1話 黄金の国
あれから数週間経った。修行の日々が始まり、軍隊に居た頃よりも多忙な日常を過ごしている。
新しい生を受けてから、日常は一変した。
驚愕したことだが、どうやら排泄の必要性がなく、発汗もない。吸収した全ての物は活力、魔力等に変換されてしまう。
早朝に起き、自主的に屋敷の庭で、体術の修行がてら体操。
朝食を食べた後、師匠から魔法の手解きを受ける。昼食後も同じく。夕食後は勉学に励む。そして、就寝する前まで木刀を使い剣術の修行。
「なんじゃあお前、魔法の才はあまり無いようだな」
今まで剣術一本で生きてきたからか、俺には魔法というものに理解が浅い。正直、苦手である。
師匠が言うには、人の体には血管や神経の他に、目には見えない魔力を流す為の管があるという。血管の中に血が流れている様に、魔力管とも言われるその中には、空気中の魔素を取り込み、魔力に変換して流れている……らしい。
「火球!」
俺は火属性の基本となる魔法を放つ。人に直撃すれば少なくとも丸焦げになるサイズだが、師匠のは桁違いだ。師匠のは、まるで太陽の如く熱を放つ、巨大な球体であった。
なぜ魔術師である師匠がこれ程まで威力の高い魔法が使えるのか。それはただ長く生きてきた、というのは解ではない。そもそも魔術師ではなく、彼女は魔導師であった。
魔導師、賢者、開拓者とも呼ばれるそれは魔法の起源となった者を指す。12属性の内、『重力』はリサ・“エレメント”・ヴァレンタインの手によって創られた。
天才が努力をした典型的な例。1つの属性の開祖が他の属性も修めているのだ。俺はその足元にすら及ばないことは明白である。
* * *
「――いいか、魔法とは魔術と法術のことだ。魔術は人が開拓したもの、法術は世界の力、平たく言えばこの世界に溢れる魔素の事――」
師匠の言葉を一字一句、羽ペンを使い、真っ白な羊皮紙の本に書き写す。
「――魔力以外にも、人には行使できる力がある。例えば、占いや星辰、神の力を一時的に使う為には精気だな。あとは……お前も良く知るであろう氣だ。オーラとも呼ばれる――」
氣……、体を動かす為の活力。剣術しか無かった俺は、何時しか体内の氣を操る術に長けていた。
この多忙な生活に直ぐ順応できたのも氣のおかげだと言える。新しい体に慣れていなかった時は、一日が終わる頃には泥の様に眠っていた。魔力を行使できたのも、氣の扱いと似ていたからだ。
しかし、魔力を行使できるのと、魔法を扱えるのとは、似ているようで全く違った。軍隊に所属していた時、ふと思い立ち、何気なく魔術師達の訓練を見ていたが、彼らは皆、魔法を『詠唱』していた。
魔法は基本的に3小節の詠唱から成る。『炎よ』『弾け』『飛べ』の小節で火球になる。10以上の小節を以って行使する魔術は、儀式か魔法陣が必要となる。
師匠が俺に教えているのは、10小節以下の魔法を無詠唱で行使するというもの。詠唱破棄という技術だ。実際には無詠唱という訳ではないが、行使する魔法を唱えるだけのもの。詠唱破棄をした所で魔法の威力低下などには繋がらないが、詠唱破棄を失敗すると魔法が行使できない。
そのため、軍では確実性のある詠唱をした上での行使を徹底しているが、そもそも詠唱破棄をできる魔術師が殆どいないそうだ。
* * *
早朝、屋敷近くの森の中で、俺は巨大な岩と対面している。
眼を瞑り、徒手空拳の構えをとり、左足で大きく踏み込む。氣の流れに回転を加え、足から脚へ、腰から肩へ、肩から肘へ……。
そして肘から拳へ伝え、右拳を真っ直ぐ、岩に叩きつける。
森中に、重厚な破裂音が響いた。それに驚いた鳥たちは、羽ばたいて何処かへ行ってしまう。
手応えはあった。俺は眼を開き、眼前の粉々になった岩を見る。
――剣術や体術だったら、他愛もないのにな……。
生まれ変わる前でも、岩を斬る、砕くはお手の物だった。転生後は豚人や鬼人の膂力が援けとなった。恐らく、氣など使わなくてもこの程度の岩なら、膂力だけで砕けたはず……。
砕けた岩の破片を手に取る。大人の両手でも余るほどの大きさだが、難なく片腕で持ち上げ、それを空高く放り投げる。
「水刃!」
水魔法を放つ。水圧を利用した数多の刃は、岩を正確に正方形に斬り取っていく。
――質が無いなら、量で圧倒する!
