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Room No.403  作者: 水月康介
2年次2学期
75/80

会長のコイバナ

――繭墨乙姫視点――



 文化祭が始まって、およそ1時間が経ちました。


 わたしは、開始時点では校庭の特設ステージ周辺を見回っていましたが、それもひと段落して、いちど生徒会室へ戻ってきました。


 問題さえ起らなければ、生徒会長ほど気楽な立場はありません。高いところでのんびりしていればいいのですから。そのために下準備は重ねてきたつもりですが、それでも不測の事態は起こるもの。いざというときにすぐ動けるよう、身軽でいる必要があります。


 次は体育館のタイムテーブルを確認しましょうか、それとも文化部の多いこの特別教室棟の巡回を? と今後の予定を考えていると、部屋の戸が開きました。


「あっ、会長……」


 と、こちらに気付くなり気まずそうな声を上げるのは、庶務の揺浜ゆりはまさんです。

 1年の庶務は3名いますが、文化祭初日はそれぞれに数時間の自由時間を与えています。彼女は午前中いっぱいフリーだったはずですが……。


「どうしましたか? 持ち場と時間の確認でしたら、あなたは午後1時から最終まで、体育館ステージですよ」

「いえ、その……」


 と揺浜さんの言葉ははっきりしません。

 視線はうつむき、表情は暗く、明らかに落ち込んでいる様子です。


 誰にも会いたくないから役員不在であろう生徒会室に来たのに、そこにいた先客はよりにもよって絡みづらい会長だった、どうしよう逃げたい、とそんなところでしょうか、彼女の心境は。


「何かつらいことがあったのなら、話してみませんか? 気が楽になるかもしれませんよ」


 わたしは先輩風を吹かせて、そんなことを言っていました。


 今までの自分だったら、きっとこういう場面で、関係の薄い相手を気遣うことはなかったでしょう。


 ですが、生徒会長とか先輩という立場の人間が、落ち込んでいる様子の後輩を無視するというのは、客観的に見て、あまりほめられた態度ではありません。そんな常識的なことを考えたがゆえの行動でした。


 わたしの言葉に、揺浜さんはためらいがちに口を開きます。


 その話を総合すると――


 文化祭実行委員のスケジュールをチェックして、ある先輩の予定が空いていることに気付いた彼女は、ちょうど自分も予定が空いている、これはチャンスとばかり、意を決してと一緒に文化祭を見て回りませんかと誘いに向かいました。


 昨日、生徒会の先輩方からも「こりゃ行くしかないな」「強引に行けばイケルわよぉ」とおだてられ、もとい励まされていた揺浜さんは、普段からは考えられない積極性を発揮しました。


 しかし、その先輩に声をかけ、誘いを切り出そうとしたところで、横合いから2年生の女子が割り込んできて馴れ馴れしくし始めたため、揺浜さんは一瞬で委縮してしまい、その場を立ち去ってしまった。


 ――というのが事の顛末のようです。


 その2年の女の人は先輩のことをキョウ君と呼んでて、2人の会話は楽しげで親しげで、2人の距離は友達と呼ぶには近すぎて、きっと彼女さんですよね、やっぱり……、と語り終えた揺浜さんは、そのときのショックを思い出したのか、落ち込みっぷりに拍車がかかっていました。


 さあ、どうしましょう。

 こういう場合に採れる手は限られています。


 まず一つは、〝ある先輩〟を徹底的に貶めることで、そんな人にあなたが気を揉むほどの価値などないのよと慰めるやり方。


 しかしこれは、わたしが〝ある先輩〟を否定すると彼女が反感を覚え、今後の生徒会活動に支障を及ぼす恐れがあります。会長としての求心力の低下も考えられます。それによってわたしまで〝ある先輩〟に敵意を覚えてしまうという副作用が出る可能性もあります。


 次の手段は〝ある先輩〟よりも魅力的な別の何者かを用意して、かなしみと別離させ、しあわせと出会わさせるという前向きなやり方。


 しかしこれは、わたしにそもそも魅力的な別の誰かを用意するだけの人脈がありません。加えて、わたしが魅力的だと思う人物を揺浜さんも同じように感じるのかどうか、という価値観の問題もあります。

 

 だんだん、考えるのが面倒になってきましたね……。

 飲み物でも置いて部屋を出ていこうかと本気で考えだしたとき、再び入口が開きました。副会長の近森あずささんです。


「あれっ、会長……と、揺浜ちゃん、どうしたんだ? 会長にいじめられた?」

「あまり面白くない冗談ね」

「あっ、ごめんなさい、祭りの雰囲気に浮かれて調子乗っちゃいました、はい……」


 近森さんは平身低頭します。そこまで一気にへりくだられるというのも、少々居心地の悪いものがあるのですが。


「でも、ホントどうした? なんか凹んでない?」

「ある先輩を誘おうとして、ちょっとダメだったらしいの」

「ああ、阿山のこと? なんで名前伏せたりするんだ?」

「別に他意はないわ」

「ふぅん」


 近森さんは揺浜さんに近づいて声をかけます。


「まあ気にすんなって、男なんていくらでもいるんだし、阿山より顔がいいやつも頼れるやつも山ほどいるから。これからきっといい出会いがたくさんある」


 根拠のない慰めの言葉です。

 揺浜さんは釈然としない表情。


「うーん、じゃあこの副会長がいい男を紹介してやろうか?」

「えっ?」


 反応は良好でした。……揺浜さん?


