第十四話
人間ではない_。
その言葉はその場にいた兄弟にも衝撃を与えた。
人間として生まれ、
人間として生きて、
人間として死んでいくはずだった。
突然、常識を否定されて困惑しない者は居ない。
紫翠が兄弟に向かってさらに言葉を発しようとしたとき、紫翠は再びキングの業火に包まれた。
「これ以上、ペラペラと情報を漏らしてもらっては困りますよ。」
ニタニタといやらしい笑みを浮かべるビショップが真っ黒の拳ほどの大きさの魔石を胸の高さに上げる。
ビショップの行動の意味が分かったロドリーは靴に填め込まれている魔石に力を込めて会場に飛び出す。
紫翠のように瞬時に移動する事は出来ないが、人とは思えない速度で移動できるようだ。
「どんなに急いでも術はもうすでに発動済み・・・無駄ですよ。この距離で術が失敗するはずもありません!私の魔術によって彼女は私の思い通りに動かす事が出来る!」
ならばと魔石に狙いを定めるが、火龍と化したキングがそれを想定していたようで次はロドリーに向かって火を放つ。
(しまった、避けきれない!)
そう感じた瞬間、視界が真っ暗になった。
硬く、少し温かみのある何かが自身の体を包んでいる。
「怪我はない?」
視界が明るくなった事で自分が包まれていた物の正体がわかった。
本体の身体よりも何倍もある漆黒の大きな翼だった。
「あぁ、大きさは自由に変える事が出来るの。」
ロドリーが驚いているので目の前で先ほどまでの背丈程度大きさまで小さくして見せた。
だが、彼はまだ口をパクパクしている。
「…ちゃんと守ったつもりだったけど、脳を蒸し焼きにでもしてしまった?」
「いや、あの…何でもないです。大丈夫です。」
守ろうと思った対象が、なぜか平気な顔して、さらに自分を守ってくれた事に気付くと、
少し気まずい気持ちになった。
「なぜ洗脳されない!?まさかお前もナイトと同じように幻惑系魔術が効かないのか!?」
「効くわよ。」
「では何故、洗脳されていない!」
「単に貴方の力量不足ね。」
紫翠はまたふわりと飛び上がり、キングの視線の高さを飛ぶ。
彼女のその眼には怒りがにじみ出ている。
「仮にも王の立場にいる者が、何故民を殺す。」
「……王族が民をどう扱おうと勝手ではないか。」
しんと静まり返った会場内に低い声が響く。
「民を殺して何が悪い。国を守ってきたのは、統治したのは、誰だと思っている!
私たち王族が長きに亘って今の世を築いたのだ。龍化なんて余計な力…民に必要無い。」
キングの言葉を聞き、
紫翠自身の心が黒く染まっていくのを感じる。
「優れた力は国の為に使えば良い。濃い血は王族の繁栄の為に使い、要らぬ種は捨ててしまえば良い。
他の国だってそうだ…同じことをしている。この世界はそうやって長く築かれてきたのだ。
今さらお前のような者が現れてどうするというのだ。」
救いようのない、愚かな思想。
この思想を持った愚かな王が統べる世界に、価値など無いのではないだろうか。
そう思った紫翠の頭に小さな声が聞こえた。
(あぁ、やっと見つけた…)
その声が聞こえた時、頭に暗く、冷たい石の部屋の映像が浮かぶ。
部屋の中央には鎖につながれた真っ白の手足。
足元に散らばる長い黒髪は鎖につながれた彼女の髪。
黒髪に一束だけ混じる白銀の髪、そして黒髪の間から見えた紺碧の瞳。
その眼が見えた瞬間、心臓を鷲掴みされたような感覚が体を駆け巡る。
手が、脚が、眼が、口が、
自分の意志で動かす事が出来なくなる。
(私の可愛い…黒騎…。)
その声で、心が真っ黒に染まっていく。
そして、口が勝手に動き出す。
『人間なんてこの世界と共に滅んでしまえば良い』
コンッコンッ
ウィルの足元に青と赤の石が転がり落ちた。
急いで拾い、様子を見る。
「おい…それって…」
「どうして突然…砡の姿に…」
海砡、炎砡が砡の姿になり沈黙してしまった。
砡は傷一つない。原因は別にあるようだ。
だが今は、それを考えている場合ではない。
「ウィル!」
とっさにウィルを担いで避ける。
先ほどまでリックを牽制していた2体の聖獣が居なくなったのだ。
好機と見て兄弟を切り裂こうとする。
鋭い爪からウィルを抱えながらでは何度も避け切れるかどうかも分からない。
爪は先ほどまで二人が立っていた地を大きく削っており、掠りでもしたら大怪我必須である。
「ちっ…」
逃げ切れるかどうか…ランスは眼を凝らして辺りを探る。
すると龍の背後に人影が現れた。
器用に龍の身体を蹴り上がり、勢いを付けて龍の手を切りつけた。
一回転して兄弟の前に着地したのは片手に刀を持ったロドリーだった。
「鱗に覆われてても、やっぱり柔らかい所あるんだな。」
「貴様、ナイトの分際で王族の俺に盾突くのか!」
「しるかボケェ!お前ら王族なんてクソくらえだバーカ!」
余裕そうに会話しているが、正直いうと勝機は無い。
腰に装備しているもう一振りを左手に持ち、
