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死神に春が降る  作者: 永ノ月
2章 自由を探す旅
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南へ

 散髪を始めるべく、ちょこんと座るエリーゼの背後で膝をつく。


 期待千万といった様子でそわそわしているが、危ないのでもう少し大人しくしてほしい。

 口には出さず、静かに髪へ触れる。


 ──指を撫でる感触は上質な絹のよう。一本一本に確かなハリと潤いがある。

流石は王族、毎日手入れされていたのだろう。


 深みのある赤髪。これを今から染めてしまうのがもったいないほどに、綺麗だ。


「ふふっ、くすぐったいわ」


 頭を振って抵抗されてしまう。つい夢中になって触っていたことに気づき、すぐさま手を離す。


「申し訳ございません」


「そういう意味じゃないわ。ただ……私の生活の中で、男性と関わる機会はあまりなかったの。お兄様とお父様と、婚約を迫る見知らぬ貴族ばかり。はっきり言ってあまり得意ではないの。でもラトスは不思議ね。触れられても嫌じゃないわ」


 それは、とラトスは言い淀む。


 実は女性だから。それだけの事実なのに、どうも口に出すのが憚られる。


 物心ついてからずっと、ラトスは男性であることを強いられてきた。

 否定され、強制され、弾圧されてきた時間が、己を女性だと表現することに抵抗を生む。


 俯くラトスに「どうしたの?」とエリーゼが覗き込むが、なんでもないと首を横に振った。


 事実はなにもすぐ伝える必要はない。いつか時が来たら伝えよう。


「そういえば、新聞には我々が既に処刑されていたことになっていました。何故こんな非効率な方法を?」


「それは……おそらく、内政の不安を隣国に隠すためでしょうね。

カーローンはともかく、ダリアは魔術を中心とした新しい文化圏を築いているでしょう?

これまで友好的な関係だったけれど、いつ支配の手が伸びてくるかもわからない。そこに王族絡みの事件が起こったとなれば──」


 言いかけて口を噤んだ。

つまり国王にとって、娘の生死は偽装しなければならない厄介事程度にしか見ていないことを示唆する。


 ラトスは家族の愛情や絆といったものに疎い。

もとよりオーメルン家はお互いが干渉しないよう生活してきた。これも無駄な同情を生まないためである。


 賛同こそできないが、今の彼女を見れば簡単には信じられない事実なのだろう。


 落ち込むかのように見えたが、顔を上げた頃にはもう笑顔が戻っていた。


「でも公に指名手配されなかったことは都合がいいわ。衛兵の目さえ掻い潜れば、街を歩いても大丈夫ってことよね⁉」


「ええ。まあ……」


 間違ってはいないが、この緊張感のなさはなんだろう。本当にこれから国外に逃亡する一国の王女なのだろうか。


 その後も黙々と作業を進め、髪染めと仕上げを終える。

馴染むのに時間がかかるからじっとしていろと促したが、初めての髪染めに興奮する一方といった様子だ。


「随分呑気ですね。我々は追われている身なんですよ」


「そうね。見つからないようロスィカから出る。まるで物語の主人公のようねっ」


 話は聞いている。内容は入っていないといったところか。


 姿を変えたとて身分まで変わるわけではない。

いずれ捕まり、然るべき規則の下処分される……その事実に変わりはない。


「国外への逃亡についてですが、なにか策はあるのですか」


「そうね……まずはこの北方連合国から抜け出す必要があるわ。とにかく南に向かいましょう」


 北方連合国。その枠組で呼ばれることは昨今少なくなったが、かつてあった大戦の名残からそう呼ばれている。


 ロスィカの南に位置するダリア王国もまた、連合国の名の下に友好な関係が続いている。


「軍事同盟がある以上、ダリアまで逃げたところで追っ手を振り払えたとはいえないでしょう」


「そう。だから目指すはさらに先の西方連合国。リスタルシア帝国よ」


 大陸一の国土と人口を誇り、経済の中心地として栄えている永世の帝国。

確かに追っ手を振り切るためにはそこまで行くしかない。


 得意げに語るエリーゼだがラトスの頭は重くなる一方。

すでにその計画は多くの問題を抱えていた。


「リスタルシアは外国人を軽視し迫害することで有名です。今でこそ露骨なものは減りましたが、むやみに入ることは得策でありません。それに、まずはどうやってロスィカの検問を潜り抜けるかが最初の問題です」


「そこは……そう、どこかで偽装して、商人のふりをすれば通れるんじゃないかしら」


「国境警備を仰せつかっている彼らは旧ロスィカ陸軍の精鋭ばかりです。偽装するにしてもすぐにバレますし、そもそも彼らだって俺たちの顔を知っています。いくら髪色や服装を変えたところで顔の形や背丈には限界があります」


「わ、私の演説は多くの民が聞いたでしょう⁉ 温情をかけてくださる人だっているはずよ!」


「俺たちの首にかけられた賞金はさぞ高いことでしょう。打算的な人間でなくとも、今の生活を潤わせたいのなら、たとえ同情の心を殺してでも」


「もう! じゃあどうすればいいのよ!」


 つい淡々と事実を述べてしまったせいか、エリーゼは不満そうにそっぽを向いてしまう。


 彼女の安直な意見を肯定したところで計画が上手くいくわけではない。もっと現実的に考えるべきだとラトスは思う。


 しかし否定ばかりしているわけにもいかない。

国外に伝手があり、入出国の許可が降りている人間。だがラトスにはそんな関係など……


「エリーゼ様。ひとつだけ方法があるかもしれません」


「本当⁉ どうすればいいの? どこへ行くの?」


 ずいずいと距離を縮めるエリーゼを片手で抑え、説明する。


「まず目指す場所は南端の町サンドマート。オーメルン家の別荘があるのですが、そこで国境越えに協力してくれる人物に会えるかもしれません」


 あくまで可能性の話ですが。と付け加える。


「オーメルン家の人間……ということかしら?」


「いえ。もはや家の人間は敵になっていると考える方が自然でしょう。頼るのはあくまで外部の人間です」


 正直なところラトスは彼について知らない部分が多い。

あくまで金銭的な取引があっただけで、普段は何をしているのか。どこにいるのかさえ知らない。


 しかし今の状況で、安全かつ非合法な手段で国外に出るためにはこれしか思いつかない。


 意見を聞こうとしたのだがエリーゼを見るに反対の色は見えない。ひとまず目的地が決まった。


「まずはサンドマートへ向かいます。その前にローフラッドで身を隠すついでに、路銀を調達しましょう」


「いいの? あそこは人が多く行き交うし、衛兵に見つかってしまうんじゃ?」


「だからこそです。人が多い方が紛れやすい。それに関わるのなら、同じく衛兵に見つかりたくない人がいい」


「衛兵に……あっ」


 エリーゼも気づいた。しかしその相手が誰かわかるなり、表情を複雑なものに変える。


 これはあまりいい手とはいえないが、同じ敵を持つのなら多少は協力しやすい……そうであってほしいというのが本音だが。


「あくまで動くのは町の端、日陰者も集まる貧民街に潜ります。町では俺から離れないでください」

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