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 夢を見た。 真夜中に雨が激しく降っている。

横断歩道の前に立ってるふたりに傘はない 。走り去る車のライトが雨でびしょ濡れになって佇んだふたりを照らす。

「さよなら 」

信号が点滅しかけた時 しゅんちゃんに別れを告げ走った。 雨に打たれながらこれでいいんだ、 これでいいんだと。よくなんかない、ちっともよくなんかない 、やだーやだー… 。

 カーテンを開けるとキラキラまぶしい。この清々しい天気と裏腹に気分は優れない。両手で髪をぐしゃぐしゃに掻く。

目が重く鏡を見るとまぶたが腫れていた。

「おはよ、今日はだめだ… 元気 ?」

餌をやる。

「これから海行って膿吐いてくる」

錦鯉は好きにしれやと言わんばかりに餌に群がり取り次いでくれない。

ジーパンをはき、なりふり構わずアパートを飛び出した。 勇み足で駅に向かい側溝で目にした空き缶をおもいっきりけるがからぶった。電車の中は休日のせいか楽しげな顔をした人たちばかりで、イライラしながらなぜそんなに楽しそうにしてんの? 何がそんなに嬉しいんだろう、今日1日だけこの気持ちに合わせてくれてもいいじゃない、もっとみんな暗い顔しろよ… なんて素直に人が見れないでいる。

 途中、 電車に乗り換え駅から歩いた。さすがにここら辺も賑やかで公園に着くと色とりどりの花が目にとまる。いつもなら近づいてどんな花なのか香りを嗅いでみたくなるのに今日はそんな気になれない。海に向かって一目散に歩き続け、人にぶつかろうが周りの人のことなんて目に入らない 。

"ぐわあー "大きな声で… 目の前に、自我が芽生えたばかりの子が癇癪を起こし ママを困らせている。私はそんな子供よりタチの悪い大人、人目を気にせずこの眩しい海に向かい大声で泣き叫ぼうと、今ここで大きな声で この子と一緒に 泣き 叫ぶとでも言うのか 、この馬鹿 、愚か者… 自分を精一杯 戒める 。涙が溢れた 。

ママは泣いてる子の手を取り優しく抱き上げ人混みの中に消えていった。

その様子になんだかほっとして…。

潮風に髪を奪われた。

 暗い穴に転げ落ち頭の上には光が見える、ここから出たいのに誰も気づいてくれない。どれくらいここにいただろうか。じっと海を見てボーッとしていた。強く抱いた思いに虚しさだけが残り脱力感とともにうなだれる、沈んだ午後だった 。

「ただいま 、お土産買ってきたよ、 ほら」

貝殻をそっと水槽に落とした。

ほんの電車賃ほどのお金を持って漠然と海を見てきただけ、これからのこと何も浮かばず考えはまとまらず帰ってきた。 心のモヤモヤは捨ててこれずにいた。

 何日かすぎたある日のこと「ただいま 」錦鯉は一斉にざわつき始めた。どうしたんだろう、ガラスをコンコンして餌の合図をした。

「いつも留守番ありがとね」

なんかいつもと違う予感がした。

「どうしたの、なんかあった ?」

蓋の上から中を覗いた。そのすぐ後に電話に呼ばれた。

「 はい 丘沢です 」

「俊一 です 」

「えっ、しゅんちゃん ?」

まさか、なぜ?しゅんちゃんの落ち着いた声に嬉しいとか感激とかというより驚きの方が先だった 。

「どうしたの ?」

どうしたのって 、こんな日をずっと待っていたではないか。

「今度、会いたい 」

この電話をどれだけ待ちわびていたことか 、それなのに感動が言葉になって出てこない。 これ、また夢かしら…受話器を持つ手をつねってみた。 気持ちが動転して 一瞬わからなくなっていた。

