やりたいこと
空が茜色に染まったかと思えば、瞬く間に辺りは暗闇に沈んでしまった。
街灯にちらほらと明かりが灯り、なおも人々は活気を帯びている。
中には顔を赤く染め、高らかに笑う声も聴こえる。
ラトスたちは貧民街寄りの小さな飲食店に身を寄せる。
中に衛兵がいないことを確認し、手狭なテーブルに身を下ろした。
「ようやく入れたわね。探してくれてありがとう」
最初は人が多いから大丈夫! と市街のど真ん中にあるレストランに行きたがっていた。
しかし当然衛兵の姿が映り、別の店を探そうと説得した。
それから何件か探し回りようやく安全そうな場を確保した、という流れになる。
ずるずると移動をするうちに町の隅まで来てしまったが、気にしている様子は欠片もなかった。
「やはり危険です。俺は入口で見張りをしているので、エリーゼ様だけでお食事を」
「ダメッ。絶対一緒に食べた方がいいわ。その方が絶対楽しいもの」
今日一日過ごしてきてわかった。彼女の行動は「楽しそうだから」で始まっていることが多い。
大人しくなったとはいえ、元の性格はそう簡単には変わらないらしい。
せめてもう少し論理的に行動できないだろうか。ひとりで逃げていたならよくて二日程度だっただろう、と心中で悪態を吐く。
とはいえ。こんなにも楽しそうな彼女を見ればこそ迷いが生まれる。
エンデンと会ったこと、話したことは彼女に伝えていない。
こちらに尽くしきるといわんばかりの好条件。しかし裏が見えないからこそ足を突っ込んでしまえば二度と戻れないかもしれない。
彼がただの人助けで来たようには思えない。考えてみればあの場ですぐエリーゼに会おうとしなかったのも不自然だ。
自分が細心の注意を払わなければならない。彼女がこうも楽観的ならばなおのこと。
あらゆる言葉を疑え。嘘を見定めろ。こちらに取り入ろうとする輩はすべて排除する。
手を汚すことなら、この世の誰よりもしてきたのだから。
「ねえ、ラトスったら」
はっと顔を上げると、メニューらしき紙切れを押しつけられる。
「私はもう決まったけどラトスは? 好きな食べ物とかないの?」
純真無垢な瞳と視線が交差する。それだけで息が詰まり、言葉は思うように出てこなくなる。
痛くはない、なのに確かに息苦しい……さすがに疲れが溜まってきているのだろうか。それとも空腹のせいか。
「いえ。食には疎い方でして。エリーゼ様と同じもので結構です」
「それはダメ」
「……俺にも選ぶ権利くらいあると思っていたのですが」
「だって、二人で同じものを頼んだら一種類しか味わえないじゃない。違うものを頼んで少し分け合えば、お得だと思わない?」
ふと、陸軍学校にいた頃を思い出す。
食堂ではいつも学生たちで賑わいそれぞれの食事を楽しんでいた。
当時のラトスには疑問だった。何故自分が食べたくて選んだというのに、他人のものと交換して食べているのかと。
衛生的にも、そして道徳的にも理解ができずひとり黙々と食べていた。
なるほど。あれは嫌で渡していたのではなく、共有していたのか。
「では、俺はこの白身魚のソテーを」
「私はトナカイのステーキよ。トナカイってどんな味がするのかしら」
ロスィカ含む北方連合国近郊はトナカイが多く、さすれば食す文化もある。
比較的安く多く手に入ることから、庶民にも馴染みのある食材だが、エリーゼは初めて食べるかのような口ぶりだった。
「ロスィカにいながら食したことがないとは。いったい何を食べていたのですか」
「それは……そうね。食事はいつもお父様やお兄様の要望だったから外国のものが多かったわね。お姉様はロスィカ料理が好きだったから、よく一緒に文句を言ったりして」
気まずそうに視線を落とすエリーゼ。やはり家内の話をしたところで、彼女にとっていい思い出であるはずがない。
きっと彼女はこれからも家族を、王族貴族に少なからず悪い印象を抱くのだろう。
おそらく、エンデンについても。
「エリーゼ様。もし、もしもまだ俺たちに安住の地があったとして、そこに留まれるとしたら」
もし留まりたいといえばラトスたちの逃避行は終わる。
アールハイド家の庇護の下、永遠とはいかないものの安全な暮らしが待っている。
命を狙われる心配がない。それだけでも十分価値のある条件で、彼女が望めばラトスに決定権はない。
「急に変なことを聞くのね。ラトスならもうわかるでしょ。もちろん断るわ」
「それは、どうしてでしょう」
「私の安寧は王城での暮らしそのもの。でもそれは過去となり、もう二度と手に入れることはできないわ。一度捨ててしまったのだから当然のことよね」
無邪気に町を歩いていた、外の世界に憧れる少女とは違う。確固たる意志を以て言葉を紡ぐ、処刑台で演説した彼女は語る。
「いろいろな国に留学したわ。隣国のダリアはもちろん、リスタルシアは私にとってとても貴重な体験だった……あの時から、私は外の世界への憧れを抱いてしまったんだと思うの。仮に私が王位継承権を与えられてもその気持ちは抑えられないでしょうね」
だから、と小さく零してラトスの手を握る。
手の甲に額を当て、祈るように囁く。
「不謹慎かもしれませんが、こうしてラトスと歩んでいる時間が本当に楽しいのです。
最初は怖かったけれど、悪い人ではないとわかります。まだ知らない部分は多いけれど、これから知っていきたい。
可能ならずっとこうして旅をしていたい。この恩は必ず貴方の望む形にしてお返しいたします。ですからどうか、もうしばらく力を貸していただけませんか」
切に、そして邪気などない。心から出た彼女の本意に違いない。
ああ……そうだ。俺はきっと、助けたいと思ったから助けたんだ。
あの瞬間、首を斬るだけの人形だった俺にエリーゼが心を与えてくれた。
彼女を護りたい。それこそ心を忘れた元死神が持っている唯一の意志。
「はい。エリーゼ様を安全な場所まで送り届ける。それが俺の……やりたいこと、だと思います」
照れ交じりに僅かに頬を緩ませるラトスに、エリーゼはあどけない笑みで返す。
「やっと笑ってくれた。ラトスはそうやって笑うのね」
「変、でしょうか」
「いいえ。とっても素敵よ」
エリーゼに満面の笑みを向けられ、全身に入っていた力がどこか抜けていったように感じる。
──覚悟はできた。俺は彼女の望む自由のためならば、何度この手を汚しても構わない。




