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死神に春が降る  作者: 永ノ月
3章 風の行方は誰も知らない
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わたしを殺した貴方

エリーゼに真実を伝えたかった。ただそれだけなのに、ラトスの中に潜む何かがそれを遮り、幻覚としてやってきた。


 使用人たちのいいように着飾られた人形のような少女。表情の色が薄いのは今とさほど変わらないが、彼女は言う。


『貴方は生まれ変わった。わたしを殺して、貴方になった』


「違う……殺してなんか」


『仕方ないよね。だってわたしを殺さなければ、あの物置小屋でとっくに野垂れ死んでいたもの。生きるためにわたしを殺した。弱いわたしを切り捨てて貴方は死神になった。それとなにが違うというの?』


「やめろ。俺は!」


『わたし、じゃないのね』


 背筋に悪寒が走る。口元を抑え、迫り来る寒さに耐えようと身を縮める。

 いつから俺は、俺と言うようになった? すべてを諦めて死神になったのはいつだ。


 俺は、何を諦めた?


『もしもわたしが貴方なら』


 なおも少女はラトスから離れない。髪を掴んで引っ張られ、視線が交錯する。

 真っ赤な涙を流しながら、少女は囁く。


『一度殺したわたしを、どうやって救ってくれるの?』


──次に視界に映ったのは、不安そうに覗き込むエリーゼの瞳。そこでようやく我に返る。

 さきほどまでの寒さは一転、不自然な熱が内側から湧き上がり、ラトスの気道を狭くする。


 一瞬だったような、何時間も経ったようにも感じる。

 まだ脳が痺れている。不快な感覚を押しのけようと、ラトスは口を開く。


「エリーゼ様。すみません、少し意識が」


「やっぱり無理してるのよね。戻って寝た方が」


「本当に大丈夫です。一時的なもの、だと思いますので」


 強がってはみたものの、やはり頭痛もめまいも引く気配がない。


 想像したこともなかった。まさか女だと告げようとしただけでこんなにも全身が拒絶するなんて。


 変わろうと決意した。だが過去は決して変わらない。

 それどころか後ろ髪を掴み、変わることを許そうとしない。


 このまま嘘を吐き続け、意図せぬ形でエリーゼが知ってしまったらどう思われるのだろう。


 今の関係のままでいられるだろうか。


 すると俯き丸めていた背中に手が添えられる。

 ゆっくりと上下に撫でるその手はあまりにも温かくて、優しかった。


「ラトスにとっての思い出は、私が想像しているよりもずっと過酷で凄惨なものなのよね。それを安易に教えてなんていうべきじゃなかったわ」


「いえ。そんなことはなく」


 ただ、言うに難しいことがあっただけで。隠すほどの話でもないのに。


「本当に、ごめんなさい……」


 声は震えている。すぐさま顔を上げると、黄玉のような瞳からは大粒の涙がぽろぽろと零れている。


それでもなお背中を擦るのを止めない。これではどちらが慰めているのか判別がつかない。


 一瞬の出来事に思考が追いつかず、慌ててエリーゼの涙を拭う。


「謝る必要はありません。ただ、俺にはあまりいい思い出がないのです。これまでは家の命令しか聞いてきませんでしたから」


「でも、でも……」


「それにすべてが無益だった訳ではありません。こうしてエリーゼ様を護れるほど強くなれたのは、今までの積み重ねのおかげですから」


 だからもう泣かないでほしい。形はどうあれ、泣かせてしまったという罪悪感で喉が締まる。


 エリーゼが泣き止むのにしばらくかかった。

目は充血して赤く腫れており鼻声になってしまった。


 ようやく落ち着いた彼女は、なおも震えた小さな声で言う。


「じゃあ、これからはもっとラトスと楽しいことをする。面白くて笑っちゃうような思い出をいっぱい作る」


