思い残し
「今日はひとつ提案があって来たの。エリ、ロスィカの王になる気はない?」
シャルルの持ってきた話はあまりにも唐突で、その場の誰もが理解をするのに時間を要した。
空気が固まって、じわじわと選択を迫られていく感覚が襲いかかってくる。
一度強く歯を食いしばり、ラトスが声を上げる。
「何故、ここに来てエリーゼが?」
ようやくシャルルと視線が交わる。しかし妹を見るそれとは違う、刺々しく冷たい視線にあてられる。
一転エリーゼの方へと戻り、またにこやかに言う。
「現在ロスィカでは革命の旗が掲げられつつあります。各所で暴動が起こり、一部の役場は再起不能な事態に陥っています。国民は怒りを以て王政に反旗を翻そうとしています。エリ、貴女が火を灯したのよ」
思い出すのはあの時の光景。両手を拘束されながら、身体を押さえつけられながらも演説をした彼女の姿。
「死んだと報道された第二王女は生き延びていた。国民の意志を汲んで再び立ち上がり、新たな政治を始める。素敵な脚本だと思いませんこと?」
「しかしそれでは、一度出された判決を覆すことになります。それも国家反逆罪という重い罪をです。国家として認めることはできるのですか」
「可能です。そしてすでに王城で議論と同意のうえ、エリーゼ・フィル・ロスィカに対する処刑を不問としています」
「いやいや、さすがの王女様でも無茶でしょうよ。はったりですよこれ」
次から次へと飛んでくる壮大な出来事に、待ったをかけたのはジェイコブ。
しかしこれにも顔色を変えることなく、悠然と続ける。
「この誓約書が証拠です」
高々と掲げられた紙には、確かに王族と各大臣の署名が記されている。
はったりでないことは明白。ラトスとエリーゼにはそれが理解できる。
思わずエリーゼの顔色を窺う。自分がどんな顔をしているかわからないが、同じくらい蒼白としているに違いない。
シャルルが妹のことを気にかけていることは知っていた。処刑が決まった時は寝室から数日出てこなかったと噂で聞いた。
だがここまでできるのは王族としての権力か。それとも持って生まれた器と行動力なのか。
「心配しないで。貴女は女王として皆の象徴になってくれればいいの。仕事はすべて私が執り行います。だからお願い、この手を取って」
逃げる理由を奪われた。次の一手が──思いつかない。
ジェイコブも、ルミカも、そしてラトス自身も。
ふと、背中にかかっていた力が離れる。
気づけばエリーゼが前に出て、シャルルの方へと向かっていた。
「エリーゼ!」
「大丈夫。私を信じて」
彼女は振り返らない。ただ小さな背中はいつもより大きく、温かく見えた。
「ごめんなさいお姉ちゃん。それはできないよ」
「できない? まだわがままが通せるとでも思っているのかしら」
再び凍てつく空気を纏う。呼応するようにえんじ色の本軍が円となりラトスたちを取り囲む。
「国民に立ち上がれと促したのは他でもない貴女です。ロスィカの混乱は貴女が招いたのです。言葉には責任を持つべきだと、昔から教えていたでしょう」
「責任……」
「そうです。こうして西へ逃げようとしているのも実に無責任です」
「私、は」
俯くエリーゼの肩に、ついにシャルルが触れる。
またも雰囲気を変えて、まるで慰めるように呟く。
「ああごめんなさい。強く言いすぎたわね。大丈夫、責任なら私も一緒に背負ってあげます。もう貴女に危害を加えようとする人なんていないし、お姉ちゃんが護ってあげますから」
シャルルには迫力がある。しかし彼女の言葉は──なんて自分勝手な意見だ。
妹のわがままを責任という言葉で押し潰し、己の意見のみを捻じ通そうとしている。これを自分勝手と言わずなんという。
「……わかったわ」
ラトスたちからは表情が見えない。だがその沈んだ声から、最悪の結末が脳裏を過ぎる。
ダメだ。エリーゼがいなくなってはここまで逃げてきた意味がない。一人になってまで逃げようと思えない。
「そう。よかった。ではすぐに帰りの準備を」
「その前に、聞いてほしいお願いがあるの」
エリーゼが動く。触れる手を優しくはねのけ、シャルルは僅かに動揺の色を見せる。
「私なんかで王になれるならなってあげる。でもその時はラトスを傍においてほしいの」
踵を返し、ラトスの腕を握る。
弱い力で、しかし絶対に離そうとしない意志を感じる。
「私の罪を帳消しにできたんでしょう? ならラトスの処刑放棄も同じように無罪にしてほしい。お姉ちゃんならできるでしょ?」
