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死神に春が降る  作者: 永ノ月
3章 風の行方は誰も知らない
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知らない自分

 絶対絶命の危機を救ったのはかつてのオーメルン家の使用人カーリだった。


「随分ご立派になられて。私はお嬢様が王都に行くまで、ずっとお傍におりましたのよ」


「……その呼び方は止めてほしい。かつての俺とは別人のようなものだ」


「そうでしたね。大変失礼しました。ではラトス様、こんなところで立ち話もなんですので、こちらへ」


 導かれるままラトスは海際の大通りから離れていき、やがて居住区と呼ばれる民家の集まった場所へと連れてこられる。


 人気がなくなった頃、はっとしてナイフを構える。

 あの失態の後、オーメルン家がどのような処罰を受けたのかまだ知らない。

 もしかすると、ラトスを捕まえるために一家総出で捜索しているかもしれない。


 まだ味方である保証はどこにもない。

 警戒の眼差しを向けるが、対するカーリは穏やかに、寝物語のような声色で言う。


「ご安心ください。決して貴方様を捕まえようなどとは思っておりません」


「王家から……本家から命令はないのか」


 血筋にこだわるオーメルン家であれば、いたずらに泥を塗った者を逃がしはしないはず。

 しかしカーリは首を横に振る。


「確かに、このままではオーメルン家の立つ瀬はありません。しかし旦那様は……ラトス様のお父様ですね。彼は一切の捜索をしないと通達しました」


 オーメルン家の所在は王都にある本家とここサンドマートにある別荘。

 わざわざ別荘の方にまで連絡した理由は何なのか──カーリは続ける。


「同時に旦那様はこうも言っていました。もし偶然ラトス様と出会うようなことがあれば、こう伝言してほしいと」


 彼女の表情を見て、呆気に取られた。


 泣いていた。だというのに悲しそうな色など微塵もなく、ただ笑顔とともにあった。


「人は本来、行き先は自分で決めるものでございます。ラトス様が選んだ今の道を進むことこそ最良の道だ、と」


 伝統的な趣向を持つ人間が多い家の中で、父だけは違っていたように思える。


 祖父に厳しく指導された後こっそりと食べ物を持ってきてくれたのも、学校に通わせるよう進言したのも父だった。


「……祖父は、なにか反論しなかったのか」


「特には。ただいつものように黙って通達を聞き、返事もせずに戻っていきました」


 祖父にすら咎められない。それが意味するものは、ラトスが完全にオーメルン家から、ひいては死神の代行者という任から解き放たれたということ。


 ──その瞬間はもっと晴れやかなものだと思っていた。

 今まで背負い続けた重圧から逃れ、地獄のような日常が終わるのだと。

 空も飛べそうな高揚感があるに違いないと。


「これは私個人の気持ちにはなりますが。

 ラトス様はお若くまだ先の長い人生を歩まれます。

 ラトス様のやりたいことが、願いが叶うようこの地から祈っております。

 どうか、これからの旅路に多くの幸福があらんことを」


 けれど違った。これは決して喜びでも安堵でもない。


「……何故だ。どうして今になってそんなことを!」


 怒りだ。

 これまで与えられてきた使命とはまるで正反対の言葉に戸惑う。


「俺は死神の代行者として育てられた。それしか生き方を教わらなかった!」


 そうなることを受け入れたのに。


「俺にやりたいことなどない。願いなど抱いたこともない!」


 切り離されてきた人の心。使命を全うするたびに色褪せていき、元がどんな色だったかも判別ができないほど。


「なのにどうして、そんな無責任なことを」


「ラトス様。どうか落ち着いてください。お気を確かに」


「これでは今までの努力が……俺のすべて間違っていたというのか!?」


 カーリの手が肩に触れてようやく我に返る。

 周囲を確認するが、幸い人気はないまま。


