第十九話 ユニーク・スキル
かくして勝負の決着はついた。結果はアユムのぼろ負けである。
半ば、勝利を確信していたアユムにとってはこの上なく悔しかった。
そんな彼をよそに、マリーは今回の訓練の感想を述べる。
「《影分身》と《テレポート》を組み合わせた戦術は良かったわ。【ウィークネス】を完全ではないにせよ発動して、イクシリアの動きを止めたのも見事ね。まあ、今のキミにしてはよくやった方なんじゃないかしら? イクシリアには全然届かないけれど」
アユムは今の自分にできることを最大限出し切ったつもりだった。だけど、それでもマリーとイクシリアには届かなかった。惜敗ではない。惨敗である。最後にマリーが起動した呪文札……。あの威力はアユムの想定外だったし、それ以前に、マリーはいつでもイトミクを攻撃できたということだ。自分の作戦に嵌めたつもりでいたが、実際、マリーの掌の上で踊らされているに過ぎなかった。
呪文札一枚でそれまでの戦況をひっくり返す。マリーの呪文札さえなければ、イトミクの攻撃はイクシリアに通っていたはずなのだ。まさに盤面をひっくり返されてしまった。
「どうする? 続ける?」
「当たり前だろ。負けっぱなしで諦められるか!」
「負けたばかりで落ち込むのもわかるけど、期限は一週間。キミには時間がないってことを忘れないようにね」
「んなこと、わかってるさ」
「じゃあ一つだけアドバイス。今はあくまで呪文札の扱い方の訓練をしているってこと、忘れないようにね」
そう……戦闘訓練とはいえ、メインはアユムが呪文札を使いこなせるようになることに重点を置いた特訓である。そもそも単純な力量ではアユムの手持ちレムレスと、マリーの操るイクシリアでは実力に差がありすぎるのだ。それこそ、たった一撃を与えることさえ困難なほどに。
呪文札による攻撃・妨害もあまり効いていないようだった。期限は一週間しかない。闇雲に挑戦している暇はないのである。
イトミクとルビー:カーバンクルが回復するのを待ってから、特訓が再び開始する。
無暗な突撃は控え、相手の隙をついて奇襲する作戦に出たアユムだったが、マリーが発動した呪文札【アクセラレート】の効果により、目で追うのがやっとの素早さを得たイクシリアに二匹ともあっさりやられてしまった。戦況は一戦目とほとんど同じで、碌な成果を出せずにいた。
回復を待っていては訓練時間が減ってしまうという鬼コーチ、マリーの提言によって、彼女の呪文札【キュア】で無理矢理イトミクとカーぼうを回復させ、再びの特訓。そんなデスマーチともいえるような特訓が一日中続いた。
一日目の訓練はこうして、大した結果を出せないまま終わったのだった。
アユムはマリーに隠れて部屋で呪文札の色を変化させる練習に取り組んでいた。
カーぼうもマリーも呪文札の設定にはイメージが大事だと言っていた。
イメージ、つまり想像力である。マリーが発動した【ショック】を真似て、同じような攻撃を彼なりにイメージして魔力をこめてみたが、やはり色は黒のまま。赤色に変化はしない。自分はもしかしたら赤色が特別苦手なのかもしれない。そう思って、他の色に変化できるのか試してみたが、どれも同じ。結局黒色のままである。
それからあっという間に四日が過ぎた。特訓を開始してから五日。マリーとの約束の期限まで、あと二日しかない。アユムとレムレス達のコンビネーションは特訓前に比べてだいぶ良くなっているが、未だイクシリアに攻撃が届く気配はない。数日の訓練を経て、イクシリアもカーぼうやイトミクの動きの癖を見抜いており、マリーの呪文札による補助も相まって、全く差が縮まらない。
アユムの呪文札が通用しないのがその大きな要因の一つとなっていた。
