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死神に春が降る  作者: 永ノ月
終章 冬を越えて
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自分勝手

「ジェイめ。足止めすらまともにできないのか」


 モノクローム邸の門前に構えていたのは門番でなく当主のルミカだった。

 不機嫌そうな面持ちを隠さず、やってきたラトスを睨みつける。


「エリーゼはこちらにいますか」


「ふんっ」


 答える気はない、と大げさにそっぽを向いてみせる。

 彼女がこんな態度を取るのも仕方ない。

 元よりラトスとエリーゼを会わせたくなかったのだから、快くとはいかないに決まっている。


「お願いします。俺は一刻も早くエリーゼと話し合う必要があるのです」


「そんなのアタシには関係ないね。一方的に愛されている君のことなんてなおのことだ」


「まさか、ジェイコブのいっていたことは本当なのですか?」


 ──ルミカはラトスに嫉妬している。

 最初に聞いた時こそ釈然としなかったが、エリーゼとの対面と今の態度で、ようやく確信した。


 わざとらしく舌打ちし、ラトスを睨みつける。


「……はぁ。君に悪意がないからこそ、たちが悪いね」


「申し訳、ありません?」


 今度は舌打ちが二回。おまけに足下で固めた雪まで投げてきた。


 あまりいい返答ではなかったらしい。

 かと思えば、表情はしおらしいものに移ろう。


「君の心を踏みにじったこと、悪かったよ。大人気なかったね」


「いえ。ルミカに命を救われたのは事実ですから。貴女が間違っていたわけではないと思います」


「そんなことないさ。これは紛れもなく嫉妬だよ。

 アタシたち魔術師はさ、より強い魔力を持つ子どもを産まなくてはならない。

 そのためにはより優良な血統を組み合わせなければならない。

 上が勝手に決めて、アタシたちに決定権なんてない。

 恋や愛とは無縁の世界。いっそ知らない人生の方が幸せだっただろうね」


「俺も言葉として知っていただけで、こんなに苦しいものだなんて……知りませんでした」


 なおも表情の変わらないラトス。それがおかしかったのか、薄く笑みを浮かべる。


「……君はほんっと、大人なんだかガキなんだか、よくわからない奴だなぁ」


 ルミカは似ていると言ったけれど、ラトスはそう思えない。


 彼女の方がずっと大人だ。

 ずる賢いところはあるけれど論理的で、かといって感情がないわけではない。

 上手く押し殺して制御できている。未だラトスには真似できる芸当ではない。


「もういい。これ以上君と話していると頭が痛くなる。お姫様ね、観光するとかで街にいるよ」


「なっ……こんな夜更けに、何故ひとりで行かせたんですか⁉」


「アタシにお姫様を護る義理なんてないからね。ほら行った行った」


 薄情な。よほど思い通りにいかなかったことが不服なのだろう。

 けれどルミカに構っている暇はない。


 深夜とはいえエリーゼを一秒だってひとりにしたくない。すぐさま走りだそうと踵を返す。


「ちゃんと捕まえるんだぞ」


「……言われるまでもない」


 今朝歩いたばかりのオルハットを走り回る。

 まだ土地勘もない上に真っ暗な街並みはまるで初めて来たかのよう。


 それでも、一番目立つあの噴水への道だけは忘れていなかった。

 導かれたように彼女はそこにいた。

 ラトスの買ったコートを着るその人を見間違えるはずもない。


「エリーゼ!」


 名前を呼ぶとやはり彼女は反応した。

 振り返ったその表情は暗くてはっきりとは見えない。


 一歩踏み込んだところで、ずっと聞きたかった甘い声が遮る。


「来ないで」


 たった一言で、浮足立ったラトスを平静へと戻す。

 また拒絶されたのだと静かに傷が広がる。


「……ごめんなさい。まだ、貴方になんていえばいいのか。わからなくて」


「心のままでいいのです。エリーゼの思ったことを言葉にしていただければ、俺も納得できます」


 嘘吐き。

 裏切り者。

 人でなし。

 どんな罵倒でも受け入れよう。


 それでエリーゼの気が済むのなら。

 あわよくば、これまでの愚行を許してくれるのなら。


「みつからないわ。みつかるわけがない」


「何故そう思うのですか」


「だって、私は取り返しのつかないことをしたのよ」


 凪いだ海のようだったエリーゼの口調は、徐々に荒れていく。


「結局ね。私はいつまで経っても子どもで、相手の気持ちなんて考えられない自分勝手な人なの」


 彼女の声……聞こえ方は同じなのに、どこか違和感がある。


「……そんなことは」


「本当はね、なんとなく気づいていたの」


 何が、とは問えなかった。

 問いたくないと全身が訴えてくる。


「だって変だもの。男性なら例外なく嫌悪する私が、初めて会った時から嫌な気ひとつ起きなかった。最初こそ貴方に邪な気持ちがないからだと思っていたけれど、それもただ私自身を納得させる嘘に過ぎなかった」


 最初から、ということはローフラッドに着いてから?

