第三十六話
「ロドリー様、待って。」
小声で静止の声を上げるウィルに、
瞬時に反応して足を止める。
振り返れば、ウィルは後方の天井を見上げ、
姿勢を低くしている。
「ウィル?」
真似るようにロドリーも姿勢を低くした。
ウィルは困ったように眉を下げる。
「僕の感知範囲に一人…たぶんルークだと…。
でも向こうは感知範囲が狭いからか、僕の存在にはまだ気付いていないみたいです。」
「相手が感知する前に急いで移動しよう。」
地図と壁に書かれた水路番号を確認し、
「39」と書かれた水路を走り抜ける。
少しずつ近づくルークの気配。
なるべく戦闘を避けたい自分達にとって、
相手に感知される事は不利となる。
二人は走り抜けた先に見える曲がり角に身体を滑り込ませ弾んだ息を整える。
少し遠く、背後から聞こえる出入り口の開閉音、
重量のある足音はきっとルークの物だろう。
「相変わらず、ここは嫌な空間だな。
何故俺がビショップの言う通りに動かねばならん。」
機嫌の悪いルークをなだめるようなポーン兵の声が聞こえる。
普段から横柄な態度なのだろう、
彼等も慣れたように対応している。
ロドリーとウィルの曲がった先にあるのは、38水路。
37番まではあと少しである。
ウィルは足音を立たせないように、
シルフィーの力を借りて二人の身体を浮き上がらせた。
移動速度は下がってしまうが、
これならば感知範囲外に居る限り見つかりはしないだろう。
『今日は良く飛ばされるな。』
不思議な感覚に驚きつつも身を任せるロドリー。
空を飛ぶ能力の無い自分はもちろん飛んだ事が無い。
それどころか、魔石の力を借りて飛ぶ人間も希少であり、見た事も無かった。
『貴重な体験を1日2度もするとは思わなかったなぁ。
海砡に飛ばされた時は怖かったけど、今は飛んでるというより、
浮いてるって感じだし、落ちても数十センチ程度だから怖くもない…。
宇宙に行ったら、無重力ってこんな感じか?』
ふわふわと浮かぶ自分の身体。
ロドリーはそのまま足を畳んで胡坐の姿勢になってみた。
ウィルのコントロールが上手いのか、身体はまっすぐ水路を進んでいる。
「ほぉ…これは楽ちん。」
「ロドリー様、一応緊張感持ちましょうよ…。」
39水路まで聞こえないように、
小声で話す二人。
ウィルは若干呆れ気味に苦笑した。
「そういえば、紫翠は感知できるか?」
「んー…。やや後ろ…ゆっくり歩いてるみたいです。
このままだとルークと当たると思います。」
「まっ、紫翠の実力を考えれば、
ルークとの戦闘はきっと問題無いだろう。」
ロドリーは壁を見て、
自分達が37水路まで来た事を確認する。
近くに地上に繋がる出入り口があるはずと辺りを見渡した。
そして、すこし先に上に繋がる梯子が見える。
近づいて見上げれば、鉄製の蓋のようなものが見えた。
『開けられなくはない…か?』
梯子に手を掛けて、ウィルに術を解除するように合図する。
少しずつ身体から浮遊感が消えていく。
梯子に足を掛けた時には重力をちゃんと感じられるように戻っていた。
なるべく上る音を鳴らさないように、
慎重に梯子を上る。
蓋に手をかければ、それは見た目ほど重くないようで、
少しだけ隙間を開けて外の様子を伺った。
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『その通路を右ですわ。』
海砡の言う通りに地下水路を歩く。
少し先にルーク、そのさらに先にウィルが感知出来る。
距離的に、ルークの感知範囲外の為、
戦闘は回避出来た事が安易に予想出来る。
ただ、私がルークとの接触を避ける事は出来ないようだ。
だがそれで良い。
コツコツ_
わざと足音を消さずに歩く。
感知出来なくても、私という存在に気付けるように。
「そこの者止まれ!」
ポーン兵の一人が紫翠に気付き声を上げる。
その近くにいる大男はルークに間違いない。
紫翠は制止の声など聞かずに歩き続けた。
「止まれと、言っているのが聞こえないのか!」
薄暗い中、紫翠の表情は相手に見えていないだろう。
それは紫翠も同様で、相手の表情はうかがえない。
だが、声質からして少しだけ怒気が含まれているのが分かる。
「多少手荒でも構わないと、クイーンよりお許しを頂いている。
アレがお前たちの趣向に合うとは思わないが、好きにして構わん。捕まえろ!」
そういえば、
この国は奴隷制度が認められていると聞いた。
ウィルの話によれば、保護した子供はやせ細っていたと聞く。
そんな子供を売っていたという事は、
勿論、買い手が居るという事になる。
「お前たちのような奴が買っていたんだな。」
近づいてくる敵、
徐々に露わになる彼らの顔は、
欲に塗れた顔をしていた。
振り下ろされる刃は急所をあえて外しているように見える。
舐められたものだ…。
紫翠は刀で相手の剣を受け流し、
腹部に蹴りを入れて吹き飛ばした。
『この女、実践慣れしている。』
紫翠の身のこなしを見ていたルークは眉をピクリと反応させた。
立ち方、武器の扱い、大抵の場合、武術には型がある。
だが、紫翠の動きには統一性が無い。
しかも、
吹き飛ばされてきた兵を見ると、
既に首筋を切られ絶命していた。
他の立ち向かって行った兵達も、皆倒れてからピクリとも動かない。
「ちっ…!」
ルークは背に装備していた大剣を手に持ち走る。
熊に匹敵する彼の体格から繰り出される剣技は、
そんじょそこらの兵士とは比べ物にならない。
受け流した大剣がぶつかった壁には大きなヒビが入った。
だが紫翠が驚いたのはそこでは無い。
隙を見て切り付けた筈の首が傷ついていないのだ。
まるで絶対切れない鋼鉄に刃を当てたような感覚。
痺れるような振動が伝わる腕に驚愕した。
「海砡…。」
『ご安心ください。わたくしは平気ですわ。』
頭に直接聞こえてくる彼女の声には、
若干の焦りが見えていた。
普段冷静な海砡も少し驚いたのだろう。
今ココにいるのは自分とこの女だけ。
ルークの身体は、パキパキと音を鳴らしながら巨大化し始めた。
肌に生えた土色の鱗は、一枚一枚が厚い。
「お前…硬龍種か。通りで硬いはずだ。」
紫翠は海砡を耳飾りの姿へと戻し、
丸腰の状態でルークの前に立った。
「お前に俺の鱗は切れない。
さぁ、その手足の骨を折られたく無かったら、
大人しく俺と共にクイーンの元へ行ってもらおう。」
「なるほどな、硬龍種は防御に特化している分、
感知や魔術系の能力が衰えている。
どおりで感知範囲が狭いと思った。」
紫翠の全く動じない態度に苛立ちを隠せないルークは、
太い尾を壁に叩きつけて壁を砕く。
「貴様、聞いているのか!」
「感知の範囲が狭い処か、質も悪い。
お前は、私が龍であること以外何も分かっていない。
お前たちの言うクイーン様が私を直視さえすれば、
そんな態度は取らないだろう。」
紫翠は跳躍し、龍化したルークの太い喉元に腕を突き刺した。
その腕は黒い鱗に覆われた龍の腕。
「私は、お前より硬い鱗を持っている。
鱗だけじゃない。
爪だってお前の鱗より硬い。」
バキッと鱗が割れる音、
太い首から流れる赤い血、
ルークの巨体はそのまま崩れ落ち、元の姿に戻ることもなかった。