死神の名において
男たちはその瞬間、恐怖を植え付けられていた。
身体は並みの男性程度。線は細い方。武器はどこにでもある普通のナイフのみ。
だというのに男たちの剣は触れても宙に揺れる枯葉を相手にしているかのように、まるで攻撃が通らない。反って仲間ばかりが地面に伏せっていく。
悪夢だ。これではまるで本物の死神を相手にしているようではないか、と。
「なにが起きている? なんでだ、こっちは何十人も傭兵を雇ったんだぞ。それがどうして……こんな平民ひとりにいいように狩られているんだ⁉」
数が減らない。だというのに、ラトスは落ち着いていた。
なにやらエンデンが喚いているが、だんだんと声が遠ざかっているようだ。
処刑の時よりも頭が回る。目の前の情景がくっきりと見える。きっとこの状態を調子がいいというのだろう。
「なんだよお前……なんで笑ってるんだよ⁉」
ラトスには今の自分がどんな顔をしているかわからない。意識は目の前の敵にのみ向けられそれ以外は麻痺しているかのよう。
だがどうでもいいではないか。
今はただ、大切な人を護るために戦っているのだから。
斬って。
斬って。
斬って。
斬って。斬って。斬って。
斬って。斬って。斬って。
斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。斬って。
「ラトス!」
彼女の声が聞こえると、深い眠りから目覚めたかのような心地良さすらあった。
気がつけばラトスの手は憎い男の首を掴んでおり、それはひどく悶絶し地に着かない足をばたつかせている。
苦しそうな顔を見つめ、ラトスに不敵な笑みが生まれる。
「エリーゼ様、どうかご安心を。賊はすべて俺が排除しておきましたので」
「……その手を離して」
エリーゼの声音が低くなる。それに釣られてぱっとエンデンを下ろし、血の海と化した床に落とす。
むせ返りながらも、彼は這ってでも彼女に近寄ろうとした。
「ああ、エリーゼ。久しぶりだね、ようやく会えた。随分雰囲気が変わった。大人になったんだね」
救いを求めるようにエンデンは必死に手を伸ばす。ようやく会えた最愛の人。嬉しくないはずがない。
あれだけの偏愛を向けていた相手。エリーゼはというと。
「どちらさまでしょうか。どうして私を知っているのですか?」
「やだなあ僕だよ。エンデン・アールハイド。君と同い年で婚約者候補だったじゃないか。誕生日パーティには毎年出席していたし、去年は僕が取り仕切ったんだよ」
「……ごめんなさい。正直、婚約者のことははっきり覚えていなくて」
ピシッと、ガラスの割れる音が聞こえた。エンデンの頭の中にいたエリーゼと目の前の少女とで乖離が起きている。
「そ、それだけじゃないよ。五歳の時さ、僕が買ったバラの花束をプレゼントした時とても嬉しそうにしていたじゃないか。まさか、それすらも」
「……ごめんなさい」
どうやらエリーゼも本当に覚えていないようだった。この状況に混乱しているのもあるだろうが、エンデンの想いは限りなく一方向だった。
悪意のない彼女の返答がそれを証明した。しかし──
「ふ……ふざ、けるな。今まで僕が、僕がどれだけ君を想っていたか。ずっと君のことを想って、家業を継ぐための勉強だって頑張った。他人の足を引っ張ることしか頭にない貴族連中とも交友を深めてきた。全部君にふさわしい立派な男になるためだった。なのに、お前は僕の努力を踏みにじるのか!」
「貴方のことを覚えていなかったことは申し訳ございません。ですが恥を承知でお聞きします。エンデン様、貴方は私が処刑されると知ってから、なにか手を施していただけましたか」
責めているのではない。ただエリーゼは事実を、純然たる問いを投げかけている。
故に朦朧としたままのエンデンはすぐには答えられず口ごもる。
