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死神に春が降る  作者: 永ノ月
4章 喰い喰われ
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逃亡の果てに

 殺意は形になることなくはっきりと捉えることはできない。故にそれを感じられる情報は視覚に依存していることが多い。

 表情か。動きか。あるいは話し方か。


 しかし今、ゼタから溢れ出しているかのように錯覚するそれはどす黒く、おおよそ普通の人間を逸脱した雰囲気を放っていた。


 殺される。そう直感したラトスは不意打ち気味に一撃を放つ。

 音もなく切り込んだはずだった。しかし紙一重でゆらりと揺れたゼタに届かず弾かれる。


「いつだ。いつの間にそんなに弱くなった! 人間みてえな殺意なんぞ向けやがって!」


 急速に沸騰するゼタの激情。相乗して彼の剣撃は速度を増し、気づけば防戦一方にされていた。


「あの時のオマエには殺意なんてなかった。処刑台の上でもだ」


 さばききれない。剣を追うことに神経を割かれた一瞬で、ゼタの膝が鳩尾に突き刺さる。


「殺し合いにおいてもっとも強い奴は、もっとも感情を殺せる奴だ。中でも人を殺す罪悪感なんざもっとも邪魔だ。オマエにはそれが一切なかった」


 息ができない。逆流した胃液を吐き出す。


「オマエに勝つことがオレのすべてだったんだ。だがどうだ、殺意も怒りも丸出しじゃねえかよぉ!」


 ラトスの脳裏に過ぎるのは十二年前のゼタの姿。あの頃から彼は少しも変わっていない。

 執着し、つきまとい、どれだけ無視しても離れない。


「今のオマエは、まるで人間だ」


 強く睨み返す。


「…………そうだ。俺はもう死神ではない。ひとりの人間なんだ」


「ふざけんのも大概にしやがれ!」


 また一段階速くなる。いよいよ隙という隙が見当たらない。

 怒りに満ちた粗雑な動きなのに、目視はできるのに、ただ反応が追いつかない。


「俺は人間として生きる。すべてのしがらみを捨てて自由を得るんだ!」


「自由だ? そんな贅沢品、オマエには似合わねえよ!」


 太腿に剣が突き刺さる。痛みを感じるよりも早く反撃を狙うがほんの僅かに躱される。


「オマエだけなんだよ、ラトス……オマエだけがオレを理解できるんだ」


 どういう意味だ。そう問い返そうとした刹那、突如として周囲の音が耳に入る。


「や、やめて。離して!」


 少女の声だった。すぐさま振り返ると、エリーゼはひとり忍び寄っていた本軍に手を掴まれていた。


 頭が真っ白になる。いつの間に接近を許した。とにかく先に彼女を──

 エリーゼを捕らえようとしていた男の首に、瞬く間もなく銀色の剣が突き刺さる。


 投擲された位置はラトスのすぐ隣。

 激昂するゼタは瀕死の男から剣を抜き、もう一度突き刺す。


「邪魔すんなっつっただろうが! この愚図が!」


 何度も、何度も突き刺す様を、その場の皆が見ていた。

 しかし誰一人として声を発さなかった。


「オレはずっとずっと待ってた最高に楽しい決闘をしてたんだぞ。こんなに心躍る殺し合いは初めてだよ。でもオマエが邪魔したんだ。ただ死ぬんじゃ足りねえよなぁ⁉」


 これはただの怒りではない。ただの殺意では説明できない。

 悪魔にでも触れられたのだろうか。彼の放つそれは狂気に等しい。


 目の前で惨殺する様子を見せられたエリーゼは声もなく、尻餅をついたままじりじりと後ずさる。

 駆け寄ろうにも、間には血に濡れた怪物が立ち塞がる。


「その腐った根性を理解しろというのか。俺にできるとでも」


 沈黙を破ったのはラトス。対するゼタは不敵な笑顔に戻っていた。


「できるさ。オマエにだってあるだろ。死をなんとも思わねえ心が」


「無為に人の命は奪わないと約束した」


「じゃあオレは殺してもいいのかよ」


 ──貴方がわたしを殺したんでしょう。


「もうオマエは逃げられねえのさ。多くの人を殺してきた。それが許されんのは死神を全うしていた時のオマエだけだ……運命って奴からは逃げられねえのさ。オレもオマエもな」


 言葉が詰まる。なにか言い返さんと口は開くのに、音がついてこない。

 俺は今まで、どれだけ人を殺してきたんだ?