「お、ちょっと興味ある系?」

「えっと、その、はい……、それ系です」


 揺浜さんは頬を染めつつうなずきます。

 仕草こそ純情乙女ですが、変わり身の早さは悪女のそれです。


 目じりをぬぐった揺浜さんは、顔を洗ってきますと言って生徒会室を出ていきました。


「近森さんは男子にも顔が利くのね」

「そんなでもないけど、ちょっと友達に、誰でもいいから付き合いたいって喚いてるやつがいてさ」

「そういう人が阿山君の代打になるのね」


 顔も名前も知らない人のことは、今はどうでも構いません。


 それよりも気になったのは、阿山君と曜子のこと。

 揺浜さんの主観も多分に入っているのでしょうが、随分と仲睦まじい様子です。


「ねえ近森さん」

「どしたの?」

「これは単なる雑談なのだけれど」

「何なに?」

「交際を申し込まれたものの一度は振った相手がいるとするでしょう?」

「えっ、会長、コイバナ? 珍しー」

「その子と友達関係を続けておいて、しばらく経ってから付き合おうとする男子の心理について知っていたら教えてほしいんだけど」

「えぇ何その限定的すぎる条件……」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇


――阿山鏡一朗視点――



 実行委員として持ち場に入った途端、次から次へと問題が投げつけられてきて、僕はその対処に追われた。



「1年3組の屋台、釣り銭が足りないって!」1年の実行委員が大声で言う。

「どれがいくつ?」と僕は返す。

「ええと、50円と100円が……、かなり」

「生徒会室へ行って会長に頼んできて、いくらか準備してるのがあるから」

「えっ、会長に?」

「大丈夫、噛みついたりしないから物理的には」



「案内所でおじいさんが休んでるって」ジャージ姿の2年が言う。

「ええ、何しに来たのその人」と僕は返す。

「マサオ君に会いに来たって」

「知らないよ、ちょっと生徒の名簿チェックしてみて。あ、一応、保健の先生にも声かけといて」



「ステージの音響に納得がいかないって軽音部が」ステージの運営を手伝ってくれている3年生の女子が言う。

「こっちは軽音部の演奏に満足いってないですけど……」

「同感だけど、どうするの」

「前日練習のときに言えっての……、ああ、ステージ仕切ってくれてる元会長に振ってください。どのみち今日は対応しようがないので」

「え、元会長? いたっけ?」と首をかしげる先輩女子。存在感薄すぎです元会長。

「じゃあ元副会長の方に声かけてください」

「あ、そっちならわかる。オッケー」とうなずいて去っていく先輩女子。そっちならわかるのか……。



「グラウンドの方に犬が迷い込んでるって!」軽快なフォームで走ってきた陸上部の女子が言う。

「ええ? それどこかのクラスが持ち込んだやつじゃないだろうね」と僕は返す。

「わかんない、首輪はしてたけど」

「持ち込みならまずいよ、早く対処しないと」

 生き物の持ち込みは、文化祭の注意事項以前に校則で禁じられている。もちろん警告対象だ。

「あ、そういえば首輪にマサオって名前書いてたよ。飼い主かな」

「どこかで聞いた名前だな……」



 僕はその後、案内所のおじいさんを連れてグラウンドへ向かった。迷い犬と合流、探していたマサオであることが確認できると、おじいさんはマサオを連れてかくしゃく(・・・・・)とした足取りで裏門から出ていった。それを見送ってから正門側へ戻ってくる。


