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Room No.403  作者: 水月康介
2年次2学期
80/80

繭墨の言葉



 2年1組の教室の前に立つと、僕は深呼吸を一つしてから、戸を開けた。


 教室内はわずかに赤橙色。

 そして、窓の外には月が見える。


 差し込む月明りが、窓辺の人影を浮かび上がらせる。

 人影は頬杖をついて、窓の外を見下ろしている。


 遠いオクラホマミキサーの音色に歩調を合わせて、僕は人影に近づいていく。


「やっぱりここにいたね」

「どうして気づいたのですか?」


 人影はこちらを向かずに尋ねてくる。

 フォークダンスに誘われるのが嫌だからという理由で、生徒会長の職務を替え玉の部下に丸投げ。あまつさえ自分はそれを高みの見物と決め込んで悪びれもしない――


「繭墨はそういうやつだよ」


 答えると、少し不機嫌になったような気配。

 一瞬こちらを振り返ったとき、暗がりの中でメガネだけが鈍く光った。


「理解者ぶらないでください。……それで、わたしになんの用ですか?」

「フォークダンスのお誘いに」


「ドラマとかで、公衆の面前で告白をするシーンがありますよね。わたし、ああいうのが大嫌いなんです。それまでの展開がどれだけ好ましくても、一発で消し飛んで評価が反転してしまうくらいに」


 繭墨は外を向いたまま言う。


「同感。あれって愛の告白じゃなくて、単なる脅迫だよね。相手のことを想ってるのかもしれないけど、相手の気持ちを考えていない」


「その配慮は、昨日の阿山君の中には存在してなかったのですか?」


 昨日の僕の〝ほとんど告白〟をすげなく断っておきながら、繭墨の質問は相変わらず容赦がない。


「そう。だからつまり、日々成長してるってこと」

「物は言いようですね」

「というわけで踊ろう。ここなら誰も見ていないから、目立つこともないよ」

「スペースがありません」


 即答する繭墨。それに、と続ける。


「昨日は踊るのが嫌なわけではないと答えましたが、あれは嘘です。踊りは苦手ですし、嫌いです」

「あそう……」

 

 僕と踊るのが、ではなく、単純に踊ることが嫌いだというニュアンスだったのが救いだ。


 僕は一旦、誘うことを諦めて繭墨の前の席に座った。

 窓辺に並んで外を見下ろす。


 この誘いを断られても全く構わない。

 一緒にフォークダンスを、なんて口実に過ぎないのだから。


「じゃあせめて、ダンスの代わりに手を繋いでもいい?」


 繭墨が頬杖を外して、まじまじとこちらを見た。


「……冗談、を言っているわけでは、なさそうですね」

「ないよ」


 声音こそ平静を装っているが、僕はもうすでに羞恥心の極致だった。

 教室の薄暗さは顔色の変化を隠してくれる。

 そのおかげで、らしくない積極性を発揮できているのだ。


 繭墨は珍しく、困惑している様子だった。


 やがて、すぅっ、と。

 白い腕が、薄暗い教室の背景に浮かび上がるように、差し出される。


 意外な素直さに少し驚く。

 僕は数秒ほど、その腕の白さと細さに見とれた。


「早くしてください、腕が疲れます」


 どれだけ筋力がないんだ。

 苦笑しつつ、僕は差し出された手をとった。

 暖かくも冷たくもない、人肌の温度だった。


 繭墨はこちらを見ていない。

 再び頬杖をついて、窓の外に視線を向けている。


 僕は、その横顔を見つめながら口を開く。


「僕だって、フォークダンスが好きなわけじゃない。文化祭自体、大して乗り気でもないし。そんなものを嬉しがる連中を、正直言って理解できずにいたよ」


 視線をちらりと眼下に向ける。

 軽やかにステップを踏んでいるペアも、たどたどしくリズムが外れているペアも、誰も彼も、楽しそうに笑っている。もっとも、それらをうらやましそうに眺めている、おひとり様も数多いけれど。

 

「でも、繭墨と一緒だとそういう騒ぎも悪くないというか、誘ったらどんな反応をするんだろうって、考えだすと止まらなくなって。柄にもないことをしてるって思うけど、それはつまり――」


