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「………………」


「………………」


 日色の部屋で勉強をするべく並んで座卓に着いた日色とかりんは、お互いに顔を赤らめたまま黙っていた。お互いにチラッと見るのは、むろんお互いの唇だ。

 そこまで意識してるのならさっさとちゅっちゅしろよ、と、見ている者があれば言ったかも知れない。だがここにいるのは二人だけであり、二人だからこそ、キスしても憚られなかったが、むしろかえって膠着状態が続くこととなっていた。


 チラチラとお互いを、お互いの唇を見てはモジモジと焦れったい。


 だが、やがて、


 ――素直にならないと。


 そう日色は思ったに違いなかった。



「かりん、俺、かりんとキスしたい」


「ッ! ~~~~~~! …………ばか」


 なんとかそう搾り出した彼女の顔は例の如く真っ赤だ。

 ムードもへったくれもなかったが、そうでもしなくてはこの膠着状態はいつまででも続いただろう。終わりのない千日手。


 かりんは、


 コクン、


 と。



「うん、私も、日色とキスしたい」


「ありがとう」


「それはこっちの台詞、じゃあ……」


 かりんは日色の方に向き直り、顎を上げて、つんと唇を突き出し、――そっと眼を閉じた。

 可愛らしい幼馴染のキス顔。


 実は日色とかりんは幼い頃にキスをしたことはあった。だからとっくの昔にファーストキスは済ませていた。だが、こうしてお互いに成長した後のキスは、正直どんなファーストキスよりも気恥ずかしい。


 ドクドクと、日色の鼓動は熱を帯びていた。

 ソッと彼女の肩に手を触れれば、ピクンと震えて心臓が跳ねた。


 日色もソッと眼を閉じて、かりんとの距離をゼロに……。



 ……………。


 ……………。


 …………………………………。



「ただいまー!」とめぐみの声。


 ビクンッ!


 と二人で我に返って唇を離した。お互いに顔を見れば、真っ赤と言うよりは桃色に色づいていた。今まで触れていたお互いの唇がぷるると潤っている。

 肌は薄っすらと汗ばみ、潤んだ瞳に、吐息まで甘いよう。



「ッ、はぁ……」


 まず息を吐いたのは日色の方だった。

 かりんはぽーっとしたまま唇を指で撫で、そのとろんとした様子がやけに色っぽく、日色はぞくりとしたものを感じてしまう。


「……え、と……」


 しどろもどろの日色。

 そんな彼にかりんはクスリと笑っていた。こうした時、女性の方が強いのだろうか。艶然さまで感じさせる様子で、


「日色、好き」


「ッ!」


「ねぇ、日色は私のこと、好きって言ってくれないの? 素直になるんじゃなかったの?」


「ぐっ……好き、だ」


「ふふ、嬉しい」


 しっとりとしたかりんの顔をまともに見られない。



「じゃあ、めぐみちゃんが帰って来たから私、お義母さんの手伝いをする準備して来るね」


「あ、ああ、頼む」


「うん」


 かりんはまるで踊るような足取りで日色の部屋から出て行く。

 ふふふー、と心底幸せそうに。


 一方の日色は、



「なんだよ、あれ、キスだけで……、……俺、もうそのうち死ぬかも知れない」


 真っ赤になった顔で、膝に顔を埋めるのであった。




   ◇




「やってしまったわ!」


 湯船に顔をばしゃりと付け――やはり浮力の大きく柔らかな部分が顎に当たる――、ぶくぶくと泡を吹く。その顔が赤いのは酸欠や湯あたりだけではないに違いない。



 かりんは今日も自宅の風呂に入っていた。むろん、今日とて、有島家の風呂に入り、自分が先であろうとも、日色と同じ風呂に入ることは憚られたからだった。意識し過ぎと言われればそれまでだったが、意識してしまうものはしてしまうのだから仕方があるまい。


 顔を上げ、ソッと、自分の桃色の唇をなぞる。

 にへら、とだらしなく顔が緩んでしまう。


 ――日色と、キスしちゃった。日色の唇……。


 トクトクと胸の裡が色づき、もう何度目か分からない反芻を開始する。

 彼の唇の感触。彼の鼻息、彼の薫り。そのすべてが男として成長したもので、自身も女として成長を果たしているかりんは、知らず、悩ましい声を上げて太腿を擦り合わせる。尖った箇所がジンジンと疼きもしていた。


 あのキスは随分と長い間していた。

 時計を見てたいそう驚いたものだった。


 きっとあれが二人の世界と云うものなのだろう、二人だけしかおらず、時間も忘れて重なり合う……。



「はふぅ……」


 零れた吐息はトロトロに甘い。そうして彼女は思い出すのである。


 ――キスした後の日色、可愛かったなぁ……。


 キスの余韻でぽやぽやしているままに、今度はかりんが素直になっていた。素直になって甘え、そんな彼女に日色はたじたじとなっていた。冷静になった後で、何度声にならない叫びを上げ、何度悶絶したものか。


