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はじまり

 そこは、とある街のとあるアパートの一室。大学一年生の青年『青木悠馬アオキユウマ』はその夜、ヘッドフォンを付けながらベッドに寝転がり、ダラダラとスマホをいじっていた。



ピンポーーン



 その時、深夜にも関わらず無遠慮に鳴らされたチャイム。悠馬はしばらく無視したが、その後もチャイムは一定の間隔で鳴り続けている。

 こんな時間の訪問者に心当たりは無い。扉を開けたら面倒なことになる可能性が高いだろう。しかし、扉の前の相手はいくら待っても立ち去る気配が無かった。

 このままでは近隣トラブルに発展しかねない…。仕方なく悠馬は、恐る恐る覗き穴から外を確認してみることにした。


「お、お願い…!ヤバい人じゃありませんように…」

 

 覗き込んだ先に立っていたのは、四十代と思しきスーツ姿の男性。オールバックに眼鏡…一見してやり手のサラリーマンといった風体だが、やはり悠馬には見覚えがない。時間も時間なので、慎重に対処しないと危険だ。


「…やっぱ無視だな。変質者だったら怖いし。」


 居留守を決め込んだ悠馬は、物音を立てぬよう静かにきびすを返した。するとその時、外から男のつぶやきが聞こえた。


「やれやれ仕方ないですね…少々強引にいくしかないようです。」


「ご、強引に…?なんだろう、激しくノックするとかかな…?」


 外から聞こえてきた不穏なセリフに、より一層身構える悠馬。相手は何をしてくるかわからないので、慎重に様子をうかがうしかない。


「ピッキング…それとも窓から?いや、この材質なら“アレ”で……ボンッ!か。」

「いや、“アレでボンッ”って何!?って、しまっ…!」


 “少々”の度合いが軽く想像を超えてきたことで、思わず声を上げてしまった悠馬。慌てて口を押さえたが時すでに遅し。覗き穴の向こう側から中は見えないはずなのに、なぜだか目が合った気がした。

 ここで無視したら本当に強硬手段を取られるかもしれない…そう思った悠馬は観念し、ドアチェーンをかけてから慎重に扉を開けてみることにし


バチン!!


