蛍色の金平糖
これは、どこかでありえた誰かと誰かのお話。
ほんのりと上気した頬。濡れた黒髪。そしてどこまでも澄んだまっすぐな瞳。
呼ばれて振り返った君の浴衣姿はどこかで見た絵画のようだった。……へたれな俺が目を背けてしまうレベルには。いや、まじで彼女と温泉旅行来てみ?絶対惚れ直すで。
なんてことを思っていると、うちの天使が口を開いた。
「佑、準備終わった?」
「あ、ああ。大丈夫だ、そろそろ行くか」
慌てて返事をしたのがおかしかったのか君――凜はくすっと笑った。その笑顔、プライスレス。よし、ここは男を見せてやるぜ!
「あ、あのさ……手でも繋ぐ?」
「……いいよ」
所在なさげに差し出された左手。俺は右手でその手を優しく握って歩き出す。ふっ、完璧なエスコートだぜ。
「あの、佑、手汗すごいよ。大丈夫?」
ハハハ、まさか手汗なんてかいてませんよー。……女子と手をつないだの初めてだから仕方ないじゃん!静まれ、俺の内なる獣よ……。(女子慣れしてないだけ)
*
事情を知らない方に説明しておこう。俺たちは見ての通り付き合い始めてまだ数か月の新米カップルだ。告白やらなんやらがあり、初デートでデパートに買い物に行ったときに、福引を引くことになった。そこでマイエンジェル凜たそが見事一等のペア温泉旅行チケットを当ててしまったのだ。その強運を少しでもいいから分けてほしい。
そして、二泊三日で温泉旅行にやってきたわけだが、実はここ花火がとても有名みたいでそれがどうやら今日みたいだと。これは行くしかない、というわけですよ。俺たちは温泉街を歩いて、花火の開催場所へ向かおうとしていた。
「……う!、佑!聞いてるの?」
横を見ると頬を膨らませて怒る凜。そんな凜もかわいいです。……はっ、俺は一体今まで何をしていたんだ。何たる失態。天使を怒らせてしまうなんて。だが、遅れをすぐに取り戻すのが俺の流儀。
「すまんすまん。お詫びに何か買うから。あ、あの温泉饅頭とかどう?おいしそうじゃん」
俺は右手にある雰囲気のよさそうなお土産屋を指さして尋ねる。
「お兄ちゃん、彼女と温泉デートかい?うちの饅頭は最高においしいよー」
丁度お土産屋のおばあさんが話しかけてきた。
「むう……。なんか煙に巻かれた気がする」
「おばあちゃん、お饅頭二つ」
「はいはい、熱いから気を付けてね」
おばあさんからお饅頭をもらって、店先の席に座る。ちょっとここでのんびりしようかな。
「まあまあ、はいどうぞ。ここで食べてくよね?」
「うん、まだ時間ありそうだし」
腰掛けながら凜が頷いた。
俺はおばあさんにお茶を二つ頼んだ。
「ふう。ちょっと休憩―。凜疲れてない?下駄とかちょっと歩きずらそうだけど」
「大丈夫だよ。むしろ荷物とか持ってもらってごめんね?」
「いやいや、これくらい平気平気」
それから、少しだけ会話が止まる。俺たちは温泉街の人の往来をぼんやりと眺めつつ一息をつく。こうやって何も言わなくても気まずくならない関係ってなんだかうれしい。そんなことを考えているとおばあさんがお茶を持ってきた。
「はーい、おまちどうさま」
「ありがとう」
「ありがとうございます」
「あと、これはかわいいお嬢ちゃんにサービス」
と言って、金平糖が乗ったお皿をくれた。わかってるじゃないかおばあさん。凜は和三盆とか金平糖とかの砂糖菓子が大好きなのだ。心の中でおばあさんにサムズアップをする。凜の表情がみるみる輝いていく。
「いいんですか!ありがとうございます!」
凜は桃色の金平糖を一つ口に入れ、幸せそうに目を細める。今日何回目かもわからぬ心の叫び。うちの彼女可愛すぎ!浴衣姿で金平糖をつまむ姿はまるで映画のワンシーンのような完成度。
俺がこのあふれ出る愛をどう届けようか模索していると凜が少しうつむいてつぶやく。
「佑はさ」
「何?」
「佑はなんで私と付き合おうと思ったの?」
「それ言わなきゃダメですかね凜さん……すっげえ恥ずかしいんですけど」
「ダメ」
完璧な笑顔で言いきられてしまった……。仕方ない、好きな人に理由を話すとか羞恥プレイ以外の何物でもないけど!仕方ない……。
「はじめて好きだって気が付いたのは中二で同じクラスだった時」
