3話 静寂
あれから暫く馬車に乗っていると、潮の香りが漂ってきた。
外を見ると、どこまでも続くような砂浜があった。寄せては返す波の音が心地よい。
「嬢ちゃん!山越えたぜ!」
俺は馬車から降りる。風が程よく強い。潮風が気持ちよく、つい海を眺めてしまう。
「ノマドさん、態々ここまで、ありがとうございました」
「礼ェ言うのはこっちの方だぜ!森精霊を追っ払ってくれてありがとうよ!」
森精霊はあの傭兵達でも、仲間1人犠牲が出るか出ないか位の魔物だったらしい。あの後、盾持ちの男に非常に感謝された。
今思えば、確かに軍にいた頃は、複数人でやっと倒せるような魔物だった。俺も少しは成長しているらしい。
ノマドは自身の胸ポケットを弄り、紙切れを取り出す。それを俺の右手に握らせた。
「今すぐお礼は出来ねエけどよ、もし今後、アンタの旅路に何かあったら、『フィッシャーマン』一族を頼りにしてくれよな!この紙を見せれば、良い取引をしてくれるぜ!」
それは、ノマドの名が書かれた小切手サイズの黒い券だった。最初は割引券かと思ったが、どうやら違う。
書かれた文字をよく見ると、『この券を所持している者を、お得意様として扱う』と書いてある。この券を出せば、割引は疎か、店へ向かわずとも、優先的に自宅まで運送するなど、様々な事が書かれていた。
「良いんですか?こんな大層なものを……」
「良いンだよ!どうせ小せェ行商団だしよォ、それに、森精霊を1人でぶっ倒すなんて、マジで驚いてるし感謝してるんだぜ!」
ノマドは大きく口を開けて笑いながら、俺の肩をバシバシと叩く。俺はその券を収納袋にしまい、出発の準備を整えている彼ら一行を見る。
「ノマドさん達も、お気をつけて。あんな事に遭ったばかりですからね、もしかしたら各地に異変が起きてるのかも」
「そうかもしれねエな……。まあ、次の村に着いたら、しばらくは大人しくしてるだろうよ!」
そう言い残し、彼は馬車に乗り込み、俺とは別の方角へ進み始めた。俺は彼らの姿が見えなくなるまで、手を振り見送った。
――さて、歩くか。
海岸線の、街道と砂浜の境目を歩く。釣り道具でもあれば暇を潰せたが、残念ながら材料がない。
人は一切見当たらない。序に言えば魔物も。と言っても、俺の魔力探知内の話だが。
下駄をカランカランと鳴らしながら、只管歩く。時折、地図を見て道順を確認する。森はずっと奥にある。
そういえば、喉が渇いた。この体は排泄する必要はないが、活力が少しでも減ると、直ぐに訴えかけてくる。
俺は水魔法の応用で、海水を球状に汲み取り、目の前に浮遊させる。
――確か、海水を蒸発させて、蒸発したものを冷やせば……。
球状の海水の下を、火魔法で炙り、上には氷魔法で冷気を放つ。冷たくなった水蒸気を水魔法の応用で、球状に閉じ込めた。これで蒸留水を作る。
修行中、水魔法で直接、水を召喚した方が早いのではという疑問を抱いたことがある。勿論、魔法の力で水を呼び出した方が早いのは確かだが、魔力燃費という問題がある。
短時間で量を問わず水が欲しい場合は、水魔法が一手先をいく。だが、長時間で考えたときは、魔法に頼らない方が良い場合もある。それが魔力の燃費と時間の関係性だ。いつまでも無制限に魔力を垂れ流せるのであれば話は別だ。
……この場合、俺は水魔法を使った方が効率が良いというのは置いといて。
それに、喉が渇いた以外に、理由がもう1つある。
それは塩の生成だ。
塩には様々な使い道がある。調味料以外に、消臭や美容など、用途は多岐に渡る。しかし、今回はそれが目的ではない。
俺が作っているのは清め塩というものだ。ヤマトの国では塩で穢れを祓う風習がある。それを習って、海水から作られる天然の塩を生成しているのだ。
森から森精霊達が逃げ出してきた。醜悪な見た目でも、精霊は精霊であり、その森に根付く歴史深い存在なのだ。
そんな森精霊が遥か遠くの山まで逃げてきた。彼らが恐れたものは……。
彼らより強い者か、死靈の様に穢れた類か。生憎、穢れを祓う効果を持つ銀の武器などは持ち合わせていない。
強い者なら、話が通じれば戦闘は避けられる。が、兎に角、何事も準備が肝心だ。
何度か濾過した海水に、どんどん白く濁った物が蓄積されている。追加で海水を入れ、沸騰させる。この工程を何回か繰り返した。
幾ばくか経つと、白く濁った物はペースト状になり、徐々に粉のようになる。
――完成したか。
十分に冷ました後、粉末状のそれを小指にとり、舐める。滑らかで舌触りが良く、程よくからい。
塩が完成した。初めての経験だったが、上手くできたようだ。俺は蒸留水を飲みながら、生成した塩を眺める。
――誰かが祈ったわけじゃないが、この塩は俺が気持ちを込めて作ったものだ。
きっと死靈にも効果がある、そう思うことにした。万が一効果がなくとも、この体なら何とかできる。根拠のない自信だったが、それは未知への恐怖を薄れさせた。
