく説得力がないらしい。
当のヴァレリアはというと、
「ふふ。ほんとうに、話をしていただけですよ?」
と、涼しい顔で微笑むだけ。
それ以上、弁明するつもりはないようだ。
その澄ました態度が、
かえって周囲の誤解に拍車をかけている気がする。
一方で、ブラムは――
「大丈夫だったか?」
ひとりだけ、落ち着いた声でそう尋ねてきた。
「ああ。大丈夫だ。問題はない」
「……そうか」
それだけだ。
いつも思う。
サミュエルやエリオと、
ブラムのこの反応の違いは、何なのだろう。
――もしかして。
ひとつの可能性が、頭をよぎる。
ブラムには、
私が女であることが、
すでにばれているのではないか。
そう考えるほうが、
むしろ自然なのかもしれない。
だが、当の本人に、
「ばれてる?」
などと聞けるはずもない。
しかし、
もし、本当にそうだとしたら――
ブラムは、それでも何も言わず、
黙って見守ってくれている、ということになる。
その懐の深さ。
配慮の行き届き方。
……ありがたい。
胸の奥が、じんと温かくなる。
この国は、男社会だ。
女は、どうしても肩身が狭い。
けれど、
男の中にも、
こうして気遣ってくれる者がいる。
その事実が、
少しだけ、心を軽くしてくれた。
とはいえ――
ばれていると、決まったわけでもない。
これからは、
ブラムの言動を、
少し注意深く観察する必要がありそうだ。
◇
その日、私たちは、ヴァルナ神殿を後にした。
去り際、
ヴァレリアは、迎え入れてくれた時と同じように、
私たち一人一人の手を取り、丁寧に別れの挨拶をしてくれた。
その手は、祈りを捧げる者のものらしく、
柔らかく、そして温かかった。
やがて彼女は、私の前で足を止め、
ほかの者たちよりも、少しだけ長く、手を握ったまま、
まっすぐに私を見つめて言った。
「かならず、生きて、戻ってきてください」
祈りではなく、願いだった。
「もちろんだ。約束する」
そう答えると、
ヴァレリアは、ほっとしたように微笑み、
ゆっくりと手を離した。
こうして、
ヴァレリア、そして神殿の神官たちと、私たちは別れた。
新たな心強い友人を得た。
その実感が、胸の奥に静かに広がっていく。
それは、剣や魔法とは違う力――
信じ、信じられているという事実が生む力だった。
この先、どれほど過酷な道が待っていようとも、
その温もりは、確かに私たちを前へと進ませてくれる。