 頼みの綱は一撃で断ち切られた。


「ひ、ひぃいいいい!ななな何その巨大なハサミ!?」

「これですか?これは『ボルトクリッパー』ですね。」

「いやいや名前が知りたいんじゃなくて!アンタそれ完全に最初から押し入る気だったじゃん!そしてきっと僕を始末する気じゃん!お、お助けぇええええええ!」


 恐怖のあまり取り乱す悠馬。

 すると何かを取り出そうと、自身の胸元に手を入れた謎の男。今度はナイフでも取り出すつもりか。


「はじめまして。私、こういう者です。」


「…へ?」


 そんな心配をよそに、男が取り出したのはただの名刺だった。


「さ、サカモト…さん?」

「はい、坂本と申します。夜分に失礼いたします。」


 とても礼儀正しく名刺を手渡した、坂本と名乗る男。もしかしたら本当に普通のサラリーマンなのかもしれない。


「アナタの望みを叶えるため、夢の国から馳せ参じました。」


 やっぱり普通じゃないかもしれない。


「えっ、の、望み…?いや…セールスとか宗教の類いならお断りで…」

「いえいえ、そういうのではないので。」


 本能で危険を察知し、力ずくで押し出そうとする悠馬。扉の隙間に足をはさみ、徐々に押し入ろうとする坂本。一進一退の攻防が続く。


「と、とりあえず外で!外で話しましょう!ね?」

「なるほど、確かに部屋の中だと清掃業者が大変ですもんね。」

「一体何が爆散するの!?一体誰の肉片なの!?その手に持ってるのがガチの爆弾ってこと!?」

「フフフ、冗談ですよ。」

「まだ冗談とか言い合える関係性じゃないんですよ!」

「アパートごと消し飛べば掃除どころじゃないですよね。」

「冗談であってほしかったのはそこじゃないんですけど!?そしてちっとも笑えないんですけど!?」


 こんなに怪しい男を絶対に家に上げるわけにはいかない。悠馬は必死で食い止め続けたが…残念ながらここで状況に変化が訪れる。


「さっきからうるせぇぞ何号室だぁゴルァアアア!?」


 近所中に響き渡る怒声。かつて何度か聞いたことがある101号室のチンピラの声だ。

 ここで目を付けられると、今後のここでの生活に支障をきたしかねない。


「お困りですか?ならばコレでドカーンと…」

「そしたら僕まで死んじゃうじゃん!って、だからホントにそれ爆弾なの!?」

「上かぁ!?待ってろやブチ殺してやんよぉ!」


 我慢できず家を飛び出したっぽいチンピラ。


「うぐっ、こ、こうなったら…!」


 このままでは敵が二人に増えるだけ…。ならばまだ一人の方がマシだと判断し、悠馬は仕方なく坂本を部屋に招き入れた。

 思えばここが人生の分岐点だったと、後の悠馬は語る。




「えっと…とりあえず、お茶です。」

「あ、恐縮です。」


 話の流れはどうであれ客は客なので、とりあえずお茶を用意してみた礼儀正しい悠馬。一方の坂本もまた、特に悪さをする様子もなく、ただ大人しく正座して待っていた。

 もしかしたら彼は、話してなんとかなる相手なのかもしれない。


「つまるところ、私はドラ〇もん的なやつです。」


 やっぱり無理かもしれない。


「えっと……病名を伺っても?」

「いえ、心を病んではいませんので。でもそうですね、驚かれるのもわかります。順を追って説明しますね。」


 怯える悠馬を落ち着かせるべく、坂本はここに至るまでの経緯を淡々と話し始めた。

 要約すると、かつて悠馬に助けられた何者かの希望により、その恩を返すために彼はやって来たのだという。


「助けられた…ですか?心当たり無いなぁ…。どなたなんですか?」

「申し訳ありませんが、守秘義務がありますので。」

「でも、いきなり願いを叶えるとか言われても意味がわからないし…」

「なのでそれは、ドラえ〇ん的な感じで。」

「それがわかんないんですよ。あと微妙に伏せる位置変えるのもやめてもらえます?」

「まぁ確かに、〇ラえもんは願いを叶えるためにやって来たわけではないので厳密には違いますが、“これからの状況”は近いものがあるかと。なので、より知名度の高いキャラクターで例えてみた次第です。」

「うーん…それってつまるところ、漫画とかではよくある…突然現れた謎のキャラクターが、共同生活しながら主人公の望みを叶える系の…?」

「ご明察です。ご理解が早くて助かります。」

「いやいや、普通そういうのはこう…謎のマスコットキャラとか、魔女っ子とかサキュバス的な美少女キャラとかが…」

「『坂本正彦サカモトマサヒコ』、四十四歳。職業は『サラリーマン』です。」

「かすってない!見事なまでにかすってないよ!えっ、サラリーマン風の別の何かってわけでもなく…普通にサラリーマン!?」

「毎月25日が給料日の、ゴリッゴリのサラリーマンです。」

「おかしいじゃん!そんなパターン見たことないよ!普通じゃないよ!」

「まぁ確かに、最近は25日払いじゃない企業も…」

「引っかかったのはそこじゃなくて!」

「お言葉ですが、先ほど挙げられたマスコットキャラなどは“普通”なのですか?そんな人外の者が訪ねてくるとか、むしろ“異常”なのでは?」

「そ…それはそうだけども!いや、この場合の“普通”は“正常か異常”かを言ってるんじゃなくてさ、“多数派かどうか”って感じの意味で!物語的にはってことで!」


 いかにも常識がありそうな顔をしながら、常識外れのことをさも常識かのように話す坂本。そしてまだ、しばらくは彼のターンが続く。


「これでも仕事熱心な方ですので、確かに物語的にはそのような相棒が多いのは私にもわかります。ですがその場合、段々と情が移ってしまい“願いを叶えるよりもずっと一緒にいたくなっちゃうパターン”に陥りやすいので。非効率なので。」

