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Room No.403  作者: 水月康介
2年次2学期
77/80

姉の言葉

 文化祭の最終日。


 いつもより目を覚ますのが遅れた僕は、朝食をすっ飛ばし、大急ぎで朝の準備を済ませて部屋を飛び出した。通学路は駆け足。遅刻直前のギリギリで教室に滑り込んだ。


 その切羽詰まった状況のおかげで、昨日のことを深く考えずに済んだ。

 余裕をもって起きていたら、あるいは学校をサボっていたかもしれない。

 実際、通学途中に、その誘惑が浮かばなかったと言えば嘘になる。


 繭墨乙姫個人と顔を合わせたときのことを想像すると、かなりつらい。

 だけど、生徒会長・繭墨の役に立つのなら、せめて実行委員の仕事はまっとうしなければと思う。


 繭墨は僕を、異性としてはさほど評価していないかもしれない。

 が、文化祭実行委員としては、それなりに信用してくれているはずだ。

 その評価すら失ってしまったら、僕は繭墨の視界から完全に消えてしまう。

 

 主人に尽くす、まるで忠犬のような思考。

 ああ、でも確か、繭墨は犬派だったはず。

 それなら働き者の僕の覚えはいいだろう。


 そんな女々しさ極まる思考を抱いて、僕は文化祭最終日の校内を駆け回った。


 西に迷子の幼子がいれば、待合所まで付き添って手を引いてやり、

 東にナンパに迷惑している女子がいれば、待ち合わせの振りをして声をかけてやり(そして不審な目を向けられて)、

 北にあふれかえったゴミ箱があれば中身を焼却炉まで運んでいき、

 南にケンカの兆候があれば、ラグビー部を呼び寄せて当事者たちに圧力をかける。


 外部からの来客が飛躍的に増える最終日、その人口密度は昨日とは比較にならない。

 当然ながら問題の発生率も高まり、開始当初から非常に慌ただしかった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 自由時間が取れるはずの正午を大幅にオーバーしてから、ようやく昼飯にありつこうと屋台を回っていると、


