婚約破棄されたリス令嬢、狼獣人の第二王子に溺愛される
それは、獣人の国の王城の宴で起こった。
「レティシア公爵令嬢。君との婚約は破棄する! 重大なことを隠していた。騙されていたようなものだ。心当たりがあるはず。ずっと偽っていたお前は信用できない」
とうとう秘密がバレてしまった。王太子のユリウス様の言う、心当たりは大いにある。ベータのフリをしたオメガだということだ。
私が否定しないのを見て、王太子は侮蔑を含んだ視線を送った。
「……やっぱりな。そんなことだろうと思っていた」
「……すみませんでした」
「謝って済む問題ではない。公爵家との信用にも関わる」
「どうか、罰を受けるのは、私だけにしてくださいませ。全て私が悪いのですから」
「婚約破棄で充分だ。レティシアの個人の判断で隠していたのなら、公爵家については、これまで忠義を尽くしてくれたから不問とする。……が、次はない」
呆然と立ちつくした私の前から、王太子は去った。
王太子がオメガを毛嫌いしていることは知っていた。その原因は、腹違いの弟の母親がオメガだからとも言われている。現皇帝はベータの王妃よりも、オメガの下級貴族の側室を溺愛してしまった。王太子なりに、親と同じ轍を踏まないように気をつけていたのだろう。
オメガだと言いふらすのではなく、「重大なこと」と濁したのは、彼なりの気遣いかもしれない。
そんな気遣いもできる彼なのに、婚約破棄を突きつけられたのは、それだけ許し難かったのだろう。
宮廷音楽隊が楽器を鳴らすと、事件の困惑を残しつつも宴は続く。
取り巻きだった令嬢たちが遠巻きに噂話をしている。
壁際に移動して、目を閉じ、ただ時間が過ぎるのを待った。
好きでオメガに生まれたわけじゃない。私だって、ベータに生まれたかった。
公爵家の令嬢なのに、第三の性とも呼ばれるオメガとして生まれてきた。両親からは一族の恥だと言われながら、毎日高価な薬を飲んで、オメガを隠して生きてきた。
この獣人の国では、周辺の人族の国に合わせて、耳と尻尾を隠して人の姿でいることが貴族のマナーとされている。よって、宴の出席者の見た目は人族そのものだ。
性種と呼ばれる区分は三つ。
王族――アルファ。人を統率する力を持つ。
高位貴族――ベータ。アルファに付き従う。
下位貴族、庶民――オメガ。劣等種で、思春期以降はヒート(発情期)が起こり、他の種を誘惑するフェロモンを発する。
……。
ドクンッ、ドクンッ、と自分の心臓の音がやけに大きく鳴っているのを感じた。
なんで、急にヒートが……。薬もちゃんと飲んで来たのに。
そうだ。緊急の薬。
胸元のロケットペンダントを握りしめた。貝殻の形が気に入って、毎日お守りのように首から下げているものだ。
この中に、突発的なヒートを止める薬が入っている。
「この甘いにおい……オメガか?」
「使用人がヒートを起こしたのか? 全く、教育がなっていない」
「ヒートを起こしたオメガはどこだ?」
辺りは、にわかに慌ただしくなってきた。
まさか招待客の一人がオメガだとは思いもよらなかっただろう。高位貴族はベータで占めているからだ。使用人のヒートを起こしたオメガ探しが始まる。冷やかしも混じっている。
大変だ。このままでは、ベータで通しているのに、オメガだと知れ渡ることになってしまう。
オメガのヒートが起きたときは、耳と尻尾が出現し、アルファとベータの性欲を刺激する。私の場合は、リス獣人の特徴である茶色の菱形の耳と、太くて長い尻尾が出てしまうだろう。
体が熱い。汗でドレスが皮膚にまとわりつく。壁にもたれかかりながら、肩で息をした。
ロケットペンダントを開けて、薬を早く飲まなくては。
ググッと指先に力を込める。
思いっきり引っ張った。
しかし、錆びついているのか、貝殻の口はピタッと閉まったままで、びくともしない。
「こっちへ来い」
男の声がして、手を掴まれた。宴の広間から逃げる手伝いをしてくれるのだろうか。
部屋の一室に連れて行かれ、パタンと扉が閉じられる。
「あっ……」
こちらを振り向いた男の顔に見覚えがあって、私は声を上げた。彼は幼い頃に何度か遊んだことがある。最近は会っていなかったけど、背や肩幅が伸びた。声もずっと低くなった。
社交界に滅多に顔を出さないことで有名な第二王子のアラン。今回の王城の宴には、珍しく出席していたらしい。
「あ、あ……アラン……わ、私、実はオメガで……」
「――それは、今の状態を見ればわかる」
「そ、そうよね。こ、これを……」
「ロケットペンダントを開けてください」と言いたいのに、息が上がって言葉にならない。
アランは、慌てている私をチラリと見て、「色気のダダ漏れだな」と呟いた。
好きでこんな状態になっているわけじゃないのに!