「醍醐味じゃん!そういうのがそれ系の醍醐味なんじゃん!?そういった既定路線はさ、わざわざ外さないでいいんだよ!それありきなんだから!」

「ですが…成功率が下がりますので。契約の。」

「真面目か!いや、社会人としてその心がけは素晴らしいんだけども!」

「恐縮です。」

「褒めたくて褒めたわけじゃないけどね!」


 どうにか否定しようにも上手く噛み合わない状況に、悠馬は軽く心が折れ始めた。

 こうなったら、まずは相手に合わせて一通り聞いてみるのがむしろ近道かもしれない。


「あの、改めて確認なんですが坂本さんは…人間なの?それともなんかこう、不思議な力を持った特別な存在だったり…?」

「人間、誰しも誰かの特別ではないかと。」

「そういう禅問答みたいなのじゃなく!」

「まぁおっしゃりたいことはわかります。普通の人間なら初対面の人の家にこんな夜中に押しかけませんよね。」

「そういう意味じゃないけど自覚はあったようで何よりですよ!」

「恐縮です。」

「だから褒めてないんだよ!皮肉なんだよ!もうなんか慣れ始めたけども!」


 どう頑張っても口では勝てそうにない。


「ハァ~~…まぁいいや、一旦切り替えよう。えっと…ちなみに願いってのは何でもいいんですか?坂本さんはどんな願いも叶えられるんですか?」

「いえいえ、あくまで私が叶えられる範囲になりますね。」

「つまり、よくあるファンタジーな展開にはならないってことで合ってます?」

「ファンタジー…と言いますと?」

「え?それはほら、魔法を使えるようになりたいとか、透明人間になりたいとか、なんでもありというか…」

「ふむ…なるほど。ですがアナタが知るファンタジーは、本当に“なんでもあり”なのでしょうか?いいえ、答えは否でしょう。どんなに荒唐無稽な話であっても、必ず何かしらの制約はあるはずです。」

「ま、まぁ確かに…例えば勇者が“魔王を倒してくれ”みたいなお願いするのはご法度なイメージだけど…」

「ドラ〇ンボールも結構そうだったでしょ?」

「だから具体的な名前は出さないでってば!」

「本当になんでもありだと、物語は破綻してしまいますよ。程度の差はあれど、制約は必ず存在するのです。」

「なるほど理屈はわかりました。でもやっぱり、ファンタジーじゃないなら制限が大きいんじゃ…」

「そもそも“ファンタジー”の定義とは?」

「ファンタジーの定義?そりゃまぁ、なんというか…現実では起こり得ない現象が起きるというか…」

「ふむ…では、“冴えない主人公が美少女達からモテまくる、ラッキースケベ満載の学園物語”…これのジャンルは?」

「え?それは普通に『学園もの』とか『恋愛もの』じゃないの…?」

「本当ですか?本当に、現実でそんな不可思議なことが起こりますか?」

「いや、まぁ普通はありえない…かなぁ。あまりにご都合主義すぎて非現実的というか…」

「つまり、『異世界ファンタジー』ですよね?」

「言いすぎじゃない!?ちょっと言い得て妙な感じはあるけども!」

「さて、ここで改めて伺いますが…“ファンタジー”の定義とは?」

「だから現実ではあり得ないような…」

「ではアナタは、本当に魔法は無いと言えますか?本当にドラゴンはいませんか?ゾンビは?天使や悪魔は?」

「え…そりゃあいないんじゃないの?誰も見たことないし。」

「ならば幽霊は?ツチノコは?宇宙人は?」

「それらは目撃談もあるけど、どれも信憑性が無いというか…」

「では幼少期からずっと自分を好きでいてくれる幼なじみは?親同士が勝手に決めた許嫁は?転校する前は男の子だと思っていたのに再会したら美少女」

「それも確かに無いけども!でも一緒にするのはどうかと思わない!?」

「過去の人から見れば、日本人が100m走で10秒切るのも、大リーグで二刀流で活躍するのも言わばファンタジーなんですよ。魔法使いやドラゴンだって、いま目の前にいないだけかもしれません。恐竜はかつていたんですよ?」


 明らかに強引な解釈ではあるが、こう流暢に淡々と言われると、本当にそうなんじゃないかと思えてくるから不思議だ。


「くっ、反論しても勝てる気がしない…!」

「世の中、“あること”の証明はできても“無いこと”を証明するのは存外難しいことです。そう…例えば痴漢冤罪の証明とか…!」

「な、なんか実感こもってますね…」


 なんとなく深くは聞かない方が良さそうだ。


「にしても、凄い巧みな話術ですね…。その気になれば高い壺とか売れそう…」

「ええ、副収入です。」

「ホントに売ってた!」


 強引な話術に翻弄されつつある悠馬。誰が見ても畳み掛けるなら今、といった状況。

 坂本は眼鏡をクイッと上げてから話を続けた。


「ご存じの通り、この手の物語って多いですよね?突然謎のキャラクターが現れて、主人公の願いを叶えるために奮闘する…そんな物語は枚挙にいとまがない。」

「まぁそうですね。僕が子どもの頃からずっとありますもんね。」

「それだけ需要があるということ…それはつまり、チャンスなわけですよ。ビジネスチャンス。であれば当然…しますよね?“起業”。」

「き、起業!?」

「確かに私は、どんな願いでも叶えられるわけではありません。ですが、仮に“資金”と“人脈”、そして“権力”が際限なく存在するとしたら…できることは多いと思いませんか?」

