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死神に春が降る  作者: 永ノ月
3章 風の行方は誰も知らない
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覚悟

失意に沈もうとしていたラトスを引きずり上げるのはいつだってエリーゼだった。

熱のないジェイコブの視線に晒されながら、鈴の鳴るような声で彼女は語る。


「私たちはもう元の生活に戻ることはできません。もしも余計な事をしていなければ、ずっと平和で何不自由なく暮らせていたでしょう。ですが私はこれまでの行いに後悔はしていません」


「それで、これから不幸な目に遭うとしても?」


「たとえこの先が暗闇ばかりだったとしても、それは足を止める理由にはなりません。苦しくても辛くても進み続けなければ光は現れません。ここで立ち止まっていたらいずれ必ず殺されてしまいます」


──貴方を生かす光になる。それではいけませんか?

 今まさに、彼女は光になろうとしていた。暗闇を歩むラトスを導く眩い光に。


「私の人生は一度終わるはずでした。しかしそれを救ってくれたのは他でもないラトスなのです。ラトスが私に希望を託してくれたのなら、精一杯生きることが私の責務だと考えています──私からもお願いします。どうか私たちを助けてください」


瞳孔は揺れている。まだ手も震えている。

 けれど確かな覚悟を以て彼女は進み続ける。これこそ彼女の強さであり、人を動かす力となる。


「王女様のご意見もわかりました。ですがそちらも加味した上で、やはり俺には──」


『いいや。君に断る権利なんてないよ』


 どこからか声がした。

確かに人間の声なのにどこかに籠っているような、喉から出ているものとは違う不自然な音だった。


 鳴る方へ振り向く。申し訳程度に開いていた小窓から一羽の鴉がこちらを見ていた。

 器用に隙間を潜り、翼を広げたかと思えばジェイコブの頭の上に止まってみせる。


 間違いない。エリーゼを探す時に道案内してくれたそれと同じ個体だ。


「姐さん? そりゃどういう意味ですかい」


『そのままの意味だよ。初めまして王女様。死神の君は久しぶり、というべきかな』


 言い草でこの鴉の飼い主、正確には使役者が誰なのか、すぐに見当がついた。


「貴女はモノクローム嬢ですね」


『嬢はやめてくれ。今は当主になった身だ』


 やはりそうだった。

状況がわからずに唖然としているエリーゼにもわかるよう、説明する。


「これを操っている彼女はルミカ・モノクローム。ダリアの魔術師協会に属する魔術師です」


「魔術師……そんな人と知り合いだったの?」


「俺も直接会ったことはありません。あくまでジェイコブを経由した取引でしたから」


 声の主がオーメルン家の遺体を買い取っていた人物だとエリーゼも理解し、好奇と畏怖の混じった視線を送っている。


 事実、目の前にいるのは人語を扱えるはずもない鴉が歪な声で話している……よく観察すれば、小さな目は僅かに赤く発色している。

 翼や胴体には不自然に羽が抜けている部分があり、抉れた骨肉が痛々しく露わになっている。


 これがロスィカに未だ到来していない未知の技術──魔術であるとみせつけられる。


『さて、話はいろいろと聞かせていただいたよ。死神様と王女様、その志は大変結構。柄にもなく感動してしまったよ。だから君たちの国境越えに協力してあげよう』


 願ってもない提案は突然やってきた。

しかしそれはあまりに都合が良すぎる。ラトスの人を疑う心が反応する。


「無償、というわけではないでしょう」


『もちろん代価はいただくつもりだよ。ただ状況が状況だからね。成功した後でいいだろう』


「内容は聞かせていただきたい。後出しで不可能な要求をされても困ります。貴女の場合、腕を切って寄越せなどと言い兼ねないので」


『信用無いなぁ。ロスィカ人は皆頭が固いというが、君も例外ではないんだね』