「……時間がない。意に沿わないだろうが、許せ」
「んっ……!」
不意打ちだった。
唇に柔らかい感触。口を塞がれた。
私のファーストキス! 婚約者の王太子ともしたことがなかったのに!
息ができずに、「んー、んーっ」と、もがく。
やがて、唇を離される。抗議しようとして、体の違和感に気づいた。
「…………あれ? ヒートが収まった?」
「アルファからの口づけでヒートは一時的には収められる。なんだ? 木の実を頬張り過ぎたような顔をして。オメガなのに、それくらいのことを知らないのか」
「恥ずかしながら……そうです」
「……もしかして、抱いてほしかったのか?」
息をするのを忘れて、顔の表面温度が急上昇した。私は頭をブンブンと振る。
「いえ、いいえ! 抱いてほしいなんて……」
オメガを隠すことばかりに必死で、オメガの特性を理解していなかった。
抱かれた場合――交尾した場合は、一日だけヒートが収まるのは予備知識として知っていたけれど。
後になってわかったのは、口付けだけでなく、アルファの手をギュッと握るだけでも多少はヒート鎮静の効果があるらしい。口付けの方が長く持つらしいが。
「その耳……キスする度にヒクヒクと動いて可愛いな」
「きゃあ! 見ないでください!」
耳を手で覆い隠す。いつの間にか獣化して、リスの耳が飛び出ていた。家族にしか見られたことのない耳を、異性のアランに見られるのは、恥ずかし過ぎる。
彼はベルトに下げた、小さな革の物入れから何かを取り出した。
「これ、やるよ」
アランからもらったのは、オメガ抑制薬。小さな粒で、楕円の形に固められていて、表面はつるりと滑らかで飲みやすそうだ。
でも、なぜアルファの彼が持っているのだろう。
彼の母親がオメガで、いざという時のために持ち歩いている? ……それにしても、用意が良すぎるような。
「……ありがとうございます」
用意された水と一緒に飲むと、安心が胸の中に広がった。
薬はよく効いて、ヒートはすぐに収まった。
獣耳が消えた髪を、アランに撫でられる。
「疲れているだろう。しばらく休んでから帰れ」
「ありがとうございます。そうさせていただきます」
意地悪なことも言われたのに、今度は優しい。どちらが本当のアラン?
