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死神に春が降る  作者: 永ノ月
1章 死神の名
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理由がないのなら

 地面を打ちつける大雨が続く。朝が近づいている今現在でも未だ止む気配はない。

 雨音が支配する空間。こんなぼろ小屋がいつか崩れないか不安になるほど、時間感覚は麻痺してしまった。


 小屋は長い間手入れがされていなかったのか、埃と土の混じった農具が仕舞い込まれている。

 山のように積んであったであろう干し草もしおれきっており、屋根には穴が開いていて雨漏りをする始末。


 加えて外の視界がすこぶる悪い。捜索に来た衛兵が近づいてきてもすぐには気づけない。

 しかし贅沢も言っていられない。今のラトスたちには頼れる人も、見知った土地も、満足な資金すらない。


 文句を言いかねない王女殿下はというと、干し草の上で丸まって静かに寝息を立てている。


「何故この状況で寝れるんだ」


 雨が降り始めてからこの小屋に入り、彼女を下ろした次の瞬間には、自分の足で立つでもなくその場に倒れ込んだ。


 彼女──エリーゼ・フィル・ロスィカは今日処刑されるはずだった罪人。

それが今では王都から少し離れた農村の、さらに外れの小さな小屋で眠っている。


 それらすべてを成立させているのは、死神の代行者であるラトスの予想外の行動にある。


 ラトスもまた現状に整理がつくはずもなく、戸惑いの渦中にいる。

 何故彼女を生かそうとしたのか。彼女を抱えて王都から逃亡したのか。

これではまるで彼女に『同情』したみたいではないか。


「俺は何故……何のために」


 頭痛がする。吐き気が襲う。幼少より植えつけられた死神としての矜持が首を締める。


 ──泣いても誰も助けてはくれなかった。味方なんて一人もいなかった。

 それらを求めることが無駄だと悟ったとき、初めて死神になれた。

 

では、今の状況をどう説明する? 今の俺は死神といえるのか?

 

死神ではない俺に、存在価値はあるのか。


「ううん……」


 ごそごそとエリーゼが動き始め、はっと意識が現実に戻る。

 観察するように彼女を覗き込むと、うっすら開いた瞳と視線が交差する。


「ここは……?」


「王都郊外の農村です。辺りには民家も少なく、見つかるリスクは低いかと」


「……ああ、やっぱりあれは夢じゃなかったのね」


 視線を落とし、干し草を弱々しく握る。

まだ夢と現実の狭間にいるのか、虚ろな視線はゆっくりと周囲を泳いでやがてラトスに止まる。


「死神様、貴方が助けてくださったのですよね」


 白の仮面はどこかで落とし、初めて面と向かって話すこの状況はむず痒い。

 なにより『助けた』という表現に引っ掛かる。どっちつかずの返事をするも、エリーゼは起き上がってラトスの手を捕まえる。


「心から感謝致します。もし貴方が私の叫びを止めていれば、私は死んでも死にきれませんでした。それに、こうしてまだ命があることが奇跡なのですから」


「……俺は死神ではありません。ただ人を殺すよう育てられた、一役人に過ぎません」


「貴方の身分は重要ではありません。法に、お父様に奪われかけた命を拾ってくれたお方こそが、今私が感謝を示すべき人なのです」


 どうしたってエリーゼはラトスの目を見て話そうとする。どれだけ逸らしても、頭を揺らして視界に入り込んでくる。

 冷え切った手に触れる柔い温もりが、くすぐったい。


「しかし、ふふっ。こうして死の淵から這い上がり夢のひとつを叶えるなんて。私は悪運が強いのですね」


 夢? とオウム返しで問うと、エリーゼは満面の笑みを浮かべる。


「私は王都から出て、身分を捨てて、普通の町娘として生きることに憧れていました。医者として多くの人の命を救ったり、学者として知りたいことを探求したり……でも一番なりたいのは旅商人です。世界各地を自由に巡って、見たことのない景色をこの目で見てみたいのです。そう、自由こそが私の求めるものなのです」