 実行委員詰所のテントに戻ると、副会長の近森がいた。


「お疲れさん、微モテの阿山」

「びもて?」

「微妙にモテるの略」


 庶務の子のことを揶揄されているのだろうか。

 あたしたちの可愛い後輩をよくも泣かせてくれたな的な意味で。

 あまり嬉しくはない称号だ。


「文化祭デート行ってたんだろ? どうだった?」

「まあ普通だよ」


 オススメのお化け屋敷で百代が半泣きになった以外は、平穏なものだった。

 いくつかの出し物を見て回り、昼が近くなると屋台の食べ物を買い歩いた。ここは星ひとつ、ここは星2つ、と味の品評をしたりした。


 デートなんて色気のあるものじゃない。男友達と回るのとそう変わりない空気感だった。きっと百代が気を遣ってくれたのだろう。


 それでも、あまり追及されたいものではない。僕は話題を変えた。


「ところで、さっきから、僕に振られる雑用がえらく多い気がするんだけど。もうちょっとほかに回してくれない? 駄弁ってる余裕のある連中が結構いるよ」


 屋外周りの現場責任者は副会長の近森である。

 庶務の子をソデにしたことへの当てつけ、そんな可能性を考えて探りを入れてみる。


「さあ、なんか会長の指示だったから」

「繭墨が?」


「面倒そう、厄介そう、しんどそうな問題は優先的に。あとは大したことなさそうなものでも、とにかく何か問題があったら基本的に阿山に振って構わない、ってさ」


「え、何それ」


 当てつけの主は、近森じゃなくて繭墨だったということなのか。


「僕、何か繭墨を怒らせるようなことしたかな」

「あたしに聞かれても……。っていうか会長も別に怒ってる様子はなかったけど」

「あいつは満面の笑顔で怒れるし、悲壮感たっぷりの顔で喜べるやつだよ」


「……そうだった」と近森は顔を引きつらせる。それからふと思い出したように「そういえば、ちょっと会長、変なこと言ってたっけ」


「変なことって」

「フったフラれたで、ヨリを戻す戻さないとか」

「えっ……」


「告ってフラれた友達に、時間をおいて改めて付き合ってくれって言われたらどうする、みたいな感じのこと言ってたな」


「へえ。繭墨がコイバナなんて珍しいね」


 そう言って僕は席を立つ。

 近森は首をかしげる。


「あれ、反応()っすいなぁ」


「そんな気にするほどの話題じゃな――」ガシャン、と僕はパイプ椅子に足を引っかけて倒してしまう。「――失礼」


 僕はそっとパイプ椅子を元に戻す。

 近森は口を上げてニヤリと笑う。


「動揺してますな」

「そんなことよりもっと仕事を回してよ、サボってスマホつついてるやつらよりもよっぽど早く終わらせてみせるから」


「やる気に満ち溢れてる阿山ってちょっと不気味だ……」

「失礼な、僕は常にやる気に満ちた男だよ」

「コウモリが無理して重い獲物を持ち上げてるみたいな感じ」

「言っとくけどそれほとんど暴言だからね?」


 部下のやる気を削ぐ上司の言葉にも負けず、僕は実行委員としての職務に励んだ。


 繭墨の話を頭から追い出すために必死で動いた。

 なにしろ『告ってフラれた友達』というものに心当たりがありすぎる。


 去年、繭墨は直路に告白をしている。

 結果はノー。

 しかし、直路はまんざらでもない様子だった。


 それはいい。去年の話だ。

 だが、改めて付き合ってくれと言われた、という点は大いに気になる。


 当人たちに直接尋ねればいいのだが、それまでの間、考えごとをシャットダウンできるほど僕は自分の感情を器用に操れない。


 結果として、身体だけはよく動かしたが、その働きに成果が伴わない、空回り感をずっと感じながらの作業だった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 持ち込まれる問題の数がようやく落ち着いてきて、実行委員たちの間にも安堵の空気が流れ始めた頃。


「なんかだいぶ疲れてるなー」


 と近森が再び声をかけてくる。

 僕はテントの隅っこでパイプ椅子に座って休憩中だった。



「近森さんは大丈夫なの?」

「いい馬車馬がキリキリ働いてくれてるからな」

「お役に立てたようで何よりです」

「まだ荷物のっけてる感じのツラだけど」

「そう見える?」


「会長のコイバナはひとまず置いておいてさ」と近森は苦笑いを浮かべる。「会長って確かに厳しいし怖いしキッツいトコあるけど、相手のレベルをちゃんと見切ってて、無理そうな仕事を振ったりはしないだろ」

「まあ……、うん」


 僕はうなずいた。

 生徒会長・繭墨乙姫にとって、仕事を任せた相手の失敗は、自分の責任になってしまう。なので、そのあたりの見極めはきちんとしている。


「だから、阿山にバンバン面倒ごとを振ってるのは、ドSなわけでも嫌いで当たってるわけでもなくて、それだけ信用されてるってことじゃないの?」


「信用ね……」

「自慢じゃないけど、あたしは阿山ほど無茶な仕事量積まれたことないからな」


 そう言って近森は親指を立てる。ちょっと男前な仕草だった。

 こちらもつい口元が緩む。


「なんか、近森さんの副会長らしいところを初めて見たよ」

「え、らしかったか? あたし」

「面倒見がいい」


「あー……、そりゃあんたも会長も、あとさやかも、基本、しっかりしてるから。あたしの出る幕なんてほとんどないし」


「繭墨の言葉を伝え聞いただけで呪われたみたいな気分になってたけど、おかげさまでだいぶ気が楽になったよ。呪いが解けた」


 と言うと、近森は口の中に虫が入ったかのような妙な顔をする。


「何言ってんの阿山。あたしこれ、口説かれてんの?」

「え? ああ……、疲れてると、思ってることを吟味せずにそのまま声に出してしまうことってない?」

「ねーから。……っていうか、お前いつもそういうポエミーなこと考えてんの?」


 それは『呪いが解けた』という表現について言っているのだろうか。


「あの程度で詩的ポエミーとか片腹痛いよ」


 と、僕は冗談を言いつつ席を立つ。気が楽になったというのは本当のことだ。

 やる気も少し湧いてきた。


 文化祭の初日が終わるまで、あと1時間ほど。

 トラブルの芽を未然に摘み取るべく、僕は自主的にグラウンドの巡回へと向かう。


 その後ろで、近森のおびえたような声が聞こえた。


「うわ、あれで序の口かよ……」


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