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Room No.403  作者: 水月康介
2年次2学期
64/80

素直には移ろわない

――繭墨乙姫まゆずみいつき視点――



 人間の定めた暦ほど、季節は素直には移ろわないようです。


 二学期の初日は、朝から真夏日を思わせる蒸し暑さでした。バスを降りると猛烈な熱気に煽られて、うっすらと汗が浮かんできます。


「おはよ、ヒメ」

「……ヨーコ」


 バス停には曜子が立っていました。


「おはよう。どうしたの?」

「もちろん、ヒメを待ってたの。一緒に行こうと思って」

「そう」


 わたしたちはそのまま並んで歩きながら会話を続けます。


「あれから学校の掲示板を覗いても、ヒメたちの話題はだいぶ減ってたよ」

「それはよかったわ、ヨーコのおかげね」


 先日の登校日の件です。

 校長先生との交渉を有利に進めるために、曜子に協力してもらいました。


 ちなみに掲示板にアップした画像は、校長室を出た直後に削除済みです。


「けっこうエグいことさせるよね」

「そうかしら」

「そうよぉ、だってあたしがまだキョウ君のこと好きなの知ってて、他の子とのツーショット写真撮らせたりするんだから。しかもそれを晒させるとか」


 改めて言葉にされると、とっさに言い返せませんでした。


 手段を選んでいる余裕がなかったというのと、頼める相手が他にいなかったという――、完全にわたしだけの都合で、曜子を巻き込んでしまいました。

 確かに、ほめられた所業ではありません。


「……そうね、改めて、ありがとう」


 だから、謝罪ではなく感謝を告げると、曜子は唇を尖らせて、


「どーいたしまして。ちょっとくらいワタワタしてくれたら面白いのに」

「表情豊かな女の子の方が、男子から好まれるらしいわよ」

「ヒメは好まれたくないの?」

「恋をしている余裕なんてないもの」


 わたしが即答すると、曜子は人差し指を振って否定のポーズ。


「それは違うよぉ、ヒメ。恋って余裕があるとかないとか、そういうことを考えてするものじゃないんだから」

「したいと思ってする恋は、本当の恋ではないということ?」

「それはよくわかんないけど……、ほら、恋に落ちるっていうじゃない? だから自分では制御できない気持ちなんじゃないかなー、とは思ったりするけど」

「わたしたちが自由に飛べる天使だったら、恋に落ちるという慣用句は存在しなかったということね」

「ヒメの発想ってぶっ飛んでるよねぇ」

「ヨーコの行動力ほどじゃないわ」

「そう? 最近のヒメってかなりアクティブな気がするけど……、ところで、キョウ君とはどうだったの?」


 曜子の質問の意図が分からずに、考えること数秒。


「……どう、と言われても。登校日以降、何も接点はなかったけれど」

「え、そうなの?」

「わたしたちの噂が完全に鎮静化したわけではないから、気を遣って顔を合わせないようにしていたのよ。それに……、そんな配慮なんて関係なく、普通に過ごしていても、会うことはなかったと思うけれど」

