黄泉がえり
『徒花』、咲いても実を結ばずに散る花や季節はずれに咲く花を指す。
何時か起きた戦争は結末を失い、100年ほど続いた。陰鬱な空からは雨が降り、地面と一人の男を濡らしていた。
暗い。体が動かない。体が冷え、強張っている。辛うじて瞼は開いた。辺りを見渡すと幾多の人間の腕や足、頭が無造作に転がっていた。
――ああ、俺たちは負けたのか。
サン・“グランツ”・オーレオール国王ら率いる軍と、ブイオ・“オスキュリテ”・ドゥンケルハイト国王率いる軍の戦闘があったのだ。結果はオーレオール軍の惨敗に終わったが、この戦争は終わることを知らない。
オーレオール軍は既に撤退した後のようだ。ドゥンケルハイト軍の兵士の姿も見えない。居たのは死者から武具を引き剥がし、それらを売る賊だけだった。
霧がかかった意識が晴れ、俺は上体を起こす。立ち上がろうとするが、板金の鎧の重さと体に奔る鈍痛がそれの邪魔をする。
「――生き残りが居たか、オーレオールの者よ」
突如、俺の背後から声がした。振り向くとドゥンケルハイト軍の魔術師が静かに佇んでいた。大きな帽子を被り顔はよく見えないが、声から女であると分かる。姿隠しの魔法でも使い、残党狩りでもするつもりなのだろうか。
俺は体を無理矢理に起こし、腰に携えた長剣を抜き、真っ直ぐ構える。
「残党狩りか……?ドゥンケルハイトも堕ちたと見える」
「フッ……ハハハッ!それは間違いない!」
魔術師は高らかに笑い、帽子を脱いだ。鮮やかな長い金髪で、顔には幼さが残る。しかしながら、装いを見る限り、かなり高名の魔術師であろう。
「私は確かにドゥンケルハイト軍所属の魔術師だが……、元、さ」
元ドゥンケルハイト軍所属が何故ここに……、などと考えていると注意深く構えていた長剣が突然弾き飛ばされた。恐らく奴の魔法だろう。俺は咄嗟に徒手空拳の構えをとる。
「『俺はまだ戦える』と、そう言いたいのだな?」
何故この魔術師が俺を狙うかなど、見当もつかない。俺を殺し、死霊使い達が使用する使役の魔法で奴隷にでもするのか?やはり残党狩りか?それとも唯の復讐か?
俺は一層強く拳を握る。体の節々に痛みが残っているが、逃れる事くらいなら――。
そう思ったのも束の間、魔術師が掌を翳した瞬間、寒気が襲った。その場を離れようとするも脚が動かない。何が起きたのか。足元を見ると、板金の甲懸が凍っており、徐々にその範囲を伸ばし、臑当にまで至ろうとしていた。
「氷魔法か……!」
「違うな、氷魔法ではない。人は理解出来ない物事が生じると脳が勝手に解釈を起こす……。脳の錯覚というやつさ」
しかし、凍っている様に見える部分は確かに冷たい。足先など感覚が無い程に。これが氷魔法でなければなんだというのだ。
「時魔法……。お前にしたのは時間停止だ」
時魔法。そんなものがあり得るのか。氷漬けになった者はその時間すら止まると聞く。仮に時魔法があり得るとしても、使用には膨大な量の魔力が必要となる事は想像に難くない。何せ世界の常識に一時的に抗う行為を伴う。
「それほどの魔法を何故俺に……!」
「勧誘だよ、か・ん・ゆ・う。お前には見所がある。私と共にこの100年以上続き此れからも続くであろう戦争に終止符を打つのさ」
魔術師は翳した掌を、より一層高く掲げた。
「その前にお前には……、再び死んでもらう」
再び――。疑問が脳裏を過る間もなく、腰辺りまで侵攻していた魔法は一瞬で俺の体を凍結させた。
* * *
どれ程の時間が経っただろうか。俺はベッドの上で再び目を覚ました。あの時とは違い、目覚めも良く、体に痛みも残ってはいない。ただ、何か言い難い違和感がある。ベッドから降りようとしたとき、その違和感の正体に気づく。
――これは……、一体何が……
ベッドから降りて直ぐ目の前の立ち鏡に、姿が映った。それが自分であることは理解していたが、俺が知る自身の姿とはかけ離れていた。
黒く長い髪に、中性的な顔。特徴的な耳を除き、顔だけ見れば幼子の妖精のようだ。体つきも変化しており、軍人らしい屈強な肉体は、戦争を知らぬ子供のように。性別は……、ない。人形のように何も無くなっている。
見た目だけで言えば子供だろう。10代ほどだろうか。以前よりも身長が低く、手足の長さもその分短くなっている。
