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死神に春が降る  作者: 永ノ月
3章 風の行方は誰も知らない
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春が来たら

 息を切らしながら、元いた海岸区へ戻ってくる。


 約束の時間までまだある。それでも、いても立ってもいられなかった。


 彼女は何が欲しいだろうか。手荷物になるものはいらないだろう。

 装飾品か、髪飾りもいいだろうか。


 そういえば……あの格好で寒くないだろうか。サンドマートは氷海から吹く潮風によってよく冷え込む。


 適当に見繕った服を着ていただけだ。今頃海風に晒されて凍えているかもしれない。


 市場にあった限り一番上質なコートを買いつけ、すぐさま桟橋へと向かった。

 十時を告げる鐘が町中に響く。しかし探している少女姿は未だ見えない。


 約束を間違えた……それとも、すでに愛想を尽かされたか。

 いや、考えるべきはより最悪の可能性。


 あの姿でバレるだろうか。いや、本軍の優れた人間であれば変装を見抜けるかもしれない。


「……エリーゼ様。どこに」


 ぽつりと呟いた独り言に返事をするように、一羽の鴉が鳴く。


 振り返るとそれはじっとこちらを見ていた。


 嫌な視線だ。じっくりとこちらを見つめ値踏みされているような。

 知能の低い動物のものとは違う、確かな意図を感じてラトスも睨み返す。


 すると鴉は羽を広げて飛び立ち、頭上を旋回しながら徐々に町の方へと向かっている。


「ついてこい、といっているのか」


 確証はなかった。ただの野生動物の気まぐれかもしれない。

 しかしエリーゼの行方に見当がつかない以上動かないわけにはいかなかった。


 示されるままに、見失わないように進んでいく。

 桟橋を離れて人通りの多い道へ。かと思えば奥へと導かれ、やがて一つの建物の屋根へと止まる。


 真下へ向かうと、薄暗い路地の隅に彼女は蹲っていた。


「エリーゼ様!」


 呼びかける。見たところ外傷はなく汚れもない。

 ひとまず安堵の息が漏れる。しかし顔を上げ向けられた視線はなおも冷たく痛々しいままだった。

 胸を抑え、ラトスは膝を折って視線を合わせる。


「お探ししました。なにかあったのですか」

「別れてすぐに本軍らしい人と、なんとなく目が合った気がしたの。そうしたら急に息が苦しくなって、頭が真っ白になって……怖かった。追いかけられたらどうしようって」


 なおも肩は震えている。

 せめて触れようと手を伸ばすが、エリーゼの目つきが鋭くなって咄嗟に止める。

 だがこのまま引き下がるわけにはいかない。


 決めたんだ。彼女とちゃんと話すのだと。


「エリーゼ様。お恥ずかしい話ですが、俺は他人の感情に対してひどく疎いようです。今までの仕事の中では必要なかったので、気づくことさえできませんでした」


 何の話が始まったのか、とエリーゼは目を丸くしてこちらを見つめている。


「正直に言いますと、昨夜の一件は俺のどこに落ち度があったのかわかりません。確かに無為な殺生は褒められた行為ではありません。謹んでお詫び申し上げます」


 深々と頭を下げ、ラトスは続ける。


「ですから教えてください。どうすれば貴女を護れるでしょうか。お傍に置いていただけるでしょうか」


 しばしの沈黙。エリーゼもまた答えを考えてくれているのだろうか。


 心臓は早鐘を打ち続けている。どんどん大きくなって、彼女にも聴こえているのではないかと心配になるほどに。


 エリーゼが最初に出したのは──ラトスの後頭部に下ろした、優しすぎる拳だった。


「じゃあ私も正直に言うわ。まだラトスは不思議な部分が多い。全然顔色も変わらないし、何を考えているのかわからなくて……だからあの時、血にまみれたラトスが、私すらも殺してしまうんじゃないかって思ったの」


「そんなこと、するはずが」


 言いかけて口を噤む。

 思えば出会ってからまだ二日も経っていない。

 信頼もなにも生まれるような時間ではない。


 そこにあれだけの惨劇があれば誰だって驚く……人が死ぬのは、日常ではない。


「あの時は反論されたからつい怒っちゃったけど、今やっとわかったわ。私が同行する義務なんていったばかりに、ラトスに無理をさせている。私のわがままで命を懸けてしまうような人……本当に真面目で、優しい人なんだって」


