ご免なさい、僕は普通の人間なんです。2-1号室の住人は婆さん
僕は結局、月五千円の家賃に目が眩み緑荘2-2の住人になった。
2-3の高山は、いろいろ教えてくれる。隣の2-1には、面倒くさい婆さんが住んでいるとか、真下の住人耳鳴りの包丁男山崎は、本当は気が弱い男だとか、
ここの住人には、逆らわないこと、つまり言動を否定してはだめだ、と言う事。
揉め事は否定しなければ発生しない事。
とにかく此処で生きていくための処世術の様な事をくどくどと話してくれた。
僕がたった一つ口を挟んだのは、
「警察を呼んでもいいんですか」の質問だけだった。
高山は、一瞬くすっとして、堪え切れない様子で噴き出して笑た。大丈夫、もし揉めたら佐藤さんより先に相手が間違いなく警察を呼んでいるよと、話すと今度は、おなかを抱えて笑った。
何でも警察沙汰は日常茶飯事、珍しくないらしい、僕は背中にすーっと寒気が走るのを感じた。
転居二日目この話を聞いた僕は、ハローワークでの面接の後、防御用に竹刀を一振り買った。
その夜も音を立てないよう細心の注意を払って、僕は寝た、いや寝てはいない、音を出さないように横になっていただけだ。
金さえあれば、こんなボロアパートすぐにでも引き払うのだが、ホームレスと言う分けにもいかない。とにかく仕事の目途が立つまでは仕方がない。我慢だ。転居三日目の朝の事だった。
寝不足で虚ろな目をこすり、ドアを開けて外に出ると、右隣の部屋のドアも同時に開いた。中から洗濯物を抱えた八十歳近い婆さんが出て来た。
僕は「おはようございます、隣に引っ越してきた佐藤です。よろしくお願いします。」と頭を下げた。婆さんは不愛想に、洗濯物をドア脇の洗濯機に突き込むと、
「あんた悪い人だね。」
といきなり発した。僕は言葉に詰まった、
「え」、否定してはいけないの高山の言葉を思い出した。
「突然で、びっくりしました、あはははは、隣に引っ越した佐藤です。よろしくお願いします。」
婆さんは挨拶に関係なく、白目を剥いて、上目づかいに、僕を睨み
「あんた悪い人だ」
「え、何の事、勘弁してくださいよ」と僕は、はぐらかそうとすると
「何人殺したんだ、一人か、二人か、もっとか、言ってみろ、悪いことするんじゃないよ」
返答に窮していると、高山の顔が浮かんだ、否定しないこと。
「一人だけ」僕は話を合わせてしまった。
婆さんは、顔色一つ変えず、
「本当か、どこでやったんだ」たたみ掛けるように追求して来る。
僕は笑いながら、婆さんの欲しがる答えをスラスラと話すと、
婆さんは、決め言葉に語気を強めて
「悪い事するんじゃないよ」と発する。それを受けて僕はやけくそで、謝ったり、あること無い事いや無い事をを話した。
「首を絞めて殺した、隅田川にすてた、もう一人は、女で山に埋めた、さらにもう一人やった。」など、適当に話を合わせた。
三十分も立ち話をしたろうか、突然婆さんが、話を切り
「悪いことするんじゃないよ」の決め言葉の後部屋に入りドアを閉めた。
表札を見ると山田 よりこ。とあった。
僕は「山田さん、よろしくお願いしますね」
と閉まったドアに話しかけて、ハローワークに向かった。
帰ったら、婆さんの対処方法を高山に訊かなければ、などと思いつつ歩を進めていた。
それにしても疲れた、あの婆さんは、狂っている、少なくとも、正常ではない。とにかく、仕事だ、仕事を決めれば何とかなる。
その日の夕方、仕事も決まらず帰宅すると、すぐにドアを叩く音がした。
ドアを開けると警察官が三人立っていた。
「伺いたい事がありますので、署まで同行いただきたい」
「え」僕はその夜警察署で、夜を明かす事になった。
婆さんが警察に連絡したのである。
但し救いもある。久しぶりに、ゆっくり眠ることが出来た。