「今まで何回か電話したけど… 」

しっかり受話器を握りながら「私も 山科に行ったし電話もかけたけど通じなくて」

「引っ越したんだ 」

「そうだったの 」

「ここ ずっと忙しかったから」

もう二度としゅんちゃんの声を聞くことはないと思っていた。 徐々に思いがこみ上げてきて言葉が途切れていた。

「どうしたの ?」

「もう声聞くこともないと思ってたから」

突然のしゅんちゃんからの電話で感動が複雑に渦巻いていた。

 広い海にたったひとり取り残され溺れている。向こうの方に岸が見えるが浮いているのがやっとの状態で、泳ぐ力はなく考えることは、もうだめだ、このまま沈んでしまうだろうという諦めの気持ちでそれでもアップアップと必死に手足を動かしている。遠くの波間からボートがかすかに見える。

"ここよ、ここ、 早く助けにきて "

そう念じながら、もうすぐ沈んで行くのを感じていた。

白い水しぶきを上げて人が近づいてくるのが幻のように見える。

もう力尽きた。朦朧とし近づいてきた人の発する水しぶきを全身に浴び、腕に支えられ、ありがとうが言葉にならずでもそう言わずにいられない。失いかけてた鼓動が蘇る。大げさかもしれないが私にとっては命に関わるくらいの出来事のはず… しゅんちゃんは会いに来て何を話すと言うのだろうか、 私はそれに対して なんて答えればいいのだろうか。

もう永遠に会うことはないと思っていたから、心はそう決めていたから、なのに… 今更 …しゅんちゃんを迎える心の準備は何もできていない。あんなに会いたかったのに今まで思ってた気持ちが一気に冷めてしまうのでは、なんで今になって…苦しんだ気持ちなんてわかっていない。 だったらいっそ会わないでいた方がいいのでは…いや、そんなことはできない 、しゅんちゃんが会いたいと言ってきたことに心から喜ぶべきであろうに …会って自分の気持ちをうまく伝えられるだろうか… 伝えなくては…。

しゅんちゃんからの電話の後は地に足がつかない 状態 が続いていた。

素直に 向き合ったらこれからもずっといい関係でいられるかも… このことは誰に打ち明けることもなく 約束の日が来た 。

 バイトから帰ると急いで銭湯へ向かい頭からつま先まで念入りに洗う。 早く会いたい、全身に着いた泡をシャワーで流した。

髪を乾かし顔にはパックもした。 錦鯉は静かに見ている。しゅんちゃんと付き合っていた頃につけてた D を 耳たぶになじませ明かりを消した。 目をつむり今どこらへんを走っているんだろうか、 枕元の時計を見ては落ち着かず無事についてくれることを祈った 。

眠れない時間とともにタバコの吸い殻だけが増えている 。

水槽に目を向け 「ねえ、しゅんちゃんに会っていんだよね 、後悔しないよね…」逢ってしゅんちゃんのこと嫌いになったとしてもめちゃくちゃに傷ついたとしても…会いたい自分と会うのが怖い自分がいた。今まで通りこのまま会わずに彼のことは思い出の中にしまっておいた方がいいのでは…電話があってから何度も考えたことで時間が経つにつれ余計なことを考える。

 ドアを叩く音がする。

すぐに明かりをつけた。

「しゅんちゃん ?」

「うん」

チェーンを外しドアを開けると目の前にはあの日のしゅんちゃんがいた。 靴を脱ぐなり抱き合う。 

「会いたかった 」

「わたしも」

しゅんちゃんの ぬくもりをと共に強く抱きしめられ思わず涙が…涙で潤んだ瞳を引き寄せキスをした。

体温が上昇し無心に求め合い愛し合う。

ずっと会いたくて。また涙が溢れ頬を濡らす。

「ひかえ…」唇から乳房へと激しく貪る 、その喜びに喘ぎ声を出さずにいられない 。しゅんちゃんの頬に触れ 唇と指が彼をじらす 。しゅんちゃんはもう待っていられず腹部を引き寄せ激しく求めた。 よろこびの鼓動が高鳴り、溢れたよろこびに声が漏れ体がほてる。 しゅんちゃんの全てはあの時のまま…。