「えー、そうかなぁ……」


 曜子はなぜか疑わしげな視線をこちらに向けてきます。

 わたしと阿山君の仲を勘ぐっているのでしょう。噂が一部事実であることを知っている彼女なら、疑ってしまうのも無理からぬことでしょうが。


「それが普通でしょ? わたしは去年の夏休み、偶然を除いてクラスメイトと会うことなんてなかったもの」

「それはヒメが引きこもり過ぎるだけだよ……」


 と呆れ顔の曜子。


「そういうヨーコはどうなの?」

「え、あたし?」

「阿山君と会わなかったの?」


 率直に尋ねると、曜子は目を逸らして言いにくそうに、


「いくらあたしがノーテンキでも、さすがにフラれたすぐ後に2人で会おうとするのは、ちょっと気まずいっていうか……」


 その煮え切らない口ぶりは、阿山君への気持ちがまだ吹っ切れたわけではないことを示しています。それは多少なりとも、わたしにも理解できるものでした。


「そうね、始まるのも終わるのも、自分ではっきりと制御できるものではないみたいね」

「なんのこと?」

「さっき言ったでしょ。恋についての話よ」

「何かあったの?」


 登校日のことを思い出します。

 あの日、教室へ入るとき、わたしはある覚悟をしていました。

 噂の真相について、クラスメイトから有ること無いこと話しかけられ、苦痛を感じるような質問を投げかけられることをです。


 しかし、実際はそんなことはありませんでした。


 そのとき、クラスの中心にいたのは甲子園での活躍目覚ましい進藤君。

 わたしたちの噂はその輝きに呑まれて、誰も気にしていませんでした。


「そのとき、わたしは、助けてくれたと感じたのよ。進藤君にはもちろん、そんなつもりなんてない。わかっていても、そんなこととは無関係に、うれしいと率直に思ったのよ」


「ふぅん……、つまり、忘れられないんだ」

「よくわからないわ。そのわからなさ(・・・・・)を、煩わしいとさえ思うの」

「ふぅん……」


 そのまま無言で歩くこと数十秒。

 曜子があからさまに明るい声で、露骨に話題を変えました。


「そ、そういえばさ、なんか新聞部のインタビュー受けてたよね。噂が落ち着いたのって、あの影響も結構あるんじゃないかな?」

「ええ、もちろん、それを狙って取材を受けたんだから」


「え、取材ってどっちかっていうと狙われるものじゃないの?」

「受けるか受けないかはこちら次第だもの。それに、交渉次第で内容はある程度、誘導ができるわ」

「できちゃうんだ……」


 曜子が引きつった笑いを浮かべました。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 伯鳴高校の新聞部が作成している、伯鳴ニュース・ウェブ版は、生徒からそれなりの支持を得ている、やや硬め(・・)の校内新聞です。根拠のない噂については取り扱わず、きちんと裏付けを取ってから報じるか否かを決定するという明確な方針によって、生徒主体のウェブ媒体でありながら、記事内容への信用性は高くなっています。


 その部長から、登校日の前日に取材を申し込まれました。

 わたしはそれを受け、校長室を辞した直後にインタビューに応じました。場所は生徒会室です。


「やっぱり、例のスキャンダラスな噂についてッスねぇ」


 新聞部部長、阿良田あらたさんは録音機レコーダーとメモを手に、前置きなしに切り出してきます。

わたしはそれを流して、


そんなこと(・・・・・)より、面白い話があります」

「……面白い話、ッスか?」

「はい。新学期になれば、いずれ公になる話ではありますが……」


 そう前置きして、わたしは校長先生との交渉によって得た、文化祭に関するいくつかの権利を、阿良田さんに説明していきます。


「ネタを提供して見返りを要求する、ッスか」

「過大な要求ではないはずですが」


 それは、わたしと阿山君の噂に関して、今後一切紙面に出さないこと。

 つまり、伯鳴新聞としてその件を無視してほしいというものでした。


「……新聞部が噂はシロと判断したと、読者はそう受け取ってくれるかもしれないスね。でも、交渉を持ち掛けられた自分ジブンは、これからの会長の一挙一投を、どうしても疑いの目で見てしまいそうッス」


 阿良田さんはそう言って、ボールペンを指先で回し、ペン先をこちらに向けます。

 

