2話 嵐の前の静けさ
早朝。ヤマトの国へ向かう準備は既にできていた。
いつもの部屋の教壇に、ヤマトの知り合いへの土産と、師匠の書置きが残されている。
『――弟子の為に地図を残しておく。ヤマトは此処より東に上った後、海岸線を進み、しばらくすると、サルボ港という大きな港町が見えてくる。そこからヤマトに向けて出港する船に乗るのだ――』
地図を見て、どのような道順か確認する。どうやら、海岸線とサルボ港の間に大きな森があるようだ。一度、海岸線で夜を明かし、昼間に森を抜けた方が安全だろう。
地図と土産を収納袋へしまおうとすると、地図の裏側にあった何かが落ちた。
それは、師匠の名前が刻まれた、小さな切符のようなものだった。裏面を見ると、『公務員、学者並びに研究者、爵位を持つ者と付添人のみ有効』『乗船前に提示を』と書かれていた。
――なるほど、無料の乗船券。軍人だった頃は国王の名で発行された物を持っていたが、個人だとこんな記載になるのか。
切符も収納袋にしまい、序でに所持金を確認する。転生前にポケットの中に何枚か入れておいたものだ。金貨3枚、銀貨と銅貨が5枚ずつ。食うには困らないし、寝泊りに宿を取っても大丈夫な程度だ。
……恐らく、海岸線で野宿することになるだろうが。
刀を背中に背負い、魔術書は、革のブックホルダーで腰にぶら下げてある。俺は屋敷を出て、東へと向かった。東側は山岳地帯で、なだらかな山だが、1つ越える必要がある。
街道に出ると、ちらほらと通行人がいた。馬に乗っている者から、俺と同じように歩いている人、馬車を引いている人など。オーレオール領ともドゥンケルハイト領ともつかない辺境の土地だが、多少は賑わっているらしい。
ただ、共通して言える事は、どの人も武器を持っているということ。街道には、魔物や賊の類は現れにくいと聞くが、現れにくいだけである。街道で人が魔物に襲われた報告は、軍にいた頃、何件か聞いたことがある。
夜になれば街道とは言え、歩くのは危険だ。夜は周囲が見えにくくなる上に、魔物が活性化する時間帯だ。俺も油断せずに、師匠から教えられた魔力探知を行使し、辺りに気を配っている。
師匠の様に数キロ先、までとはいかないが、少なくとも先手を取られる可能性は低くなる。
暫くすると、緑豊かな山が見えてきた。通行人は減ったが、それでも行商の馬車や、傭兵の様な出で立ちをした人が馬を牽いて歩いている。
「嬢ちゃん、この山を越えるのかい?」
突如、声を掛けられる。見た目は確かに『嬢ちゃん』かもしれないが、中身は30を越えたオッサンだ。俺はばつが悪い感覚に襲われた。
「はい、サルボ港に向かう都合がありまして……」
「なら、ウチの馬車に乗って行きな!小せぇ行商団だけどよ、山越えるまでなら無料でいいぜ!」
「……そうですか、ではご厚意に甘えさせていただきます」
3輌の馬車を引き連れた行商団の、先頭の車輌に入る。中には様々な食糧や鎧が積まれていた。
「狭いけど我慢してくれよ!……見ねえ恰好だけど、ヤマトの人か?」
「いえ、俺……私の師匠から贈られた物でして。サルボ港からヤマトに行く予定です」
他愛もない会話が続く。50代ほどに見える彼の名は、ノーマッド・フィッシャーマン。行商の仲間達からは、ノマド、と呼ばれていた。
彼らは山を越えた後、小さな村々を巡る予定らしい。
「しっかしアンタの師匠は酷いやつだな!こんな子供に1人で行かせるなンてよ」
「ハハ……、ソウデスネ……」
適当に相槌を打ち、馬車に揺られながら、山に吹く爽やかな風を感じる。馬車を牽いているノマドが振り返り、真剣な眼差しで俺に話しかけた。