 一般市民であれば、一生金に困らない王族がどれだけ羨ましいことか。

 自由の捉え方は人それぞれか……エリーゼは続ける。


「私が初めて城の外に出た日。人目を忍んでようやく私の憧れた普通の人の生活が見られるのだと心が躍りました。しかし、現実はまったく違うものでした」


 途端、彼女から笑顔が消える。


「民は不安と怒りを募らせていました。私たちのしてきたことがこれらを作ったのだと思うと、後悔でその日は夜通し眠れませんでした。民たちはあんなにも苦しんでいるのに、私は毎日温かいご飯を食べていいのか。服だって誰かに着せてもらうような生活をしていいのか、と」


 じゃじゃ馬姫のエリーゼ。さぞうるさくワガママな子どもなのだろうと思っていた。

いや、実際にそういう時期もあったのかもしれない。


 彼女は明確に変わった。変わる努力をしたのだと、目の前の淑やかな少女から見受けられる。


「その日から私は国のため、そして他ならぬ民のためにあらゆる勉学に励みました。政治経済はもちろん貿易から歴史。さまざまな国に留学して施策を練りました。結局お父様に意見が通ることはなく、国家反逆という罪を着せられてしまいましたが」


 ラトスは視線を落とす。目の前にいるこの少女に背負うべき罪などない。義を通した彼女に剣を振り下ろそうとしたのは、間違いなく自分だ。


 その罪悪感が手を止めたのか? 否、あの段階で彼女の真たる事情を知らなかった。

 仕事に罪悪感を持ち出すことなど一度もなかった。なのに何故……繰り返し自問する。


「俺は法の番人ではありません。しかし、理由はどうあれ王女殿下に剣を向けたこと、深くお詫び申し上げます。然るべき罰は国に戻り次第受けます」


「ちょ、ちょっと待ってください。どうしてそうなるのですか。貴方は罪人の魂を地の底へと還すのが仕事です。それに、私たちはこうして逃げ出せたのです。ならば国の外へ、さらに遠くへ逃げることだって──」


「できません」


 掴む手を引き剥がし、ぴしゃりとラトスは遮る。

それが不可能なことだと知っているから。


「国中に配備された衛兵にはすぐ伝達がいくでしょう。見つかればすぐに捕まるか、最悪その場で殺されるでしょう。仮にそれらすべてを掻い潜ったとして、国境は厳重に管理されています。出国許可証がない限り、俺たちはこの国から出ることはできません」


 それが現実であり規則。なによりも重んじてきたラトスにはその無謀さが深く理解できる。


「で、ですが……このまま王都に戻れば必ず殺されてしまいます。少しでも可能性があるのなら、逃げる方がいいに決まっています!」


「ならば王女殿下だけでお逃げください。俺は死神の代行者として、これ以上罪を重ねることは我慢ならないのです」


 オーメルン家に課された大きな責任。背負うことを選んだのはラトスであり、それを守ることで今日まで生きてきた。それをいきなり変えることなどできない。


「貴女様の行方は知らないこととします。どうか、王女殿下の願いが一つでも多く叶いますよう、祈っております」


 立ち上がり、未だ雨の続く小屋の外へと歩を進める。

 

「いいえ。私の逃亡に貴方も同行する義務があります」


しかし、小さな手はまたもラトスを掴んだ。


「義務、ですか」


「はい。あの時、どうして私を殺さなかったのですか。何故私を抱えてこんなところまで逃げてきたのですか」


 重くのしかかるエリーゼの言葉は、ラトスを大きく揺らす。


 あの瞬間から僅かに生まれた心の隙間。そこに彼女は容赦なく手を突っ込み、無理やり広げようとしている。

 長い沈黙が横たわる。ラトスは静かに睨み、エリーゼも負けじと視線を逸らさない。


 雨脚がやや弱くなった頃、根負けしたのはラトスの方。


「俺にもよくわからないのです。今まで罪人には例外なく剣を振り下ろしてきました。同情の念など微塵も感じたことはありません。しかし、だからこそ王女殿下へ手を下せなかったことが不思議でならないのです」