「鏡一朗」


 と声をかけられた。

 雑踏の中でも、声の主はすぐにわかった。

 それに僕をそんな風に呼ぶのは一人しかいない。


 声の方を振り返ると、千都世さんが立っていた。

 人混みの中でもすぐに見つけられる存在感。

 赤系のワイシャツに白系のインナー、黒のロングスカートといういでたちである。


「来てたんだ、姉さん」

「忙しそうだな」


 千都世さんは傍らの男性と2・3言葉を交わしてから、こちらへ近づいてきた。


「さっきの人は?」

「大学のゼミの准教授じゅんきょう


 千都世さんの答えに、道理で、と思う。

 あの男性には、単に年齢が上というのとは違う、明確な大人の雰囲気があった。


「……高校生の文化祭の変遷について調査するフィールドワークとかじゃないよね」

「ったりまえだろ、デートだよデート」

「それはそれは」

「なんか言いたそうなツラだな」

「有名企業への就職が内定してる先輩とか、イケメンの同級生とか、金持ちの後輩とかはどうしたのかなと思って」

「全部フッた」

「それはそれは……」

「まだなんか言いたそうだな」

「きっかけは?」

「声かけてきたのはあっちからだよ」

「年上が好みだった?」

「そんな外身の話じゃなくて……、アタシはブラコンですけどそれでもかまいませんか、って率直に聞いたんだよ」

「なんてことを……」

「そしたら、自分もシスコンだったから理解はある方だよ、って返されて、それで」

「それで?」

「そういうことなら、って」

「それはそれは……」


 千都世さんの近況および若干のノロケを聞いた。

 そして、1時間ほどは別行動だからということで、こちらのオススメの出し物にいくつか案内して回った。


 虎の子のお化け屋敷でも千都世さんの反応は鈍かったが、おおむね、まあこんなものか、という上から目線で、高校の文化祭を楽しんでいる様子ではあった。


「そういやヨーコちゃんが演劇出てるんだろ、いつんの?」

「もうすぐだよ、体育館でやる予定。行ってみる?」


 僕は応じた。もともとラストはそれに案内するつもりだった。


 千都世さんを連れて体育館へ向かう。

 謎の美人と並んで歩く僕に、ときどきすれ違う知り合いが好奇心いっぱいの視線を向けてくるのにも、すっかり慣れてしまっていた。


 薄暗い館内に入ると、ステージのカーテンは下がっていた。

 ちょうど次の演目までの準備中のようだ。


 パイプ椅子の観客席はほとんど埋まり、立ち見の人間もちらほらと。

 もともと多い客席数ではないが、そこそこ盛況と言えるだろう。


 百代やクラスのみんなは、こんな大勢の前で劇を演じるのか。


 結果論だけど、実行委員に立候補してよかったと思う。

 クラスよりも学校全体を優先して動く立場という建前を使って、舞台に立つ緊張感を回避できたからだ。


『次は、2年1組による演劇『近未来SF巨編・ムーンプリンセスKAGUYA(カグヤ)-HIME(ヒメ)』です』


 放送で演目が告げられると、観客から軽い笑いが起こる。


「ひどいタイトルだな」

「センスを疑うよね」


 開演のブザーが鳴って、カーテンが上がっていく。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「いやーヒドい内容だったな」


 そう言いながらも、千都世さんはときおり目じりを拭うくらい笑っていた。


「ヨーコちゃんの演技はなかなかだった。うん」


 それには全く同意だった。

 声の通りの良さは飛び抜けていたし、観客に見えやすいようにアクションを大げさするという基本的なこともできていた。セリフにも感情がこもっていて、何より本人が演技を楽しんでいることが、こちらにまで伝わってきた。


 まあ、この劇についての全体的な評価はさておき、百代個人は間違いなく注目されていたと思う。教室で普通に生活していては見えてこない特性だ。

 ステージの上の百代は輝いていた。陳腐な表現だけど。


「で、鏡一朗はなんで浮かないツラをしてるんだ?」

「疲れてるだけだよ」

「誰にフられたんだ?」


 僕は千都世さんの顔を振り返った。

 目が合うと、千都世さんは呆れたように口元を上げる。


「なんだ図星かよ」

「くぅ……」


 あまりにも簡単に、カマかけに引っかかってしまった。

 千都世さんが肩を組んできた。僕の頭を鷲掴みにし、髪の毛をかき混ぜる。


「ヨーコちゃん、って感じじゃねえな」

「別に誰にも――」

「ならあとは乙姫オトヒメちゃんしかいないか」


 表に出さないつもりだったが、その名前を聞いてしまうと、もう駄目だった。

 逃げ場はないし、逃げられる相手でもない。

 僕はあきらめて白状した。


「ふん。鏡一朗にしちゃあ積極的なことをしたもんだ」


 話を聞いた千都世さんは、僕の行動をそう評した。


「結果は伴わなかったけどね」

「オトヒメちゃんはちょっと特殊だからな」

「わかってるよ」


「いーや、お前はわかってない。あの子との交際は、間違いなく真剣勝負になるぜ。ちょっとお試しで、みたいなノリは通用しない。付き合うとなったら、向こうは本気で結婚を前提に考えてると思った方がいい」


 んな大げさな……、とは思ったが、有り得ないと笑うこともできなかった。


「まあ、どのみちフラれてるんだから関係ないし」

「フラれたらそれで恋愛終了ってのは童貞の思考だぞ」

「こんな場所で辱めないでほしいんだけど……」

「いい話をしてやろう」


 と千都世さんはようやく僕の身体を解放した。

 長い髪のくすぐったさと、身体のやわらかさが離れていく。


「何」

「大学の友達なんだけどな、同じ相手に2回告って2回フラれたやつがいる」

「だからもう一回挑戦してみろって?」

「3回目の告白でついに相手も根負けしたらしくてな、とうとう付き合うに至った」

「……へえ」


 それは少し、希望のある話だ。


「諦めるな、頑張れば想いは通じる、なんて言うつもりはないさ。ただ、恋愛ってのは一度フラれりゃ整理がつくような、スマートなものでもないだろ」

「だから足掻いてみろって?」

「足掻こうとする弟を、アタシは笑ったりしないってことさ」


 そう言って千都世さんは僕の肩を叩いた。

 胸元で、僕が贈ったネックレスが揺れる。


「ありがとう、姉さん」

「おう」


 姉の言葉は、僕に少しだけ前を向かせてくれた。


「……ところで、3度目の正直の友達は、そのあと?」

「おっ、そろそろ時間だし、アタシは行くからな」

「そのあと?」

「鏡一朗も、もうちょいマメに帰ってこいよ」

「そのあと?」

「ヨーコちゃんとオトヒメちゃんにもよろしくな」

「あー、うん、それじゃ」



 千都世さんは逃げるように去っていった。



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