4話 活路
早朝、体操を終えた後、体術の修行から始まった。
そして、魔法の反復練習を行う。勿論、新たに獲得した毒魔法を交えながら。
――やはり、あの感覚は間違ってはいなかったか。
自身の毒魔法で作り出したモノを、再び飲み込んだ時、その毒はより強力な物へと変化していくという、言い難い感覚があった。
例えるならば、自身の体の中で、何かが濃くなるような……、そういった感じだ。
獲得したのは毒魔法だけではない。鉄作成もその1つだ。
今回は岩ではなく、最初から鉄を想像して地魔法を行使する。そうすると、以前よりも魔力の消費量を抑えつつ、魔法を発動することができた。
作り出したのは苦無だ。刃渡りの短い物は、何かと利便性がある。直ぐに取り出す為に、左手の手の内に隠し持った。
彼是考えている内に、日は完全に昇り、森を明るく照らしていた。
……が、相変わらず、森からは不穏な空気が流れている。
急がねばなるまい。そう考え、身支度を済ませ、森の入り口付近まで歩いた。
日に照らされてはいるが、内部は何故か暗い。俺は弓兵から貰った蝋燭に火を灯す。
蝋燭の蒼い炎が静かに揺らぎ、芳しい香りが溢れ出す。何かの花を想起させる優しい匂いだ。
ほんの少しだけ、俺の身の回りを漂う殺気立った空気が、落ち着いたような気がした。
俺は意を決し、森の中へ進むことにした。
森の中は木漏れ日が射しているが、それでも蝋燭がなければ足元が見えないほど、不自然に暗い。
葉と葉が擦れ、静かに波のような音を立てる。普段ならば、森の騒めきというのは心地の良いものだが、今はどうしてか、恐怖心が勝る。
風魔法を行使し、通った道の木々に印を刻む。地図を確認しながら進んではいるが、迷わないとは限らない。ましてや、異変が起きている森だ。きっと何かがいる。
森の中腹部まで進んだところだろうか。何事もなく済みそうだ、と思った時。
何処からか、かちん、かちん、と何かを弾く音が聞こえた。
注意深く進むも、一向に収まらない。それどころか、音は大きくなっていく。俺が近づいたのか、何かが接近しているのか、分からない。
魔力探知で周囲を探るも、動物の気配のみ。魔物や人の魔力の流れは無い。
先程とは違い、頻りに、あの音が鳴り始めた。俺の周囲一帯で、何度も何度も。
――囲まれたのか……?
辺りを見渡すも、特に変化はない。周囲を警戒していると、不意に、誰かに耳元で囁かれた。
「視てはいけない」
「誰だッ!」
その囁きに、つい其方に振り返った。
つまり、見てしまったのだ。
目の前には、つい先ほどまでは無かった、古びた鳥居が立っていた。神明鳥居といったか、いつかヤマトに関する本で見た簡易的な鳥居だ。神額はないが注連縄はある。
俺は違和感を抱いた。確か、注連縄というのは、神域に人が無断で立ち入らない様にする為、外から内に張り巡らされているものだ。
あの注連縄はその逆。内から外になっている。注連縄自体の綯い方も逆だ。勿論、それに付随する紙垂も。何もかも逆だ。
――閉じ込めている?
ふと、そう思った。何かが出られないように閉じ込めているのだと。『視てはいけない』という規則があり、それを破った為、招かれたと。
俺はその領域、『結界』に入ってしまったのだと。そう理解した。
蝋燭が消え、破片と化す。
背筋が凍り付き、手には汗が滲む。
鳥居とは逆方向から、かちん、かちん、と音がした。
振り返ると、尾が二股に分かれた、白い狐が座っていた。体には赤い模様があり、恐らくそれは隈取であった。
何より、その体の周りには、黒い靄が取り憑いていた。
――あれが穢れか……!