「ここにいるラトスは、少なくとも私の命を救ってくれました。私は言葉よりも行動を重んじます。ですから今、私が共にありたいと思うのはラトスです。貴方ではありません」
エリーゼ本人から告げられた拒絶の言葉。偏愛を捧げていた彼に響かないはずもなく、あからさまな絶望を漂わせていた。
「はは、はっははは! なんだお前。所詮は王位継承権もない、わがままなばかりの小娘のくせに。どうせ嫁ぎ先もないような厄介者だったじゃないか。散々僕をいじめてきたくせに! お父様が口添えしてくれるだけで、お前は僕のものになるくせにぃ!」
妄執。夢と現実の狭間で、エンデンは彼女に縋りつかんと手を伸ばす。
しかし同時にエリーゼも後退し、距離は縮まらない。
「僕のだ。僕のだ……逃げるなんて許さない。首輪を付けて、一生僕のペットとしてかわいがってやる。陽のあたる庭で幸せを語り合おう。毎日豪華な食事も用意するよ。本でもなんでも買ってあげるよ。寂しい夜はお互いの愛を確かめ合おう。ほら、きっと最高の日々に違いない。さあエリーゼ。早く僕のものに」
「もういい」
聞くに堪えない。いつの世も、断末魔とはこうも醜い。
彼の首にナイフを突き立て、その声を奪った。
よかった。これでひとまず、エリーゼの追っ手を排除することができた。きっと喜んでくれる。
達成感すらあるラトス。対するエリーゼは、押し潰れそうな声で問うた。
「この人たちは、すべてラトスがやったの?」
「はい。彼らは俺たちを襲撃するよう動いていました」
「どうして殺してしまったの?」
「エリーゼ様を護るためです。ご安心ください。もう一人も生きては」
「そうじゃない!」
擦り切れた高音が反響する。拒絶の言葉は、沸騰していたラトスの脳を一気に冷却した。
彼女の目には涙が溜まっていた。
だがそれ以上に、怒りを募らせた燃えるような鋭い視線で、訴える。
「貴方はもう死神ではないの。罪人でもない彼らを殺す権利はないわ」
「では、殺さずにこの数を抑えろと。それでは俺の命が足りません」
「もっと上手くできなかったの? 無力化する方法なんて貴方はよく知っているでしょう⁉」
知った風な口を。八つ当たりを受け流すほどの余裕はなく、声を張って反論する。
「お言葉ですが。あの場で相手を殺さずに自分の身を守ることは不可能でした。誰も殺さずに己の身もエリーゼ様も守る。それは大変素晴らしい名誉でしょう。しかしそれはくまで理想。何かを守るということは、何かを犠牲にするということです。おわかりいただけますか」
ラトスは正しいことだけを口にする。不可能な目標は立てず、常に現実と向き合っている。
だからこそエリーゼの描く理想には共感できない。
彼女は聡明であると同時に純真でもある。純真すぎるがゆえに現実を直視していない。
ラトスの方が正しい。それは彼女自身も理解しているはず。
それでも彼女は食い下がる。
「殺すか殺さないかじゃないの……ただ、ラトスに危ないことをしてほしくはないの。私のせいで、人殺しになるのは嫌なだけなのに」
「……エリーゼ様。それは」
反論するよりも早く、エリーゼはラトスの胸に飛び込んだ。
避ける隙はなく、軽すぎる体当たりを受ける。ただ嗚咽の混じった声を聴く。
「お願い。もう誰も殺さないで……私のせいでラトスが傷つくのは嫌。悪い人になってしまうのは嫌なの。ここで誓って。もう誰も殺さないって」
今更人を殺さなくなったところで何になるというのだろう。
ラトスは今まで数えきれないほどの魂を地の底へと還してきた。
命を奪ってきた──それが一人二人増えたところで心持ちは変わらない。
答えない。答えられない。
彼女の願いを受け容れたい気持ちと、どうしようもない現実がラトスを板挟みにする。
「誓ってよ……」
今彼女に触れれば──それは肯定するということ。
何度も手を伸ばしては引っ込め、ただ彼女が泣き止むのを待った。
何故こうも悲しませてしまったのだろう。
ただ、彼女の力になりたかっただけなのに。




