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Room No.403  作者: 水月康介
1年次2学期
9/80

前を向いているけれど、投げやりな気持ち

――繭墨乙姫まゆずみいつき視点――



 わたしは多分、男性に頼り甲斐や自立性というものを求めているのだと思います。


 わたしの家――繭墨家は、裕福と言って差し支えのない家庭です。

 ただしその資産は、高い能力によって築かれたものではありません。

 いわゆる〝成金〟と呼ばれるものです。


 幼い頃のわたしは、自分の家が学校の友人たちと比べて大きく、裕福であることに、それほど疑問を感じていませんでした。

 性別や容姿が違うように、家の経済状況も、最初から違っているものなのだ、と考えていました。それはただ、現状に不満がないゆえの思考停止だったのでしょう。


 そんな満ち足りた生活に疑問を抱く、きっかけとなった出来事があります。


 ある日、まったく知らない中年の男性に、道端で罵声を浴びせられたのです。

 お前の父親は何もせずに金を手にしたロクデナシだ、手を汚してさえいないぶん、犯罪者よりも性質タチが悪い――そういった言葉だったと記憶しています。


 最初は、見ず知らずの大人の、乱暴な言葉遣いがただただ怖かったのですが、やがてわたしは、その男性の言葉の意味を考えるようになりました。


 何もせずに金を手にした。


 わたしは父の仕事を知りませんでした。

 毎日のように高級外車で出かけているのが、職場へ向けて通勤してるのだと思っていたくらいです。

 父の服装は年齢の割に非常にラフで、友達の親が仕事の際に着用しているスーツ姿や、あるいは作業着の類を着ているところなど、ほとんど見たことがありませんでした。


 指摘されて初めて、違和感に気づいたのです。


 わたしは恐る恐る、父親に尋ねました。

 お父さんのお仕事は何? と。


 資産管理だよ。

 そんな返事が返ってきました。


 幼いわたしにはよくわかりません。

 首をかしげていると、大きくてきれいな手が髪の毛をなでてきます。


 この家にはたくさんのゲンキンやキキンゾクやケンリショやキンユウショウヒン――つまりは宝物があるんだよ。お父さんはそれを守っているんだ。


 宝物は、どこから持ってきたの?

 ……最初からあったんだよ。


 私の質問を受けて、父はわずかに視線をはずしてそう答えました。


 それは嘘ではありませんでしたが、事実であるとは言いがたいものでした。

 いくつかの説明を意図的にはずして、耳ざわりのよい言葉を並べた、子供だまし。


 実際はこうです。

 繭墨家は広大な土地を持っていました。

 利便性が薄く、資産価値の低い、山間部の土地です。

 しかしある日、その土地が高速道路建設のために用地買収されました。二束三文だった土地が、高値で買い上げられたのです。

 棚からぼた餅とはこのこと。

 職を転々としていた父の稼ぎで、その日暮らしだった家族は、本当に突然に、なんの努力も積み重ねもなく、〝宝物〟を手に入れたのです。


 母からこの話を聞き出すために、わたしは少々、悪巧みをしました。


 普段は貞淑な女性が、酒に酔ってつらい昔のエピソードを語りだす――

 そんな小説のワンシーンを参考にしたのですが、思いのほか、コトは上手く進みました。


 その日は母の誕生日だったのに、父は家を空けていました。

 そんな不義理が母の精神を揺さぶり、深酒を促したのでしょう。

 母がジュースのようにグラスをあおり、そのたびにわたしはワインを注いで。

 母の口がどんどん口が軽くなっていくのは楽しかったですが、勢いあまって、子供の前でするべきではないような話も聞いてしまいました。


〝宝物〟がなければ、たぶん、あの人とは別れていたでしょうね――

 というつぶやきは、その最たるものでした。



 小さなわたしよりも前の、もっと幼い頃のわたしは、あまり綺麗とは言えない集合住宅に住み、おしゃれではない服を着て、父も母も余裕がなくて。

 宝物のおかげでそんな生活から抜け出すことができた。


 わたしはその宝物を、どこか空虚なものに感じていました。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 自宅から伯鳴高校まではかなり距離があり、通学には片道1時間近くかかります。

