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死神に春が降る  作者: 永ノ月
5章 護られたもの
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恩返し

 ラトスは動揺していた。

 自分ですら気づかなかった思いを見透かされ、どう切り返すか選べない。

 今感じているこの焦りも薄桃色の瞳には見えているのだろうか。意識せずにはいられない。


「……しかし、それでは助手になるという経緯がわかりません」


「ああ。それならもっと簡単なことだよ」


 胸ポケットから取り出されたのは一枚の紙。そこに何の変哲もない数字が書かれている。

 ただ、あまりにも大きすぎる数字である。


「疑似蘇生の技術が何故普及しないのか。理由は人手不足のほかにもうひとつある。

 これを成功させるためには丸一日以上魔術を発現させ続ける必要があってね。文字通り命懸けで行使しなければならない。

 だからこそ、その数字が腕一本分の治療費に該当するんだ。もちろん全額払えるのなら話は別だが」


「これをすぐに払えるのは、ロスィカの貴族でも一部になるでしょうね」


 必要な対価だと覚悟したつもりだった。

 だが今になってようやく、自身が重い枷を付けてしまったのだと気づく。


「アタシの助手として働いてくれれば、特別に割引しよう。いくら分割してくれても構わないさ」


「……ジェイコブがやけに貴女に協力的なのは、まさか彼も」


「人聞きの悪い。アタシは技術を提供し、彼もまたそれを望んで代償を支払っている。決してアタシが一方的に貶めているわけじゃない、とだけ言っておこう」


 これは交渉ではない。ラトスかエリーゼか、どちらを差し出すかと天秤にかけられている。


「もちろん、君の治療費だけなら半日働くだけで足りるよ。自分の治療費は自分で払わせる。そうすれば、君は自由の身になれる」


 そんな選択をするわけがない。ルミカもそれをわかって問うている。


 彼女の手が伸び、花の形をした首飾りに触れる。


「君の大切なものを想像するんだ。一度落とせば崩れてしまう、儚く尊い宝物……それを護るために必要な行動はどれかよく考えてみたまえ」


 もう他に切れる手札はない。いつの間にか退路はなくなっていた。

 ロスィカからの脱出を成功させ、一時的に追っ手から逃れた今ならより冷静な選択ができる。


 ジェイコブにもルミカにも頼らず、二人だけで逃げる方法もあったのではないか。

 ほとぼりが冷めるまで北へ逃げて隠れ潜むこともできた。


 己の選択に生まれるのは後悔ばかり。


「俺、は──」


 他でもないエリーゼのためならば、どんな仕事でもしてみせる。


 だからどうか……離れ離れになるのは、嫌だ。


「そのへんにしといてくださいよ。姐さん」


 今にも息を忘れそうな世界に、聞き慣れた男の声が響く。


 煙の匂いを纏ってルミカの家から出てきたジェイコブの右手は、腰に携えた銃にかけられている。


「何故君がここにいる。ジェイ」


 途端に眉間にしわを寄せるルミカ。

 ジェイコブは余裕そうに、咥えていた煙草に火をつける。


「用が早く済んだんでね。旦那たちが帰ってくるだろうなと思って、ここで待たせてもらってました」


「方便は結構。何故ここにいるかと聞いている」


「俺ぁ姐さんの味方でさぁ。だが同時に旦那の味方でもある、ってとこですかね」


 銃を抜き、迷わずルミカに向ける。


「流石にやりすぎだと思いますよ。なにも無理やり二人を引き剥がすような真似をしなくてもいいんじゃないですかい」


「死神の君の依存具合はジェイも理解しているだろう? アタシはその手助けをしてあげようというだけさ。お金も返せて一石二鳥。むしろアタシが損をしているくらいだ」


「違うね。姐さんはたとえ商人崩れの貧民にだって対等な条件を提示する。なのにこれは、旦那にはちっとも利点がねえ」


 いったいどこから話を聞いていたのか。はたまたラトスに相当余裕がなかったのか。


 彼もまたこの件に首を突っ込む道理などないというのに、不利なこちらを味方してくれている。

 ここまで義理堅い男だったのかと驚かされる一方であった。


「まさか、アタシが死神の君を嫌って貶めようとしているとでも?」


「その逆でさぁ。姐さん、あんた旦那に嫉妬してるんじゃねえですかい」


 ジェイコブから放たれた意外な言葉は、ルミカの神経を逆撫でするには十分すぎるものだった。


 ──瞬間、人型のなにかが気配もなく現れる。

 ジェイコブの背後を捕らえ、地面に押さえつけのしかかる。


 決死の抵抗でルミカ目がけて発砲。

 しかしここにも同じく影が生まれ、銃弾を防いでみせた。


「ジェイ。いつの間にアタシに説教垂れ流すほど偉くなったんだね。誰のおかげでお日様の下で生きられるのか、忘れてしまったのかな」


「ちっ……わりい旦那。これ以上は力になれません」


 次は自分にも来る。すぐにルミカから距離を取るが、その正体は地面の下にいた。


 続々と這い出てくるそれらは確かに人の形をしているが、様子は明らかに異質。


 青白い肌に虚ろな瞳。言語にならない呻き声を上げている。中には首から上がない個体もいる。


「魔術が何たるかを知らないロスィカ人に一つ忠告しよう。もし魔術師と事を構えることがあったなら、決してそれの本拠地で戦ってはいけないよ。彼らは往々にして家や工房を改造し、絶対的な防御機構としているからね」


 これらはもう死んでいる。ラトスの提供していた死体を魔術で加工した人形のようなものなのだろう。


 数は優に十体を越え、今もなお地面から這い出てきている。


「さあ君たち、殺してくれた死神様に恩返しをしておいで」

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