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死神に春が降る  作者: 永ノ月
3章 風の行方は誰も知らない
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脱出

 エヴァート歴一一五五年。十二月一日。

 エリーゼ・フィル・ロスィカの処刑放棄から二日。ついにロスィカ脱出計画が実行されようとしていた。


 作戦は至極単純。商人であるジェイコブの馬車に乗り込み『死体』として国境を通過する。


 通る場所も決めてある。多くの旅行客や旅人が使う大きな国境施設ではなく、一部の商人とダリア人しか使わないいわば裏道。


 大衆に紛れれば、とは思ったがあちらは検問が厳しいとのことで断念した。

 死体の運搬が完全に合法かといわれればそうでもない。故にジェイコブは国境を管理する顔馴染みの衛兵に小遣いを握らせることで解決していたとか。


 そして運がこちらに傾いてきたのか、今日その男が当番だという情報を手に入れたらしい。


「つまるところ、いつも通りなら難なく成功。情勢を考慮して念入りに荷物を調べられたら終わり。その場合、俺は脅されたとして王女殿下の名の下に無罪放免となる。条件はこれで相違ないですね」


 ラトスは頷く。改めて言葉にされると、つくづく分の悪い賭けであると思い知らされる。

 ただ他に選択肢はない。改めて腹を括り、運命に見放されないことを信じるばかりだ。


「大丈夫。信じてさえいれば、運命は必ず味方してくれるわ」


 隣に立つエリーゼはすでに成功したような自信の面持ちをしている。

 こと信じるという面で誰よりも純粋な彼女がいるのだ。祈りは足りているに違いない。 


 ジェイコブの店裏にはちょうど馬車一台が入る空間があり、そこで荷物の出入を行うらしい。

 当然人目に晒せないような商品もあるため、こうして薄暗い中で作業をすることになる。

 最初に手渡されたのは、言い得ない異臭のする麻袋。


「それを被って荷台に転がっててくだせえ。くれぐれも動いたり喋ったりしないで、できれば呼吸も最小限にしていただけると」


 てきぱきと準備を進めるジェイコブ。彼が勝算ありと踏んでいるのなら、これ以上疑う必要もない。

 一方のエリーゼはというと。


「臭い……」


「普段それに入れて運んでるんですから。我慢してくだせえ」


 乾いた血の匂いと腐乱臭。こればかりは本能的に避けたくなる。


「なにもずっと被っている必要はないのですから。国境の前後だけで大丈夫です」


「せめて新しいのとかないの?」


「またわがままですか?」


「うっ……ラトスのいじわる!」


 ようやく麻袋を受け取り、渋い顔のまま睨んでくるので目を逸らしてみせる。

 ラトスたちが荷台に乗り込んだところで、運転席のジェイコブの籠った声だけが聞こえる。


「じゃあ行きましょう。楽しい楽しい逃亡劇の時間です」


 ゆっくりと馬車が動き出す。

 ラトスたちは倒れ込んで横になり、僅かな隙間から差し込む茜色の光を見つめる。


 本当にこれでロスィカとはお別れ。もう二度と戻ることはない。

 外の世界はどのように広がっているのだろう。ロスィカ人だと言ったらどんな反応をされるのだろう。


 氷のない海もあるらしい。

 果てのない草原も、見るだけで嫌気が差すような山も。


 すべてはこれから。何十年と生きる時間内の、この刹那に始まる。


 不安だ、とラトスは思う。こればかりは性分だ。

 最悪の場合、本軍の人間といえど本気で相手をすればいくらか時間は稼げる。

 その隙に逃げてもらえば、彼女だけでも──


「絶対、大丈夫だから」


 隣に寝転ぶエリーゼは、笑顔でそう言ってくれた。

 ああ、この笑顔に何度助けられただろう。あと何回救われるのだろう。


 護らなければ。

なんとしてもエリーゼを外の世界に連れていく。自由を与える。

 もっと信じなければ。もっと祈らなければ願いは叶わない。


 運転席からジェイコブの合図が見え、二人は麻袋を被ってぴたりと動きを止める。

 自分はものいわぬ死体。そう言い聞かせ、外の会話に意識を向ける。


 すべてを聞き取ることはできないが、少なくとも声は明るい。切迫した気配も感じない。

 だんだんと声が近づいてくる。


「しっかしまあ、死体ってのはそんなに儲かるのか?」


「特に姐さんは金払いがいいんすよ。次帰ってきたら港で一番いいレストランでご馳走しますよ」


「そりゃいい。でよ、別にジェイを疑う気はねえんだが……いろいろあって上がうるさくてよ。一応中身を確認させてもらうぜ」


「ビビらないでくだせえよ。まだ死にたてだから生きてたりして」


 足下から荷台の開く音がした。ゴツゴツと床を叩く音と振動が伝わり、一層緊張が走る。


「死体がふたつっと。いいねえ君らは。もう転がってるだけでいいんだからさっ」


 瞬間、ラトスの腹部に鈍痛が襲う。しかし声は決して漏らさない。


「誇りある本軍だなんてもてはやされるのに、ちっとも昇進できねえし給料だって上がらねえ。でもいまさら一般企業になんていけねえよ。いっそお前らみたいに死ねれば楽なのにな」


 意図してなのかただの憂さ晴らしなのか、何度も踏みつけてくる足は力を増していく。


「あんま乱暴にしないでくだせえ。なるべく綺麗な状態でって話ですから」


 ラトスは焦る。もしも今のような暴力がエリーゼに向いた場合、耐えきることができるだろうか。

 俺のことはどれだけ踏みつけようが切り刻もうが構わない。だがエリーゼにだけは手を出さないでくれ。

 