魔法の質とは、魔法と触れ合った時間に比例する。師匠の話によると、俺の魔力の質は一般魔術師に劣る程度だが、量は遥かに越える。いずれ質も補わなくては。
落ちていく正方形に斬られた岩を眺める。
もし敵に囲まれたとき、どうすれば良いか。転生前は仲間が居たが、今は俺1人しかいない。どう切り抜けるか。
――牽制し、怯んだ隙を狙うか。
「岩作成……、短剣!」
地魔法で岩で構成された短剣を2~3本作り、空中を舞う正方形の的に投げつける。投げた短剣は全て命中し、的は砕け散った。
思惑通りだったが、短剣の形が手に合わない。もっと投げやすい形は……。
刀身、切先は槍の様に鋭く、柄は細く握りやすい形に、柄頭は携行性を加味し、輪状のもの……。
それは、実物を見た事はないが、何かの本で見た事のある苦無と良く似た形状であった。
確か、ヤマトの国の武具。機能性に優れていると聞く。であれば……。
「岩作成……、手裏剣!」
十字の形をした、小さな飛び道具。四方剣とも呼ばれるものだ。風を切り、狙った1本の木へ大量に突き刺さる。
――成程、飛び道具としては手裏剣を用い、短剣としても使える苦無は武器として作った方がいいか。
このように実験、実戦を想定した訓練には理由がある。魔力とは感知されるものなのだ。数キロ離れていても、師匠の様に高名な魔導師であれば、何処で、誰が、何時、何の魔法を使ったかを知るなど、造作もない事なのだ。
武器と魔法をバランスよく扱う。例えば、魔力で作った短剣を飛ばした後に、その影に武器である短剣を忍ばせて投げる、等だ。
彼是考えているうちに、時間は経ち、いつもの日常を送る。
* * *
1年ほど経っただろうか。魔法の手解きを受けている最中、師匠が口を開いた。
「そうだ、お前には近々ヤマトの国へ行ってもらう」
「ヤマト……ですか?」
「あぁ、お前の剣術や体術を見ていると、どうもあの民族が頭にチラつくのさ。息抜きがてら、術を教えてもらってこい。何、彼方には知り合いが居てな。紹介してやろう」
「分かりました、お心遣い感謝いたします」
「おっと、その間も魔法の鍛錬は怠るな!あくまでお前は私の弟子だからな、魔法がメインだ。分かったか?」
「心得ております。……ヤマトに向かうにあたって、何か準備した方がいい物はありますか?」
師匠は右手を顎に当て、何かを考えているようだ。そんな師匠をよそに、俺は正直、歓喜していた。
苦手な魔法から少しは離れられることと、1年でどの位強くなったのか試せることに。
「まずは新しい衣服だな……。それとアイツに渡す土産と……」
師匠から頂いた衣服は、1年の間で大分ガタがきていた。魔術師らしいローブに師匠とよく似た大きな帽子という出で立ちだが、俺がそのままの恰好で剣術や体術をするものだから、彼方此方が擦り切れたり、破れている。
「そうだ、アレを着ればいい!カナメ、こっちに来い」
いつもの部屋から、隣の部屋へ移る。そこには数多くの衣服が並んでおり、衣装、正装、礼服、着物、見た事もない甲冑や具足までもがあった。
よくよく考えれば、俺はいつもの部屋と与えられた部屋や大きな食堂以外、入ったこともなかった。この部屋全ての衣服が、師匠のものであることは想像に難くない。
「これだこれ、古くから伝わるヤマトの魔法を使う者が着る服さ」
その服は狩衣と呼ばれる。陰陽師と呼ばれ、占術、魔法の分類では法術寄り、属性で言えば特殊にあたり、精気を行使する集団が着ていた服である。
ボロボロの服を脱ぎ、新しく黒の下着を身に着ける。黒を基調とし、紅色の細やかな装飾がされてある狩衣を纏い、同じく小袴を締める。そして脛巾。全てが絹糸蜘蛛のみから手に入る蜘蛛糸で編まれた布で構成されている。この糸は刃物で斬る事が非常に難しく、それ故に高価であることが分かる。
「……こんな高価な物、いいのですか?」
「あぁ、私のお古だからさ。私と同じくらいの身長で良かったな。転生前なら似合わないし着れなかっただろうさ」
やはり師匠の服かと落胆する。以前のボロ着も師匠の物だ。せっかくなら俺だけの服を着たいという気持ちもあるが、今は仕方ないだろう。
「あとは……、頑丈な革製の足袋と、黒檀から作られた底の厚い相右近という下駄だ」
どちらも高級品である事は明白だ。
竜の鉄よりも硬い表皮から作られた足袋。硬いにも関わらず履きやすく、裸足のような感覚である。
黒檀からそのまま削り出して作ったであろう下駄。硬く加工のし辛い木だが、足の形に正確に合致するように作られており、また、歩き疲れないように特殊な魔法によって保護されている。……厚底なのは身長を誤魔化す為だろうか。
「最後に、コレだ!」
手渡されたのは、刀と魔術書、そして収納袋。
収納袋はこの世に2つしかない物らしく、1つは師匠が持っている。どんなものかと言えば、寸法無制限の小さな背嚢。容量は無制限ではないが、師匠の得意な重力魔法のおかげで、袋の中は時間が止まっている状態だという。……絶対に無くすなよ、と念を押された。
刀の鞘には御札が何枚も貼られており、理由を聞くと、俺が無暗に剣術を使わないように、一定の条件付きで封印しているとのこと。さては魔法しか使わせないつもりだな。
魔術書は魔法を行使する際の触媒として。魔法を行使する者達は、長杖や短杖などを触媒として使う。目的は魔法威力の底上げだ。
しかし、俺が受け取ったコイツはちょっと違う。威力の底上げはしてくれるが、それ以上に魔力の消費が激しくなり、持っているだけで魔力を喰われる代物だ。
師匠って意外と過保護なんだな……、と思った途端の始末である。
「これほどの物を……、ありがとうございます、師匠」
「なに、弟子の為だからな。それと今すぐ出発という訳ではない。しばらくその服で動き回ってみるんだ。……出発は明日の早朝、私は用事で見送れないが、ヤマトまでの行き方は書き記しておくさ」
その後、俺はいつも通り過ごし、多少衣服の事を気にかけながら、転生前には行ったこともないヤマトという国を想像し、眠りについた。