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Room No.403  作者: 水月康介
2年次2学期
70/80

感謝の言葉という成果


 野外ステージを切り盛りするための人数が不足している。

 その問題を解決するために、僕と遠藤はあれやこれやと対策を話し合い、まとまった案を生徒会長である繭墨に提出した。


 「3年生に依頼する……ね」


 繭墨の声は、手放しでの賛同はできかねる、という感じだった。


 先を促す沈黙。

 遠藤は話を続ける。


「3年生って基本、文化祭は自由参加でしょ? 先輩として部活のイベントに顔を出すことはあっても、クラスの出し物に力を入れないから、帰宅部の人たちは手が空いてるよね」


「ええ、そうね。だけどそれは受験に集中するという名目のはずよ」


「それでもやっぱり、当日くらいは息抜きのつもりで文化祭を見て回るよねぇ、っていうのがあたしと阿山君の――主に阿山君の予想なの」


「つまり、文化祭に向けて、準備に時間のかかる出し物には消極的でも、当日限りのイベント参加という形なら希望者はいるだろうと、そういうことね」


「そーそー、さっすが会長、あたしたちの――主に阿山君の考えなんてお見通しってこと?」


「高校生活も終わりが見えてきた先輩たちにとっては、同学年の友達と一緒に騒げる最後のイベントだものね。そういう意味でも、記憶に残る何かをしたいと思う気持ちを利用――ではなくて誘導――とも違う、ええ、そう、受け皿となる場所を、生徒会として提供する。その発想はアリだと思うわ」


「でしょ? 受け皿っていうのはまさに阿山君も同じこと言ってたし――」


「退役軍人を予備役とするようなものね」


「あ、それはむしろ一億総活躍社会かなぁ。定年した後の人にも働いてもらう感じ」


「なるほど、そちらの方がイメージしやすいと思う」


「でしょ? いやー阿山君の例え話はお見事というほかありませんなぁ」


「わたしの方から、まず前会長に話をしてみるわ。同じ3年生の横のつながりからの方が、話を聞いてもらいやすいでしょうし」


 遠藤が不自然なほどに僕の手柄をアピールしていたけれど、繭墨はそれを徹底的に無視していた。


 きっと僕のことを思いやってのことなんだろう。

 しかし、後半になると僕は心の中でもうやめてくれと叫んでいた。気遣いはうれしいが、結果が伴わなければつらいだけだ。お前が僕をサンドバッグにしてどうする。



 それから、僕は繭墨の放つイラ立ちの気配を肌で感じつつ、他の役員のところを回っていった。


 副会長の近森は、先日の会長からの叱責をまだ引きずっているらしく、生徒会室ではどこか浮かない顔だ。


「どうしたの近森さん、彼氏とケンカでもした?」

「してねーし。……届け出とか連絡って、いざ行くとなるとちょっと緊張して」

「あー。消防署とか、あとこの辺りのスーパーとか公共施設とかも回るんだっけ」

「そうなんだよー」


 と近森が机に突っ伏す。


「改まって大人と話すのって緊張するよね確かに。でもほら、届け出や連絡って、責任を受け渡すためのものだから」

「ん? どういう意味だ?」


 と近森が顔を上げる。


「相手に何も知らせてなかったら、僕たちにとってはキャンプファイヤーでも、事情を知らない人たちからすれば「文化祭の最終日にグラウンドで火災発生」でしかないわけ。何かが起こったときの責任は学校と、あと生徒会もいろいろ言われるかもしれない。だけど届け出をしておけば何かあっても消防署の理解が早いし、ちゃんとした火事の対策も事前に教えてくれるだろうし、少なくとも、黙ってるよりも、生徒会の責任はずっと小さくなる。