「それは……私の目が生きたいと訴えていたから、とか。わ、私も一応王族ですし、緊張していたのではないでしょうか」


「いいえ。そんな簡単な理由で、俺の剣は揺らぎません。絶対にです」


 躊躇いなど生まれるはずがない。同情なんてするはずがない。緊張などしていなかった。

 では、今なお続くこの違和感はいったい──あの時灯った火がまだ熱く、ラトスを苦しめる。


「俺は死神です。そう育てられ、今日まで完璧に仕事を全うしてきました。俺にはこれしかないんです。王女殿下が謳う自由を得る権利は俺にありません。わかっているのに……今でも自分のことが、理解できないのです」


 行き場のない怒りがラトスを支配する。

 誰も恨んではいない。誰も憎んではいない。

ただ、今の自分が置かれている状況を、その過程すらも理解の範疇を超えている。


 混乱している。そう自覚した途端に全身から力が抜け、膝から崩れ落ちる。

 対するエリーゼはというと。


「顔を上げてください。私の目を見て」


 鈴の鳴るような声でそう囁かれ、思わず顔を上げる。

 彼女の手はラトスの頬に触れ、慈愛に満ちた笑みを零す。


「そういえば、まだ貴方のお名前を訊いていませんでした。教えいただけますか」


「……ラトス。ラトス・オーメルンと申します」


「ラトス様。私は貴方がこれまでどんな人生を送ってきたのか、どんなことを教わってきたのか、想像すらつきません。しかしこれだけは言えます。貴方は間違っていない。少なくとも消えるはずだった私の命を救ってくれた。その事実は変わりません」


 呆気に取られて反論の言葉も出ない。

 優しく、温かく、奥底に閉じ込めていた気持ちを引き出して包み込むような。


「そんな貴方が自ら命を捨てるというのなら、私は心を痛め悲しみます。貴方はそう簡単に死んではいけない人だと思うのです。理由がないのなら、厚かましいですが私が与えて差し上げます。貴方の救った命が、今度は貴方を生かす光になる。それではいけませんか?」


 思えば、始まりはエリーゼとの出会いからだったかもしれない。

 目を奪われたまま、頭の中にまで入ってくるような──それは王族として見ていたからなのか、これから処刑されるとは思えない煌びやかな衣装を着ていたからなのか。


 きっと違う。エリーゼというひとりの人間に、形容できないなにかを感じ取っていた。


 だとすれば、彼女と一緒に行動することでこの衝動の正体を知れるかもしれない。

 この心の名前は、なんというのだろう。


──手を取るということは、これから規則に大きく反する、重大な国への裏切りを重ねることになるというのに。


 否、あの時彼女の首を斬らなかった時点で国を裏切っている。

 国王を突き飛ばし、ここまで逃げてきたのだから、もう死神の代行者を名乗れるような人間ではない。エリーゼと同じ罪人となったのだ。


「僭越ながら申し上げますが、逃げ切れる保証は致し兼ねます。戦う術を学んではいますが必ず護れるとは断言できません。それでももし、王女殿下がご納得いただけるのであれば」


「エリーゼでいいですよ。いえ、親しみを込めてエリと呼んでいただいても構いません」


 御託はいらないとばかりに、エリーゼは調子良さげに鼻を鳴らす。

 ラトスは思わず頬を緩ませ、頬に添えられた手を握る。


「でしたら俺にも敬称はいりません。このラトス、エリーゼ様の逃亡をお助けします。ですが──」


 冷静に、ふと自分の立たされている状況を見つめる。


 国外に逃げる術は未だない。国境がどうなっているのかもわからない。

 そもそも、国外に出るだけで解決にはなり得るのか。


 一度考えることを止める。今はまだ、知恵を絞ったところで憶測にもならない。

 これから彼女と考えればいい。それで十分だ。


「ではいきましょう。エリーゼ様」


「ええ。よろしくね、ラトス」

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