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死神に春が降る  作者: 永ノ月
終章 冬を越えて
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積雪

 十二月四日。

 ダリアで今冬最初の降雪が観測され、夜は肌を麻痺させるほどの寒さが襲う。


 はらはらと落ちゆく雪をラトスはぼうっと眺め、ルミカの工房に入ることもなく、ただ立ち尽くしていた。


 エリーゼとどう向き合うべきか、考えるたびに胸が痛んで擦り切れそうになる。

 何故もっと早く言えなかったのだろう。機会などいくらでもあったというのに。


『だから言ったじゃない』


 空っぽの頭に少女の声が響き、視界にぼんやりと現れる。

 在りし日のラトスは子どもらしからぬ悪意ある笑みを浮かべ、歩み寄ってくる。


『嘘つきがあの子の傍にいられるわけないもの。わたしを殺した死神様』


 ラトスは答えない。この明瞭な幻覚とは今も話す気分にはなれない。


『もう会うこともない人の命令にいつまでも縛られて、わたしを貴方と思えない弱い人』


「……黙れ」


『あの子なら救ってくれる、とか思っていたのでしょう。惨めね』


「うるさい!」


『わたしを捨てて、あの子に捨てられて、貴方はどこに行くのでしょうね』


「旦那、それ以上は止めた方が」


 ジェイコブの声が聞こえた途端、眠りから覚めたように視界が切り替わる。

 おぼろげな視界に映るのは、雪の混じった地面を殴りつけ、傷ついた自分の拳。

 やがてゆっくりと雪の冷たさが傷口を刺激し、静かに歯を軋ませる。


「まあその、お嬢もびっくりしただけだと思いますよ。別に嫌いになったわけじゃ」


「……わかっています」


 エリーゼは優しい。命を救ったという前置きがなくとも、死神の代行者という未知の人間にさえ対等に接してきてくれた。


 けれど今は、その優しさすらラトスには劇物になっている。


「どうあってもエリーゼは俺を認めてくれるのかもしれません。誰も俺を咎めない、だから俺自身が許さないことで、せめてもの罰になるのです」


 ──愛している。そうまで言わせた人が性別を偽っていた。俺は彼女を裏切ったんだ。


「きっとこれからもエリーゼの優しさに甘え続けてしまう。成長しているつもりだったのに……思い上がりだった。このままでは彼女の為にはならない。ならばいっそ」


 いなくなった方がいい。そう口に出そうとするが、喉に詰まって出てこない。

 重苦しい沈黙の中、ジェイコブはラトスの隣に座る。


「とりあえず手、出してくだせえ」


 唐突な要求に、ラトスは呆気にとられたまま手を差し出す。

 腰に巻いた鞄から手当の道具を広げ、手際よく応急処置を施す。包帯を巻かれた手を眺め、ラトスは間の抜けた声で言う。


「ありがとうございます。手際がいいですね」


「まあ、昔から怪我の絶えない環境で育ちましたんで。これくらいなんとも」


 座り込んだまま、ジェイコブは煙草に火をつける。

 ラトスは彼の横顔を一瞥する。いつもの気だるげな表情はそのまま、ただどんよりとした空を見上げている。


「ジェイコブは、俺を気味悪いとは思わないのですか」


「そりゃもちろん驚きはしましたよ。じゃあ旦那って呼び方も変えた方がいいですかい」


「いえ。そういうわけでは」


 飄々と、まるでなんでもないかのように返され、ラトスは意表を突かれた。


「ただ……俺はこの歪な生き方にずっと疑問を抱いていました。誰かに愛されるなんて、想像すらできない人生だったのです」


「だからお嬢に言えなかったと」


「彼女が求めているのは男性としての俺でしょう。さきほどの反応で確信しました。だからもう一度愛してるなんて、言われるわけがないのです」


「お嬢のこと好きなんすか」


 ジェイコブは至って真面目に、真っ直ぐにラトスの反応を窺っている。

 あまりに直接的な質問なだけに返答が難しい。


「前にも言いましたが、俺にはそういった気持ちがわかりません」


「じゃあ今考えてください。そうやって思考放棄していてもなにも生まれませんよ」


 言われて内臓が締まる感触がした。またこうして他人に指摘されて、自分を知っていく。

 いつもラトスという人間を理解しているのは自分ではない。自分を見てくれている人たちだ。


 言われてようやく思考を巡らせる。エリーゼの顔を思い浮かべ、言葉にする。


「ルミカに突きつけられた時、自分でも驚くほど納得しました。俺にはやりたいこともなりたい将来像もない。だから偶然拾った、夢のある少女に手を差し伸べることで自分の存在価値を作っていました。ですからもしエリーゼが不要だといえば、それでいいと思います」