 静かに横たわり目を閉じた 。

 木漏れ日がカーテンの隙間からさしている。

寝息を聞きながらそっとしゅんちゃんを見ていた。この先彼が私を必要とするならいつでも受け入れてあげよう。 それは心のつながりを持った者同士として。

しゅんちゃんからはまだ何の話もないのに、気持ちはあの別れた時の気持ちに戻りつつあった。

小田島のことは関係ない、しゅんちゃんと別れた寂しさを彼がいたことで癒された。 決してしゅんちゃんを嫌いになったわけではなく、しゅんちゃんに会えたことに後悔はない。 また会いたい時に会えばいい、 離れていてもお互いの気持ちが繋がっていれば… しゅんちゃんにはふさわしい女性がいる。 思い続けた人は心の中にいつもいることに…でも 、もうこれっきりなんていや 、しゅんちゃんを愛している。

そんなこと考えてると彼は目を覚ました。

「 ごめん 起こしてしまって」

うなじに甘い吐息を近づけ「 海行こうか」

「わー、うれしい 、これから ご飯作るからまだ休んでて」

腰に絡めたしゅんちゃんの腕を優しくほどく。

メニューは前から考えていた。

こうしてるふたりは自然だった。

しゅんちゃんは水槽を珍しそうに見ている。

「ねえ、 そこの缶から餌やって」

「これ、錦鯉?」

「 しゅんちゃんがいなくなって寂しいから飼ってるの、見てて飽きないし 落ち着くの」

缶の蓋を開け「 どれくらいあげるの 」

「 餌をやるときはこうして合図して 」

コンコン水槽をノックした。

錦鯉はピチャピチャ争って餌を求める。 その様子を見て「ちゃんと餌あげてんの?」

「いつもは静かなのにしゅんちゃんからの電話の日、あの時もざわついてた、きっとわかるんだと思う」

  車は海に向かって走っている。

窓からの風で髪をおさえ「ねえ、しゅんちゃん初めてデートに誘ってくれたとこ連れてって」

ハンドルを握るしゅんちゃんの横顔にあの日のふたりがよみがえって見えた。

 海が近づいてきた。

車は海岸まで乗り上げ止まった。

波は砂浜に寄せ大きく広がっていた 。

ハンドルを掴んだまま「ひかえ今付き合ってる人は?」

顔を上げ前を見て「いたら会わないよ」

「ずっとひかえと一緒にいたい、京都に来て欲しい 」

「…しゅんちゃんからの電話ずっと待ってた 、会いたくて京都まで行って、でもしゅんちゃんからは何もなくて、どんなに連絡待っていたか…今もしゅんちゃんのこと大好き、 これからもずっと思い続けていよって、 電話のあと考えたの 、このまま会わない方がいいのでは、会うことでしゅんちゃんへの思いが一気に冷めてしまうんじゃないかって、でも会ってよかった。 ずっと会える日を待ってたの、電話くらいできたでしょ? 私の愛したしゅんちゃんは心の中にしまっておこうって、大好きだけど一緒に入れない 、その方がきっと 私たちにはいいのかもしれない 」

「ひかえとは終わりにしよう、 もう一緒にはいれない、忘れよう、 それが京都に帰るいい機会だと思った 。会わない、忘れよう 、そう思えば思うほど辛くてそれに実家のこともあるし、 そうゆういろんなことが頭の中によぎって、ひかえが来たことは聞いていた。 その後何回かアパートに電話したけどひかえは留守でずっとひかえのこと忘れたことはなかった。 店もやっと落ち着いたし僕にはひかえが必要なんだ」

「こうしてしゅんちゃんに会えて本当に良かったと思ってる。 いつかは会いたい、いつかは会えると思いながらもう二度と会うことはない、これからはしゅんちゃんの思いに振り回されまいと、 でも今しゅんちゃんの気持ちが聞けたし吹っ切れた 。