 ――でも、


 とかりんは想うのである。

 膝を抱えれば豊かなものがむにゃりと形を変え、コテンと首を傾げた姿は乙女でありつつもたいそう色っぽい。


 日色と付き合えたのは、日色がかりんに素直になったからだった。素直になった日色にかりんは攻められ続けた。だが、それは今日はどうしたことか。かりんが素直になれば日色はたじたじとなって、正直、恥ずかしくはあったがたいそう気持ちが良かった。


 それこそ、今だってぞくぞくと込み上げてしまうほどに。


 ――よし、決めた。


 と、今度はかりんが決意をする番だった。

 日色ばっかり素直にさせているわけにはいかない。かりんだって日色が好きなのだ。大好きなのだ。そして素直になった自分に攻められた日色……。



「クス」


 と笑った顔は艶然として、それは確かに“女”として成長した貌だった。


 ――私も素直になろう。


 かりんはそう決意していた。

 素直になって、自分も日色を攻める。それで、またああいう顔を見てやる。それはとてもとても愉しそうだ。が、素直になる理由はむろんそれだけではないのである。


 ――私だって、日色を離したくないんだから。

 ――私だって、ずっと日色と一緒にいたいんだから。


 そう想ったかりんはとても艶やかな貌をしていた。

 艶然と()うほど性的ではなく、乙女と云うほどには夢見がちでなく。


 それは、現実をを見た女の貌。



「日色、覚悟しなさい」


 それは彼への宣戦布告。

 彼と同様、相手を決して逃さないと決めた女の決意表明。



“ん? なんだ、今、ぞわっとしたような……”


 そんな、彼の顔が浮かぶようだった。




   ◇




「ちゅっ、ちゅっ」


 雀よりも可愛らしく、そして執拗なリップ音。

 日色は唇に触れる柔らかな感触に、ソっと目蓋を開き出す。



「ん? ……んぅ?」


「おはよう、日色」


「ああ、おはよう、かりん……んッ!」


 ちゅっと唇に触れられて、ぱっちりと眼を開けた。



「ちょっ、おま、今……」


「ふふふ、こんな起こし方でもいいでしょ。日色は、嫌?」


 悪戯っぽくも頬を染め、柔らかく笑うその様子には心臓が蕩けそうになってしまう。



「ッ、嫌な、ワケ、ないだろ……」


「良かった。じゃあ、日色からもしてよ、おはようのキス」


 すると彼女は眼を閉じ、唇を突き出したキス貌をした。



「っぐ」


 ――可愛い。


 朝から刺激が強すぎだろとは思うものの、大好きな幼馴染にねだられては拒否できる筈もない。彼女の肩を抱き、日色からも唇を重ねた。

 かりんは桃色の唇を押さえて「ふふふ」と笑う。


「ありがと」


「お、おう」


 ――ちょっと、待て。いったいかりんはどうしたんだ? いや、嫌じゃないんだけど。なんか、絶対勝てない気がするというかなんというか……。



 するとかりんはずぃっと日色に顔を近づけて来ていた。


「どうかした、日色」


「ッ!」


 睫毛が長い、目が可愛い、肌が白い。良い匂いがする、吐息が触れる。ついでに言えば、その大きな胸だって触れていた。



「お、おま……近……」


「近いって、キスだって近いでしょ」


「そ、そりゃあ、そうだけど……でも、好きな子にこんなことをされれば、普通じゃいられないだろ?」


 かりんは少し眼を丸くしていた。そして、



「ちゅっ」


「おまっ!」


「ふふー、奪っちゃった。そんなこと言われると、私も我慢できなくなるんだから。大好きよ、日色。私も、もう素直になることにしたから」


 彼女はにひっと笑い、その嗤い方だって、日色の心臓を掴むには十分な笑い方だ。


「だから、日色も覚悟すること。わかった?」


「あ、ああ……覚悟する」


 本当に。


「じゃあ、そう言うことだから。着替えたら来るのよ」


 彼女はそう言って出て行こうと、……


「あ、それとも、着替えさせて欲しい? か・れ・しさん♪」



 日色は口を魚のようにして何も言えない。


「調子に乗るな、馬鹿!」


 それだけなんとか搾り出せば、


「ふふふ、可愛いー」


 かりんは上機嫌に笑って部屋を出て行く。


「ちっ、お前の方が可愛いくせに」


 部屋を出たかりんは真っ赤な顔の涙眼で両手で顔を覆う。

 最後の一本だけは、日色が取ったらしかった。




「えっ、私、いったい何を見せられてるの? 兄が彼女に可愛いって言って、兄嫁が真っ赤になって照れてる。糖度が悪化してる。まさかと思うんだけど、これ、毎日見せられるわけじゃないわよね。…………マジで?」


 第一被害者であるめぐみの証言であった。

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