──足音は遠ざかったかと思えば、隣に移っている。


「んん、今この袋動かなかったか?」


 やめろ。やめてくれ。どうかこれ以上詮索しないでくれ。


「なあジェイ。こいつは」


 やるしかないのか。声はこの一人しか聞こえない。こいつを素早く殺してすぐに馬車を出せば間に合うかもしれない。


「旦那、こりゃ無理ですわ」


「承知しました」


 胸ポケットに指をかける。すばやく立ち上がって麻袋を投げつける。


「な、なんだ⁉ 死体が」


 動揺する暇すら与えない。視界を奪った男を蹴り飛ばして馬車の外へと落とす。

 周囲を確認する。後方にはすでに複数の衛兵が向かってきている。


「早く出してください!」


「いわれるまでもねえですよ!」


 急発進に慣性が働き体幹がぶれる──追いつかれそうだ。全速力で向かってくるのは二人。

 ひとりは荷台の端を掴みしがみつこうとする。すぐに首元の頸動脈を──


「ラトス!」


 エリーゼの声にはっとし手を止める。まだ殺す必要はなく、相手の手の甲に深く突き刺し引き剝がすに至った。


 しかし一瞬の迷いにより、もう一人が馬車に乗り込んでくる。


「お前らが死神と王女か。ここでぶっ殺してやる!」


 大柄な男は力任せに剣を振るう。この程度ならナイフでも受け流せるが、足場が悪いばかりに弾ききれない。

 力勝負では絶対に敵わない。だがここで時間を使うわけには……


「伏せろ!」


 背後から聞こえた声にすぐさま反応し身を屈める。

ズドンッと重い銃声が響いたかと思えば、立ちはだかっていた男は声もなくのけぞり、荷台の外へと転がり落ちていった。


「助かりました。ジェイコブ」


「いいからちゃんと捕まっててくだせえ。すぐ追手が来ますよ」


 馬車の速度はさらに上がる。起伏の激しい道に揺られながら荷台に張りついて離れない。

 エリーゼも同じく張りついて、不安そうにこちらを見つめている。


「大丈夫です。必ず逃げ切れます」


 外の景色が山道から林の中へと変わってきた頃、ようやく速度が緩やかになり運転席のジェイコブが呑気な声で呼びかけた。


「この森に入れば正式なダリアの領地でさぁ。すぐには入ってこれないでしょう」


 逃げ切った……ということでいいのだろうか。代わりに隣の少女を見やる。

 荷台の隙間をぼんやりと眺める彼女の横顔に問いかける。


「エリーゼ様、なにもされませんでしたか。蹴られたり、踏まれたりは」


「…………ねえ、ラトス」


 視線は外に向けたまま、エリーゼは呟く。


「本当に、ロスィカから出れたのかしら」


「本当ですよ」


「ほ、ほんとのほんとに?」


「はい。本当です」


「……ダリアもリスタルシアも、初めて行くわけじゃないのよ。なにも知らないお姫様なんかじゃないわ。それでも……今までのどんな出来事よりも、ずっと興奮してるの」


「そうですね。まだ自由というには早いかもしれませんが、もう死神でも第二王女でもないのは確かです」