 繭墨がわずかに身じろぎする。

 手を離そうとしている前兆を感じて、僕は握る手に力を込めた。

 決して強く握ったわけじゃない。

 もう少し待ってほしい、という言外のメッセージ。


 幸い、繭墨の手はとどまってくれた。


「僕は繭墨が好きだよ」


「――わたしは」


 繭墨は窓の外を見下ろしながら言う。まだこちらを向いてはくれない。


「わたしは、自分に自信がありません」


 生徒会長・繭墨乙姫。

 頭脳明晰、容姿端麗、ミスコン1位の、誰もが認める高嶺の花。

 その堂々とした振る舞いは自信に満ちている。


 そんな彼女が、自分に自信がないという。

 それは多くの生徒には理解しがたい言葉だろう。

 だけど僕にはよくわかる。

 

 自信というのは結果がもたらすものだ。

 恋愛という戦場フィールドにおいて、繭墨は勝利したことがない。


 直路に告白をするも実らなかった。

 それならばと時間を置いて密かに想ってみれば、直路には新たな彼女ができていた。

 2連敗だ。

 そんな事情を知っている僕は、繭墨の言いたいことがよく理解できた。


 だけど続く言葉には疑問符がつく。


「自信がないから、策を弄したりもします」

「え、そう?」


 直路に対してはド直球もいいところだったじゃないか。

 まったくの無策の恋路。猪突猛進の正面突破。そして玉砕した。


「文化祭の最終日のキャンプファイヤーに、フォークダンス。そういった陳腐なイベントが、あるいはきっかけになるかもしれないと考えました。だけど、急にそんなものを追加したら露骨ではないかとも思ったんです。なのでほかにも、目を引くような提案をしました」


「ほかにって……、野外ステージの増設と、学校への泊まり込みの許可のこと?

「はい」

「え、でもあれって、僕らの同棲疑惑のときに、別の大きな話題を持ち出して、他の人の目を逸らそうっていう……、そのための企てだったんじゃないの」


 夏休みの終盤のこと。

 僕と繭墨の仲がネットの掲示板――いわゆる学校の裏サイトで噂されたことがあった。その噂をかき消すために、文化祭のイベントを増やして、生徒の耳目をそちらへ誘導しようとした。


 繭墨は目的をそう語ったし、僕もそのつもりで協力した。

 だけど繭墨の口ぶりは、まるで、このキャンプファイヤーが本命で、あとは隠れ蓑、目くらましに過ぎないと言っているように聞こえる。


 だとしたら、それは、なんのために?


 前年度よりも明らかに負担の増えた生徒会を回すために、繭墨は連日、ずいぶんと無理をしていた。

 1度、熱を出して病欠するくらいに。


 この手の行事を忌み嫌う繭墨が、たった1つのイベントのためにそこまで気を遣い、手を回す理由が思いつかなかった。


 そこまでしてキャンプファイヤーをやりたかったとは思えない。

 しかもフォークダンスには一切興味がなかったみたいだし。


 繭墨はただ、グラウンドを眺めているだけだ。

 燃え盛る炎とその周りで輪になって踊っている生徒たちを、高みから見下ろしている。


 繭墨の言葉の真意がわからないこと。

 それは僕にとってもはや、暗闇に取り残される恐怖に近い。


 戸惑いが沈黙を生み――それを切り裂く鋭利な問いかけが向けられた。


「阿山君は、わたしのどんなところが好きなんですか?」

「……そういうこと、聞いちゃう?」

「はい、気になります」

「言いたくないって言ったら?」

「この手を離すだけです」

「わかったよ、言うよ」


 僕は白状した。


「……何を考えているのかわからない、得体の知れないところと。

 危なっかしいを超越した、危うさを感じるところと。

 一緒にいると常に緊張を強いられるところ」


 いつか百代に打ち明けたのと同じ言葉だが、変化したところもある。

 焦がれる感情は、今の方がずっと強くなっているということだ。


「本気で言っているみたいですね……」


 繭墨は怪訝そうに目を細めた。


「まあ、いいです。お膳立てに乗ってくれたのだから結果オーライとしておきましょう」


 その言葉の意味を、僕はすぐには理解できない。

 でも何か大切なことのような気がした。

 だから踏み込んで考える。


 お膳立てというのは、このキャンプファイヤーと、そして、フォークダンスによって生じた校内の空白だろう。つまり現状そのもの。


 乗ってくれたというのは、誰が?

 言うまでもなく、この場にやってきた僕のことだ。


 ――繭墨は、僕を待ってくれていたのか?