 連絡しなかったら自分だけが責任を持たなきゃならない、だけど、連絡したら自分と相手で責任を共有できる。大人を使えばいいんだよ、僕らは子供なんだから」


 だいぶ強引な屁理屈だったけど、背中を押す役には立ったらしい。近森の表情は多少、落ち着いていた。


「責任を共有ねぇ」

「バイト先の上司の受け売りだけど」


 僕が以前にミスをしたとき、長谷川さんはそう言って報連相の重要性を説いていた。

 もっとも、だからって丸投げしてばかりじゃ困るけどね、とも言っていたが。


「それに現役JKが来てくれたらそれだけで歓迎ムードだろうし、あんまり気負うことはないって」


「……お前んところの上司セクハラで訴えといて」


 JK云々は僕の想像なんだけど、ここは黙ってうなずいておいた。すみません長谷川さん。僕の名誉のために好感度を下げてください。



 それから、1年の庶務たちの働きぶりを覗う。

 いまだに勝手がわからないのか、それとも生徒会長が恐ろしいのか、彼らの動きはぎこちない。


 1年生は、文化祭開催に向けてのしおりを作成中だった。学内向け注意喚起の小冊子だ。

 そこへ僕は一文追加を頼む。


『食料品店で大量に買い込みがある場合は、事前に予約を入れるように』という文言。

 これもまた長谷川さんからの情報――というか愚痴だ。


 最近のお客さんはスマホで連絡を取り合って、他社さんより安いものだけ根こそぎにしていくことがあるから、と嘆いていたのを思い出したのだ。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 やがて5時になると、下校を促す校内放送が響いた。

 これは一般生徒が対象で、部活動に励んでいる生徒や、生徒会に向けてのものではない。


しかし、繭墨は役員に対して下校するようにと声をかけた。


「ギリギリになって遅くまで居残ることがないよう、少しずつ業務を進めていくのが今生徒会のスタイルです。皆さん、お疲れさまでした」


 みんなそれに従って席を立っていく。

 が、繭墨だけは座ったままノートパソコンを操作していた。


 じゃあ僕も、と着席したままでいると、繭墨はこちらを見ずに口を開く。


「阿山君も帰ってください」

「もう少し残って――」

「生徒会室からは退出してください。この場では生徒会長わたしの指示に従ってください」

「じゃあ隣の空き教室なら構わないの?」


 繭墨の指の動きが停まった。キータッチの音が止む。


「今日は……、来てくれて助かりました。おかげでいつもより、業務がはかどったと思います。ありがとうございました」


 今までのガン無視から一転、素直な感謝の言葉を告げられる。


 僕は大いに戸惑った。それは生徒会メンバーたちも同感だったようで、カバンを持って帰ろうとしていた役員たちも、ぎょっとした顔で繭墨や僕を振り返っていた。


 遠藤や近森と目が合う。

 二人とも冷やかすような、あるいは面白がるような表情を浮かべていた。


 僕もつい口元が上がる。

 そして、繭墨からの感謝の言葉という成果に満足して、席を立ち、生徒会室を後にしたのだった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「良かったねぇ、阿山君」と遠藤。

アイが報われたじゃんか、愛が」と近森。


 二人のねぎらいというかからかい(・・・・)を否定しながら、薄暗くなった廊下を歩いていく。


「いや、そういうんじゃないから、文化祭実行委員としての使命感だから」


「あたしたちも間を取り持った甲斐があったよねぇ」と遠藤。

「オンナが弱みを見せるのは誘ってるときだからな」と近森。それ経験談?


「弱み、ねぇ……」


 僕は別れ際の謝意あれを、繭墨の弱みだとは思えなかった。

 それどころか、あれは本当に感謝だったのだろうかと、疑い始めてさえいた。


「どうしたの? なんか浮かない顔になってるけど」

「なんか、こう、違和感があって……」


「会長が素直だったからじゃないのか?」

 