 それでもわたしは、許される範囲で最も遠い高校を選びました。

 わたしと、わたしの家庭の事情を知る人がいない場所へ行きたかったのです。


 長い通学時間のおかげで、父と接する時間は激減しました。

 顔を合わせない日すらあります。


 今も父は〝宝物〟を守っているのでしょう。

 わたしはそれを、悪いこととは思いません。

 そのおかげで、不自由ない、どころか裕福と言える生活ができているのですから。


 だけど――

 わたしの生活は、降って湧いた幸運によって支えられている。

 それを意識すると、わたしという人間があやふや(・・・・)な存在であるかのような、錯覚を抱いてしまいます。


 勉学に励むのはきっと、その錯覚を振り払うためでもあるのでしょう。

 自分にも中身があるのだと信じたいから。


 高い能力で周囲を圧倒している人に惹かれてしまうのは、そんな不確かさの裏返しだと思います。

 伯鳴高校の生徒の中で、進藤君の才能は突出していました。


 才能という、本当の宝物を持っている人。

 そんな人が同じクラスにいて、わたしを気にかけてくれたということに、舞い上がってしまっていたのです。


 ――舞い上がってしまって、そして、何もしないでいるうちに、進藤君は曜子と付き合うようになりました。


 曜子が相手なら仕方ない、とは思いませんでした。むしろ、やられた、先手を取られた、という思いが強くありました。

 曜子が付き合えたのなら、わたしでも先に告白していればOKをもらえたのではないか、という傲慢な思考が、その悔しさの出処でした。


 それでも、二人が上手くいっているのなら、あきらめようと思いました。

 もともと進藤君の才能とつりあう女子など、この学校にはいないのですから。

 曜子なら仕方ないとは思えなくとも、曜子ならまだ許せる、という程度には譲歩していました。彼女には恩があります。


 曜子はクラスで最初に声をかけてくれた女の子でした。

 知り合いが1人もいない教室で、もともと人見知り気味のわたしに声をかけてくれたのです。孤立してもいい、とあきらめ気味だった高校生活ですが、にぎやかな曜子を窓口にして、私もクラスメイトと少々の交流を持てるようになりました。


 ところが、曜子と進藤君が交際を始めて、しばらくたっても、二人の距離感は友人のそれから近づくことがないように見受けられました。


 手を繋いで下校したり、デートをしたり、キスをしたり――

 そういった男女交際の手順書にでも書かれているような行動を取っていて、表面上は付き合っているように見えます。


 ですが、二人の間の敬意や信頼の深まりが感じられないのです。

 わたしの中の嫉妬心が、二人の関係を否定的に見せているだけなのではないか。

 そう思っていました。


 ――あの二人、付け入る隙はあると思うよ。


 阿山君が妙なことを言い出さなければ。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 曜子と進藤君の付き合いは、まだ磐石ではない。