しゅんちゃんはいつも心の中に、離れていても繋がり合う、会いたい時に会えばいい、 それに今銀座でホステスのバイトしてるの、会社も辞める気ないし… しゅんちゃんにはふさわしい女性がいる」

「ひかえ 本気でそう言ってんの ?」

「しゅんちゃんと別れてから大切な人を失ったととても後悔した。自分を責め 思い詰めこんな思いをするなら傷つくのを恐れず話し合って別れた方が良かったのでは って、それからだんだん思うようにしたの、しゅんちゃんのことは思い出の中にしまっておこうと。 一生の中で忘れられない人がいてもいいと。これからはしゅんちゃんが会いたい時に話を聞いてあげる 、私でいいなら心の支えになってあげたい 。うまく言えないけど繋がりを持った関係というか…そんな関係で付き合っていけたらと…」

「だったらそんな言い方しないで 好きな人がいる 、付き合ってる人がいる、だから もう会うことができないってその方が分かりやすいよ 」

「そんな嘘ついたらまた後悔する」

ハンドルを握りしめ「じゃどうしたらいいんだ」

「ずっと思い続けたしゅんちゃんを心にしまっておこう、そう決めたの、ねえ、これ以上どう言ったらいいの、ねえ、しゅんちゃん、どうしたらいいの?」

思わず泣き叫んだ 。

別れてからずっと思い詰めてた呪縛から逃れられないでいる自分がいた。 俊一 はひかえを強く抱きしめ「ひかえ、 落ち着いて 聞いてほしい 、僕にはひかえしかいない 、ひかえが必要なんだ 、 お互いに 離れてた時を大切にして 、ひかえとずっと一緒にいたい 」

 涙で顔がぐしゃぐしゃになった。

しゅんちゃんとの再会で今までの思いが混乱してうまく伝えられず同じことばかり言ってしまった。ひとりで横浜に行ったあの日は泣いてる子を見て我に返ったものの晴れ晴れとした気持ちにはなれず、でも今はしゅんちゃんが会いに来てくれたことを大切に受け止めたいと思うようになっていた。

 車から降りふたりで波打ち際を歩く。

「ねえ、 覚えてる?初めて食事に誘われて 、あの日ここでしゅんちゃん私にキスしたの、ほら、あそこのテトラポット」

「 初めて会った時からひかえのこと気になってたんだ 、いつかご飯誘ってみようと」

「 あの時は食事代が浮くくらいにしか思ってなくて誘われました」ふたりは笑いながら話す 。

「良かった 、元気になって、ずっとあのまんまだったらどうしようって」

「多分 、 呪縛が解けたんだと思う 」

「何それ 」

「色々あったの… 私の中で」

こっち見てとばかりひかえの手を引き寄せ「ひかえと離れたくない 」

「私も」

ふたりは抱き合いキスをした。

潮風に髪が揺れる。

波をよけながら歩くふたりの足跡を、波は消さずにいた。

 ホテルの一室にシャワーの流れる音 。

全身が熱くなり水しぶきを弾いた肌が触れ合う 。

「ああー…」

シャワーの音…。

 バスローブ がはだけふたりは愛し合った。

俊一はひかえの濡れた髪を優しくなで潤んだ瞳を見つめていた。

  目覚めると手は繋がれたままで今こうしてしゅんちゃんといる。 今までひとりよがりに思ってたことがしゅんちゃんも同じように思ってくれていた。これは夢の中ではないはず、だけど不安で 目覚めた彼に聞いた。

「 ねえ 、ほんとに私でいいの ?」

「今のままのひかえでいい」

もう迷いはなかった。しゅんちゃんについていく、そう決めたのだった。

 京都に帰る日は遅くまで 引き止めず、アパートで休んで もらった。

コンコン 「今 しゅんちゃんと一緒だよ 、ほら、ご飯食べてね 」

みんな バシャバシャしてる。

「 私が帰ったから嬉しいんだよ 、もし 話がこじれて、私は常に冷静だったけどしゅんちゃんが冷静さを失った時 、悲惨な状態だってありえるからね。鯉って人の気配わかるし、こうやって餌をあげてるときだって私の気持ちがわかるんだよ」