「際限なく…?えっ、それってどういう…」

「魔法は無理でも、人一人を空に飛ばすくらいなら科学でなんとかできますよ。別人になりたければ高度な全身整形をご提供しましょう。透明人間になりたいのなら、アナタの周囲の人間を全て買収して見えない振りをさせましょう。ハーレムをご所望ならそれも可能です。」

「いやいや、そんな買収とか…」

「今のはわかりやすくするため少々オーバーな例を挙げましたが…伝わりましたよね?人知の及ばない力が無くても、夢の“ような”経験をすることは可能なのです。」

「ま、まぁどれも疑似ではあるけど…割り切っちゃえば意外といける…気はしますね。でも…」

「でも?」


 あともう一押しで陥落しそうな状況だが、まだ悠馬は諦めないようだ。


「で、でも!何かしらの代償は…要るんですよね?」


 確かに、願いだけ叶えてくれるなんて甘い話がある訳がない。なので当然、それは坂本にとっても想定内の質問だったようだ。


「フッ…さすがですね、その通りです。お察しの通り、願いを叶えるためには“三つの試練”に挑んでいただく必要があります。」

「ほらね!やっぱりだよ!結局はそうなんだよ!」

「タダより高い物はない…と言いますしね。代償がある方が逆に信じやすいでしょう?」

「で、その試練っていうのも別段ファンタジーな感じじゃないんですよね?話の流れ的に。」

「ご明察です。簡単ですよ、その人が“絶対にやりたくないことワースト3”をやっていただくのです。もちろん“人殺し”のような、非人道的なものや公序良俗に反するものは除きますがね。」


 坂本から告げられた奇妙な条件。なぜ彼がそんなことを求めるのか理由はわからないが、どうであれ悠馬の心を閉ざすには十分だった。


「…あーーー、じゃあ無理だわ。無理無理。帰ってくれる?」


 先ほどまでの圧倒的な劣勢から一転、急に正気に戻った様子の悠馬。どうやら余程の事情があるらしい。


「それほどですか…。ちなみにどのようなものか…お聞きしても?」

「…まぁ、“好きな子に告白する”とか、“学校に行く”、“親に会う”…とかかな。この三つだけは死んでも嫌だね。」


 一つ目はともかく、残り二つにはやはり深い事情がありそうだ。本来ならば簡単に人に話すような悩みでは無さそうだが、振り回されすぎた悠馬はもはや正常な判断力を失いつつあった。


「なるほど…じゃあそれで。」


 そんな悠馬を追い詰める坂本。


「…ハァ!?いや、じゃあそれで。じゃないよ!人の話聞いてた!?」

「ええ、きっちり三つ。」

「そういう意味じゃなくて!聞いてた上でそうくるのかってこと!人の心は無いのかってこと!」

「ヒトノ…ココロ…?」

「なんで急にカタコトになるのさ!?絶対ふざけてるよね!?」

「もう少しなので。もう終わりますので。あとは願いを言ってくだされば…」

「うるさいなぁ!言わないよもう何も!きっともっと面倒なことになるし!」

「いや、ですが…」



「いいから帰ってくれよっ!!」



 悠馬は詰め寄ってくる坂本を全力で払いのけた。

 しばしの静寂が周囲を包む。


 そして…



「受理しまシタ。」



 どこからともなく、人工音声のような事務的な発声の声が聞こえた。


「えっ、受理って…?」

「お言葉通りの意味です。アナタの願いは受理されました。これからその願望を叶えるために、アナタには“三つの試練”に挑んでいただきます。」

「えっ!?ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待っ…」

「戸惑うお気持ちはわかります。」

「そうじゃなくて!いや、確かにそこにも戸惑ってはいるけども、その前に…受理って何を!?」

「おっしゃったじゃないですか。“帰ってくれ”と。」

「い、言ったけど…それが何か…?」


「アナタの、“願い”を。」


「う…嘘だろ…!?」


 坂本が何を言いたいのか理解し、顔面蒼白になる悠馬。しかし坂本は意に介さず、説明を続けた。どうやらこんな状況には慣れっこのようだ。


「では今日からよろしくお願いしますね青木氏。全て私にお任せください。」

「いやいやいやいや!僕はまだ何も認めては…」

「アナタが見事、試練を突破した暁には私…責任を持ってアナタの願いを叶え、帰ります。」



「今すぐ帰ってくれぇえええええええええええ!!」



 悠馬の受難の日々が始まる。

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