 いや、もっと前か。


「貴方もなにか言いたくなさそうにしていたから、わざと聞かなかった。そうやってずっと先延ばしにしていたら、最悪の形で知ってしまった……あの時ね、ショックを受けた自分にびっくりしたの。貴方が男性だったらよかったのにって、どこかでそう思ってた。最低よね」


 これは間違いなくエリーゼの心からの言葉。

 ようやくこの話の違和感にたどり着いた。


 エリーゼは悪いことをしたと思っている。

 ラトスもまた自分が悪く謝りに来たというのに、出てくるのは彼女の懺悔ばかり。


「エリーゼ、それは違う。今までなに一つとして言わなかった俺が悪いのです」


「違わないわよ。だって貴方はずっと私と来てくれた。

 私のわがままでこんなところまで来てくれた。

 ラトスは自覚していないかもしれないけれど、とっても優しい人なのよ。

 だから私のような悪者に利用されてはいけないわ」


「悪者なんかじゃありません」


「迷惑だったでしょう⁉ なにもかも私の思い通りで窮屈に感じていたでしょう⁉

 だから私はラトスの傍にいる資格なんてないの……ないのよ」


 がらんとした広場の噴水が沸き上がる。

 誰も見ていなくとも、魔術を施されたそれは時間とともに作動する。


 流れる水の音が、足音を消してくれる。


 ――おかげで俯く彼女に気づかれず、目の前まで近づけた。

 はっとして逃げようとするエリーゼの手を掴んで離さない。


「やめて、やめてよ!」


「やめません」


 殴られても、彼女の力なら痛くもない。


「離して!」


「離しません」


 本気で振り解こうとしても、今のラトスに離す気はない。


「本当に、俺のせいなのです。俺がいなければゼタに会うこともなかった。片腕を斬られて……あんな痛い目に遭うこともなかったのです」


「それは絶対に違う! 私が勝手に飛び出したの。そもそもラトスがいなければ、ロスィカから出ることすら叶わなかったのよ!」


 でも……反論しようと顔を覗き込むなり、ラトスは目を見開く。


 ようやく見られたエリーゼは、涙でぐちゃぐちゃになっていた。


 ──俺は何を考えていたんだ。

 相手はまだ十五歳の、ずっと年下の少女だった。


 また自分が情けないと思う理由が増える。だが今は落ち込んでいる場合ではない。


 なおも言語にならない声で泣く彼女の肩を優しく、優しく撫でる。


「あの日、あの小屋で俺がなんと言っていたか、忘れたのですか」


 伝えたい想いがある。


「ロスィカに戻ると言ったのです。死罪になることも厭わず、命を捨てようとしていたのです。エリーゼがいなければ、きっとそうしていたでしょう」


「でも、でも……」


「エリーゼがいなければ……貴女の眩しさを知らなければ、ここまで生きようだなんて思わなかった。

 誰かと食べ物を共有する楽しさを知れなかった。

 人を殺す罪悪感も、破れない約束をすることも、命を懸けて戦うことも。

 誰かを愛することも」


 目の前で涙を流す少女に、伝えたい想いがこんなにもある。


「死神を人間にしてくれたのは、エリーゼなんです」


 こんなに言葉が溢れるのは初めてだ。溢れ続けて抑えられない。


「ずっと言えなかったことがあります。俺は──女性なのです」


 隠れていた蕾がようやく開いた。

 降り注ぐ陽光が、身体を縛り続けた鎖を溶かしてくれた。


 とても時間がかかってしまった。

 こうまで追い込まれないと言えないのかと、情けなく思う。


 エリーゼは頷く。声を抑えて、両手で顔を覆う。


「やはり、男性だったほうが良かったですよね。申し訳ありません」


「やめてよ……違うの。違う。私はただ、克服できたんだって思いたかっただけ。女性だったからって、ラトスのこと嫌いにならないから!」


「ありがとうございます。では、俺からも伝えたいことがあります」


 すべてを与えてくれた人。

 活発で、好奇心旺盛で、男性が苦手で、自由を誰よりも望む彼女を、俺は──



「俺も、エリーゼを愛しています」



 両手で抱き寄せる。

 彼女もまた抵抗することなくラトスの腕の中へと吸い込まれていった。


 こうしてエリーゼに触れる時、いつも生死の狭間を歩いていた。

 けれどこうして抱き締めた今だからこそ気づく。


 エリーゼはこんなにも華奢で、これ以上強く抱き締めれば崩れてなくなってしまいそうだ。


「ごめんなさい。本当の貴女を見て、あんな反応して……たくさん傷つけてしまって、ごめんなさい」


「言い出さなかった俺も悪かったのでもう謝らないでください。それより、エリーゼは今も俺を愛してくれますか」


「なに言ってるのよ……愛してる。愛してるに決まってるじゃない」


 エリーゼの腕がラトスの腰に回り、また声を上げて泣き始める。


 瞬間、ラトスの視界に影がちらつく。

 夢の中で出会う、かつてのラトスを形取った少女。


 完全に捉えることはできなかった。

 だがその表情は今まで見たどれよりも、穏やかなものだった気がする。

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