どちらが本当のアランでもいい。助けてくれる優しさが嬉しい。
ソファにもたれたまま、軽く目を閉じただけなのに、眠気が強く押し寄せてくる。
使用人に呼ばれるまで、一瞬にして深い眠りに入った。
◇
レティシアが寝入るのを見届けたアランは、執務室に入って、仕事に取りかかる。
万年筆でサラサラと書類にサインする手を、ふと止めた。
公爵令嬢のレティシア。
婚約破棄されたばかりの、幼馴染。
国王陛下主催の宴だからと出席を余儀なくされたが、仕事を押してでも行って良かった。
久々に見かけたら、あの柔らかそうな唇を塞ぎたくなったのだ。
今までにない感情だった。
苦しんでいる姿を見た時は、最初から薬を飲ませるつもりだったのに、その考えは吹き飛んだ。唇を奪うのに必死だった。我ながら、ひどい男だ。
「見つけた。あの令嬢が俺の番だ」
間違いないと、確信を込めて呟いた。
◇
朝、淹れたての紅茶を飲みながら新聞を見ることが、私の日課だった。
王太子の婚約者でなくなった今、政治や貴族関係の情報を積極的に頭に叩き込む必要はなくなったけれど、今さら習慣は変えられない。
「……経歴不問。オメガ抑制の新薬、開発員募集?」
目に留まったのは、そんな記事だった。
婚約を破棄されたことを知った両親からは、良縁は見込めないから好きに過ごせばいい、と突き放された。
両親は私に、オメガだとバレないように生活するように言い聞かせていたのに、何か粗相をしたと思っているらしい。突発的なヒートを起こしたのは、婚約破棄の騒動の一回きりなのに。
反論したところで聞き入れてもらえないだろう。「重大なことを隠していた」レッテルでも覆らない限り、両親は納得しないから。
鼻が異常に効く獣人がいるらしい。薬を飲んで抑制していても、微かな匂いでオメガと察知するくらいの嗅覚の持ち主が。犬獣人の中でも、稀な才能らしい。
王太子が私の身辺調査として、そんな獣人を雇った可能性がある。
けれど、今さら蒸し返したところで何も変わらないから、くよくよ考えるのはここまで。
オメガの薬の開発員募集の記事を見つけた私は、すぐさま研究所の門を叩いた。もちろん、両親からは好きに過ごせば良いと言われていたので、誰からも反対はない。自由だ。婚約者がいた頃は束縛が多かったのに、思い通りに行動できて嬉しい。
これからは、ドレスではなく、飾りの少ない質素なワンピースが私の仕事着だ。
事前に手紙を送ることもなく、急に訪ねてきた私に、研究員の女性が快く対応してくれた。赤い縁のメガネに、若草色の髪を後ろで一つ結びをして知的な印象を受ける。黒い瞳と緑が鮮やかな髪の特徴は、鳥族のインコ獣人だろうか。
「今朝の新聞を見て、伺いました」
「募集広告を見てくださったんですね!」
「オメガ抑制の新薬の開発に興味がありまして……」
「興味を持っていただき、ありがとうございます。では、最初に確認させていただきたいことが……開発作業はかなり根気のいる作業になります。大丈夫でしょうか?」
「刺繍が趣味なので、手先の器用さと、忍耐は強い方です。私にできることなら、なんでもやります!」
私の返事を聞くと、女性はニコリと笑った。
「それだけが心配だったんですよ。意欲のある方は大歓迎です。では、採用の方向で話をさせていただきますね」
「よろしくお願いします」
人手不足だったようで、話はトントン拍子に進んだ。先方に渡した履歴書には、身分の欄もある。貴族だからと拒まれたりはしないようだ。
「――ところで、あなたの性種を教えてもらえますか?」
――ベータと答えなさい! あなたはベータなのよ!
母のヒステリックな声が頭の中に浮かんだ。反射的にスラスラと答えられるくらい言い慣れた嘘。
私が返答に困っているのを感じ取った女性は、
「無理に言っていただかなくても大丈夫です。プライバシーですしね。オメガでしたら、研究所から抑制薬の支給があると伝えたかっただけで……」
と、質問を取り下げてくれた。
オメガだと言う必要はないけれど、もう自分を偽らなくていい。家族の目を気にしなくていいのだ。
心のつかえが解けた。
「……私、オメガです」
「そうだったんですね。この研究所にオメガは多いですよ。ちなみに、私もオメガよ」
仲間ね、とウインクされた。
女性は、後ろを通りかかった男性を呼び止めた。
爽やかで甘い匂い。もしかして……。
「あ、所長! 新しく入ってもらうことになったレティシアさんです」
「あっ……」
第二王子のアランがどうしてここに!?
所長と呼ばれていなかった!?