うなずきながら「僕の方が冷静だった気がするけど、ひかえ、相変わらず サスペンスな話だな」

ふたりで笑う。

こうしてる時間が幸せだった。

しゅんちゃんの腕の中に包まれる。

またしばらく会えなくなる。

「気をつけてね 」

「ひかえも元気で 」

車が見えなくなるまで手を振った。あたりは静まり返っていた。

たった今ふたりだけの時間が消えていった。

空っぽの食器を片付ける。

コンコン「しゅんちゃん 帰った んだ」 大きく息を吐いた。

小田島のこと…。

 ブランデーが飲みたくて冷蔵庫からチョコレートを出してひとつつまんだ 。涙の粒… この形ともお別れ、甘いカカオの香りが消える前に琥珀色の液体をゆっくりと舌で転がす。喉が潤い次第に熱くなる。 心地よいゆりかごに揺られてるような…。

 毎日があっという間に過ぎてゆく。仕事も終わりみんな帰り出した。

「今日は時間が長く感じた 」

りりこはそう言いながら今つけたばかりの香りに鼻を近づけて 「これDでしょ ?」

「前から持ってたんだけど、最近 バイトでつけ始めてずっとつけてなかったんだ 」

「友達もつけてるの 、これからデート ?」

「銀座で待ち合わせしてるの、女の友達とね」

りりこに しゅんちゃんのこと、良い状態で付き合ってることを話した 。

 これから 恵子と待ち合わせをし 、お寿司を食べに行くのである。 この前のうどん屋でのこともあり誘ったのだ。

恵子は先に来て待っていた。

「ごめんね、待たせて 」

恵子は明るい笑顔で 淡いオレンジ色のスーツが似合っていた。

ふたりともお腹が空いていた。

恵子はおしぼりで手を拭きながらトロを頼んだ。

「ひかえちゃんにいい人紹介しようと思って」

「えっ、ぐぶぐぶ…」

お茶を口にしてる時に、おまけにむせて咳き込む。

「ありがとう、でもいいのほんとに」

「会うだけでも会ってみない? 前勤めてた会社の人なんだけど」「 私これから付き合う人とは結婚を前提にと思ってるから」

「そんなに難しく考えなくていいのよ 」

「そんなこと言ってもその人が本気だったら悪いじゃない」

やっとつながりあえた しゅんちゃんとのことをあやふやな言い方にしてはいけないと思った 。でもこのことはまだま恵子には話さなかった 。

「今は誰とも結婚は考えてないの、それと小田島さんとは終わりにしようと思って、自分だけのものにしたいと考えたこともあったけど、もういいの、 ちょっとそれてしまったかなでとどめておこうと、ひかえめな恋愛はのめり込んではいけないの」

「ん?ひかえめね、慎重なひかえちゃんらしい」

「 はい、言いたいことわかってます。大胆なとこもあるって言いたいんでしょ? 私 、恋愛はいつも一途に真剣よ」

笑いながらお茶を含み、続けて 「その話は断るから、 お腹空いたよ 」

 時間前に寄に入ると鈴江は にこやかな顔で 「ふたりお揃いで」

「お寿司食べてきたの」

満足げに言うと恵子は手に下げた折箱をカウンターの鈴江に 「 これ鈴江さんに買ってきたの、私たち鈴江さんの好みわからないから適当に握ってもらったんだけど」

「まぁ嬉しいごちそうさま 」

 3人で今話題のETの話をする 。

しばらくして客とエレベーターで一緒になったと冴子とあきよがにぎやかに入ってきた。

 客はすっかり顔馴染みになった実業家の原と松宮すみれである 。独身のすみれは若く大人の魅力があり、 原はいつもすみれとくるがふたりの関係に興味などない 。ただふたりのお酒を飲む感じや仕草から何気なく漂う雰囲気がある。店に来た時はお高くとまってるように見えるすみれだが今日はなぜか親しみやすく感じた。美人で頭の回転が良くすみれの前ではやたらなことは喋らない。原がひとりで来る時はいいのだがうっかり変なことを言ってお店の品格を落としてしまっては、ふたりで来てる時は苦手である。

