海に没した幻の51cm砲
潮騒の音が、呉の造船所を包んでいた。海面に反射する朝日の光が、静かに波を揺らす。だが、この静けさの裏には、誰も知らぬ戦艦の記録が眠っていた。
かつて河内型戦艦の一隻、摂津は、大正期に建造され、戦艦としての役目を終えた後、奇妙な役割を与えられた。それは、世界最大級の大口径砲――五一糎四十五口径砲――の実験艦として海上に再び姿を現すことだった。
1937年、摂津は改装される。老朽艦ではあったが、その中央部には巨大な単装砲塔が据えられ、呉工廠の技術者たちは息を詰めながらその完成を見守った。かつての主砲は撤去され、簡素化された艦橋と副砲の撤去により、艦はまるで怪物の背骨のような姿に変わっていた。
海上での試験射撃が始まると、51cm砲の威力は圧倒的だった。一発ごとに艦体は揺れ、反動が甲板を軋ませる。射程は長大、破壊力は計測不能に近い。しかしその反面、砲塔重量は過大で、装填速度は遅く、艦体への負担は想定を超えていた。
技術本部の高官たちは、艦上でのデータを慎重に分析する。陸上試験だけでは分からなかった海上での問題点――艦体構造への反動、旋回や俯仰の安定性、命中精度の低下――全てが記録され、やがて結論が下される。「主力艦の主砲は、46cmを上限とすべきである」
それでも51cm砲は、海上を一度でも轟かせた。試験艦摂津は、文字通り「幻の砲」を抱えた戦艦となったのだ。
時は過ぎ、実験は終了した。砲塔は撤去されることなく、摂津は標的艦として海に沈められる運命を辿る。艦とともに、巨大な砲本体と設計資料、実験データはすべて海底に没した。海の底で静かに眠るその存在は、誰の目にも触れることはなかった。
戦後、資料の痕跡を探す者も現れた。しかし、呉工廠の記録にも、艦の設計図にも、五一糎砲の詳細は残されていない。まるで初めから存在しなかったかのように。海の底に没したその砲は、歴史の中で幻としてだけ語られることになる。
だが、夜の波のさざめきに耳を澄ませば、かすかに思い出される轟音がある――かつて海上に立ち現れた、巨大な単装砲塔の戦艦の記憶。それは海に没した幻の51cm砲の証であり、戦艦技術の極限に挑んだ日本海軍の痕跡でもあった。
海は静かに、だが確かに、その歴史を抱えている。沈んだ艦も砲も、誰にも知られることのないまま、深い海底で永遠の眠りについたのである。