「俺は……俺はああああああああああああああ!」


 身体が勝手に動いた。黒鉄の剣を振るい、ゼタに襲い掛かる。


「オマエは死神だ」


「違う!」


 剣が肩を掠める。


「そういう運命なんだよ」


「違う、違う!」


 脇腹に刺さる。痛みはあるがまだ動ける。


「ラトス。オマエは人間にはなれねえ。自由なんてもってのほかだ」


 手が痺れる。

 気がつけば剣は手を離れ、鈍い音を立てて地面に転がる。


 死が迫る音がした。

 空気を切り裂き、脳天めがけてゼタの剣が振り下ろされようとしていた。


「オマエが自由に捕らわれてるなら、オレがその命ごと断ち切ってやるよ」


 これが死の感覚。

 幾度となく与えてきた、初めて肌で感じた。

 俺は、死ぬのか。





























 ────腕が、飛んでいた。















 宙に浮かぶはずのないものだ。何故飛び、地面に落ちたのだろう。


 誰のものだ。俺ではない。まだ感覚はある。


 では、あれは誰のだ?



「エリーゼ?」



 気がつけば地面に倒れていた。ラトスが立っていたはずのゼタの正面、そこにはエリーゼがいた。

 振り下ろされる一瞬、彼女が突き飛ばした。だからあの腕は。


「エリーゼ!」


 駆け寄る。理解が追いつかないのか、目を見開いたままラトスの胸に顔を埋める。


「ラトス……腕が、腕が熱いの」


 どくどくと流れる鮮血が映る。止まる気配はない。


「エリーゼ。落ち着いてください。大丈夫です、すぐに止血を」


 背広を脱ぎ、なくなった右腕の部分を必死に抑える。

 手順はひどくぎこちない。命を繋ぎ止める方法を、かつての死神は知らない。


「ねえ、ラトス。私……は」


「死にません。死なせません! 絶対に!」


 もうすぐで自由になれるんだ。あんなにも焦がれていた外の世界はもう目の前なのに。


 沈黙を貫いていたゼタが呟く。


「……なんだよそのツラは。人間みてえなツラすんじゃねえよ」


「黙れ!」


 決死に叫ぶ。近づくな、触れるなと全身で伝える。

 歯が互いを削り合う。血管という血管が破裂しそうだ。

 ゼタは今まで見たこともない、不快感を隠さない面持ちのまま横切っていく。


 ラトスたちをその場に置き、ロスィカの方角へと戻っていく。


「帰るぞ。もうどうでもいい」


「ゼタ様。せめて王女殿下の身柄を」


「命令だ。それに……どうせもう死ぬだろ」


 躊躇いながらも本軍たちも後退していき、鬱蒼とした森の中、ラトスとエリーゼだけが残される。


 呼吸が浅くなっていくエリーゼを抱きかかえ、ダリアの方角へと歩を進める。


 全身が痛い。ラトスも多くの傷を作り、血を流している。

 それでも、エリーゼに比べれば。


「ダメだエリーゼ。死なないでくれ」


 足が重い。視界が、ただでさえ暗い道がさらに深まっていく。

 エリーゼからの返事はない。


「誰か、誰か助けてくれ。エリーゼが……人が死にそうなんだ。お願いだ。誰か──」


 声は木々に吸われて響かない。真っ暗で不気味な道半ばで、ラトスは膝をつく。


 不甲斐ない。情けない。自分が憎い。

 もっと力があれば。もっと安全に彼女を送ることができたら。


 俺のせいで。俺の運命が、エリーゼを奪ってしまった。


『悔しい』


 …………















 遠のく意識の中で、一筋の光を見る。

 柔く弱い光は徐々にこちらへ近づいてくる。だんだんと声も聴こえてきた。


「……っ! ……な。旦那!」


 この声は、誰だったか。

 記憶が、頭が上手く回らない。声が出ない。

 この人は、誰だ。


「安心したまえ。君も王女様も助かる。アタシがなんとかしてみせよう。だから今は少しおやすみ」


 そうか。それなら、よかった…………

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