王女の選択
エヴァート歴一一五五年。十二月十日。
ダリアの南に隣接するミサラグド国は北と西の境界線を担っており、二千年以上前ともいわれる神魔戦争時代の建造物が多く残る。城塞国家という呼び名はその名残である。
バークス鉄道の駅は未だここが最北端。ダリアから乗れればよかったのだが、未だその予定はないという。
馬車を降りた一行は思い思いに背筋を伸ばし、いつ間かぶりの新鮮な空気を吸い込む。
「じゃあリリイ。留守は任せたよ」
「う、うん……早く帰ってきてね」
同乗していたルミカの妹は当然残らず、寂しげにこちらを見つめながら馬車とともに去っていった。
「しっかし、結局このメンツでリスタルシア行きですかい。俺いります?」
「何を言う。君とお姫様以外にリスタルシアを知る人はいないんだ。案内役なくして外国を歩けるものか」
へいへい、といつも通り気だるそうに、覇気のない面持ちで欠伸をするジェイコブ。
思い思いにミサラグドを見回しながらも、急ぎ足でバークス鉄道の駅に向かう。
想定していたよりも時間がかかり乗車まであまり余裕がない。だというのに、ラトスはひとり代わり映えしない空を見上げていた。
ただ観光に来たわけでも仕事をしに来たわけでもないのだから。言い得ない緊張感に包まれるのも当然といえる。
ラトスの表情はいつも動かないが、今日はいつにも増して思い詰めた様子だった。
「旦那、もうリスタルシアは目と鼻の先なんですから。そう怖い顔しないでくださいよ」
「……すみません。まだ不安が拭えなくて」
「お嬢を見てくだせえよ。ほらあれ」
「ラトス、ラトス! 見てあれ、世界最古の魔王城とされているらしいわ。本で見るよりずっと大きいわ!」
ほらね、と指をさす。
元気に走り回っているエリーゼを見ても、脳裏に浮かぶのはあの憎い男の姿。
──昔から何度もラトスに突っかかり、悉く面倒事に巻き込んできた張本人。
国境越えの時にすらラトスの動きを予測し立ち塞がってみせた。
今回が例外になるとは、到底思えない。
「ラトス!」
自分の世界から離れると、呼ぶ声がいつの間にか目の前まで来ていた。
エリーゼは不満そうに、構ってほしそうに上目遣いを送っている。
「すみません。少し考え事をしていまして」
「最近ずっとそうじゃない。不安がっていると悪魔が寄ってくるって知らないのかしら」
「悪魔は二千年以上前に絶滅しています。まして人里に現れたら世界中で報道されるでしょうね」
「そういう意味じゃないの! 意地悪!」
真面目に返しているつもりなだけに、何故いつも不満そうにしているのか、ラトスにはまだ理解が追いつかない。
「しかしまあ、この一週間で随分近づいたね。誰が見てもただの恋人に見えるだろうさ」
悪意をふんだんに盛りつけた笑みを浮かべるルミカ。途端にエリーゼの頬は紅潮し反論する。
「い、いいじゃない別に! ラトスはもう私のなの。ルミカにもジェイコブにもあげない!」
困ったことがあるとすれば、わがままを克服するはずだったエリーゼが逆戻りし始めていることだ。
ラトスとて矯正するつもりもないが、時折突拍子もないことを口走るので肝を冷やされる。
そうやってルミカたちがからかいエリーゼが反発する。この一週間でよく見た風景を眺め、ラトスは頬を緩ませる。
『君はまず、エリーゼ以外の生きる理由を探すべきだ』
ダリアを発つ前にルミカから与えられた命題。あれからずっと考えていたが、正直に言えば難しい。
ラトスの世界にはいつもエリーゼがいる……彼女と会う前の自分が思い出せないくらいに。
かつては何を望んでいただろうか。何を目指して生きていたのか。何になりたかったのか。
「何ぼーっとしてんすか。らしくない」
「……すみません。やはり先のことを考えるのは難しい、と思いまして」
「大丈夫よラトス。ちゃんと準備はしてきたんだもの」
隣に立つエリーゼの顔色に不安がないわけではなさそうだった。
しかし彼女は大丈夫だと言っている。
これまで紆余曲折あったけれど、こうして二人でここまで来れた。
目指してきた道のりの終着点が、もう目の前にある。
――だからこそ気を抜いてはならない。エリーゼの肩を持ち、足早に駅を目指す。
ピリリとした緊張を感じ取ったのは、どうやらラトスだけではないようだ。
「……視線を感じます。だんだん増えている」
「みたいっすねえ。だが乗り込んじまえばこっちのもんです。走りますよ」
ようやく駅の外観が映ったところで、先頭を進んでいたルミカの足が止まる。
道を封鎖するように並ぶのは、見慣れたえんじ色の軍服を纏ったロスィカ本軍と衛兵。
エリーゼはすぐさまラトスの背後に隠れ、様子を見守っている。
「すまないね。魔術師ルミカ・モノクロームとその助手たちだ。早く駅に行きたいのだが」
「その必要はございません」
本軍を掻き分けて現れたのは、ラトスたちにとってまったく予想外の人物。しかしてよく知る人物。
エリーゼと同じ赤髪をなびかせ、凛とした面持ちで睨みつけるその姿は、次期女王の名にふさわしい。
シャルル・ハイネ・ロスィカ。エリーゼの実の姉である。
「おねえ、ちゃん……」
彼女がもっとも敬愛する人物でありロスィカの至宝。その人が北と西の国交の一つに陣取っている。
警備がいないだなんて甘い打算はしていない。荒事になった時の準備もしてきた。
しかしまさか、王女殿下自らこの地に現れるとは。
想定していた脱出計画の輪郭が、徐々にぼやけていく。
「エリ……やっと会えた。ずっと心配していたのよ」
姉妹の視線が交わるなり、今にも凍り付きそうな面持ちだったシャルルの表情はみるみる緩み、こちらに歩み寄ってくる。
「あの獣の報告を聞いた時は驚いたけれど、やはり生きていたのね。よかった、もうずっと探していたのよ」
「お姉ちゃん……どうしてここに」
ぴしゃりとエリーゼが先に言い放ち、シャルルは歩みを止める。
「どうしてそんな言い方するの? せっかく久しぶりに会えたのに」
「質問に答えて。どうしてここがわかったの!」
泣きそうな、しかし不敵な笑みが漏れた表情は見る者を震え上がらせる。
決して身体が大きいわけでも、声量で脅しているわけでもない。
ただ静かに、含みを持った姿勢と揺れない強い眼差しに、すべてを見透かされているように錯覚してしまう。
「貴女を連れ戻すためよ。エリ、これからのロスィカには貴女が必要なの」
「私はもう戻らないし戻れない。それはお姉ちゃんもわかっているでしょう」
「ああ……そうね。そうよね。貴女はまだ何も知らないものね」
長い赤髪を靡かせ、シャルルはラトスたちに歩み寄る。
彼女が次を話すまで迂闊な動きはできない。緊張感は増していくばかり。
「今日はひとつ提案があって来たの。エリ、ロスィカの王になる気はない?」