それって……。
「レティシアか……」
「お知り合いですか?」
私とアランの間に何らかの雰囲気を感じ取ったようで、サッと女性は聞いてくる。
知り合い程度だったのに、チューしちゃった仲です!
……第二王子なのに、研究所の所長も兼任してるの?
ドクンッと心臓が高鳴り、耳が飛び出しそうになった。ワンピースの長いスカートに隠れて尻尾は見えないけれど。今にも人型が解けてしまいそう。
他にも研究員がいるのに、ここでヒートを起こしてはダメだ。
「俺からも説明したいことがある。所長室へ着いてきてくれ」
「は、はい……」
アランからの申し出は助かったと思いきや、すぐに後悔した。ドキドキが止まらない。
腰に手を添えて、優しくエスコートしてくれた。不思議なことに、もっと触ってほしいと思ってしまう。
所長室に入ると、アランの良い匂いが充満していて、頭がくらりとしそうになった。
「レティシア。そんなに、俺に会えて嬉しかったのか? もう獣化しているぞ」
「ひゃあ!」
変な声が出てしまった。リスの耳が髪の間からピコンッと立っている。みっともない姿を晒していて恥ずかしい。
ヒートはまだ起きていないが、いつ起きてもおかしくない。
アランの前では、余裕がなくなってしまう。
息を止めて、気合いで耳を引っ込めた。
「可愛いから、そのままでもよかったけどな」
アランはくつくつと笑った。
可愛い、と彼に言われると嬉しいけれど、だらしのない顔になるからやめてほしい。好きと言われたこともないのに。待って、私はアランに何か期待しているの?
一旦冷静になろう。私は顔を引き締めた。
「アラン、私に説明したいことって?」
「ああ。仕事についてだ。それにしても、貴族のお嬢様なのに、よく決心したな」
「アランこそ、第二王子なのに所長よね」
「そうだな。俺は趣味みたいなものだが」
「王太子妃の教育も受けなくて良いことになりましたから。時間もありますし、やりたいことをやってみたくなったんです。それに、オメガの新薬ができたら、私も嬉しいわ」
アランは私の目を見つめてきた。幼馴染みの顔でも、王子の顔でもなく、厳しい目を持つビジネスの顔だった。
「公爵令嬢だからといって、甘やかすつもりはない。それでも大丈夫か」
「何でも言ってください。私にできることなら、なんでもやってみたいんです」
最初から、一人前に仕事ができるとは思ってはいない。甘っちょろい世の中ではないからだ。
それでも、チャレンジしてもいいでしょ?
「やる気に満ちているな」
アランから、そう言われて嬉しくなった。
「俺はオメガの差別をなくしたいと考えている。
差別されるのは、突発的なヒートが起こるからだ。その抑制薬も高価で、とくに庶民は手に入れるのが難しい。それなら、大量生産して、価格を抑えたものを作ることができれば、差別がなくなると思ったんだ。
同じ獣人なのに、オメガだからって給金の低い仕事ばかりしかできない世の中はおかしいだろう?」
「差別のない世の中に……」
「ああ。自分の性種を誇れるような世の中にしたいんだ」
アランが社交界へ出ずに、研究所の所長をしているのは、オメガの差別を撤廃しようと動いているからだ。
アランの母親が周囲から冷遇されていたことも、彼を突き動かす理由だろうか。
「私もそう思います。オメガの差別がなくなれば、苦しむ人の助けになるはずです」
「そこでだ。いくつかのオメガ抑制薬の試作品ができているが、実験台になってもらえないだろうか。もちろん、体に悪影響がないようパッチテストなど重ねて、十分に注意して行うが」
「――私、やります。開発に役立てるなら、どんなことでもやります」
こうして研究所での実験が始まった。
薬草から抽出した液を飲んで、一つずつヒートに効くか試していくという地道な作業だ。新しい素材を見つけるために。
実験者はヒートが起きた状態を作り出す必要があったが、私は無理やりヒートを起こさずに済んだ。
アランから触れられるたびに、瞬間的にヒートが起こるのだ。
「おや、耳に息がかかるだけでダメなのか」
アランはわざとそう言ってくる。私の恥ずかしがる姿を見て、楽しんでいるらしい。
趣味が悪い!