「それは……難しいわ。だって貴女の罪は、半ばこじつけのような形だったんだもの。撤回も容易でした。ですが死神の代行者は違う」
この場で最初に対面した時、強い敵意を感じた。その正体はおそらくラトスに向けられていたものだ。
彼女がどう解釈しているか検討もつかないが、エリーゼの発言から明確に敵と定められたに違いない。
いや、最初からラトスの存在をよく思っていなかったのかもしれない。
ラトスを許さない姿勢。それこそがエリーゼにとって絶好の起点となった。
「処刑放棄だけではありません。彼はローフラッドでの貴族を含む大量殺人の容疑もかけられています。これから新たな規範を作るにしても、その大罪を無視することはできません」
「私を救ってくれた命の恩人なのよ。むしろ英雄として扱うべきだわ!」
「死神の代行者を晒すなどもってのほかです。彼らは讃えられるべきではない!」
「じゃあ私は戻らない。ラトスと一緒に逃げる」
「エリ! この期に及んでまだわがままを!」
感情的になっていく姉とは対照的に、エリーゼはどんどん落ち着きを取り戻していく。
決して状況が好転しているわけではない。ただ、シャルルにとって悪い流れになっている。
その一点をエリーゼは貫こうとしている。
「わがまま言ってるのはどっちよ。もうロスィカに王はいらない。民が集って国を作っていくべき!」
「それを決めるのはこれからよ。まずは私たちが先頭となって」
「やっぱり。結局お姉ちゃんは王族の身分を捨てたくないんでしょう。だから無理やり私を連れ戻そうとしてるんだよね」
「エリ!」
「お姉ちゃんなら知ってるでしょ! 私の夢は、王になることなんかじゃない!」
二人は同時に思い出す。静かな王城で過ごした時間。
両親からも兄からも相手にされない、どうしようもなくわがままな少女が語る壮大な夢を。
そんな彼女の憧れを止める方法など、誰も知らないのだ。
張り詰めていた空気が僅かに緩んだ。エリーゼは得意げな笑みを浮かべ、ラトスたちを順番に見つめる。
「私はリスタルシアで自由を手に入れるわ。だからお願い、力を貸して」
ルミカは腕を組んで頷き、ジェイコブは呆れ混じりの溜息を零す。
ラトスは静かに答える。
「はい。俺はエリーゼの味方です」
「全員、彼らを捕らえなさい!」
シャルルの号令に呼応し、四方八方よりえんじ色の軍服を着た衛兵たちが押し寄せる。
いったいどれだけの兵力を注ぎ込んだのか、とても対応できる数ではない。
けれど彼らは気づいていない。彼らの足下には何が仕込まれていて、何の相手をしなければならないのか。
「まさか、アタシたちが無策で突っ込んでくると思ったか? 魔術を知らぬロスィカの民よ、とくとご覧あれ」
ラトスたちを捕らえんと踏み込んだ衛兵たちの前に現れたのは、数えられないほどの死体人形。
こうなることを見越して、ルミカを筆頭に何度か駅周辺に訪れて人形を仕込んでおいたのだ。
「丹精込めて作った人形がこれでもう空っぽだ。まったく君たち、いつまでアタシをタダ働きさせるつもりだ。いい加減報酬を払いたまえ!」
「感謝しています、ルミカ。ですが今はここを突破することが先決です」
場は混沌を極めた。
見たことのない、とても生きている人間には見えないなにかに衛兵はうろたえ、大して強くもない人形に手間取っている。
その隙にラトスたちは一塊となって群衆を潜り抜け、駅めがけて進んでいく。
「じゃあね。お姉ちゃん」
エリーゼは後ろを振り返り、小さく呟いた。
その様子はやはりどこか寂しそうで、ラトスは思わず問うてしまう。
「こんな別れ方になってしまいましたが、よかったのですか?」
「うん……正直寂しいわ。でももう決めたことだもの。さっきはちょっと揺らいでしまったけどね」
「いえ。とても立派でしたよ」
彼女の勇気に応えるためにも、この列車に乗らねばならない。
「な、何事ですか⁉」
「予約したモノクローム一行だ。すまない、熱烈なファンに別れを惜しまれてしまってね。出発まであと何分だい?」
「もう間もなくです。ただいま最終点検を」
──殺気だ。おぞましいほどの殺気が背筋に刺さる。
どこだ。群衆の中……いや、もっと近く。
この気配を知っている。
「エリーゼ!」
彼女を背後へ押し投げ、すぐさまナイフを構えて受け流す。
視界に捉える暇もない。現状誰よりも憎く、もっとも邪魔になるであろう男が来た。
「ちゃんと生きてんじゃねえかよぉ! オレの親友ぅ!」
「ゼタ……!」