 なぜか今日はいつもと雰囲気が違う。

そのきっかけとなったのは彼女の左手の薬指にきらりと光るダイヤモンド。 コースターに置いた水割りに彼女は笑顔で答え輝くダイヤに気づいた。 これは聞かなくちゃと思いすぐに「素敵な指輪ですね、もしかして、おめでとうございます 」

「ありがとう 」

「すみれさんが選んだ男性ってどんな方なんですか ?」

すみれははにかんだようにうなずいた。

すみれの選んだ男性に少しだけ興味があった 。それから恋愛論が始まり冴子は 腕組みをして「女性は男性次第で良くもなり悪くもなる、 反対に女性によって変わる男性もいるけどでも男は男らしく優しく包容力があって女性は魅力的で可愛くて…」

息を飲んで「まるで すみれさんのような人ですよね 」すみれのグラスに氷を入れながら相槌を打つ。

すみれは微笑んで原の方を見た。

原は頷いてすみれを熱い眼差しで見つめた。そして照れながら水割りを飲んだ。

「えっ、もしかしてすみれさんのお相手というのは 、あ、そうなんですか 、おめでとうございます 」

ふたりを凝視した。

冴子もあきよも知っていたようで改めてみんなでお祝いの乾杯をした。

「おかげで気持ち的に若くなりました 」

すみれは原のその言葉を聞きながら嬉しそうに微笑むエクボがチャーミングだった 。

 バイトが終わり恵子と帰る。

「ねえ、 びっくりだったね、ぜんぜん知らなかった」

「ええ、原さん 独身かなって思ってたけど、よくふたりして飲みに来るでしょ 、原さんはまあいいんだけど すみれさんてあんまり話に乗ってこない人だから でもすみれさんもこうなること望んでたんじゃない 」

「そうかも 」

「年が離れてるから慎重になってたんじゃない 、原さん若い頃はプレイボーイでモテたと思うよ」

「私もこうして ホステスしてるけどプライベートとは違うのよ、仕事的には派手に見られるけど接客はそんなに甘くないし、でも仕事が終われば普通の女 、それをええと勘違いや偏見で見ないでよねって、そういう男性には愛してもらわなくもらわなくない、そういう男性には愛してもらいたくないわって、ね、ホステスって大変なんだからみんな人情があって …はい 、とても勉強になりました 」

言葉が もつれもつれになる 。

「なに、ひかえちゃん」

「えっ、 何かおかしい ?話しそれたかな」

「ううん、少しね、でも間違ってないよ 、私もそう思う。 ひかえちゃん 酔ってる?」

「 酔ってるもなにも、あっ、 いけない、 間違って自分のに濃いめに作っちゃったかも、 やだ ぁママも 冴子さんもそうしてもう恵子ちゃんもみんなみんな大好きー」

指を折りながらよろけて歩くと恵子は支えてくれた。

「ひかえちゃん大丈夫? 帰れる?」

「はい帰れます 、けいこちゃん明日も仕事頑張りましょう」

恵子は心配して改札口まで来てくれた。

その後しゅんちゃんとは連絡を取り合っている。

会社が終わると私が電話してお互いに声を聞くだけでよかった。

今しゅんちゃんはコンピューターに夢中のようだ。

しゅんちゃんに手紙を書いた 。

友達の誘いでホテルにランチを食べに行った日のこと、ホテルのロビーで偶然 、外国の超有名アーティストに会うことができ笑顔で投げキスしてもらいとても感激した。あっという間にチケットが売れて見に行けなかった悔しさが一変して吹き飛んだって、ホテルで食べたランチは美味しくて心が豊かになれた。なんていつものパターンでつまらないことをずらずら書き綴った。

