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死神に春が降る  作者: 永ノ月
終章 冬を越えて
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春が降る

「ふたりに折り入って相談があります」


 ダリアを出発する前日。エリーゼが席を外した隙に、ラトスが切り出した。


「ようやく借金を返す気になったのかい?」


「姐さん。今茶化す感じじゃないと思いますよ」


 最近なにかと突っかかってくるルミカであったが、いつも以上に真剣なラトスの雰囲気を察してくれたのか、不満そうに頬杖をつく。


「明日バークス鉄道を使ってリスタルシアに向かいます。万が一本軍と交戦となった時のため、事前準備に協力してくれたこと感謝いたします」


「あれだけ入念に準備したんだ。でもその反応からして、まだ懸念があるのかい」


「はい。ダリアに向かう最中俺たちを襲ってきた男、ゼタが来る可能性が高いと考えています」


 そんなバカな、と言いたげな表情を作る二人。

 実際、一部の人間しか利用を許されない交通手段で堂々と逃げるだなんて誰も想像できないはず。

 よくて見張りがいくらかいる程度だろう。しかし、ラトスは必ず来ると予想している。


「何故そう思うか聞いても?」


「これは理屈ではないので伝わらないかもしれませんが、ゼタは必ずやってきます。いつも大事な場面で現れて俺の邪魔をする。あくまでこれは直感ですが今回も来ると想定して動いた方がいいかと」


 いつも冷静に、現実的な論理ばかり語るラトスから直感という台詞が出た。

 普通は信頼できない理由だが、この時ばかりはおそろしいほどの説得力を帯びていた。


「まあ、実際俺も会いましたけどね。ありゃ只者じゃねえですよ。俺ぁ戦闘に関しちゃ素人ですけど、銃を向けちゃいけねえ相手だと感じ取りました」


「それで、まだ死体人形を増やせと」


 ラトスは首を横に振る。要求は決して難しいものではない。

 けれどこれは理解を必要とする願いだ。仲間の納得を得ずして実行することはできない。

 現にもっとも納得しないであろう人物が外れた今話しているのだから。


「もしもゼタが現れた時、俺を」

 

 ──捨てて逃げてください。

 ──エリーゼだけでも逃がしてはくれないでしょうか。


 

「アッハハハハ! マジでここに来やがった。すげえ、やっぱオレの直感ってすげえんだなぁおい!」


 不意の一撃を弾いて距離が生まれる。すでに激昂しているゼタは気味の悪い台詞を撒き散らしながら、ラトスだけを見据えている。

 対するラトスは、込み上がる怒りを飲み込んで思考を冷やしていく。


「ジェイコブ。ルミカ。あとは作戦どおりにお願いします」


「旦那。本当にいいんだな?」


「なにをごちゃごちゃと。気ぃ抜いてるとまた殺しちまうぞ!」


 猛然と突っ込んでくるゼタをさばきながらジェイコブたちを睨む。


「必ず追いつく。いいから行け!」


「ラトス? 待って、何するの! イヤ、だめ、一緒に来てよ。ラトス!」


 視界の端で駅の中へと入っていくのを見届ける。微かにエリーゼの絶叫が聞こえる。

 もう背に向ける余裕はなく何を言っているか聞き取れない。


 けれど今はそれでいい。目の前のこいつに集中しなければ殺される。

 新調したナイフは驚くほど手に馴染んでいる。それに前回の傷は完全に癒えた。

 これ以上ない状態で戦えている。なのに。


「弱いなぁ。相変わらず弱いままじゃねえかよクソッタレ!」


 ゼタの剣筋は読み切れない。急所を避けるのが精一杯で、貫きこそされないが外傷は増えていく一方。

 落ち着け。よく相手を見ろ。集中すればすべてが明瞭に見えてくる。


 …………剣撃は速い。けれどそれだけのようだ。ゼタの表情もまた怒りに支配されていつもより粗雑になっている。

 殺気を感じろ。本気の一撃を見切れ。それ以外は一か八かでいい。


「油断してんなよぉ!」


 ほんのひと振り、返す手が遅く、力が入っていない。それを──肩で受ける。


「はあぁ⁉」


「ゼタああああああああああああっ!」


 剣を握る左手の甲にナイフを突き立てる。鮮血を帯びたナイフを引き抜き、苦悶の表情を浮かべるゼタにもう一度振りかざす。

 けれどこれは見せるだけ。本命は空いた胴体。鳩尾めがけて渾身の膝を叩き込む。


「クッソ……くだらねえ、技ばっか……」


 苦しいはずだ。どんなに屈強な人間でもすぐには呼吸できなくなる。

 ここで畳みかけるしかない。

 首筋めがけて、一閃──が、届かない。


 腹が熱い。何故?