 依然としてラトスの思考は複雑に絡み合い、自身ですら整理ができていない。こんな状態になること自体がほぼ初めての経験といえる。


 カーリはなにも言わない。ただ肩に触れ続け、こちらが落ち着くのを待っているようだった。


 二度三度と呼吸を入れ、出てきたのはここ数日に生まれた迷いの種たち。


「カーリ。俺にはわからないことが多すぎる。人を殺すことでしか大切な人を護ることができない。人を殺せない死神に価値はあるのか」


 頭の中を反芻するエリーゼの表情、声、仕草。

 関わった時間は短いにもかかわらず、こんなにも鮮明に思い出せる。


 同時に襲ってくる胸を刺すような痛みが、苦しい。


「ラトス様はお優しいですね。今も昔もそこは変わっておりません」


「優しい? 世辞はいらない。俺が優しいなど」


 反論しようとしたがカーリに制される。

 手を離した彼女は、どこか遠くを見て懐かしそうに語る。


「ラトス様がまだ四歳の頃でした。あろうことか、使用人がラトス様に花瓶をぶつけて割ってしまった時のことです。我々は慌てて駆け寄ったのですが、ラトス様はけろっとした顔で『怪我はないか』とこちらを気遣ってくださったのです。額から血を流し、服が水浸しになってもなお、です」


「……覚えていない」


「本当のことですよ。ラトス様はただ、優しくする方法を知らないだけで心根はずっと優しい方なのです。ですからどうか……これからたくさんのことを見て、学んで、自分のものにしてくださいませ」


 人を殺すことに一縷の躊躇もない人間が、優しいなど……

 真に受けることはできないが、学ぶという話にはラトスを動かすものがあった。


 どれだけ知識を蓄えようと、実践を踏まえなければ真に技術とはいえないように、今のラトスにはあらゆるものが経験不足。


 知らないのならば学べばいい。

 わからないのなら体験すればいい。

 そんな簡単なことにすら気づけなかったのか。


 ──エリーゼもまたすべてを捨てた人。身分を捨て、これから新たな人生を歩もうとしている、強く勇気ある人。


 ならば俺は? せめて彼女に追いつけるよう、変化を……失ったものを拾い直すべきではないのか。


「これは私の個人的なお気持ちですが……ラトス様が処刑を放棄したと聞いた時、とても嬉しかったのです。

 オーメルン家はこの国の守り神である死神様に魅入られた誇り高き血があります。

 ただ、まだ幼かった頃の……花壇を眺めていたあの女の子のことを思い出すと、ひどく苦しくなりました。

 賢く心優しいあの子は、自らの心を殺し、人を殺し続けるようなお人ではありませんでした」


 脳裏に浮かぶのはもっとも古い記憶。

 もうあの頃の景色も、人も、別荘の形だって曖昧になってきている。

 それでも確かに、懐かしいと感じることができる。


「カーリ。俺はまだやり直せると思うか」


「もちろんです。ラトス様はまだお若いですし、とても聡明なお方です」


「あの方の隣にいる権利があると思うか」


「それは今後の振る舞い次第です」


 そうか、とラトスは零し、張り詰めていた緊張が解れていったのを感じた。


「ありがとう」


 今のラトスから出せる感謝の気持ちは、これくらいしかなかった。


 拙いとは思う。それでもカーリがこうして微笑んでいるのなら問題ないのだと実感できた。


「人と上手に付き合うコツは、相手の見えない気持ちよりも言葉を信じてあげましょう。寄り添ってたくさんお話をしてください。そうすれば自ずと気持ちが見えてくるはずです」


「ああ。これから精進する」


 深々と頭を下げ、カーリは踵を返して路地の中へと消えてゆく。

 ふと足を止め、ラトスを見つめる。


「これはしがない年寄りの経験則ですが、女性を喜ばせるのならなにか手土産を持っていくといいですわよ」


 機嫌良さそうにそれだけ言い残し、ラトスの視界から消えてしまった。


 数秒呆けた後、ラトスは――おもむろに走りだした。

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