 ラジオを聞いていた。雨が降りパラパラという音からばらばらに変わり軒先の葉っぱに落ちる雨 、うるさいくらいの音に変わったが心地よくてラジオを止めた。

愛する人がいるだけでこんなにも気持ちが豊かでいられるなんて付き合ってた頃 はこんな気持ちになれただろうか。一度失ってみないと気づかない、 仕事が終わると毎日のように会っていた。

どちらかが会いたいというのではなく、ドライブしてそれがふたりのいつもだった 。

何でも言いあえたのに別れる時はそれを避けていた。

何がいけなかったのか、気づくことができなくて次第に気持ちがすれ違うようになり別れが決定的となったのはしゅんちゃんが京都に帰ることを告げた時 、私は彼の何だったんだろう 、自分の存在に疑問を持つようになり自然と別れが予感できた 。

それからはわざと今まで以上に自分勝手なわがまま女になった。それを悔やみ泣いた日々…それが今、確かな愛へと変わった。

 鴨川に誰かが作った 笹舟が流れている。

石畳を歩くとヒールがコツコツと音を立てて、とっさによろめいてしゅんちゃんの腕に捕まった 。

潤んだ瞳が視界を邪魔して ブラウスの袖で涙を拭った。

「ひかえ大丈夫?」

「しゅんちゃんといることが嬉しいの」

「 同じだよ 、あの時随分迷ったんだ 、きっともう彼氏いて今更電話しない方がいいのでわって…でも電話してよかった 、ひかえからは電話くれなかったろう?」

うなずきながら「電話はしないし、してはいけないって。たまに しゅんちゃんのこと思い出すだけでいいって」

 ふたりの生活が始まる部屋には全てのものが備えられていた。

ふたりは寄り添い 重なり合った。

 新幹線のホームに無口なふたりがいた 。

ベンチに腰掛けコーヒーの缶を片手にもう片方の手はつないだままで別れの時間を待っていた 。

これからふたりは永遠に続く長い線路を走り始める 、降りることのない ふたりだけの線路を…。

 新幹線が大きく近づいてくる。時間が止まってくれたらいいのに、 窓越しに手を振るとふたりの距離がすうっと離れそしてスピードに変わり遠のいた。

つないだ手のぬくもりがまだあった 。

 目を閉じるとアパートから出て新幹線に乗り込み、たった今わかれるまでのシーンがよみがえる。互いにかわした言葉までも。

ずっと目を閉じていた。

 部屋の明かりをつけると錦鯉は気配を感じて慌ただしくなる 。

「ただいま 、しゅんちゃんに逢ってきたよ、 あんたたちがいるから寂しくない 」

喜んで餌を食べるようすを見入っていた。

 ある日、林田と佐藤が店を訪れた。

「コイちゃん」

「お待ちしてました」

林田 は花瓶にさしたカサブランカを見て「やー、今日は蒸し暑い日だった」

カウンターに用意したビールを運び 「林田さんの錦鯉はお元気ですか 」

佐藤は ニコニコしながらビールを飲み「彼はクラシック聞かせてんだよ 」

恵子はビールをつぎたして「まあ酒蔵にも音楽流してるって聞いたことありますけど音楽は胎教にもいいって言うじゃないですか、 そういうことでしょうか 」

「じゃあ、うちは 私が語りかけてる美声がいんですね」

「ひかえちゃんとこは雑音として鳴らされてんのよ 、たぶん最初のうちはきつかったと思うわ」

あきよが続けて

「私も錦鯉を飼おうと思って準備してるとこなの、水槽の位置も決めたし 」

「いらっしゃい 」

ママは涼しげな色の着物で襟元を直し腰かけた。

「今日も錦鯉の話かい」

「ママ、私も錦鯉飼おうと思って」

「あきよ、あなた生き物大丈夫?」

ママは置かれた カンパリソーダを 口に含んだ。

 客は突然の雨でスーツを濡らしている。 乾いたタオルで拭きとり奥に案内した。ひとしきり強く振り出した雨は小雨に変わろうとしていた 。