 自然と彼女の頭がラトスの肩に寄りかかり、ぴったりと張りつく。


「ダリアはね、魔術国家というけれど想像するようななんでも魔術って国でもないのよ」


「そうなのですね。俺は魔術自体見たことがありませんから、とても楽しみです」


「それでね、ダリアの料理はロスィカに比べると美味しくないわ。隣の国なのに何故こうも違うのかしら」


「それにはいくつか通説があるそうです。ひとつは領土争いをしていた時代に──」


 他愛のない話をした。特に有益な中身があるわけでもなく、誰もが笑ってしまうようなよくできた話でもない。

 ただ彼女とこうして語らう時間が、身体にまとわりついていた緊張が少しずつ洗い流されていくようだった。


 ずっとこうしていたい。甘く痺れる頭でそう考える。


「ねえラトス。もう私は王女じゃないし、ラトスも死神じゃないでしょう。それならもう様を付けて呼ぶのはやめてほしいわ」


「そう、ですね……あまり慣れないのですが、努力してみます」


「ありがとう。えっと、それとね」


 エリーゼの手が触れる。指の間に指を絡ませ、ラトスの手を握る。

 彼女の顔はこの数日でずっと見てきた。いろいろな表情をする人なのだと知っている。


 けれど今みせている紅潮した頬と、なにか言いたげに口をまごつかせている様は妙に艶やかに感じる。

 いつもはっきりとした物言いをするだけに今の状態はエリーゼらしくない。

 意を決したように目を合わせ、上ずった声で言う。


「ラトス。あのね、もしこれから先ラトスにやりたいことが見つかっても……私の傍にいてくれるかしら」


「目下のやりたいことは、エリーゼの自由を共に追いかけることです」


「ええと、そうじゃなくて……わ、私ね。ラトスのことが」


 エリーゼが言いかける。視線を傾けようとした瞬間。

 ゆったりと進んでいた馬車が急に速度を落とし、勢いそのままラトスたちは荷台の中で流される。

 何事かと運転席に顔を出す。


「どうしたジェイコブ」


「……ちょっとこれ、やばくないっすかね」


 ジェイコブが見据える視線の先、舗装された道路を横断して並ぶ人間がいる。

 えんじ色の軍服を身に纏い、一糸乱れる動きで道を塞ぐのは、紛れもなくロスィカ本軍。


 ここに来て大本命の登場。思わず表情が歪む。

 しかし、この程度の人数であれば──そう、思ったのに。


「まずはおめでとうと言わせてもらおう。流石だぜ、お前ならこの道から逃げるだろうなと思ったんだ。ホントよくできた死神様だ」


 颯爽と現れた男はすでに抜刀した剣をこちらに向け、機嫌良さそうに語っている。

 その姿。その目。その声はラトスのよく見知った人だった。


 互いが互いを捉え、ようやく男が笑う。


「会いたかったぜ。親友」


「ゼタ……何故ここに」

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