せめて兄弟二人だけでも逃がすことが出来ればと額に汗を滲ませながら退路を探る。
ブチッ
その時、彼等の耳に何かが引きちぎれるような音が響いた。
その音はリックの背後から絶え間なく続く。
ブチッブチッ
不審な音に、リックは三人を意識しながらも背後を振り向いた。
そして、リックが動いた事で三人も音の正体が見えた。
巨大な臓物がそこかしこに散らばっている。
血で出来た巨大な水溜りは真っ赤な火龍を中心に広がっている。
「おい、あれって…」
ランスの指差す先に、
血の滴る大きな心臓を手にぶら下げた紫翠がいた。
彼女の腕は龍化しており、その両手は血に染まっている。
眼に光は無く、虚ろな眼差しでキングの亡骸を見ている。
「ひっ…」
自身の父の無残な亡骸を見て、逃げ出そうとするリック。
ゆっくりとした動きで顔だけ動かし、リックを見ていたかと思うと、
ゴトッと何かが落ちる音がする瞬間に紫翠の姿が消えた。
音のする方に視線を向けると、そこには首の無くなった赤黒い龍が立っていた。
「お前ら…動くなよ。絶対。」
今の紫翠は様子が明らかにおかしい。
海砡、炎砡が砡の姿に戻ってしまったあたりから…。
「あの…もしかしてだけど、お姉ちゃんは誰かに操られてるんだと思う。
二人が砡に戻っちゃったのも、魔力の供給が止められたからだと思うんだ。」
「でもビショップは洗脳出来なかったぜ?他にこの場には誰も…」
小声で小さくしゃべっていたが、徐々に紫翠の顔がこちらに向き、
遂にはこちらを見つめるようにして動きが止まった。
「やっべぇよ。ちょー怖ぇー…。ホラー映画じゃん。井戸から出てくる系の…」
ロドリーの声に兄弟も唾を飲み込んで動かないように必死になっていると
「ウィル様、動いても大丈夫です。」
少女のような声がウィルの頭上から聞こえてきた。
ほんのりと温かい感触が頭に感じ、ゆっくりと視線を上に向けると、
先端だけ黒の毛が生えた白いふわふわのしっぽが見える。
「そちらのお二人も、動いて大丈夫です。私がお守りしますので安心して下さい。」
頭から温かい感触が消えたと思ったら、真っ白の小動物が三人の前にふわふわと浮いている。
「オコジョ?」
ロドリーの言葉に真っ白な小動物は首をかしげて答えた。
「オコジョという物を知りませんが、私はこれでも精霊です。」
「もしかして…」
「はい。その深緑色の精霊石は私の石です。説明は簡単に、今は時間がありません。」
鋭い目つきで精霊は紫翠を見つめる。
「ウィル様のお察しの通り、紫翠様は何者かに操られております。
ですが、遠隔操作なので犯人はこちらにおりません。なので犯人捜しは無駄です。」
「じゃ、どうするっていうのさ…オコジョな君は紫翠を倒せるのか?」
「無理です」
精霊の即答に彼らは落胆する。
その瞬間、彼らの正面から強い衝撃音が響いた。
紫翠の龍の手が攻撃を仕掛けてきたのだが見えない壁によって妨げられている。
先ほどより間近にいる紫翠の顔は無表情で、眼も虚ろなまま。
彼女の意志で動いていないのは明白だった。
「私が出来るのは紫翠様の足止め。所詮は時間稼ぎです。
私が時間を稼いでる隙に、ウィル様には紫翠様を止める唯一の手立てである、海砡様、炎砡様を目覚めさせて下さい。海砡様なら術の解除が可能です。」
「僕に!?まって、砡は僕の魔力量じゃ…。」
「はい。今のままのウィル様では無理です。ですが儀を執り行い、龍の力を目覚めさせれば…身体への負担が大きいかもしれませんが、きっと可能です。そして、儀を執り行えるのは龍の力を目覚めさせている者なら…。」
龍の力が使える者、この国、世界では王族に限られている。
だが、近くにいる王族はたった今目の前で命を落とした。
「リアン様だ!ディアス様がさっき連れて行った!」
ランスの言葉に頷いたロドリーは兄弟を抱えた。
「どれだけ持ちこたえられる?」
「皆様がお戻りになるまで。」
「上等。」
ロドリーは足の魔石に全力で力を込め始める。
精霊は真っ白な手でウィルの頬に触り、ウィルと同じ深緑色の小さな眼でウィルを覗き込んだ。
「私は貴方のような純粋な方にお会い出来てとても幸せ者です。この危機が去ったら、
今度は私の自己紹介を聞いてくださいね。」
「おまっ…それ死亡フラグっていうやつじゃね?」
「なんのことだか分かりませんが……さぁ、行ってください!」
精霊の声とともにロドリーは全力で地を蹴った。
兄弟は感じた事も無い速さに眼を閉じ、ただただロドリーにしがみついた。
すぐに姿の見えなくなった三人を見送り、精霊は紫翠に向き直って口を開く。
「私、完璧主義者なんです。自分が言った事、決めた事は必ずやり遂げるって決めてるんです。」
精霊の眼が一瞬光ったかと思うと、会場の中央に巨大な竜巻が現れた。
「風の精霊、シルフィードの名に懸けて…全力でお相手させて頂きます!」




