釘打ち職人繭墨
第一回文化祭実行委員会の翌日。
放課後になると、僕たちは即座に文化祭の準備にかかる。
開催まではまだ日があるが、高校生の僕たちが自由に使える時間は少ない。昼休みと放課後くらいだ。トータルすれば、決して時間に余裕があるとは言えない。
生徒会長の本日の行動は、各部活動への巡回、声かけである。
それに僕も同行していた。
「ところで、昨日のあれっていつ思いついたの?」
と歩きながら話を振ると、繭墨は目を細めて、
「あれ、とはなんですか? もう少し具体的にお願いします」
「だから、昨日の委員会の、ステージ増設の案だよ」
「いつ、という明確なタイミングはありません。場所がなければ増やせばいい、というのはごく当たり前の発想だと思いますが?」
「そりゃそうなんだけどさ」
「ただ……、着想は夏フェスから得ました」
繭墨の口から意外な単語が飛び出てきた。
「え、繭墨ってそういうイベント行く人だったの?」
生徒会長・繭墨乙姫の、全体像を眺める。
長い黒髪に紅色の縁のメガネ、制服は崩すことなくきちんと着こなし、スカート丈も膝より数センチ上くらい。ごくごく真面目な生徒という印象である。あまり野外フェスへ行くようなタイプには見えないが。
「いえ、行ってはいません。有料放送で見ました」
「ああ、そういうこと」
「わたしの家って大きいじゃないですか」
「……ソウデスネ」
「地下にホームシアター兼音楽鑑賞ルームがあるんです。軽自動車くらいの値段のスピーカーなども置いてあります」
「へえ……。音響って凝り始めるといくらでも金がかかるって聞いたことはあるけど」
「コンサートの録画などはとても臨場感がありますよ」
「繭墨は音楽と言えばクラシックしか聞かないやつかと思ってたよ。あと、ピアノとか弾いちゃうキャラかと」
「そちらは嗜む程度です。家の一室に埃をかぶったピアノが置いてあります」
「あ、やってるんだホントに」
「イメージ先行が過ぎますね……」
繭墨は平然と自分の家の話をしているが、それを聞いていると心配になる。
「一応聞いとくけど、家の自慢話ってあんまり言いふらしてないよね」
「自慢はしていません。わたしの家に来たことのある阿山君には、変につくろっても意味がないでしょう。だから事実を話しているだけです」
僕だから、ときた。
なんの照れも気負いもなく、当たり前のように言われると、こっちの方が照れてしまう。
「……そりゃ、どうも」
「何か感謝されるようなことを言いましたか?」
繭墨はよくわかってない様子で首をかしげるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
最初に訪れたのは軽音楽部の部室だった。
練習の真っ最中だったが、生徒会長が来たことに気付くと、演奏を中断して出迎えてくれた。エレキギターを提げた部長が近づいてきて、
「おー会長、サンキュな、ステージ増やしてくれたおかげで曲数増やせたし、伯鳴高校以外の学生バンドにも声かけれたし」
「喜んでいただけて何よりです」
「ああそうだ、会長のために1曲演ろうか?」
「いえお構いなく。演奏のクオリティを高めることに費やしてください」
繭墨は笑顔で拒否する。
軽音部部長は残念がるでもなく、ニヤリと口元を上げた。
「おう、文化祭じゃアッと驚かせてやるからな」
「はい。楽しみに待っていますね。練習も順調なようですし、わたしはこれで失礼します」
そして部室を出ていこうとする繭墨。それを見送る軽音部部長。
特に明確な目的などない、ただの巡回だったようだ。僕はそう解釈し、続いて部室を出ようとする。
だが、ふいに繭墨は踵を返した。
「ああ、そうそう」
「……おお、どうした会長?」
「ステージを増設することは、わたし、いわゆる夏フェスなどから着想を得たのですが。皆さんも、そういったものには刺激を受けるのではないですか?」
「……まあ、そりゃ」
繭墨の質問に、しかし軽音部部長の返事はどこかぎこちない。
――夏フェスに刺激を受ける。
それは要するに、サッカー部員がプロの試合を観戦することで練習に身が入るような、あるいは日本人のノーベル賞受賞を誇りに感じるような、健全な前向きの変化のはずだ。
その割になぜか、軽音部の部室には緊張感が漂い始めていた。
繭墨は言葉を続ける。
「野外フェスと言えば、たくさんのアーティストが複数のステージに分かれて共演するスケール感も大きな魅力ですよね。
しかし、文化祭における音楽関係のステージはひとつに統一されています。
昨年は、尺や枠の少なさに不満を抱いた一部の方が、ゲリラライブを行い混乱を招いたという苦い事例もあります。
今年のステージ増設は、そうした不満の声に配慮しての決定でもあります。
それでもなおゲリラライブを行う団体については、単なる我が侭による騒乱行為とみなされ、学校側から厳しい処分がなされる恐れがあります。
ですので、お知り合いの参加者の皆さんにも、その旨をお伝えください。
よろしくお願いしますね?」
繭墨は最後に笑顔を浮かべて締めくくると、一礼して部屋を出た。僕もそれに続く。
訪れたときの、外まで漏れ聞こえていた演奏音が嘘のようだ。
僕たちが辞したあとの部室からはノイズひとつ聞こえてこなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「またデカいクギを刺したね」
「これで少しは控えてくれるといいのですが」