収納袋に塩を入れる。この中身は摩訶不思議だ。容量には限界があるが、収納袋よりも大きな物をしまうことができる。それだけではなく、1つ1つ小分けに収納しているかのように、直ぐに物を取り出せる。
中の機構に思いを馳せながら、俺はまた歩き始めた。
* * *
日が大分落ちてきた。
逢魔時。それは昼と夜が移り変わる時刻を指す。
光と闇が交わり、人と魔の境界が曖昧になるとき。
太陽の光を受け、黄金色に反射する海と、波の音だけが響く。何処となく孤独を感じた。
しかし、夜が近づくにつれ、森の気配は良くない方向へと変わる。魔力探知外なのがもどかしい。
もうすぐ森周辺に差し掛かる。森の近くで野営するのは危険だと判断し、少し距離を置き、幾つか木が生えている場所に移動した。
此処なら、ギリギリ魔力探知の範囲内に、森を捉える事ができる。ここで野営するか。
不思議と腹は減らない。便利な体になったものだ。栄養を摂るための食事は殆ど必要ないが、やはり娯楽としては必要である。
そう思い立ち、俺は近くの砂浜まで来た。
――釣り具が無いなら、銛で突いてみるか。
地魔法を行使し、岩で銛の作成に取り掛かる。しかし、石の鏃では強度に不安が残る。どう工夫したものか……。
……鉄ならば。俺は魔術書を取り出し、更に岩作成に割く魔力の量を増やす。
急激に増やすのではなく、徐々に、ゆったりと。
手の内に作られた岩は突如、発光し始めた。赫灼として輝くそれに、思わず顔を背け、熱さ故に手を放してしまった。
それは地面に突き刺さり、発光はゆっくりと収まっていく。そうして、黒い銛が現れた。イメージ通りの出来だ。鏃が片方にしかないもの。ハープーンなどと呼ばれるらしい。
俺は出来上がった銛を、軽く人差し指で弾く。甲高い金属音がした。どうやら成功したようだ。今の感覚を忘れないように、頭の中で反復練習をする。鉄作成とでも名付けようか。
だが、魔術書を使用しつつ、普段よりも魔法に魔力を流したせいか、体が重く感じる。恐らく魔力が大幅に喰われたらしい。幸いにも動けなくなるほどではないが、若干、疲れている。
俺は服を脱ぎ、下着だけとなる。脱いだ服は収納袋へ入れ、今し方完成した銛を手に、海へ飛び込んだ。海水は思ったよりも冷たくはない。海底まで見えそうな程に透き通っている。
魔力探知を行使する。そうすると、岩礁の陰を泳いでいる魚を探知した。俺は深く潜り、狙いをつける。本来、銛にはゴムが付いており、それを引き絞る事によって、銛を射出する。しかし、今の俺には必要ない。
水魔法を応用し、周囲の潮の流れを緩やかにする。そして、風魔法の流れを銛に与える。
ごく簡易的な魔法ならば、詠唱をする必要すらない。風魔法の魔力を銛に付与し、慎重に狙いを定め、銛を放す。銛は、まるで矢の様に放たれた。放たれた銛は目標へと刺さり、更には岩礁の岩肌にまで突き刺さった。
日が完全に沈む頃、夕食には十分な量の食材を手に入れ、俺は砂浜を上がり野営地へと戻った。
道中に集めた枯葉や木の枝を一か所に置き、火魔法で着火する。焚火の完成だ。収納袋から魚を取り出し、木の枝に魚を刺した後、焚火でゆっくりと炙る。
どの魚が食べられて、どれが食べられない等はわからない。もしかすると、今食べているものが毒魚かもしれないという不安はあったが、この体には関係なかった。
色鮮やかな紫色の魚を食べたときのことである。舌に妙な刺激があった。舌の先端が痺れるような刺激と、液体。加熱は十分にした。それが毒であることを理解するに、知識は要らなかった。
――これは……、いやしかし……。
体が麻痺し、動かなくなる。だが、それは一瞬の事だった。舌の痺れが収まり、旨味を感じた。
毒すらも魔力に変換した、ということだろうか。或いは、毒を食したことによる耐性の獲得。若しくはその両方。
暫く経ったものの、体に異変はない。逆に、毒すらも旨味に変え、毒を体内に取り込む度に、魔力が変化していることが分かる。
これが毒魔法の獲得かと、師匠の言葉を思い出す。毒魔法とは、無から漠然とした毒を作り出すわけではなく、魔術師自身が研究したものや、経験しなければ行使できないと学んだ。
毒魔法を行使する。体の痺れをイメージし、両手に魔力を集中させる。そうすると、水魔法のように、球体状の液体が掌に現れ始めた。色は濃い紫色に、所々に蛍光色の黄色が混ざっている。一目で人体には有害なものだと分かった。
試しに、まだ生きている魚に、一滴のみ垂らしてみる。
……効果は一滴で十分だった。跳ねていた魚は、毒を垂らした瞬間に静止した。勿論、それも炙って食う。毒を作り、作った毒を飲み込む。そして、その毒はより強力なものへと変化していった。
――麻痺毒と名付けようか。
食を通して新たな学びを発見している内に、夜が更けていく。俺は焚火を維持したまま、近くの木に登り、太い木の幹に寄りかかるようにして、眠ることにした。