 近森がなかなか失礼なことを言う。


「いや、繭墨は常に素直だよ。率直というか抜き身というか」


 ――わたしはいつも事実を語っているだけです。

 そう断言していたことを思い出す。


「でもやっぱり、阿山君効果はあったと思うよぉ。会長、今日はいつもより眼光が大人しめだったから」

「そう?」


 それ以前に、僕は今日、繭墨と目を合わせていない。

 繭墨の方がずっと、書類やらノートパソコンに向かっていて、僕と目を合わせようとしなかった。


 繭墨は普段から、相手の目を見ながら話をするタイプだ。それなのに目が合わなかったこと――それが違和感の正体なのだろうか。


「ちょっと忘れ物したから。先に帰ってて」


 僕はそう言って踵を返す。


「ま、頑張れよ」

「ガッコで変なことしちゃダメだよぉ」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 専門教室棟の3階まで戻ると、僕は足音を立てないよう忍び足で生徒会室に近づいていく。フロアの中で明かりが灯っているのは一部屋だけだ。


 戸を開けるときもゆっくりと、秒速1センチメートルくらいでスライドさせていく。

 もちろん繭墨に気付かれないためにだ。


 身体を滑り込ませるようにして中に入る。

 繭墨は室内にいたが、まだ僕には気づいていない。

 きっとここまで物音を抑えなくてもバレなかったのではないか。


 繭墨は机に突っ伏して眠っていた。


 近づくと、すぅ、すぅ、という寝息が聞こえてくる。

 まだ僕には気づかない。

 けっこう深い眠りのようだ。


 メガネを外した寝顔は、穏やかとは言えないものだった。眉が寄って、頬には朱が差している。率直な印象として、寝苦しそうに見えた。


 そんな寝顔でもずっと眺めていたい誘惑は強い。

 それをどうにか振り切って、僕は繭墨の肩を揺すった。


「んぅ……」


 まず目が少しだけ開かれて、それからゆっくりと身体が起き上がる。


「……くしゅんっ!」


 そのくしゃみがスイッチだったかのように、繭墨は覚醒した。


「――えっ? 誰!? ……ああ、阿山君ですか」


 手を伸ばしてメガネを取り、再装着。

 鋭い眼光を取り戻す。


「どうしたんですか。出ていってくださいと言ったはずですが」

「具合悪いの?」

「大したことはありません」


 繭墨はそう強がるが、近くで見ると頬が上気しているのがはっきりわかる。地肌が色白なだけになおさらだ。


 疲労が溜まっていたのだろう。

 睡眠不足と、疲労の蓄積と、気温の変化と、それから気の緩みが引き金になる。

 ちょっと休憩のつもりで、上着も羽織らず無防備に仮眠をとって――起きたときには頭痛や寒気に襲われているのだ。僕にも経験がある。


「もう帰った方がいいよ」

「毎日、もう1時間くらいは居残っています。いつものことですから」


 そう言ってノートパソコンに手を伸ばす繭墨に告げる。


「帰らないなら先生を呼ぶよ」


 睨まれた。

 が、ここは退いてはいけない場面だ。


 目を逸らさない。それだけを意識して視線を合わせ続けること十数秒。


「……わたしの顔色、そんなに悪かったですか?」


 あきらめの声色で繭墨が問うてくる。


「いや、外面からはわからなかった」

「それならどうして?」


「今日、ずっと目を合わせなかったじゃないか。だから顔色をよく見る機会がなくて……、それが逆に違和感だった」


「ああ……、そういうことでしたか」


「あとは最後に『来てくれてありがとう』って言ったのが『さっさと帰れ』にしか聞こえなかったからかな」


「喜んでいたじゃないですか」

「まあそうなんだけど」


 好きな子の反応ならどんなものでも喜ばしい。無視されるよりずっとマシだ。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 いつもより歩みの遅い繭墨と並んで学校を出る。

 僕は校門から数百メートルほどのところにタクシーを呼んでいた。


 大げさかなとも思ったが、歩いているうちに徐々に辛そうな表情を隠せなくなっていく繭墨を見ていると、この対応で正解だったようだ。


 運転手に行き先を告げる。


「ええと、華々見(かがみ)台まで――」


 丘のふもとのバス停まで行ったら、あとは口頭でたどり着けるだろう。

 そう思って運転手に告げた行き先は、しかし繭墨によって訂正される。


「――いいえ、アパートへ」


 と繭墨は言った。

 息苦しそうに目を細め、僕の耳元でささやく。


「阿山君のアパートへ行ってください」




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