 生徒会長・繭墨乙姫は、取引によって疑惑を躱す人物である。

 今後もそういう『色眼鏡』で見ざるを得ないと、彼女は警告していました。あるいは駆け引きでしょうか。なかなか食えない物言いをする人です。


「部長さんにだけは、わたしの潔白を証明しておきます。それを聞いて判断してください。オフレコでお願いしますよ?」


 わたしはそう言って録音機を止めてもらいます。

 そして、校長室でのやり取りを明かしました。家庭の醜聞まで含めて語ることによって、それを大っぴらに明かせない理由になります。


「これを公にする気はないんスね」

「ええ、ありません」

「……わかりました。じゃあご希望どおり、面白い話(・・・・)についてだけ、書かせてもらうことにしまス」

「それともう一つ、依頼があります。お願いと言ってもいいですが」

「ほう、なんスか?」


 こちらのさらなる要求に、阿良田さんはボールペンをくるりと回転させます。嫌がることはなく、むしろ乗り気でした。


 おそらくは彼女も、高校生活にある種の願いを持って過ごしている人種なのでしょう。あるいは野心と言い換えてもいいですが。


 例えば、生徒会に学校を裏から牛耳るような権力はありません。

 また、新聞部が教職員のスキャンダルを暴いて退職に追い込むこともありません。


 ですが、そういった特別を、劇的を、非日常を、それが起こる可能性を胸に抱いて学校生活を送っている。阿良田さんはそういう人種でした。わたしや、おそらくは阿山君もそのたぐいの人間です。だからでしょうか、お互い、親近感を感じていたと思います。


 ノリノリの阿良田さんはもちろんわたしの依頼に応じてくれました。多少渋っていたものの、それすら演技として楽しんでいるようでした。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 2-1の教室に入ろうとすると、中から熱い議論をしている声が聞こえてきました。

 二人の男子、阿山君と赤木君でしょう。


「どしたの?」

「興味深い話をしているみたい」


 わたしと曜子は、戸口の隙間に近づいて聞き耳を立てます。


「だから、メイド喫茶なんて論外なんだよ」

「それは同感だね」


 赤木君の悲劇めいた声に、阿山君が追従します。


「っつーかそもそも、文化祭のコスプレ系喫茶は全部、今さら感あるだろ」

「内輪で楽しんでるだけって感じもあるしね」


「だが……、そんな掘りつくされた金脈に、最後に残った一塊を、オレは見つけたんだよ」

「へぇ、それは?」


 阿山君の問いかけに、赤木君は一呼吸おいて、


「ビジュアル系喫茶だ」

「それ、もうあるよ」

「え」

「ちょっと待ってて……、ほら、これ」


 阿山君はおそらくスマートフォンを操作しているのでしょう。何かを示す声のあとで、赤木君の失意の声が聞こえてきます。


「ゲ、マジかよ……、最後のフロンティアが……」

「でも、別にいいんじゃないかな。二番煎じでも、後追いでも、マンネリでもさ」


「阿山お前……?」

「文化祭っていうのはさ、まず何より自分が楽しまなきゃ。周りの目を気にしてたら、身動きが取れなくなる。これだと思う〝本物〟に向かって突き進もうよ」

「そうか……、そうだよな。サンキュ、阿山。オレとしたことが、ちょっとばかり弱気になってたみたいだ」


 と二人は徐々にテンションを上げていきます。


「何この三文芝居」

「ヨーコ、言わないであげて」


「それで? 具体的にはどういうものに?」


 阿山君の問いかけに、赤木君は自信ありげに応じます。


「コンセプトはもう考えてある。お前もなんとなく、思い浮かぶものがあるんじゃねーか?」

「そうだね、漠然とは」

「じゃあオープンしてやるぜ、オレの魂の叫び、その名も――逃れられない宿命さだめのカフェ・デスティニー」


「うわぁ……」と曜子。


「そう来たか。僕はね、――迷い子たちの集うカフェ・ラビリンス」


「あイタたた……」とわたしも嘆息が口をついてしまいます。


 さすがにこれ以上は居たたまれませんでした。

 勢いよく戸を開けて教室に入ると、阿山君と赤木君は姿勢を正して、何事もなかったかのように振る舞います。


 しかし、わたしたちが自分の席に着くと、またコソコソと向き合って話を再開していました。

 意識すると、話し声が断片的に聞こえてきます。

 

 道化師……、漆黒の翼が……、裏切りの堕天使……、囚われの……、偽りの……、いっそサムライとか……、瞬間トキ……、永遠トワ……、アダムとイヴ……、罪と罰……、遊戯……、黄昏……、


 早く来てください先生。あの二人を止めてください。

 わたしは初めて心の底から担任教師を頼りました。



 ちなみに。

 その後、行われたクラス企画決定の投票において、赤木君提案のビジュアル系喫茶『宿命の迷宮』ラビリンス・オブ・デスティニーは得票数1。裏切りの堕天使は阿山君でした。


 クラス企画が決定するまでの間、消されずに置かれたその文字列は、黒板の片隅で異彩を放ち続けていました。


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