「ちがっ……! アランが悪戯しようとしてるから、くすぐったく感じるの!」
「これは、実験にはレティシアが適任だな」
実験に必要だから触れられているの?
事務的にスキンシップされているの?
そう思うと、なんか嫌だ。
とろけるアランの視線。優しい手つき。その正体を言葉にして教えてほしい。
でも、自分から告白したら負けのような気がして、素直には聞けない。
「私のこと、ただの実験台だと思っていませんか?」
「ん?」
アランが私の顔を覗き込んできた。黒髪に紺青の瞳の彼。王族は狼獣人が多く、黒狼は統率力の強さを象徴した外見だった。獣化したら、勇ましさが増して、さらにカッコよくなると思う。
アランは私の頭を撫でて、フッと笑った。
「レティシアは、反応がコロコロ変わるから、つい楽しんでしまう。俺の番。好きだ。どうしようもなく好きだ。実験台というのは、レティシアへ触れる口実に過ぎない。暇さえあれば、ずっと触れていたい」
「ありがとう。私も、アランが大好きよ」
私は嬉しくなって、彼の広い背中に手を回した。
「首の後ろを噛めば番になれる。……だが、順番は守ろう。実験が終わるまで、待ってくれないか」
番になればヒートはなくなる。わかっているけれど、触れてもらえる理由が一つ減ってしまうような気がして、少し寂しい。
「もちろんよ」
「ん? スキンシップができなくなるって残念そうな顔をしているな。大丈夫だ。番になったら、毎日抱いてやるから心配するな」
「え? 毎日!?」
「俺も健康な男だ。休みの日は、一日中イチャイチャしていたいくらいだ」
「そ、そうね……」
アランとイチャイチャ。どうなってしまうんだろう。想像すると、ドギマギしてしまう。
◇
研究所で働き始めてから数ヶ月。新薬の実験は、アランに甘やかすことはないと言われたのに、苦には感じなかった。製品化が進んでいると実感できたからだろうか。実験を繰り返し、安価な新素材がヒートに効くことを突き止めた。安全性を吟味し、もう少しで商品化のところまできている。
休憩中に、アランは私の顔色を伺いながら聞いてきた。
「両親に、婚約者ができたと報告しても良いだろうか?」
国王夫妻には、王太子と婚約破棄してからは会っていない。
第二王子と婚約する身では、挨拶は避けては通れないだろう。
アランの優しさばかり受けているだけではダメだ。覚悟を決めよう。
「……不安な気持ちはあると思うが、何が起こっても、俺が守る」
「大丈夫です。アランと一生を共にしたいという気持ちを、私からも国王夫妻にしっかり報告しなくてはいけないわ」
婚約報告の日取りはすぐに決まった。
当日の勝負着はワンピースではなく、久々に纏うドレスだ。化粧をほどこして、ドレスに身を包むと、良い緊張感に変えられた。
レティシアは公爵家お抱えの馬車――馬獣人が動物の姿になって客車部分を引っ張る――によって、王城へ向かった。
到着すると、アランが出迎えてくれた。
「手をどうぞ」
「ありがとう、アラン」
アランは私の顔を見つめると、口を開いた。
「緊張しているか?」
「緊張していないと言えば、嘘になるけれど……私、頑張るわ」
「行こうか」
「はい」
アランにエスコートされて、王城に足を踏み入れた。
客間に国王夫妻が現れると、アランは頭を下げてお辞儀し、レティシアは淑女の礼をした。
アランが口火を切る。
「レティシア公爵令嬢との婚約を許していただきたく、報告に伺いました」
「君たちの噂は前々から聞いていたよ。アランは番を見つけられたようだな」
国王陛下は私たちをそれぞれ見て話した。
番の信仰はあるが、貴族の結婚には身分を優先することもあった。この国王陛下は、どちらも追い求めてしまった過去がある。
「俺の一目惚れだったんです。妻になるのは彼女しかいないと思い、アプローチしました」