 彼の長柄の剣が刺さっているのは地面。なら、ここに刺さっているのは。


「ナイフ……だと」


 失念していた。ゼタが剣一本だけで戦うのはあくまで思い込み。

 油断していたのは、俺の方か。


「あぶねえなぁ。危なかったなぁクソが!」


 怒号とともに、視界が揺れる。

 ゼタの蹴りが脳を揺らし、地面が歪む。

 揺れる視界に構わず、急激に重くなっていく身体を持ち上げようと身をよじる。


「ゼタ。貴様だけは」


 抵抗の台詞を吐くが上手く立てない。今立てているかもわからない。

 地面に垂れているのは……俺の血か。かなり流してしまった。

 おかげで全身が冷える。思考が冷静に戻っていく。


「ラトス」


 ゼタが呼ぶ。悪魔の呼び声が響く。


「オマエはよお、オレの中で一番つええ奴だった。同時に、オレの気持ちがわかる奴だと思ってんだ」


「誰が貴様など」


「オレはな。兄弟だろうと親だろうと、先輩でも後輩でも教師でも、死んでもいいって思ってた。死ぬのが怖くねえんだよ」


 死を恐れるな。どうして今になって祖父の声を思い出すのだろう。


「どいつもこいつも死ぬのが怖いことだとか、殺すのはよくねえって説くんだよ。弱い奴が死ぬのは当たり前なのになんで手加減してやんなきゃいけねえんだってな」


 どうだろう。確かに死神を信仰するロスィカだからこそ、死には特別な感情があってもおかしくはない。


「あの時初めてオマエと剣で斬り合った時、本気で殺そうとしていたオマエを見て、同じかもしれねえって期待しちまったんだ」


 だが、俺にはそんなことを考える暇などなかった。与えられたものを食べることに精一杯だった。


「違ったよ。オマエは死神なんて地位を簡単に捨てた。たかが女一人護るために命を捨てた。そんなのオレが求めていたオマエじゃねえ」


 目の前に剣を突き立てられる。陽光に反射する刃が動かせない視界を支配する。

 そこにはこちらを見下ろすゼタの表情が映っていた。いつもの引きつった笑みを浮かべる、傷だらけの憎たらしい顔だ。


「立てよ。いつまでも寝てんじゃねえ」


 胸倉を掴まれ無理矢理起こされる。肩が、腹が熱い。


「答えてくれよ。オマエは望んで死神になったんじゃねえのかよ」


「…………そうだ。俺が継ぐしかなかった。死神になるしか、道はなかったんだ」


 腰より下に力が入らない。ふらふらと、立つのすらやっとの状態。

 血を流しすぎたか。あとどれくらい……エリーゼたちは、無事出発できただろうか。

 時間稼ぎにはなったはずだ。衛兵もまだ手間取っているはず。


 俺は……間に合わないだろうな。


 これでエリーゼたちともお別れか。思ったよりも呆気なかったな。

 楽しかった。エリーゼと出会ってから今までほんの少しの旅、ほんの少しの日常だったけれど。


 ……もう少し、触れていたかったな。


『……ないで』


 声が、どこから?


 眼前にあるゼタから顔を逸らすと、薄ぼんやりとした影がある。

 この声は確かあの少女。在りし日のラトスのものだ。何故ここに来てまた?


 考える間もなく、ゼタは容赦なくラトスの頬を殴る。


「じゃあなんなんだよ。死神でもオレの親友でもないオマエは、誰なんだよ!」


『忘れないで』


 何を? 俺は何を思い出せばいい?