 それが私の勝手な思い込みではなく、阿山君も同様に感じていたのならば、チャンスはあるのかもしれません。


 曜子と進藤君は学校ではほとんど行動を共にしています。

 そんな中で、始業前の時間帯は、進藤君と二人きりになれる数少ないチャンスです。


 進藤君は朝練のため登校はかなり早く、それに比べて曜子は朝がとても弱いので、二人が一緒に登校することはまずありません。


 朝練が終わってから登校するまでのわずかな間が狙い目です。

 わたしはグラウンドの周囲をうろつきながら、進藤君との遭遇を待ちます。


 そして5日目にしてようやく、タイミングよく鉢合わせることができました。



「おっ、繭墨」

「進藤君、おはようございます」

「ああ、おはよ」


 合流すると、進藤君はわたしに合わせて歩くスピードをわずかに落としてくれます。


「調子はどうですか」

「ああ、さすがに朝とかは運動するのがキツくなってきたかな」

「寒くなってきましたよね」

「曜子も言ってたよ、布団から出るのがつらいって」


 その名前が出たところで、わたしは話題を一歩前進させます。


「その、曜子との調子はどうですか?」

「ん、ああ、そっちか……、ま、順調にやってるよ」

「冬時間で部活が短くなって、一緒にいられる時間が取れるようなったんじゃないですか」

「そのぶん自主トレしてるしな……」

「やはり将来のことを考えて、ですか?」

「いや、そこまでは……、単に秋冬の間に鈍っちまうのが嫌なだけだ」


 なんという意識の高さでしょう。ストイックなスポーツマンの鑑です。

 戦う相手は外ではなく自分のうちにこそいるものなのですね。


「あ、そうそう、なんか弁当作ってくれるって張り切ってたけど……、曜子って料理できる子なのか?」

「さあ、聞いたことはありませんけど……」

「だよな、少なくとも家庭的なイメージは皆無だ」

「そう見せておいて、死角からの必殺〝肉じゃがで家庭的な女子アピール〟を敢行するつもりかもしれませんよ」


 わたしの推測に、進藤君は首をかしげます。


「どうだかなぁ。付き合ってるんだから、それらしいことがしたい、っていう動機だぞ?」

「いささか不純ですね」

「ピュアじゃねえよな」

「でもヨーコらしいです」


 わたしは小さく笑って、それから気を引き締めます。

 本題です。


「あの……、告白はヨーコの方からだったと聞いていますが、進藤君は、ヨーコのどんなところが好きなのですか?」

「どんなって……」


 進藤君は意表を突かれたような顔をします。


 考えたこともなかったのか、わたしがこんなことをたずねると思ってもいなかったのか。


「まあ……、単純に明るいから一緒にいて気楽なところとか、野球を見に来てくれたり、ドリンク差し入れてくれたりして、オレのために色々してくれてるっていうか、がんばってくれてる感じとかもうれしいと思うし、あと、やっぱりかわいいし……ってなんかハズいな、こういうこと話すのって。ヨーコには言わないでくれよ」

「ええ、わかっています」


 自分で話を振っておきながら、やはり憂鬱さを感じてしまいます。

ヨーコのことを、うれしさと恥ずかしさが入り混じった表情で語る進藤君を見ていると、こういう気持ちになることはわかりきっていました。


 付け入る隙があったとしても、その隙をわたし程度に突けるかというとまた別問題。

 それに、ヨーコと進藤君の仲は、決して悪いわけではない。お互いに好意を持ちつつ、付き合い始めのぎこちなさがあるだけなのです。

 

「繭墨さ、なんかあったのか?」


 後ろ向きな思考が顔に出ていたのでしょうか、進藤君が問いかけてきます。


「いいえ、どうして?」

「話題がさ、なんつーか、繭墨らしくない気がした」

「そうでしょうか。ヨーコのことですよ」

「いや、好きとか嫌いとか、あんまり話しないだろ。もしかして、曜子からなんか相談されたりしたのか?」

「いいえ」


 わたしに心当たりはありませんでした。

 ですが、進藤君は気がかりがあるような口ぶりです。


「ヨーコと何かあったのですか?」

「いや、なんも。そうか、いや、聞いてないならいいんだ」


 ああ、これは。

 進藤君のわかりやすい反応で、見当がつきました。


 二人の間でトラブルがあったのでしょう。


 それをヨーコが相談する相手として、第一に考えられるのはわたしです。

 だから進藤君は、私の言動に違和感を覚えた。間接的なヨーコからの〝探り〟ではないかと思ったのでしょう。


 阿山君が言っていた〝隙〟とは、そのトラブルを指していたのかもしれません。


 もっと追及すべきでしょうか。

 進藤君を困らせたくはありません。

 ですが、わたしでも、悩みを聞いたら解決のお手伝いができるかもしれません。

 うろたえている進藤君はちょっとかわいいと思いますし。

 それに……、だいたい、あとから来た阿山君が知っていることを、わたしが知らないというのは、不公平ではないでしょうか。


 そんな迷いが、致命的な遅れを生んでいました。

 先に進藤君が口を開きます。


「もしかして繭墨、好きなやつでもできたのか?」

「え」

「誰? クラスのやつ?」

「い、いませんよ、そんな」


 ポーカーフェイスに失敗したわたしを、図星を指されて焦っている、と見たのでしょう。進藤君はイタズラっぽい顔になってさらに尋ねてきます。


「じゃあヨソのクラス? だったらキョウくらいしかいないよな」


 ひどい勘違い!

 いつかの心配が現実のものになってしまいました。


 想いを寄せている相手に、別の誰かとの恋仲を疑われるのは、つらいこと。


 そのつらさの実感が、じわじわと染み込んできます。

 この想いは相手にとって取るに足らないものなのだと、思い知らされてしまいます。

 だって、わたしが誰かを好きだとしても、進藤君は〝お友達〟への興味以上のものを持っていないのですから。


「ち、違います!」


 大声が出てしまい、進藤君が目を丸くしています。


「違うんです、わ、わたしは――」


 首を振って、進藤君を見据えます。

 彼の表情は困惑。わたしの反応が理解不能の様子でした。



 このときのわたしは、相当に追い詰められていました。

 もうあとのない崖っぷち。

 だったらせめて、飛び降りる場所くらい選びたい。


 前を向いているけれど、投げやりな気持ちです。


 今はまだ始業前で、飛び降りてからが、むしろ1日の始まりだというのに。

 ほとんど遺言みたいなつもりで、その言葉を発してしまっていました。



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