「私も……アランの人柄に好意を持ったのをきっかけに、どんどん惹かれていきました」
私も負けじと言った。
本能的にアランが好きだった。ヒートが起こるのは、彼を求めている証だ。
国王陛下の瞳が微笑ましいものを見るように細められた。
「二人はお似合いだ。世は婚約に賛成する」
「「ありがたき幸せにございます」」
和やかに挨拶が終わろうとしたところで、無言を貫いていた王妃は、羽の扇を口元に広げた。
王妃のまっすぐ私を射抜く視線にどきりとした。
「レティシア。先日の王太子との婚約破棄について、どのように思っていますか?」
「ルザミーネ様!」
婚約破棄の話を蒸し返してきた王妃を、アランは止めにかかる。
それでも、王妃からは厳しい視線を送られた。
「私は、オメガに生まれてきたことを恥じてきました。王太子には、それを見抜かれました。自分に誇りを持っていませんでした。ですが、」
一旦話しを止めて、王妃をしっかりと見据えた。
「アランに教えてもらったんです。誇りを持っていいよ、と。オメガだからアルファと番になれたのかもしれませんが、そんなことは関係ありません。ベータに生まれたとしても、きっとアランに恋をしていました。研究所の所長をしている彼のことを尊敬しています。ずっとお側にいたいと思っていて、お慕いしています」
「レティシア……」
アランは、そっと私の肩を抱き寄せてきた。
「レティシアから、気持ちを聞けて良かったわ。そうね、番になれた貴方たちが羨ましいくらい……どうか息子をよろしくお願いします」
王妃は静かに頭を垂れた。
挨拶を終えて、結婚報告という肩の荷が一つ下りて、ホッとした。
「ありがとう、レティシア。……俺も、アルファに生まれていなくても、レティシアの強い心に惹かれていただろう」
「アラン……」
緊張の糸が途切れたのか、目頭が熱くなってきた。
アランに抱きつくと、腕でスッポリと包み込んでくれた。
落ち着いてくると、アランの胸から顔を上げる。
「行こうか」
「はい――え?」
客間を出ると、王太子のユリウス様と鉢合わせた。思わず驚きの声が出る。
なぜタイミングよく!?
王太子は開口一番に言い放った。
「まさか、レティシアがアランの番だったとはな」
王太子に、国王夫妻とのやりとりを聞かれていたのだろうか。
「盗み聞きとは趣味が悪いな」
「いや、偶然通りかかったら聞こえてしまっただけで……」
「ユリウスがそう言うなら、そういうことにしよう。涼しい顔をしておきながら、俺たちが羨ましいだろう?」
そう言って、アランが私の肩をグッと引き寄せた。
「羨ましい? そんなことは――」
「ユリウスが婚約破棄した理由は、レティシアがオメガだと隠したからじゃない。運命の番ではなかったからだ」
「なっ! おまっ……いつも兄をからかって!」
王太子の顔が赤い。もしかして……図星?
最近は、兄弟で話している光景を見ることがなかったから、新鮮に感じる。
明らかに、王太子はアランの気迫に押されている。
「からかってはいない。じゃあ、聞かせてもらいたい。オメガが嫁に相応しくない理由は?」
挑発するようにアランは言って、王太子はそれに即答する。
「それは――誰構わず誘惑する、野蛮な性種だからだ」
野蛮な性種。偏見の塊の言葉だ。
そう言われて、落ち込むだけの私はもういない。
自分の性種を誇れるようになりたいと思ったのだ。
「お言葉ですが、ユリウス様。野蛮と言われるオメガですが、私は幸せです」
王太子はハッと私の方を見る。彼は傷ついた子供のような顔を一瞬して、黙り込んだ。
アランはさらに追及するのを止めない。
「もし、木の実よりも安い抑制薬があったら? ヒートがコントロール可能だったら?」
「それは――」
アランはニヤッと笑った。
「うまく答えられないよな?