 これから……ロスィカから出られるかはジェイコブたちにかかっている。

確実というわけでもないのに、エリーゼは成功することを信じて疑わない。


「世界は広いもの。これからもっとたくさんの知らないこと、見たことない景色を見たい。それで嫌なことなんて忘れちゃうくらい、一緒に歩きましょう」


 もう何度も差し伸べられた手をラトスは躊躇いなく取る。


 この手の中にいれば漠然とした不安でさえ波にさらわれる砂のように溶けて消えてしまうかのようだ。


 理由などない。けれど大丈夫なのだろうと楽観視できる。


 この感情の名前はきっと『安心』というのだろう。


「はい。エリーゼ様がどこへ行こうとも、俺もついていきたい……そう思います」


 拙くも思いを口にするラトス。

それが嬉しかったのか、エリーゼは強引に手を引いて走りだす。


「エリーゼ様、どこに」


「さっきいいものを見つけたの。これで本当に最後の思い出を作りましょ」


 勢いのまま連れてこられたのは、銅像広間からはやや離れた港との中継地点。そこにぽつんと構えた出店だった。


 立てかけた板にぶら下がったものや、申し訳程度の絨毯の上に並んでいるのは大小さまざまな装飾品。


 腕につけるだろう金物。指輪にネックレス、色も材質もさまざまだが、どれも陽光を受けてキラキラと輝いて見えた。


「ラトスの好きなものを選んで。上着のお礼も兼ねて私が買ってあげるわ」


「そう言われましても。それにお金は二人共有のものなのですが」


「いいから。目に留まったもので構わないから!」


 催促されるままに、不規則に並ぶ金物たちを眺める。

 形も色もさまざまで、どれがいいかなんて選べない。


 路銀は無駄にできない。かといって不要だといえばエリーゼがへそを曲げてしまうかもしれない……せめて手頃な値段のものを選ぼうか。


 値段に目がいく中、ひとひらの花に目が止まる。


 半透明な水晶らしい材質の首飾りには当然目などない。

しかし繊細に加工された花模様を見た瞬間、目が合ったように錯覚した。


 ラトスの様子を見て、店主らしき男は嬉しそうに顎を擦る。


「そちらの商品に目をつけるとはお目が高い。これはロスィカを訪れた旅の職人さんが気まぐれで作っていったものでね。練習で作っただけだから適当に売れ、って置いていったのさ」


「そう、なんですね」


 こんな緻密で細やかなものを適当に売れ、とは随分風変わりな職人だったのだろう。


 そういえば俺は……あの女の子は花が好きだったんだ。

 もっとたくさんの花を見たかった。育てたかった。


 今の俺にも、そんな気持ちが些事でも残っているのだろうか。

 じっと見つめていたのがエリーゼに気づかれ、すぐさま手に取る。


「決まりね。ほらかがんで」


 いわれるままエリーゼの高さまで膝を折ると、するりと手を回される。

 首筋に金具が触れ、胸元には鈍く光る花がぶら下がっていた。


「とっても素敵よ」


「ありがとうございます。エリーゼ様」


 大切にしなければならない。これはエリーゼ様からもらったもので、ロスィカの思い出で。


 俺が見つけた、俺の好きなものだ。


「あー、よさげなところ申し訳ねえんですが」


 突如として二人の空間に投げ込まれた低い声に咄嗟に振り返る。


 バツが悪そうに頭を搔くジェイコブは、元いた商業区の方に指を差して言う。


「一応馬車の用意ができましたんで、そろそろ準備をと思ったんですが……邪魔でしたかい」


「いえ。俺たちはただ待っていただけですので。そうですよね、エリーゼ様」


「えっ。そ、そうね……」


 目を逸らしどこか上ずった声で答えるエリーゼに疑問を抱きつつ、やはり時間が来ると心身が引き締まる。


 ようやくだ。ようやく始まる。


 先の不安もある。だがまずはこの一歩を踏み出さなければ道はないのだ。

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