咄嗟に、収納袋から塩を取り出す。が、塩を手に持った瞬間、真っ白なそれは、黒く変色した。
腐ったのか。いや、塩は腐らないはず。何が起こったのか。
「『疑』」
狐の口が裂け、そう呟いた。
それは、額から汗が垂れ、目を閉じたのと同じ刹那。
俺の四肢は、細い鎖で縛られていた。手足に力をいれるが、ビクともしない。
「『悪作』」
足元の土が、僅かにだが動いた。攻撃がくる。
「凍結!鉄作成……、槍!!」
手足の鎖を氷魔法で凍結させ、鉄作成で槍を作り出し、凍結させた部分へと放つ。
鎖は頑丈だったが、左足以外の鎖の破壊に成功した。そして、体を翻し、その場から離脱する。
拘束されていた足元から、鋭い、土でできた槍が飛び出す。回避していなかったら、体を貫かれていた。
「……『疑』」
左足に残った鎖がピンと張り、大きく上下に動き、俺は地面に叩きつけられた。
「がはっ……!」
「『惛沈』」
倒れ込んだ俺に、幾つもの炎の矢が降り注ぐ。咄嗟に魔術書を取り出し、威力を底上げした水刃を放つ。炎の矢と水刃は対消滅した。魔術書で威力を上げなければ防御できないと、直感が働いたのだ。
「……『掉挙』」
裂けた口は、より大きく開いた。それと同時に、二股に分かれた尻尾が、俺の方を向いた。
「颶風ッ!」
俺は体勢を低くとり、真正面に風魔法を放つ。本来なら、刃を持つ突風を放つ魔法であるが、真正面に、停滞させるように発動した。
尻尾からは毛が放たれた。普通の毛ではない。棘の様な、針と言っても差し支えのないものだ。
針は俺の頭があった部分を通過する。体勢を低く、風魔法で逸らさなければ当たっていた。
針は地面に突き刺さった。下駄のように底の厚い靴でなければ足に刺さるだろう。
狐は立ち上がった。その隙に、左足の鎖を破壊した。これで満足に動ける。
「『貪欲』……」
地面に突き刺さった針に、火が灯る。狐と俺を囲むように、円を描くように。
身構えたが、攻撃はこない。攻撃の下準備か。俺は狐を見据えたまま、ゆっくりと後ろに下がる。
しかし、ちょうど円のように囲まれた所で、見えない壁にぶつかった。退路を封じられた……。
そして、より一層、裂けた口を大きく開いた。まるで笑っているかのように。
「『瞋恚』」
円の範囲内の、全ての地面が黒く染まった。途端に恐怖心が湧く。得体の知れない方法で殺される。
俺は風魔法を行使し、空中へ逃げた。だが、黒く染まった地面から、影絵のような手が生え、俺の片足を掴んだ。
「があああぁぁ!」
黒いそれは、恐らく炎。地獄の業火とでも呼ぶべきそれは、俺の足を焼いた。
風魔法が維持できなくなり、地面へ墜ちる。黒い手は瞬く間に、俺を包んだ。足を掴まれた時と違って、不思議と痛みは無い。その代わり、手足が徐々に黒く染まっていくのが見える。
――死ぬのか、俺は……。
諦めてはいなかったが、死に直面すると、何も考えられなくなる。だが、俺は一度、死を経験した。
まだだ……、……まだ、何かある……はず。……考えろ。考え…………
意識が遠退く。黒い手の隙間から、到底狐とは思えない、化け物に成り果てた何かが、此方を見る。あれが正体なのか。
死を迎える瞬間、師匠の話を思い出した。
――この刀はな、特殊なのさ。強い刀だけど、使い方を誤ったら死ぬかもしれない。第一、お前は魔法がメインなんだから、封印する!分かったか!――
左腕を振り上げ、刀の鞘を掴む。正面へ持っていき、右手で柄を握る。握った指が白くなるほど、強い力で。
――なにが特殊なんだと?それはな、この刀は『呪禁の刀』なんて呼ばれていてな、人は疎か紙だって切れないほど鈍なのさ。だけど、呪いとか悪ならば――
鞘の御札は、自然と剥がれ落ちる。鞘は、刀身が抜かれることを予知し、期待していたのだ。
俺は、俺が信じるものに祈りを込めて、刀を引き抜いた。