番と出会えば、嫁に相応しくないとか、野蛮だとか、理屈で考えることが吹っ飛ぶはずだ。何がなんでも手に入れてやりたいと思うくらい、必死になって……ただの男になる」
王太子は切れ長の目を見開いて、首を横に振った。
「フン。何を言われようと、俺はオメガと結婚をするつもりはない」
「どうだか? そう意固地になっている奴ほど、番と出会ったら人が変わるんだよな」
「黒狼の姿に生まれてきたお前には、俺の気持ちなど、わからないだろう」
黒い髪、耳、尻尾。初代の国王の容姿を色濃く受け継いだのは、第二王子のアランの方だった。それに対して、王太子は銀狼の容姿だった。統率力や身体能力は、黒狼に比べると劣る。
「俺が認めているのは……次期国王に相応しいのは、貴方だけだと思っています。兄上」
「俺のこと、兄だと思っていないだろう。兄上と言うのも初めて聞いたぞ」
「信じてくださらないのは悲しいな」
アランは王太子を挑発して楽しんでいるようにしか見えない。
不服そうな顔のまま、王太子は立ち去った。
アランは不意に、「あいつに未練はあるか?」と私に聞いてきた。
「ユリウス様のことですか? いいえ、全くありません」
キッパリと言い切ると、アランは私の頭を撫でた。
「そうか。安心した。ユリウスはお前に未練があるようだったが」
「え?」
ユリウス様が? 物心ついたときから親が決めた婚約者だったから、愛着を持ってもらえたのかな。今は複雑な気持ちだけど。
「気づいていなかったのか。あいつが突っかかってくるのは、未練タラタラの証拠だ。逃した木の実は美味しいということだな」
葉っぱの中で見つけられず、諦めた木の実ほど熟して美味しいことの例えだ。
昔はよく、アランたちと森まで行って木の実採集していたっけ。メイドの目を盗んで行ったのがバレて、後から怒られたけれど。採れたての木の実が美味しかった。懐かしい思い出だ。
「そうですね……後悔していることが一つあります」
「何だ?」
「私がもっと早くアラン様を見つけて、私からユリウス様に婚約破棄すればよかったです」
「レティシアから婚約破棄! クククッ、面白いな!」
アランは声を上げて笑った。
――その後、正式に商品化されたオメガ抑制薬によって、オメガへの差別は消えていった。王国騎士団へのオメガの採用も始まった。
そのおかげで、王太子のユリウスは心境の変化があったらしい。オメガの番と熱烈な恋愛結婚をすることになる。
〜その後のレティシアとアランの一幕〜
「番になったら、ヒートが起こらなくなると聞きました。そうなったら、実験に私はもう必要ないですか?」
「なんだ、そんなこと気にしてたのか」
レティシアに問いかけられたアラン。平然を装いつつも、心配そうな茶色の潤いのある瞳を見て、彼女の瞼の上からキスしたいと思った。
「新しい薬の発明は成功した。これからは、販売店を作って、誰でも簡単に手が届くようにしたい。それには、顔の広いレティシアの力も必要だ」
「販売店! いいですね! 売り子でも何でもやります」
「頼もしいな(……売り子の衣装を着たレティシアも可愛いだろうな)」
〜本文には書かれていない設定たち〜
・第一王子のユリウスは伯爵令嬢の犬獣人と結ばれる(番になる)運命。その令嬢の父親の伯爵は、鼻が異常に効き、ユリウスからの調査依頼により、レティシアがオメガだと告げた。自身の娘がオメガだったので、彼なりの苦悩があった。
その後、アランたちが開発された薬により、オメガの差別はなくなり、ユリウスは伯爵令嬢がオメガだと知っても溺愛するようになる。
・研究所の緑髪の女性はインコ獣人ではなく、トカゲ獣人。夜行性のトカゲのため、視力が低い。メガネはこめかみで支える設計で、獣化しても対応できる。
・寝る時以外は人型を保つ。寝る時やヒートなどで獣化した時は、耳や尻尾、翼などが出現する。馬車の馬や、戦闘モードの時は完全に獣の姿となる。