 エリーゼを背後に回し、警戒の姿勢を見せる。

 しかし現状、彼女以外に助けてもらえる可能性は皆無。この怪しい糸を掴む選択肢しか残されていない。


 迷いを察したのか、エリーゼは鴉に向かって言う。


「ルミカ様、でよろしいでしょうか」


『どう呼んでいただいても構いません。他でもない王女殿下の命令であれば、私のような平民に異を唱える権利もないでしょう』


 ふざけているのか、はたまた本気で言っているのか。彼女の口調からは本音が読み取りにくい。

 エリーゼは深呼吸して息を整え、落ち着いた声音で答える。


「ラトスから経緯は聞きました。さきほどは助けていただき本当にありがとうございました。あの時は話してすらいなかったのに、私たちの意図を推察し手助けしてくれたのです。私には貴女を疑う理由などないと考えています」


 そうでなくともエリーゼは基本的になんでも信じるではないか。とは口に出さない。

 しかし他でもない彼女が是と判断したのだ。これ以上反論を唱えても無駄に終わるのは目に見えている。


「もしも協力していただけるのであれば報酬は惜しみません。どうかよろしくお願いします。ルミカ様」


『承りました。ほれジェイ、きっちりしっかり運びたまえよ』


「はぁ……そこまで言うなら自分でやってくれりゃいいのに」


『バカか君は! 私は日々の実験を怠るわけにはいかないのだよ。お前がやらずに誰がやるというのだ!』


 無慈悲に彼の頭をくちばしで突く。

どういう理由かは知らないが、ジェイコブも難儀な関係を作ってしまったのだと、少し同情する。


 だがこれで計画は前に進む。ロスィカ脱出という最初の難関を突破する方法が確立された。

 今はとにかく成功を祈る。それしかできない。


 ようやく観念したらしいジェイコブは頭に止まった鴉を振り払い、ラトスたちの方へと向き直す。


「さあ、やるなら日没とともに出国するのがいいでしょう。商人専用の裏門があるんでそっちを使いましょう。ちょうど俺のお友達が当番なので死体運搬ができますんで。それでいいですか?」


 ラトスたちに異論はなく、ただ静かに首肯する。

 するとジェイコブはもう一度横になってテーブルの影に隠れてしまう。


「じゃあ時間になったらまたここに来てくだせえ。俺はもうひと眠りさせていただきます」


 ホコリを被った時計を見ると、時間はまだ真昼。昨夜は寝ずに移動してきたせいか体内時計がずれている。


 だが不思議と眠くはない……やはり緊張しているのだろう。

 作戦は上手くいくだろうか。ジェイコブは裏切ったりしないだろうか。そもそも、ルミカという魔術師の思い通りになっていいのだろうか。


 どれだけ拭い落とそうと、不安は内側から湧いてくる。


「ラトス。大丈夫?」


 はっと目を見開くと、同じ不安を抱えているだろうエリーゼが心配そうに覗き込んでいた。


「顔色が悪いわ。あれから一睡もしてないんじゃない? 少しでも寝た方がいいんじゃないかしら」


 事実、ラトスは二日前の処刑の日を最後に、小屋では一晩中見張りを。昨晩は周囲をくまなく安全確認をしながら林の中を進んでいた。


 しかし本当に眠くはない。意識は覚醒したままで落ち着くことを忘れてしまったかのよう。


「平気です。今は……そうですね。どちらかといえば空腹の方が気になります」


 空腹は頭の回転を悪くする、と昔なにかの本に書かれていた気がする。

 返答に対してエリーゼは一瞬間の抜けた顔を見せ、やがて吹きだして笑う。


「なにかおかしなことを言いましたか」


「ううん。でもそうね、私もお腹が空いたわ。最後のロスィカ料理を楽しまないと。ジェイコブ様、どこかいいお店はありますか?」


 エリーゼが明るい声で問いかけるも、テーブルの下からは聞き取れないほど小さく低い声しか返ってこない。


 その様子にラトスたちは顔を見合わせ、また笑みを零すのだった。

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