「早いんだね」
「言い出すまでが長かったんだよ。凜は覚えてないかもしれないけど、うちで花育ててたじゃん。それで、凜は生き物係ではなかった」
「そうだった…と思う」
「だよね。それである時、俺が花壇の花がしおれてたのに気づいたんだよ。だから、生き物係に水をあげたらどうかって言おうと思った。でも、係の人は俺と仲がいい人で、そういうの口に出したら真面目なやつだって嫌われるかもしれないと思って見て見ぬふりをしてたんだ」
「うんうん」
「でも、なんだか後ろめたくてもう一回花壇のところに戻ったんだ」
「ふむふむ」
「そしたら、そこには水をあげる凜の姿が……ってわけ」
「……え?どこに好きになる要素があったの?」
「まあまあ、もう少し聞いて。その姿を見た時にああ、まっすぐな人だなって思ったんだよ。周りを気にしないで自分が正しいと思ったことをしっかりとできる人って俺は今でも凜以外に見たことがない。しかも、そういうことを無意識で出来る人は特にそう。最初は単純な尊敬だったんだけど、なんとなく気になって目で追うようになって気づいたら……って感じ」
勢いのまま若干やけくそ気味に話し切ってから一息ついて、凜のほうを向く。
「そんなわけで俺は凜が好きだ」
凜は途中から押し黙ってしまっていた。あれ、なんかやばいこと言ったかな。
「ずるいよ、佑は」
「ん?なんか言った?」
「なんでもない!」
ぷいっとそっぽを向いた凜の頬はこころなしか赤く染まっていた。よし、聞いてみるか。男は度胸だ。
「それでさ」
「なに?」
「えっと、なんで凜は俺の告白を受けてくれたのかなーって」
「それはねー」
俺のほうを悪戯っぽい目で凜が見つめてくる。なんだか言いたいことは分かった気がする。
「ひ・み・つ」
「やっぱり……」
それに、と凜は声のトーンを落として続ける。
「私はそんなまっすぐな人じゃないよ。こうやってずるいこともするし、逃げたりもするよ。だから、私は本当にいい人なんかじゃない」
そういうところがまっすぐなんだよな、と俺はしみじみと思う。幻想を抱いてほしくないから、そんなフィルターをかけたままの付き合いなんて意味がないと無意識で分かっているからいえることだと思う。でもね、俺は知ってるよ。伊達に三年間観察してきたわけじゃないんだ。ヘタレなめんな。
「知ってるよ、凜がまっすぐじゃない部分があるってことも。俺が好きなのはまっすぐな人じゃなくて凜だから。ありのままの君が大好きなんだ」
言ってから後悔した。たぶん帰ったらベッドの上でのたうち回るんだろうなと頭のどこか遠くで考えながら、でも凜から目はそらさずじっと見つめ続けた。さーて、うちの天使は一体なんて言うのかしら。
「あのね?そんなに見つめられると恥ずかしい……」
凜は手で俺の視線を遮りながら、顔をそらす。何この生き物可愛すぎる。ちょっといまから世界の中心で愛を叫んでくるわ。
「でも、教えてくれてありがとう。私もそういう佑の真面目なところ好きだよ」
「んん?ごめん最後なんて言った?」
「だから佑の真面目なところが好きだって……」
「え?ごめん、聞こえなかったなー。もう一回最後の四文字だけ言ってもらっていいかな」
「もう!聞こえてるじゃん!佑嫌い!」
凛が頬を膨らませて怒りだした。世界の皆さん今日が世界終了の日です。黙示録だかなんだか知らねえが早くこの世滅びろ。凛に嫌われたら割とガチでこの世で生きていく意味が失われる気がするんですが。俺がズーンと落ち込んでいると慌てて凛がフォローを入れた。
「そうかー凛は俺のこと嫌いだったのか……」
「え、いや今のは一種の言葉の綾というか、冗談というか。本当は嫌いじゃないよ!」
「ということは?」
「……好きだよ?」
こんにちは、世界。一度ビッグバンが起きて世界は生まれ直ったみたいだね。新しい朝が来た気がするよ。いや、もう夕方になるけどさ。さーて、そろそろ日も落ちるね。
俺は椅子から立ち上がり、凛に手を差し出す。
「そろそろ行くか」
「そうだね」
凛の手を掴んで、引っ張って立たせてあげる。下駄だと立ち上がりにくそうだからね。まさか、触れ合いたいとかそんな気持ちあるわけあるに決まってるじゃないですか、ハハハ。
