思い出
ラトスは必死に言葉を探していた。
今まで見たこともないほどふてくされた表情を隠さないエリーゼに、なんといって機嫌を直せばいいか。
ローフラッドでの一件はラトスに非があり、謝罪の言葉を並べる余地があった。
だからこそ、誰も悪くないこの事件は解決に困るものだった。
「エリーゼ様。過ぎてしまったことは仕方ないのです」
「……でも、ロスィカで最後の食事だったのよ」
銅像前のベンチに座り込む彼女はいよいよ我慢ができなくなったのか、立ち上がって大きな声で叫ぶ。
「なにが気に食わないなら食うな、よ! 仮にもレストランを名乗るのなら、料理人としての矜持はないのかしら!」
商業区に構えた外装の立派なレストランに入ったはいいものの。
質の低い料理を出された上、誠意のない料理人の対応にエリーゼは大層腹を立ててしまった……というのが事の発端である。
今まで民に向けて明確な怒りを向けたことはなかった。
というのも、彼女には生活を営んでいる一生懸命な彼らに尊敬の念があったからこそ。
皆が皆真面目に働いているわけではない。それを最悪の形で体験することになってしまった。
あまり目立つことはしてほしくないが、こればかりはラトスも止めようがない。
「きっと記憶に残ることでしょう」
「そうよ! きっとこれから先何度も思い出すわ。あの料理とも呼べない、とてもお金を取ってはいけない食べ物を出されたことをね……大切な、思い出にしたかったのに」
「思い出、ですか」
使い慣れない言葉を繰り返す。意味を知っていても、ラトスにとってあまりいいものではない。
彼女がそうまでして欲するのは何故か。純粋な疑問が浮かぶ。
不思議そうにしているラトスを眺め、なおも口を尖らせている。
「たとえば何年か先にトナカイの肉を食べた時……海を見てもそうかも。
同時に思い出すのは今日のこと。ラトスととても不味い料理を食べたって記憶はきっと消えないわ。
どれだけ時間が過ぎても、ロスィカで過ごしたこの瞬間のことを思い出すのよ」
エリーゼにとっては十五年。ラトスにとっては二十二年。ロスィカで過ごした思い出がある。
過ごした場所も立場も違うけれど、その最後を飾るのが不味い料理だということが彼女にとっては許せないらしい。
しかし、とラトスは零す。
「俺にとってはあまり悪い思い出ではないですね」
「どうして? もしかして、ラトスはあれを不味いと思わなかったの?」
「そうではなく……俺にはあまりいい思い出がありませんので。せめてエリーゼ様の思い出の中にいられるのなら幸いだと思いまして」
至って真面目に、自分で自分の胸の内を確かめるように呟く。
するとようやくエリーゼが笑顔をみせるが、そこには嘲りも含まれていた。
さすがのラトスでもその反応には不服だった。
「なにかおかしなことでも言ったでしょうか」
「ご、ごめんなさい。ラトスってやっぱり不思議だけど面白いわね。もっと喋った方がいいわ」
面白い。俺は面白いことを言ったのか?
発言を振り返っても、どこが面白いのかさっぱりわからない。
ひとしきり笑ったエリーゼは目尻を拭い、ラトスを隣に座らせる。
「最初はもっとずっと大人びて見えたけれど、だんだん子どもっぽく見えてきたのは……そうね。言葉に裏表がないからかしら」
嘘がない、とは言い切れない。
未だ話せていなこともあるわけで……ラトスは続きを促す。
「今まで私の周りにいたのは、己の膨大な欲望を抑え込んで耳障りのいい建前を並べる人ばかりだったから。だから話しやすいのかもしれないわね」
エリーゼに自覚はないのかもしれないが、ラトスもまた彼女に同じ印象を抱いていた。
やりたいこと。憧れていること。好きなこと。
ひとつまたひとつと彼女を知っていくたびに、人間としての魅力は増していく。
そこに嘘偽りがないからこそ、エリーゼは強く美しく映る。
「実は、ね。小さい頃の私はもっとわがままで、平気で人を踏みにじるようなひどい人だったの。私に好意を寄せていた人すら蔑ろにしていたくらいだもの」
脳裏に浮かぶのは昨日殺めた男の末路。
いつの間にかエリーゼの表情は笑顔を残しつつも、どこか思い詰めたような色になっていた。
ぎゅっと拳を握り、ラトスに向けて言う。
「城外に飛び出した一件から己を律し、王族としてあるべき姿になるよう尽力したわ。
それでも私の本質はずっとわがままなんだろうなって。
これからもそんな一面が出てしまうかも。ラトスはわがままな私でも、嫌いにならないでいてくれる?」
瞳は揺れ、呼吸も僅かに荒い。
エリーゼにとって一世一代の、意を決した宣言だったのだろう。
しかしラトスは、自分たちに大きな解釈の違いがあると気づいてしまう。
「申し上げにくいのですが、エリーゼ様は元よりわがままとして有名でしたよ」
「……そうなの?」
「はい。初めて言葉を交わした時、噂で聞くよりも大人しくて驚きました。それに出会ってから今までかなりわがままをいっています。まさか自覚がなかったのですか?」
途端に彼女の頬は紅潮し、露骨に顔を背けてしまう。
本当に自覚がなかったらしい。
「し、仕方ないじゃない。いろいろありすぎて必死だったの! ラトスにしか頼れなかったの!」
「別に責めているわけではないのですが」
なにか言い返そうと唸ってはいるがはっきりとは言葉にならないらしい。
こういう言動を垣間見た時、彼女がずっと年下なのだと実感する。
再びエリーゼが向き直る。
「じゃあラトスはどうだったの。小さい頃の思い出とかないの?」
自分の過去──ラトスは未だすべてをエリーゼに話したとはいえない。
嘘こそ吐いてはいない。しかしすべてを伝えたわけではない。
知った彼女は、いったいどんな反応をするだろうか。
エリーゼも話してくれた手前きちんと自分の話をすべきだと感じた。
どこから話せばいいだろう。何を話せばいいだろう。
きっと訓練のことを話しても面白くはない。
「幼少期はこのサンドマートに住んでいました。丘の上に別荘があって」
ならばもっと前、死神の代行者として王都に行く前は──
「エリーゼ様。俺は」
女性なのです。そう言い切るよりも先に、なにかが割り込んできた。
痛みがぶり返してきて、恐怖が肌を焼いて、脳が痺れる。
──言うな。みせるな。疑わせるな。
誰にも女性だと悟られるな。偽装するための嫁役と隠れの婿は見繕ってやる。だから安心して死神になれ。
お前は死神だ。女じゃない。
女じゃない。女じゃない。女じゃない。女じゃない。
「違う。俺は……」
『貴方がわたしを殺したんでしょう』
明滅する視界に現れたのは、在りし日のラトスの姿。
このサンドマートにいた頃の姿そのまま、影となって現れた。