 真夏の太陽がギラギラとアスファルトに注ぎ、都会の空気をうんだりさせていた。 なるべく汗をかかないように足を急がせる 。

更衣室で化粧を直し最近買ったイヤリングをつけ、 姿見に顔を近づけ口紅を塗ると、派手な色に塗り替えた。

 この日 、 寄に小田島からの電話で近くまで来てるということで迎えに出た。 横断歩道を渡りながら小田島を見つけると「小田島さーん」大きな声で手を振った。

小田島は照れながら ひかえの笑顔に愛しさを感じていた。

「突然電話してごめん 」

「 いいえ 、お久しぶりです」

小田島とは自然に終わってしまうのがベストだと考えてた時期もあった。客としてひとりの男性としてときめくまま恋をして今以上のことは望んではいけないという思いに、時に小田島の優しさが苦痛になったこともあった。

小田島を自分だけのものにできるはずがなかった。

「ひかえさんに会いたくてホテルの会合を抜け出してきたんだ 」

「じゃあ今頃探してんじゃないですか、 捜索願い出されたりして」小田島とは…この機会にけじめをつけなければいけないと …小田島は1時間ほど店にいた。

そのあと彼の待つホテルのラウンジへと向かう 。

「来てくれてありがとう」

「 いいえ 、こちらこそありがとうございました 」

 運ばれてきたアイスコーヒーに手をつけられず 、そしてなかなか言い出せなくて…。

「東京に来るとひかえさんに会いたくて無理言って悪いと思ってる」

「 いいえ 、そんなことないです 、私も今日は会えてよかったです 。話したいこともありまして」

小田島は真面目な顔で「なんだろう 、お金のことなら相談にのるよ」

「 はい、 ありがとうございます。 いえ、 そんなことじゃなくて…」

「 ちゃんと話していいよ」

「今結婚を考えてる人がいて小田島さんとはもう…」

少し間を置いて小田島は深く頷き「こういう時は心からおめでとうと言った方がいいんだろうな 、こんな日がいつか来ると思っていた。ひかえさんのこと今も大切に思っている 、彼がいてもいなくても束縛してはいけないと、こんな日のために心の準備はしていたつもりだが…そうか…ひかえさんに結婚しないでなんて言う資格はない…」

小田島は 冷静でいた。

「 このまま何も話さず に終わってしまう方がいいのではって、でも今日は伝えておこうって」

「ひかえさんの気持ちは嬉しい、 私の家庭 、仕事のこと 、きづかってくれて、その気持ちをわかっていながらいい気になっていた。そんな自分はずるくて悪い男、ひかえさんが突然いなくなりなんの連絡のないまま途方にくれる。罰としてその方が私のようなずるい男にはいいのかもしれない、こんな私に話してくれてありがとう、ひかえさんの結婚を考えてる人がいるという心の中には入れない」

ゆっくりと息をした後 「今まで幸せでいられたことに礼を言いたい 、ありがとう。そしておめでとう」

小田島はまた大きく息をした。そして数秒間の沈黙の後 「 今夜はもう少し一緒にいてほしい 」

ふたりはホテルを出た。

 ふたりで会ったあの日のスポットライトに再び照らされもうすぐエンディングの幕が下りようとしている。

もう、離れて歩くことはない、秘密の恋は終わりなのだから。

ダンスが踊れる雰囲気の良い店である。

カウンターに座りシャンパンで乾杯した。

この日が小田島との最後だった。

 数日後、恵子にしゅんちゃんのことを話した。

恵子も年末にはニューヨークへ、 新たな仕事にやりがいを見つけ日本を離れる。

「じゃあ今夜はふたりの出発のために前祝いといきましょう 」

「飲むよー! 」

 

 コンコンコン

錦鯉は四方に散らばった。

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