数日の特訓を通じて、ようやくアユムも呪文札の色を変化させることができるようになった。全色扱えるわけではなく、赤と青――より正確に言えば【ファイアボール】と【ウィークネス】だけは色を変化させて使えるようになった。呪文札の色が変化するということはすなわち、発動した時にいっぱしの効果が期待できるということだ。赤色と青色の呪文札ならある程度使えるようになったかといえば、そういうわけではなく、実戦でまともに使えるのがこの二種だけ。
しかも、所詮いっぱしの威力でしかない。地獄の特訓を続けるにつれて、アユムにもマリーとイクシリアが相当な実力者であることは嫌でもわかってきた。研究をする片手間でこんなに強いなんて、恐ろしい実力者である。
この二人相手では、並みの呪文札では通用しない。ほんの一瞬の隙をつくるのがせいぜいだ。そして、その一瞬の隙を作りだしたところで、イクシリアはマリーと呼吸を合わせているかのような連携で、反撃の手を打ってくる。
何か……マリーとイクシリア、二人の想像の埒外にあるような攻撃を組み立てなければ、たったの一撃さえ通る気がしない。
やがて今日も日が暮れて、特訓の終わりがやって来た。今日も昨日までと同様、攻撃がかする気配すら感じさせなかった。
マリーは着実に呪文札の扱いが上達していると褒めてくれているが、それだけで納得できる素直なアユムではない。
期限はあと一日……。明日の特訓でイクシリアに一撃でも攻撃を当てられなければ、アユムは向こう一年マリーの下でみっちり特訓を続けることになる。その間、街の外でフィールドワークもできないし、自分の記憶の手掛かりを探すための旅にも出られない。
約束の刻限が迫っていることで、アユムは焦っていた。焦る気持ちは魔力を共有している契約レムレスたちにも少なからず伝わる。感情を察知することに長け、影響を受けやすいイトミクは、夜更けだというのに床につこうとしない主人を心配してじっと見守る。
一方、そんなイトミクとは正反対に近い性格のルビー:カーバンクルことカーぼうは、悩むアユムにずけずけと言ってのける。
「いい加減腹くくるこったな。いいじゃねぇか一年くらい。アユムにしては結構がんばったんじゃねーか?」
「んなこと言ってられるか。一年待ちぼうけなんて、俺はまっぴらごめんだね」
「っても、現実問題、あの化け物相手にまともに戦えるビジョンなんて浮かばないぜ?」
化け物とはイクシリアのこと。カーぼうのトラウマを忠実に再現する術技も持っており、彼にとっては完全に化け物扱いである。
「……特訓は鬼だが、マリーは無意味な訓練なんてしないはずだ」
「どうかな。オレはあの女、血も涙もない鬼にしか思えないけどね」
「茶化すな。俺が言いたいのはだ。マリーが期限を七日に設定したってことは、七日あればクリアできると思ったからじゃないか? きっと、マリーの課題をクリアするための条件……ピースはもう揃ってる。俺はそう思う」
「にしたって、今日もボコボコに負けたんじゃねーか。これ以上どうするって言うんだ? そこのちんまいのはともかく、少なくともオレは今から新技覚えるなんて無理だと思うぜ?」
カーぼうの言うことも最もだ。イトミクとカーぼうの息はあってきているし、戦闘中の交代のタイミングも上達してきている。明日中に新しい術技を習得するのは容易ではないし、習得できたとして、一朝一夕で身に着けた術技があの二人相手に通用するとは思えない。
今現在できることで最大限自分の持ち味を発揮する――そんな《固有術技》とでも呼べる武器があれば、きっとあの二人とも戦える。
無様な大敗を喫してから数日、アユムだっていたずらにマリーの呪文札さばきの真似をしていたわけではない。様々な色の呪文札を試しながら、自分の戦術に合ったものを模索し続けてきた。試行錯誤の結果、アユムが辿り着いたのは――。