*
見渡す限りの人。俺こと佑は人生最大のピンチに直面していた。隣にいた凛が困ったように笑いながら口を開く。
「座る場所無さそうだね……」
「ほんっとごめん!俺が先に席取っておくべきだった」
「そんなことないよ。どっちにしろ私たちが来た時間にはもう席埋まってたよ」
優しい言葉は慰めというよりむしろナイフのように俺の心に突き刺さる。言い訳なんていくらでもできる。でも、ここで諦めては男が廃る。お前ならできるはずだ、佑。
「別の場所探そう。まだ時間あるはずだし」
「え、でもどこを?」
花火が行われるのは湖の上。ならばほとりに沿って歩いて行けば、いつか人がいないところが見つかるのではないか。つまり行き先は……
俺は無言で人混みの先を示す。凛もつられて振り返る。看板に書かれているのは蛍山山道入り口の文字。
「だ、大丈夫かな?」
「ああ、大丈夫なはずだ」
山道はちょっと辛いかもしれないけど少し歩いたら見晴らしのいい場所がありそうだと俺は信じ込んでいた。俺は歩き出した。手を引く後ろで不安そうな顔をする凛に気づかないまま。
どんどん山の色は闇に染まっていき、俺らの気持ちもそれに総じて落ち込んで行く。正直山道を登るというアイデア自体は悪くなかった。しかし、その後少し本道からそれて花火の見やすい位置を探し、舗装されていないに入ろうとしたのがまずかった。届かないGPS。真っ暗闇のあたり。端的にいうと俺らは遭難していた。
「佑、大丈夫?」
「ああ、多分こっちの道でいいはずだ」
「そういうことじゃなくて。私は別に気にしてないからそんなに自分を責めなくていいんだよ?」
「……っ!」
そりゃ責めるよ。自分で好き勝手言って連れ回して、挙げ句の果てにこんな失敗してるやつ。溢れ出そうになる涙をぐっとこらえて必死に辺りを見回す。とりあえず明かりがある方を探さなきゃ。泣きたいのは凛だって同じなはずだ。俺が彼氏なら自分のミスは自分で取り返さなきゃ。
手に暖かい感触がした。見えないけどきっと凛の手だろう。こういう時になにも言わずについて来てくれることが嬉しかった。
「凛」
「なに?」
「やっぱり、なんでもない」
「なにそれ」
控えめな笑い声が静かな森で響く。と、それに呼応したかのように優しげな光が1つ。ポツンとボンヤリと見え始めた灯りに気づいた俺は光の方へ歩き出す。
「灯りが見えた。きっとこっちだ」
「ん」
俺はこのとき、懐中電灯の光が何かで誰か人がいるのだろうと思っていた。
森林を抜けるとそこは幻想郷だった。……なんてね?でも、本当にそんな景色が広がっていた。俺が懐中電灯だと思っていた光は蛍だったのだ。
「わあ、綺麗……」
「だな」
チラチラと雪のように舞う光。月光と蛍の光に照らされて柔らかくな光を帯びた川や花草。
「妖精の国みたい……!」
ほう、とため息をつき幸せそうな表情で呟く凛。怪我の功名ってこういうことを言うのかな。でも怪我は怪我だ。謝らなければ。
「凛、ごめん。俺のせいで花火見れなくて」
凛はしょうがないな、といった風に首を振って、やたら芝居掛かった口調で話し出した。
「昔々一人の旅人がいました。旅人はある場所で見た景色が忘れられなくて、ある日同じ場所は訪ねようとしました。しかし、その場所はたまたま辿り着いた場所でもう一度辿り着けるわけがありません。しかし、旅人は諦めませんでした。諦めず探して、ある丘を越えた先には……何があったと思う?」
「そりゃあその場所に辿り着いたんじゃないの?」
凛は違うと首を振って続ける。
「その先には前より素晴らしい景色が待っていたの。だから、佑が謝る必要はないし、むしろ私は感謝しているよ?」
「そうかな?」
「うん」
不思議なたとえ話をして優しく微笑む凛。艶やかに照らされたその姿は本当に天使のようで、心が高鳴る。
「信じてもいい?」
「どこまででも」
二人の影は静かに近づき、やがて1つになる。
どこか遠くで花火の音が聞こえ始めた。
拙い文でしたが、お読みいただきありがとうございました。
設定や作成経緯などは活動報告にてあげているのでもしよければどうぞ。