「旦那はそれで割り切れるんすか。どう見たって未練たらたらですけども」


「それは」


 はい。と答えることはできなかった。

 想像するだけで呼吸が苦しくなった。

 もう認めざるを得ない。離れたくない、俺もまたエリーゼを愛していると。


 だが今もそう言ってくれるだろうか。


「為になるかはわかりませんが、つまらねえ昔話でもしましょうかね」


 吸い終わった煙草を押し消し、彼は淡々と語り始める。


「俺が生まれたのはカーローンのスラム街。クソみてえな奴らがクソみたいな生活してる場所でさぁ」


 ロスィカのさらに北にある信仰国家カーローン。

 人口も国土も北方連合国では最大。それ故に信仰する神の違いで度々争っており、王都の隣には広大なスラム街が存在する。いわば治安の悪い国だ。


「地獄みてえな毎日でした。盗まねえと飯も食えねえような子どもばかりで、幼い頃に両親を亡くした俺もその一人でした。明日より先のことなんて考えられねえ、生きる意味も見つけられねえ……それでも俺がこうして生きてんのは、妹がいたからでさぁ」


「最後の家族、ですか」


「生まれた瞬間からねじ曲がった根性の俺とは違って、まっすぐで賢い子どもでした。せめて妹だけはまともな生活をさせてやろうと商人崩れの仕事を始めました。汚ねえ仕事も随分やりましたよ」


 彼のここぞという時の肝の据わり様には目を見張るものがあった。

 それは幼少期から鍛えられてきた、生きることへの執着から来るのだろう。


「ようやくカーローンの学校に通える学費が貯まって一件落着……だったんですが、その時の俺は金を稼ぐことに夢中になっちまいましてね。どんどん手を染めていくうちにとんでもねえヘマをして……ぶち殺されたんすよ」


 一度死んだ。そこでようやくルミカとのつながりが見えてきた。


「連中は俺を死体にして姐さんに売った。するとあらびっくり生き返ったじゃねえですか。一度は失くした命、恩人に捧げるが道理でしょう。こうして俺は姐さんの犬っころになったとさ。めでたしめでたし」


「妹さんは今もカーローンにいるのですか」


「最後に来た手紙では、リスタルシアの商会で働くことになったと。羨ましいねえ、帝国様の商会とあらばさぞいいお仕事でしょう」


「ジェイコブは、それでいいのですか」


 卑屈に笑う彼を一瞥する。変わらず真剣な面持ちで見つめ返していると、やがて俯いてしまう。


「いいもなにも、今の俺にはこうするしかねえんですよ。だから……ああクソ、やっぱ一丁前に説教なんてできねえっすわ」


 ラトスが疑問を浮かべる。次の瞬間、勢いよく背中を強く叩かれる。

 またも意表を突かれよろめく。振り返った先では、再び煙草を咥えるジェイコブと視線がぶつかる。


「妹は俺にも学校に来るよう何度も誘ってきました。あの手を取っていれば、一緒に勉強していれば、しょうもない仕事からさっさと身を引いていれば……もっといい人生送れたんだろうな、とか考えるんすよ」


「今のジェイコブもよくやっていると思いますよ」


「それでもやらなかったっていう後悔は死んでも残る。どうせならやって後悔した方がいい。お嬢と少しでも話す気があるのなら、早く話した方がいいってことですよ」


 後悔。それは尾となっていつまでもついてくる。

 ゼタに勝てるほどの力があれば。

 エリーゼを悲しませないよう、気の利いた言葉をかけられれば。

 せめて、もっと早く彼女に真実を話す勇気があれば。


 幸いエリーゼもまた考えて行動する力を持っている。理性的な判断もできる人だ。

 今の俺が何を語ろうが嘘を吐いていた事実は変わらない。けれど向き合わなければ、この溝は埋まらない。


 やるしかない。俺から動かなければならない。


「ありがとうジェイコブ。また見直しました」


「へいへい。じゃあこれは貸しってことで」


 おどけてみせる彼はどこか照れ臭そうに手首を振り、さっさと行けと促す。

 去り際に一度振り返り、ラトスは言う。


「よろしければ一緒にリスタルシアに行きましょう。その時は妹さんを探すのを手伝います」


 返事はない。しかし確かに届いたと確信し、再び走り出した。


 目指すはエリーゼのいる場所。ラトスの目覚めた王都にあるモノクローム邸。

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