 優しい人。かつての使用人からも聞いたばかりの言葉に顔を上げようとするが、再びエリーゼに制される。


「お姉さまがよくいってたの。人を見た目で判断してはいけない。けれど時に仕草は口よりも物を言う、と。ラトスはなにもかも話さなすぎね。わかるわけがないわ」


 力ないまま、拳は何度もラトスの頭を小突く。


「も、申し訳ございません」


「だからまずこれだけは約束して。今後人の命を奪うようなことは……危ないことはなるべくしないで」


 危ないこと。ここでようやく、引っかかっていた疑問の一つが紐解かれる。


「もしかしてエリーゼ様は、俺を心配してくれていたのですか?」


「あっ、当たり前でしょ⁉ あんなにたくさんの人と戦うなんて危ないに決まってるじゃない!」


「俺はあの程度のゴロツキには負けませんが」


 今度は少し力を加えて殴られる。

 しかし、そうか──エリーゼは自分を心配していた。

 それを知った途端、暴れ続けた胸の痛みが溶けてなくなってしまった。


「承知しました。エリーゼ様のためであれば、今後二度と無下に人の命を奪うような真似はしません」


 そう宣言するとようやく頭から手が離れ、エリーゼの顔を見つめる。


「ラトスがいうように私の考えは甘いかもしれない。だからこれからも、思うことはちゃんと教えてほしいの。ラトスは私の命の恩人だけど、今はそれ以外にもあるわ」


 ──懐かしいとすら思えるエリーゼの笑顔は、柔らかくて、温かくて。


「気になる人。私は、ラトスのことが知りたいの」


 それはラトスが言うはずの台詞だった。

 けれどこの刹那、薄暗い路地すら照らすような眩い笑顔を見た。

 夏の花を思わせる眩しく、大きく美しい笑顔に言葉を奪われた。


 瞳孔が開く。同時に身体の奥底に仕舞い込んでいた感覚──名前も知らない衝動が全身を駆け巡った。


「俺は、心など不要だと教わってきました。だからとっくに捨ててしまったというのに、また拾い直せと言われました。時間がかかってしまうかもしれません。もしかしたら拾いきれないかもしれません」


 半ば強引に、エリーゼの両手を掴んで懇願する。


「それでもエリーゼ様が傍にいてくれるのなら喜びも、感動も、優しさも……すべて貴女から教わりたい」


「わかった。じゃあ、約束ね」


 一度は肩を震わせた彼女だったが、すぐにまた笑顔を浮かべる。


 手を離してエリーゼは小指を差し出す。ラトスはその意味が理解できずに呆然と眺めている。


「知らないの? 小指と小指を結んで約束をするの。ほら」


 彼女は強引に指を絡ませる。エリーゼはただ嬉しそうにより強く挟んで上下に振り回す。


「これでよし。約束したんだもの、絶対破っちゃダメよ」


「誓います。必ずエリーゼ様の望む自由を得るまで、共にいます。悲しませるようなことはしません」


「もちろんよ。そのためには、早くこの国から……くしゅっ!」


 エリーゼの小さなくしゃみが柔らかな空気を掻き消す。

 そういえば、とラトスは手に持ったコートを彼女の肩にかける。


 目を白黒させながら、その温もりに頬を緩ませている。


「これ、買ってきてくれたの?」


「はい。今の格好では寒いかと思いまして」


「ありがとうラトス。大切にするわ」


 コートを眺めては撫で、その温かさに包まれてゆく。

 すると視線は空に向かう。遠く見える冬の空には雲一つない。


「春が来たら」


 エリーゼはぽつりと呟く。


「春が来たら、この寒さも恋しくなるのかしら」


「まだ冬はこれからですよ」


「そうだけど! その……これからもっと冷たい空気に当てられて、雪も多く降るでしょう。辛く厳しい季節。それでも春が来るのなら、貴方が隣にいてくれるのなら、私はどんな冬でも乗り越えてみせるわ」


 ラトスにはあまり刺さらない比喩だった。

 季節が巡ることは当たり前で、その日その時の季節を受け入れるものであって、特別どの季節が好きということもない。


 感傷的なエリーゼの横顔をただ見つめていると、慌てて苦笑する。


「つ、つまり。次の春も一緒にいてくれますかというわけで……いてくれるわよね⁉」


「もちろんです。俺も次の春を楽しみにしています」


「よ、よかった……うん。ありがとう。これは大切に着るわね」


 もう痛みはない。むしろこちらも温かさをわけてもらったかのように、奥からじんわりと染みてくる。


 目指すは隣国ダリア。それまであと一歩だ。

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