ゲリラライブの話は去年、確かにあった。
演奏した場所が立ち入り禁止の屋上だったということもあって、学校側はしばらく犯人探しに躍起になっていた。結局、実行したグループについては特定できなかったらしい。
基本、生徒は知っていても学校側からの調査なら隠そうとするものだ。仲間をかばうような感覚なのだろう。
「では次に行きましょうか」
「どこへ」
「科学実験部ですね」
「割と地味なところも攻めるんだね」
「地味? どこがですか。サイエンス・エクスペリメントですよ?」
「あ、なんか横文字にした途端にヤバげになった」
爆発したり人体に異変が起こったりする雰囲気が漂ってくる。
「わけのわからない実験物で混乱を引き起こすのは科学部と相場が決まっています」
「それ学園マンガとかの話だよね、フィクションだよね」
「近年は実践型学習にスポットが当てられています。科学や化学は特に注目度が高いです。都会では学習塾が乗り出しているくらいですから。科学実験部の方々が調子に乗っていないとも限りません」
そう言いながら理科室へ向かう繭墨の足取りは、もう明らかに軽くなっていた。
間違いなくノリノリだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「失礼します」
繭墨は堂々たる態度で理科室の戸を開ける。
僕たちを迎えた科学実験部の部長は、最初からどこか挙動不審だった。
軽音楽部が友好的だったのとは対照的だ。
軽音部の態度はステージ増設という恩があっての態度だったのだろう。それに対して、科学実験部の活動に生徒会からの関与はない。良くも悪くも、である。そういう関係性なら、部外者の来訪にいい気がしないのはわかる。
それを踏まえたうえで、もうちょっと取り繕えばいいのにと思ってしまう。
「い、いったいなんの用だ」
ヨレヨレの白衣を制服の上にまとった、似非サイエンティストのコスプレをした部長が、警戒心丸出しの態度で言う。
対する繭墨は、かすかに笑みを浮かべながら、
「勉強に来ました」
「……勉強、だと?」
「はい。粉塵爆発の原理について教えてください」
「何言ってんの繭墨」
と僕は反射的に声をかける。
「突然の敵襲にも冷静に機転を利かせて撃退する主人公にでもなるつもり?」
「黙っていてください」
「ハイ」
僕は2歩後退する。
一方の似非サイエンティストは楽しそうに口元をゆがめて、
「ふむ……、生徒会長たっての申し出とあらば」
黒板まで歩いていき、チョークで色々と書きなぐっていく。
「粉塵爆発というのは空気中に一定以上の密度で可燃性の粒子が充満した状態で、火花などでそれに引火したものが連鎖的に広がって爆発を引き起こす現象で――」
「炭鉱などで発生する事故と思われがちだが――」「小麦粉のような家庭にあるものでも発生しうる――」「特に海外では製粉工場での爆発事故が――」
部長の向上がひと段落すると、たぶん聞き流していた繭墨は、穏やかな笑顔を浮かべて、ありがとうございます、と感謝の言葉を述べた。そして、
「では、次は水蒸気爆発についてご教授をお願いします」
何言ってんの繭墨。
敵を水辺に誘い込んだ上でそれを引き起こして一網打尽にするつもり?
僕は口には出さずに後ろで見守っていた。
部長はやはりノリノリで、
「水蒸気爆発というのはいわゆる熱膨張による現象だ」「水の膨張率――液体と気体の体積比率は1700倍で、それがほんの一瞬で――」「地下水にマグマが流れ込むことで水蒸気爆発が起こる、火山の噴火の一形態として――」「高熱の油に水がかかることでもこの現象が発生する、これが火災時でも油に水をかけてはいけないという理由で――」
再び部長の口上がひと段落すると、繭墨はやはり穏やかな笑顔を浮かべた。
「ありがとうございました。そのように危険極まりない現象を、文化祭当日に再現実験することのないよう、よろしくお願いいたしますね」
◆◇◆◇◆◇◆◇
釘打ち職人繭墨は絶好調だった。
「こうやって怪しい団体にクギを刺して回ってるわけか……」
「はい。察知されていると思わせるだけで、かなり違いますから」
繭墨は淡々と犯罪心理を語る。
「そういう情報ってどこから仕入れてるの? 前例から?」
「いえ、新聞部と取引を少々……」
『ご趣味は?』『生け花を少々……』みたいな口調で繭墨は言う。
「ああ、登校日のインタビューのとき?」
「それ以上はノーコメントで」
やんわりと断る笑顔に若干の恐怖を感じつつ、僕は話を変える。
「そういえば、写真部が去年、いろいろ隠し撮りをしてたみたいだけど」
これは結構な数が出回っていたので、探せば証拠も見つかるだろう。
しかし、繭墨は首を振って、
「あの手の秘密展示は、必要悪というほどではありませんが……、ガス抜きのようなものでしょう。見逃すつもりです。気になるあの子が、ほんの片すみにでも写っている写真を探し求める――そういういじらしさを否定するつもりですか?」
「まあ、性的なのじゃなければ、別にいいのか」
「そうです。真っ当な写真をどういう風に脳内変換するのか、という点にまで立ち入るつもりはありませんから」
立ち入るつもりはないのかもしれないが、僕に向けられた視線はなかなかに冷え切ったものだった。すでに僕が写真を購入していかがわしい目的に使うことが、繭墨の中では確定しているかのような、そんな蔑むような視線だった。もう慣れたけれど。