 至った結論を、素直には受け入れられない。

 そんな都合のいい想像なんて、と心の中の冷めた僕が言う。


 そもそも、繭墨がイベントを増やした目的は、噂の火消しだったはずだ。

 そのために、校長や担任に反発してまで、要求を押し通したのだから。


 しかし――

 少々強引で、大げさとも思えたそれが、本意を隠すためのフェイクだったとしたら。


 噂から全校生徒の目を逸らさせるためにと、文化祭のイベントを増やしておきながら。

 その実、本来の目的はキャンプファイヤーだけで。

 それすら、この状況のためのお膳立てに過ぎなかったとしたら。


 つまり、この文化祭自体が、繭墨からのメッセージということになる。

 偏屈極まる女の子から、僕だけに向けられた、余りにも回りくどい固有言語。

 繭墨の言葉。


 でもちょっと待て、という反論。

 都合のいい想像でぬか喜びしたくない、消極的な僕が抵抗する。


 それならどうして昨日の誘いを、あんな風に淡泊に断ったのか。

 その疑問――あるいは最後の砦――に応じるように、繭墨が口を開く。


「わたしは、自分に自信がありません」


 つないでいた手を、繭墨の方から握りなおしてくる。


「だから、一度くらい好意を告げられても、それを素直に鵜呑みにできないんです」


 窓の外を向いたまま、視線を交わしてはくれない。

 だけど、その感触だけで、気持ちがつながった気がした。

 ささやかなレスポンスだけど、それは繭墨が僕に向けた、最大級の感情表現だった。


 ――まあ、あくまでも肯定的ポジティブな意味合いでのものだ。

 攻撃的アグレッシブなやつなら、もっとキツイのを山ほど食らっている。


 僕は席を立った。

 つないだ手を離す。


 僕の手を追うように繭墨の手が伸びて、寂しそうに宙を泳いだ。


 ほんの一瞬のことだ。

 繭墨はすぐにその手を引っ込める。

 そんなささやかな仕草を可愛いと思う。


「やっぱり踊ろう」

「机が邪魔です」


 僕の3度目の提案に、教室を見回しながら繭墨が即答する。


「どかせばいい。いつもそうしてきたじゃないか」

「私が途方もない我がまま娘であるかのような物言いですね」

「え、違うの?」

「我がままというのは無責任なものです。わたしは自分の意を通すとき、その行動にちゃんと責任を持っていましたから」


 知らない人が聞いたら引いてしまいそうな、自負心あふれる発言である。

 僕はそれを穏当に翻訳して応じた。


「つまり後で片づければ問題ないわけだ」


 さっさと周囲の机をどかし始める。繭墨もやがて、しぶしぶといった様子で立ち上がって協力してくれた。仕事量は僕の4分の1くらいだ。


 それがひと段落すると、繭墨は残しておいた窓際の椅子にまた腰を下ろす。


 僕はそれをとがめない。

 必要な手順だ。


 近づいて、手を差し出す。


「それじゃあ、お手をどうぞ、生徒会長」

「エスコートの経験は?」

「残念ながら」

「ダンスの経験は?」

「小学校の運動会で少々」

「仕方ないですね。わたしがリードしても?」

「まあ、精一杯ついていくけど……」


 繭墨は僕の手を取って、こちらを見上げてくる。

 月明りの下、彼女はかすかに笑った。


「ええ、信じていますよ」



というわけでこれにて完結です。

非常に地味な内容で、タイトルもぱっと見なんのこっちゃという感じ、ランキングにもほとんど乗らないような話でしたが、当初考えていたところ(作中時間で1年間)まで書ききれたので、作者的には自己満足に浸っているところです。


『イエスタデイをうたって』(冬目景さんの漫画作品です)のまどろっこしい感じや、

『back number』(日本のロックバンドです)の女々しい歌詞が好きなもので、この物語もどことなく、そんな雰囲気があるような無いような……。


読んでくださった方、ブックマークされている方、評価を下さった方、感想を送っていただいた方、お付き合いいただきありがとうございます。


奇跡も魔法もない、劇的でも悲劇的でもない、悪役令嬢も婚約破棄もない(というか作者自身がよくわかっていない)、まったくもって日常の範疇の物語ですが、皆様が費やした時間の分、楽しめていただけたのなら幸いです。


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