「目覚めたようだね」
鏡越しにあの魔術師が立っていた。俺は振り返り、魔術師に歩み寄る。
「俺に何をしたッ!」
「そんな見た目で凄まれても怖くとも何ともないぞ、童。……それと私の名は『リサ・“エレメント”・ヴァレンタイン』だ」
“エレメント”の称号を冠する者。
魔法には炎・氷・雷・風・水・毒・地・重力・聖・闇・無(虚)・特殊の12属性に別れ、尚且つ2つ以上の組み合わせで変化するものや、1つの属性を簡易化したもの、例えば炎であれば火、聖であれば奇跡が存在している。
特殊については例外扱いで、部族間だけで発展したものや、特定の場所でのみ使用できるもの、特定の血族しか使用できないものが含まれる。
エレメントとは、12属性のうち1つを極めたもの、又は1つの属性の発展に多大な貢献をした者のみが持つ、国王から贈られる栄誉称号である。
「エレ、メン、ト……と、言ったか!?」
俺は直ぐに片膝をつき、頭を垂れる。敵国の貴族だろうが、国王に認められた者には何人たりとも国際儀礼を重んじなければならない。
「――貴女の心のままに、ヴァレンタイン卿」
「やっと私の凄さが分かったか。そうそう、質問に答えてやるとも。私がお前にしたのは、一時的な蘇生……それと時間停止と転生さ」
話を聞くところ、俺はあの時既に死んでいた。蘇生後目が覚め、ヴァレンタイン卿が現れた。その後時間の止まった俺は彼女の屋敷まで運ばれ、転生の儀を受けた……らしい。
「何故、私めに転生の儀を?」
「そう畏まるな。言っただろう、この戦争を終わらせると。……その為にはお前の肉体では限界があったのさ」
既に死亡した肉体だったから、ではない。齢30を過ぎた古い肉体は長らく続いた戦争で徐々にその機能を失っていた。それだけではなく、年老いれば戦うことはできず、ましてや健康に過ごしたとしても、人間の肉体では精々100歳が限界だ。
その為、彼女は新しい器を用意したという。
新しい肉体は様々な種族の純血種の特性を引き継いだ雑種である。
膂力は豚人や鬼人が如く力強く、獣人の人狼のように疾い。
小人達のように手先が器用で、妖精の容姿端麗な外見と怜悧な頭を持つ。
……そして、寿命では死なず、老化しない。疑似的な不老不死である。
「ただ、その体を使いこなすには修行が必要だ。何、簡単なことだよ。今から100年ほど修行してもらうのさ」
「100年!?その間に戦争が終結してしまうのでは……?」
「……無くならないよこの戦争は。私が見てきたのさ。名を変え姿を変え、ずっと見てきたんだ。……100年前もその又100年前も変わらない。人や国境、考え方は変わったけどね。戦争は最早稼ぎになっている。復讐は世代を変え時代を越え、その恨みは募ってゆくんだ」
「では、どのように?」
「『国盗り』さ、復讐の連鎖を終わらせる前にね。稼ぎを根本から変えなくちゃいけない。その為にお前の力が必要なのさ」
「私めの……力?」
「そう、お前の力さ。君はオーレオールにいた頃、部隊長を務めていただろう?部隊の仲間が生き残れるなら何でもする覚悟と、いざとなれば仲間の1人を見捨てる事ができる相反する覚悟。真に大局を見る力が必要なのさ。……この力があるのはこの時代でお前だけだ」
俺は自身の掌を見る。本当にそんな力が備わっているのだろうか。この戦争を終わらせたいという気持ちは本物だ。だが、できる気がしない。聖都オーレオールとドゥンケルハイト国家要塞の2つを奪う?想像もつかない。
「焦るな、100年も準備できるんだ。100年歩き続ければ良いだけのことさ。……それと名前が無いと不便だな」
「あっ、私めの名前は――」
「過去の名前は捨て、新しい名前で生きるんだ。そうだな……、うーん……、……『カナメ』!カナメ・ヴァレンタインと名乗るのだ。……それと今後は私の事を師匠と呼ぶように!」
よろしくと言わんばかりに彼女は右手を差し伸べる。
恐らく、この手を握ったのなら、俺の人生は変わる。
拒否権など無かった。迷いはあるが、昔の俺はいない。そもそも迷っている暇なんて無かったのだ。
私は彼女の右手を、両手で強く握り返す。
その光景はまるで、聖女に祈りを捧げる者のようだった。
「それが我が命であるならば。この命、師匠にお預け致します」