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死神に春が降る  作者: 永ノ月
3章 風の行方は誰も知らない
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国境へ

 ロスィカ王国内で唯一海に面する町サンドマート。

 一般的な港町といえば交易の中心になるものだが、ここは少々勝手が異なる。


 先に見えるのは果てのない水平線ではなく、大小さまざまな氷塊が波に揺られている。

 ゆえにどれだけ進んだとて他国があるわけではなく、ただ隣国と水産資源を分け合う、冬の海風が人々を凍えさせる極北の地とされている。


 朝一番に上がった魚を売る漁師たちと、少しでも安く多く仕入れようとする民たちが行き交い、王都とはまた違った雰囲気が流れていた。

 ラトスにとっては、微かに記憶のある故郷。久しぶりに訪れた地だが……決して浮かれていられるような気分ではなかった。


 笑顔と活力に溢れていたエリーゼは見る影もなく、時折遠くに見える景色を眺めては気まずそうに後ろを歩いていた。

 彼女が喜びそうな景色に差し掛かった今も視線は地面に向いている。


「ここは観光客も多く訪れる海岸区と呼ばれています。これから会う人はさらに奥、商業区にいる可能性が高いです」


「……」


「先に向かいましょうか。それとも食事を済ませますか」


「…………」


 目に見えて彼女は拗ねている。ワガママが通らなかった子どものよう。かつての呼び名を思い出すとこれは悪癖なのだろう。


 エリーゼは聡明である。しかし同時におそろしいほど非合理的な思想も持ち合わせている。

 その甘さを理解できず、ラトスにも徐々に怒りが募っていた。


「昨晩の件ですが、間違ったことはしていないと思います。あの場で誰も殺さず生き残ることは不可能でした」


 見知らぬ傭兵と自分の護衛。生かすべきはどちらなのか考えずともわかるはず。

 だが彼女は違う。相手の命すら惜しいという。


 敵も味方も皆救われる。そんな夢物語を本気で信じている。

 そういう少女なのだとこの二日間で知った。

 そして間違いなく、この先でも障害になりうる。


「俺たちは選ばなくてはいけないのです。貴女の命とそれ以外、どちらかを切り捨てる覚悟が必要なのです」


「……そうじゃない。私が言いたいのは、もっとやり方があったって言ってるのよ!」


 間違っているのは彼女の方。わかっているはずなのに何故食い下がるんだ。


「私はただ……貴方のことが」


 数時間ぶりに正面からエリーゼの顔を見た。

 目元が赤く腫れているだけではない。顔色から、何より立っているその姿には、快活な印象は消え失せていた。


 処刑の放棄から始まり、まともな場所で睡眠はとれず、夜通し歩いてようやくたどり着いたサンドマート。


 よく考えれば──いや、考えなくても疲労は限界を超えている。

 今にも倒れてしまいそうな彼女は、細く掠れた声で言う。


「ごめんなさい。少し……ひとりにしてほしいの。十時にはあの桟橋にいるから」


 顔を伏せ、呆気に取られたラトスを横切っていく。

 こんな姿は見たことがない。処刑台に上がった時でも疲弊の色は見えなかったのに。


「ひとりでは危険です。ですから……」


 呼び止めようと伸ばした手は届かず、エリーゼは人の波の中へと消えてしまう。


「俺の、せいなのか」


 ジクリ、ジクリ。胸の内側が痛んで止まない。満身創痍の彼女の姿が脳裏に焼きついて離れない。

 どうしてこうなった? ただエリーゼを護るために最善を尽くしていただけなのに。


 この二日間の記憶が走馬灯のように蘇る。

 食事を共有する楽しさを教えてくれた。子どもとの遊び方を教えてくれた。

 無邪気に快活に外の世界を楽しんでいた姿は不思議と目が離せなかった。


『貴方の救った命が、今度は貴方を生かす光になる。それではいけませんか?』


 気づけばラトスは走りだしていた。群衆を掻き分け、肩がぶつかっても足がかかっても振り返らなかった。


 エリーゼの考えはすべてが納得できることではないかもしれない。

 けれど、きちんと聞かなければ理解できるはずもない。


 初めて、人の気持ちを知りたいと思った。思ってしまった。

 失いたくない。彼女まで失ってしまえば残るものなど何もない。


「どこですか。どこに……」


 エリーゼはどこに行った。急ぐラトスを咎めるように、故意に立ち塞がる影があった。


「すみません。何かお困りですか」


 ラトスよりも一回り大きな体躯。えんじ色を基調とした軍服と帽子は見間違えるはずもない、ロスィカ本軍の人間だ。

 この場所でこんな時に、状況は最悪だ。


「観光の方ですか? 道に迷っているようであればご案内しますが」


 これは方便だ。公衆の面前で捕まえることを是としない彼らは、不安を与えぬようこうして自然な言葉で誘導する。

 顔は割れていなくとも、さきほどの行動だけで不審と判断されたのだろう。


 どうする。こうも近づけば簡単には撒けない。戦おうにも人が多すぎる。

 かくなる上は……ジャケットの内側に仕込んだナイフに手を伸ばす。しかし。


「ご主人様。こんなところにいらしたのですね、お探ししておりましたよ」


 突如として現れた初老の女性は使用人らしい恰好をしていた。彼女はラトスと男の間に割って入り、ありもしない事情を淡々と語っている。

 本軍の男も納得したのか、帽子を取って軽く頭を下げ、そのまま人の波へと潜っていった。


 女性は振り返り、視線が交錯する。


「ラトスお嬢様、ですよね」


 顔もおぼろげで名前など欠片も覚えていない。それでも、かつてサンドマートの別荘にいた時、世話をしてくれた世話係の一人だと確信できた。

 なによりラトスを『お嬢様』と呼ぶ人間はもう数えるほどしかいない。


「貴女は確か、別荘の」


「そうです。カーリと申します」


 嬉しそうに、しかし今にも泣きそうな面持ちでラトスの手を握り、祈るように首を垂れる。

 混乱した頭の中で古い記憶が呼び起こされ、力なく地面に膝をつけてしまった。

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