「オマエは何がしたくて生きてんだ! ラトス・オーメルン!」


『わたしを、忘れないで』


 ──そうか。君は幻覚などではなかった。

 死んでなどいなかった。ラトスの中で眠っていたもうひとりの自分。あるいはかつて持っていたもうひとつの心。


 受け入れらない言葉はたくさんあった。否定したかった。でも、それももう止めよう。


 今の俺は君じゃないかもしれない。それでも、君の想いを預かってもいいだろうか。


『…………ありがとう』


 少女は涙を流す。瞬間、ラトスはゼタを振り払い身体の自由を手に入れる。

 

 思い出せ。在りし日の俺を。

 かつての俺は、何になりたかった?

 死神の代行者になるよりも前。己が何者かを知らなかった頃の俺は、何になりたかった?


「俺は……」


 わたしは。



























「花屋に、なりたかったんだ」


























 別荘にあった花壇。あそこにいろんな色の花を植えたかった。たくさんの花に囲まれ、眺めるのが好きだったんだ。


「……それが、オマエなのか」


「ああ。間違いない。今もそうなりたいかは……わからない」


 子どもすぎるだろうか。それでも、これが俺の最初の夢だった。

 ゼタは静かに、ただ真っ直ぐラトスを見ている。すべてを見透かして、心の中にまで入ってくるかのように。


 彼の背後からぞろぞろと人がやってくる。時間切れのようだ。


「結局残ったのは死神の代行者だけでしたか。まあいいでしょう。ゼタ、望み通りにしてあげましょう。彼を殺しなさい」


 言葉は発さない。地面から長柄の剣を引き抜いてゆったりと、しかし確かな力を込めて握った剣で──シャルルの前に立つ衛兵を斬りつける。


 力なく倒れるそれを、誰もが理解できないまま呆然と眺めていた。

 沈黙の後、ゼタは背中越しに言う。


「早く行け。もう列車出ちまうぞ」


「……どうして」


「いいから行け。もうオマエは憧れでも親友でもねえ。二度とその面見せんじゃねえぞ」


 わからない。何故あれだけ憎く殺したかったであろう人間を手助けをしてくれるのか。


「ゼタ! 貴方はどこまでも理解できない男ですね!」


「はっ。知らねえのか? オレは最初から生きたいように生きてんだ。自由なんだよ」


 冷たく重い身体を引きずって、駅の中へと入っていく。


「ありがとう。ゼタ」


 絶対に聞こえない場所で、かつての友に感謝を告げる。

 もう会うことのない彼の背中は、今後一生忘れることはないだろう。


 ずるずると身体を引きずって列車へと向かう。

 その様をおそるおそる観察し、声をかける隙を窺う駅員たち。他の乗客の姿はもうない。


 汽笛が聞こえる。まずい、もう発車してしまう。

 もっと早く動け。もっと大きく動け。お願いだ、今だけはいうことを聞いてくれ。


 早く、エリーゼに会いたい。


「ラトス!」


 ようやく見えた列車の最後尾に、エリーゼたちの姿が見える。

 しかし無情にも列車は走りだし、ラトスから逃げていく。


「エリー、ゼ」


 届け。

 届け。届け。


 走って、走って、手を伸ばす。

 

 強い力に引っ張られ、宙に浮いたような感触。

 なんとかたどり着いた先はエリーゼの腕の中だった。


「なんとか間に合ったね。めでたしめでたし」


 呑気に手を叩くルミカ。隣に立つジェイコブは彼女をジト目で睨む。


「そんなこと言ってねえで治療してやってくださいよ。また傷だらけになってますよこの人」


 わかったわかった、と二人は退散し、最後尾にはエリーゼと二人きりになる。

 彼女はというと、力強く抱き締めたまま離そうとしない。


「エリーゼ……すみません。なんとか、間に合いました」


「ラトス……よかった。本当によかった」


「これ以上触れたら、血が」


「そんなことどうでもいい。どうでもいいから……」


 声は震え鼻を啜る音が聞こえる。無理やり身体を起こして向き合うと、案の定彼女の綺麗な顔は涙で腫れていた。


 今度はラトスから抱き締める。

 もう二度と離さない。やっと見つけた大切な人。


 よかった。諦めずに、ここまで来れてよかった。


「これからもよろしくお願いします。エリーゼ」


 列車は行く。ロスィカを、北方連合国を背に進む。


 新たな人生を歩む二人に、春が降る。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

辛く厳しい時間の中にいたとしても、いつかあなたに春が訪れますように。

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