「やっぱ、これしかない」
アユムが手にした呪文札を覗き込んでカーぼうは首をひねる。アユムの中では明日の戦闘訓練で勝つ算段がついた様子だが、カーぼうには夢想にしか思えなかった。
「どや顔してるところ、悪いが……アユム。お前の呪文札、黒のままじゃねーか」
呪文札は初めは黒色。そこから設定した効果の性質によって色が変化するという特性を持つ。効果設定が上手くいかなかった場合は黒から変化しない。そのため、黒色の呪文札は総じて中途半端な効果設定になっていることが多く、実戦ではおよそ使い物にならないことが多い……というのが一般論である。
アユムだってそれはわかってるはず。だから、訓練を始めてから色を変化できるよう試行錯誤を重ねて、赤の【ファイアボール】など、いくつかの呪文札は実戦でまともに使える程度にはなった。そもそも呪文札の色が黒のまま変化しないことに一番コンプレックスを感じていたのはアユムじゃないか。彼が黒色のままの呪文札を手にして、勝利への道筋を描いていることが、カーぼうにとっては信じられず、どうにも腑に落ちない。
そんなカーぼうの心配に反して、アユムは明日の訓練での戦術の流れをイメージしながら楽しそうに笑う。
「安心しろよカーぼう。作戦が上手くいけば、明日は俺たちの勝ちだ」
「お前の自信はどこから来るんだ? せめてその根拠をオレに教えてくれよな」
「いや……お前はすぐ顔に出るし、悪いけど明日は囮役を担ってもらう」
「はぁ!? 作戦会議なしで勝てる甘い相手じゃねぇのわかってるだろ? 生半可な黒の呪文札なんか通じねーぞ?」
「ああ……。だからこそ俺は黒の呪文札で戦うことにしたんだ」
ずっと考えていた。どうして自分の呪文札は黒から変化しないのか。
あれこれ試すうちに、なんとか赤と青の変化はできるようになったが、自分でも無理をしていることはよくわかっている。
苦難の末、赤の【ファイアボール】と青の【ウィークネス】だけ使えるようになったが、マリーの操る呪文札と比べると大した威力ではないし、二人にも通用しない。それ以外は試しても、黒色のまま変化しないものばかり。
マリーは言っていた。呪文札の色には好みや、向き不向きがあるのが普通だと。アユムは自分が呪文札の扱いに不慣れだから、想像力が足りないから、黒色から変化しないのだと思っていた。
けれど、きっと発想が逆だったのだ。
呪文札の扱いが苦手だから黒から変化しないのではなく、黒の呪文札が自分には合っているのだと。
「明日の試合で度肝を抜いてやる。難しく考えることはない。結局、イクシリアに一撃当てれば勝ちなんだから」
まだ、マリーとの訓練で試したことはない。どれだけ役立つかは正直未知数だ。彼女のことだから一度見せれば、すぐに対抗策を練ってくる。勝機は初見の一発目、そこにしかない。野生のレムレスとの野良バトルではない。今回の訓練はあくまで対人戦――人間が相手だ。対人戦に一点特化した呪文札の構築なら、マリーにだってつけ入る隙はあると思う。
いよいよ明日がマリーとの訓練の最終日。緊張していないわけではない。だがそれ以上に、思いついた戦術が上手くハマる情景を想像した時の楽しさが勝って、アユムは不敵に笑った。
未知に包まれたアユムの作戦。アユムは設定を終えた呪文札に随分自信がある様子だが、カーぼうの不安は消えない。
だけどもう一匹のレムレスは違った。イトミクはアユムの感情の高ぶりをキャッチして、主人同様に楽しそうに笑っていた。アユムとイトミクを見ていると、まぁよくわからないけど、なんとかなるかも……そんなふうに思えて不安がすっと軽くなる。カーぼうはふわあぁ~と大きな欠伸を一つして、明日に備えてさっさと寝ることにした。
根拠なんてまるでないが、明日は楽しくなりそうだ、そう予感したのだ。