「いやいや、冗談じゃなくて!この辺も魔物やら賊やらが出て危ねェんだぞ!」
「大丈夫ですよ、戦うことはできますので」
彼は目を丸くし、驚いているようだ。髪のない頭を掻き、難しい顔をする。
「……その年齢で戦えンのか、世も末だな。……まあ、この行商団には4人の傭兵を雇ってるから、もしもの事が起きたら馬車ン中で見てな!」
3輌連なる馬車の真ん中の車輌には、傭兵が2人ずつ、最後尾の車輌にも2人乗っていた。
4人もいれば、この辺の魔物なら大丈夫だろう。俺は暖かい陽の光と、草原に戦ぐ心地よい風で、すっかり眠気に襲われてしまい、うとうとしていた。
* * *
馬車に衝撃が走る。その衝撃と音で俺は眼を覚ました。
どうやら先頭の馬車の後輪が、泥沼に嵌ってしまったらしい。俺は馬車を降り、行商人達の様子を見る。
行商人達はどうにかして、泥沼を抜けださせようと齷齪している。その間、傭兵達は馬車を降り、辺りの警戒をする。
コイツらは中々できる傭兵だ。傭兵の仕事は雑用じゃない。依頼主を守るのが仕事だ。車輪の事に関しては、我関せずといった態度を取り、四方を守るように馬車の周りを警戒していた。
……と、言っても傭兵のパーティには魔法を扱える者がいないらしい。剣を装備している男2名が馬車の近くを守り、大きな盾を持つ男が少し離れた位置に、弓を携えた女は高台から辺りを見渡していた。
俺は馬車の近くから、魔力探知を行使する。全ての生物には、魔法を扱えずとも、その体には魔力が巡っている。魔力を意図的に隠さない限り、見つけ出すことは可能なのだ。
馬車の頭を基準に、真正面、12時の方向から7体の魔力を検出。人の魔力ではない。これは――。
「12時の方向から7体、森妖精が来てます!」
「何っ、なぜここに!?」
盾を持つ傭兵が、急いで馬車の先頭へと向かう。それに合わせて、剣持ちが後ろに並び、高台の弓兵は弓を引き絞る。
準備が整ったかのように見えたが、彼らの態勢は一瞬にして崩された。
盾持ちが吹き飛ばされたのだ。森妖精の体当たりを受け、盾を大きく凹ませ、馬車の最後尾まで宙を舞った。
森妖精とは巨大な体躯を持つ魔物だ。毛むくじゃらで、醜悪な容姿であり、知能もそれほど高くはない。棍棒を振り回し、凶暴であり、悪意に満ちている、と言われている。
その魔物の体当たりを喰らったのだ。彼は勢いよく地面に叩きつけられたが、死んではいない。
「今、治します!治癒!」
俺は傭兵に駆け寄り、回復魔法を唱える。血反吐を吐いていた事から、内臓にダメージを受けたのだろう。だが、治癒のおかげで虚ろだった目は、しっかりと見開いた。
「回復……魔法?アンタ、名のある魔術師だったか……!ありがとう、あとは任せ――」
彼は足がふらつき、思うように立てない様子だった。回復酔いという症状だ。怪我を攻撃を受ける以前の状態まで治癒させる、というのが回復魔法だ。つまり、体力までは回復できない。
そうなると、怪我は無いが、体が思うように動かなくなる。
吹き飛ばされた時に、相当な体力を使ったのだろう。彼は、盾を杖代わりに立ち上がるのが精いっぱいだった。
「ここで休んでいてください、後は俺……じゃなくて、私と貴方の仲間に任せて!」
俺は魔術書を取り出す。手に取った瞬間、膨大な量の魔力を吸われた。だが、俺の魔力量の方が遥かに多い。長期戦は無理だが、戦える。
「お二方、離れてください!凍結、そして火球!」
「グゴアアアァァ!」
氷魔法で動きを封じ、剣兵の間を通すように、火属性の魔法を放つ。森妖精は痛がっているようだが、毛むくじゃらな体毛が勢いよく燃えただけで、ダメージは通っていない。
「ならば、紅炎!」
炎属性の魔法を唱えた。掌から赤い炎が噴き出る。本来ならば近距離用であるが、噴き出た炎を魔力で制御し、新たな技へと繋げる。
「そして……、紅炎弾!」
炎は幾多の球形となり、その1つ1つが、人間を飲み込む大きさの灼熱の弾となった。
灼熱の弾は森妖精に当たり、それは燃えるどころか、弾は体内に入り込み、そして爆発した。
1体が木っ端微塵になると、その他の森妖精達は馬車を無視し、何処かへ逃げて行った。
森妖精如きに過剰火力だったかとも思ったが、一先ず一件落着かと、胸をなで下ろす。
が、安堵しているのも束の間、ノマドの野太くて五月蠅い声が響く。
「アンタ一体どこの貴族お抱えの魔術師だ!?そんな魔法見た事ねェ!」
「ええと、私はちょっとだけ魔法が行使できるだけですよ、貴族お抱えなんてそんな……」
傭兵達が俺の周りに集まってくる。ノマド以外の行商人は、信じらないものを見た、と言わんばかりに馬車から顔を覗かせている。
「俺たち長年傭兵をやってるけどよ、アンタみたいな魔法を使う魔術師見たことないぞ。ましてや軍なんかにアンタに並ぶ魔術師なんて1人もいないはずだ」
「同じく俺も見た事がない。最初に撃ったのが、恐らく氷と火魔法で……、後に撃ったのが……もしかして、炎魔法か?」
「ええ、その通りです」
ノマドと傭兵は顔を見合わせる。魔法には炎・氷・雷・風・水・毒・地・重力・聖・闇・無(虚)・特殊の12属性がある。しかし、話によると、普通の魔術師が実際に行使できるのは、どれか1属性のみ。
俺は魔法についてはよく分からないので、魔法を行使できる者を魔術師と一括りにしていたが、実際には、炎魔術師や氷魔術師などに細分化されているという。
2つ以上の魔法を扱えたり、組み合わせたりできる者は、それだけで貴族や王族に雇われるほど、貴重な存在らしい。
つまり、師匠は重力魔法の種類に含まれる時魔法、それと同じように火魔法に加え、特殊である姿隠しの魔法を扱える上に、他の属性も満遍なく使え、尚且つ教育することさえできる……。
1つの属性の開祖が他の属性も修めている天才と言ったが、彼女は俺の想像を遥かに越える偉人かもしれない。
「それだけじゃねェ、この年齢でコレだぞ?しかも、軍の魔術師どもは汗水垂らして呪文唱えてやがるッてのに、呪文も読んでもいねェし、汗1つ掻いてねェ……」
ノマドは俺の周りをウロチョロ歩き、しきりに首を振って関心している。
「でも気を付けた方がいいよ、さっきの森妖精、ここからずっと先の海岸線を越えた森にいる奴らだった。……君、サルボ港に行かなきゃダメなんでしょ?」
弓兵が俺に忠告する。俺はこの辺の土地に詳しくはないが、森妖精が森に住む魔物だということくらいは分かる。
「きっと森で何か起きたんだと思う。君が幾ら強いからって、囲まれたらマズいよ」
「……そうですね、ご忠告ありがとうございます。ですが、どうしてもサルボ港に行かなくてはならないんです」
「……そう。だったら、これを持って行って」
手渡されたのは、青い蝋燭だった。鉱物から作られた蝋燭であり、燃やさずとも、その見た目から、人にとって良き匂いであることを醸し出していた。
「ウチの仲間の命を救ってくれたお礼。別に高いモンじゃないけど、安くもない。それはね――」
それは、魔物除けのお香。火を灯せば、その場が暗ければ燃え続け、明るくなると自然と消える。弱い魔物はこの匂いを嗅いだだけで逃げ出すと言われる。
――強い魔物には効かないけど、囲まれるくらいなら、ね?
俺はそれをありがたく頂戴する。森は昼間に通り抜ける予定だったが、何かあった以上、準備しておくに越したことはない。